ラグナロクオンラインの世界に転生した。―歪な愛の行方― 作:和泉終夜
苦手な方はお気を付けください。
宿の地下にある個室食堂。
焼き立ての香ばしいパンとハーブティーの湯気が立つテーブルで、エルネストは地図を広げたまま鋭い眼光を走らせていた。
「ゲフェンタワーの地下大空間……そして、街の北側に広がる旧市街地の一角。噂では、そこに『影の市場(ブラックマーケット)』が存在するらしい。湿地帯で俺たちを襲った刺客——シャドウクロスの足取りを追うには、まずあそこを洗う必要がある」
「影の市場、ですか……なんだか、すごく怖そうな場所ですね……」
リリアが不安そうにハーブティーのカップを両手で包み込み、身を縮める。
その姿にエルネストの過保護スイッチが即座に入り、すかさず彼女の肩を自らの身体に引き寄せた。
「案ずるな、リリア。俺が片時も離れず君を護る。指一本触れさせはしない」
「……はい、エルネストさん……っ」
頬を赤らめてエルネストの胸に寄り添うリリア。
その和やかな光景を向かいの席から眺めながら、レイは昨日のお風呂でのハプニングの記憶が脳裏をよぎり、思わず頭を抱えそうになるのを必死でこらえていた。
(まったく……相変わらずあの二人の世界に入り込みやがって……)
心の中で盛大なため息をつきつつ、レイの脳裏には昨日、宿の大浴場で起きた大失態が鮮明に蘇っていた。
あの時、ボロを出さないように細心の注意を払っていたというのに、よりによって床の滑りやすさに足を取られたリリアが目の前で派手に転倒したのだ。
無防備に放り出された破壊力抜群の豊謀な胸元と白磁のような太腿の付け根が、間近に迫るレイの視界にダイレクトに飛び込んできた。
「ひゃうっ……!? れ、レイちゃん……っ!?」
と赤面するリリアに対し、レイ自身の身体は女でありながら、脳内の精神は完全に男のままであったため、想定外すぎる眼福と衝撃に耐えきれず、内心ではパニックを起こしていた。
(くっ……! 意識のほうではいつもの調子で下半身が熱くなって突っ張るような感覚があるのに、この女の身体は……っ! 男ならとっくに起きてるはずの場所にそんなものはないくせに、代わりに体の芯が疼いて、内側からじっとりと濡れてきやがる……ッ!? こんなの、ただの身体の裏切りじゃねえか……っ!)
待てよ、俺の身体、もうすっかり女の反応になってるのか……? と、脳では男だと抗っているというのに、肉体は勝手に雌としての快楽と熱を学習してしまっているという現実。
そのあまりの背徳感と取り返しのつかない恐怖に、レイは心の中で血の涙を流した。
想定外すぎる自律神経のバグと、女体化した肉体が勝手に感じ取ってしまう淫らな反応に、レイは冷や汗をダラダラと流しながら必死に理性を保つので精一杯だった。
「どうかしたのか、レイ。顔色が悪いぞ」
エルネストの冷ややかな視線が突き刺さり、レイは慌てて手を横に振った。
「な、なんでもない! ちょっと昨日の湿地帯の疲れが残ってるだけだ。……それよりも、その『影の市場』ってとこに行くんだろ? 俺も護衛として協力するさ。あの手の裏社会の連中、ただ待ってるだけじゃいつまで経っても厄介ごとが向こうからやってくるからな」
元男としての高い戦闘センスと、エレメンタルマスターとしての冷徹な判断力。
レイのその提案に、エルネストはわずかに目を細めてから頷いた。
「……いいだろう。だが、油断するな。ゲフェンの裏通りは、アルベルタ以上に治安が歪んでいる」
宿を出発する前、ゲフェンの表通りから少し外れた路地裏にある、怪しげな古着や旅装束を扱う小さな店に3人は立ち寄っていた。
街で過剰に注目を集めるのを防ぐため、エルネストが選んだのは「使い古された地味な冒険者のローブ」と「顔の半分を深く隠せる大きなフード」だった。
「……で、どうして俺がこんな格好を……」
(クソダセェ…………)
鏡の前で、レイはあまりのダサさに頭を抱えたい衝動と戦いながら、自身の地味すぎる姿を見下ろしていた。
自キャラのコーディネートや見た目にはそれなりにこだわりを持って生きてきた元ゲーマーの彼にとって、この「どこにでもいる村人A」のような没個性な変装は、ステータス低下よりも精神的ダメージがデカかった。
だが、追手や盗賊団に目をつけられるリスクを減らすためには背えられなかった。
隣に立つリリアもまた、目立ちすぎる聖職者の豪奢な法衣の上から、すっぽりと体型を隠せる地味な色のロングマントを羽織っている。
しかし、隠しきれない豊かな胸元の膨らみや、ふんわりと甘いピンクブロンドの毛先がどうしてもフードの隙間からこぼれてしまっており、変装しきれていないどころか逆に「隠しきれない美少女感」がダダ漏れになっていた。
「うう……なんだか私、怪しい人みたいになっちゃいました……」
「これくらいでちょうどいい。……それに、君のその姿は……俺以外に見せる必要はない」
エルネストはさりげなくリリアのフードを深く被せ直し、彼女の肩をしっかりと引き寄せた。その独占欲を隠さない行動に、リリアは頬を染めて小さく頷く。
(くっ……! エルネストの奴、リリアの独占欲を隠す口実に俺まで巻き込んで……!)
心の中で盛大に毒づきながらも、レイは深くフードを被り直し、自分の胸元をそっと押さえた。
昨日の大浴場での大失態を引きずるレイに対し、前夜の戦闘を経て少しだけ警戒を緩めているエルネスト。
その微妙に噛み合わない距離感と、リリアに向けられる無自覚な好意の板挟みになりながら、レイは己の「女の身体」と「男の理性」のバランスを必死に保つしかなかった。
「よし、準備はいいな。……行くぞ」
支度を終えた3人は、昼下がりのゲフェンの街へ足を踏み出した。
魔法都市の華やかな表通りから一歩外れ、石畳の陰が濃くなる旧市街地へ向かうにつれて、周囲を行き交う人々の目つきが露骨に変わっていく。
「きゃっ……!?」
案の定というか、何もない平らな路地裏の石畳で、リリアが派手に足を滑らせた。
「っと……危ないな、リリア」 「あ……ありがとう、エルネストさん……!」
瞬時にエルネストの腕がリリアの腰を抱き止め、ふたたび二人の距離がゼロになる。
その様子を後ろから見守りながら、レイは自分の胸元をそっと押さえた。
(……くそ。あそこでリリアを支えてやりたいのは山々だが、今の俺が他人のフリしてあんな美少女にベタベタ触ったら、周囲からは『あの黒髪の美女、もしかして同性狙いの変質者(セクハラ女)か……?』って引かれちまう……っ! だとしても、あの天然でドジな可愛い奴を、こんな治安の悪い裏通りの野郎どもに好き勝手独占させるわけにはいかないんだよ……!)
周囲の人間には、ただ鋭い眼光を飛ばす凛々しい孤高の美女にしか見えていないというのに、当の本人は「変な目で見られているのではないか」という被害妄想と複雑怪奇な乙女心、そして剥き出しの男の執着を胸の内に滾らせながら、レイは鋭い魔力を指先に集中させた。
古着屋で選んだ目立たないローブと深いフードに身を包み、3人はゲフェンの旧市街地の裏手にある隠し階段を降りていった。
地下へと続く石造りの回廊を進むにつれ、湿った空気の中に独特の香辛料と、怪しげな魔導薬の匂いが混ざり合っていく。
やがて視界が開けたその場所こそが、表の法が一切届かない闇の自治領域——「影の市場(ブラックマーケット)」だった。
「すっごい人……。まるで、裏社会のフリーマーケットみたいですね……」
リリアは周囲の物騒な雰囲気に気圧されつつも、エルネストのローブの裾をギュッと掴んで離れなかった。
露店には違法な属性石や、ダークな輝きを放つ装備品、さらには怪しげな魔術書が所狭しと並んでいる。
「……周囲に気を付けろ。昨日の湿地帯で仕損じた連中が、この市場のどこに網を張っているか分からない」
エルネストは周囲を鋭く見据えながら、リリアの手をしっかりと握り返す。
その過保護なまでの執着は、この混沌とした闇市場の中でも一歩も揺るぎなかった。
一歩後ろを歩きながら、レイは周囲の怪しげな男たちの視線を魔力の圧力でさりげなく牽制しつつ、心の中で冷や汗を拭っていた。
(くっ……! この市場、やたらと治安が悪いうえに変な連中の視線が生々しすぎる……。それに、エルネストの奴は相変わらずリリアに密着しきってやがるし、俺も変装のローブのせいで逆に妙な色気を勘ぐられてる気配がする…! 早くここを抜けて情報を集めないと、精神が持たないぞ……っ!)
元男としてのサバイバル勘が、この場に長くいるべきではないと警鐘を鳴らしていた。
だが、湿地帯の追手(シャドウクロス)の足取りを掴むためには、この市場の闇医者や情報屋から聞き込みを行う必要がある。
「おい、あそこの奥だ。……表向きは骨董品を扱っているが、裏で裏社会の流通を牛耳っている情報屋がいる」
エルネストが顎で示したのは、薄暗いランプが灯る古びたテントだった。
不気味な気配を漂わせるその場所へ踏み出そうとした瞬間——背後の雑踏から、微かな「空間の歪み」を告げる魔力の波動が走った。
「……っ! 来るぞ!!」
エルネストの瞳に鋭い殺気が宿り、弓の柄へと手が伸びる。
影の市場の暗闇から、音もなく忍び寄る「死の影」が、いよいよ牙を剥こうとしていた——。
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