ラグナロクオンラインの世界に転生した。―歪な愛の行方― 作:和泉終夜
「……っ! 来るぞ!!」
エルネストの瞳に鋭い殺気が宿り、背負った大型弓の柄へと一瞬で手が伸びる。
——次の瞬間、空間が音もなく裂けた。
「見つけたぞ、標的(ターゲット)のカーディナル」
闇の裂け目から滑り込むように現れたのは、全身を漆黒の影のような装備で包み込み、両手に鋭いカタール(拳刃)を構えた男——シャドウクロスだった。
周囲の一般客たちが悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「リリア、下がれ!」
エルネストが素早く一歩前に踏み出し、放たれた奇襲の刃を間一髪で回避しつつ、弦を引き絞る。
だが、シャドウクロスの動きは昨日までの野盗とは比べ物にならないほど素早く、幻影を残すように姿が掻き消えた。
(――『クローキングエキシード』……ッ。あのときゲフェン湿地帯で逃した暗殺者か……!)
いや、違うか——。
(……身のこなしのキレも、纏っている魔力の密度も、あのときの怪物じみた奴に比べれば大したことない。……ただの、二流の模倣か)
姿を完全に消した敵の殺気が、背後から音もなくリリアへと迫る。
「きゃっ……!?」
恐怖で足がすくみ、その場に崩れかけ路地裏の石畳に躓きそうになるリリア。
純支援職である彼女には、暗殺者の神速の奇襲を防ぐ術はない。
「——させねえよ!!」
その絶体絶命の隙を、一歩後ろで身構えていたレイが鋭く突いた。
男としての戦闘本能と、エレメンタルマスターの天才的な空間把握能力が全解放される。
レイは詠唱すら省いた超高速の念動魔法と氷結の魔力を足元へ叩きつけた。
——バリバリバリッ!!
突如として発生した極寒の氷柱の壁が、リリアの背後に迫っていた影の軌道を完璧に塞ぐ。
「なに……っ!?」
不意を突かれたシャドウクロスが舌打ちをし、バックステップで距離を取る。
その隙をエルネストが逃すはずもなかった。
「……沈め」
冷徹な瞳が暗殺者の姿を捉え、最大威力の狙撃矢が闇を切り裂いて放たれた。
空間を震わせる爆風と共に、刺客の片腕の装甲が盛大に吹き飛ばされる。
「くっ……! ターゲットの護衛がこれほどとは……情報違いめ!」
深手を負ったシャドウクロスは、これ以上の戦闘は不利と悟るや否や、煙幕のスクロールを地面に叩きつけた。
濃密な紫色の煙が立ち込め、視界が一瞬で奪われる。
煙が晴れた時、そこに刺客の姿はすでに影も形も残っていなかった。
「……っ、逃げられたか」
エルネストは弓を下ろすと、すぐさま振り返り、恐怖で震えているリリアの身体を強く抱き寄せた。
「リリア、怪はないか? どこか触られたか……?」
「うう……怖かった……けど、怪我はありません……。エルネストさん、それにレイちゃん……助けてくれて、ありがとう……っ!」
リリアがエルネストの胸に顔をうずめ、安心したように涙を浮かべる。
その愛おしい頭を優しく撫でながら、エルネストの瞳には一層険しい警戒の色が宿っていた。
(アルベルタの時とは組織の格が違う……。このゲフェンですら、もう安全地帯ではないということか)
一方、少し離れた場所で戦闘の余韻に息を整えながら、レイは自分の胸元をそっと押さえて複雑な息を吐いていた。
(あぶねぇ……! 直感で動いたから何とか間に合ったけど、あんな暗殺者に狙われたらリリアなんて一たまりもない。……それにしても、あのエルネストの奴、相変わらず一秒たりともリリアから離れる気がないな……)
過保護なエルネストの執着と、迫り来る闇の組織の影。
ゲフェンの街の深部で、さらなる嵐の予感だけが重く重く立ち込めていくのだった——。
ゲフェンの裏通り——影の市場の暗闇から突如として現れたシャドウクロスの奇襲を、エルネストの冷徹な狙撃と、レイの瞬時の氷結魔法によって辛うじて退けた3人だったが、戦闘の余韻が冷めやる間もなく、周囲の治安の悪さを痛感させられていた。
「……ここも長居は無さそうだな。刺客が数人現れたということは、この街の拠点すら既に奴らに割られている可能性が高い」
エルネストは弓をしまいながら、リリアの肩をしっかりと引き寄せた。
その過保護なまでの執着は、危険な闇市場を抜けた後も一歩も緩むことはない。
「うう……なんだか、どこにいても狙われているみたいで、すごく怖いです……」
リリアは青ざめた顔でエルネストの腕にしがみつく。
その豊かな胸の柔らかい感触が伝わっているにもかかわらず、エルネストの意識は全方位への警戒に完全に固定されていた。
一歩後ろを歩くレイは、冷や汗を拭いながら心の中で盛大に悪態をついていた。
(まったく……あんな暗殺者に不意打ちされるなんて、この世界の治安は本当にどうかしちまってやがる。それにしても、エルネストの奴は相変わらずリリアを独占して離さねえし……。思い出すだけでも、昨日の大浴場でのハプニングのせいで、あいつの顔を見るたびにあの無防備な姿と触られた感覚が脳裏に蘇ってきて、俺の心臓が変に跳ね上がりやがる……! くそ、身体は女のくせにこの情緒はどうなってやがる……!)
昨夜、宿の大浴場の滑りやすい床でリリアが派手に転倒し、すべてをまざまざと見せつけられてしまった記憶。
そして「女の子同士でよかった、恥ずかしいよ」と赤面するリリア。
そして無邪気な顔で無防備にベタベタ触ってくるリリアを前に、頭の中の男としての理性が崩壊しかけたトラウマと、下半身が勝手に反応してしまった気まずさが、レイの精神を激しく摩耗させていた。
(これ以上あの二人と三人だけで一緒にいたら、別の意味で俺の正気が持たなくなる……! 早く他のメンバーとも合流しねえと……それに、エルネストとリリアがあまりにべったりなのを見てると、なんだか妙に胸の奥がモヤモヤするし……くそ、これも女の身体になった弊害ってやつなのか……!)
頭をかきむしりたい衝動を必死に抑えつつ、レイは前を歩く二人に向かってわざとらしく声を飛ばした。
「おい、いつまでもこんな薄気味悪い市場の近くに突っ立ってる気か? ひとまず宿に戻って、今後の身の振りを考えようぜ」
「……そうだな」
エルネストは短く頷くと、二人に背を向けないよう細心の注意を払いながら、ゲフェンの表通りへと足を向けた。
宿に戻り、安全な個室の扉を重く閉ざしたあと、3人は今後の計画についてテーブルを囲んで話し合いを始めた。
「アルベルタに戻るのは論外だとして……問題はこのゲフェンも安全とは言えなくなったことだ。やはり、王国の中心であり、強固な警備と冒険者ギルドの本部がある首都プロンテラへ移動するべきだ」
地図を広げたエルネストが冷静に分析する。リリアもそれにこくこくと頷いた。
「そうですね……! プロンテラなら、レナードさんやノアさん、それにバルドさんたちとも合流できる可能性が一番高いですし……!」
「だが問題はそこだ」
レイが腕を組み、冷ややかな視線を地図のルートに向けた。
「ゲフェンからプロンテラへ続く街道は、最近起きた激しい土砂崩れやモンスターの活性化によって、通常のルートが完全に塞がれている。まともに進もうとすれば、かなりの大回りをして険しい山道や魔物の巣窟を抜ける羽目になるぜ。俺たちだけで無傷で抜け切れる保証はどこにもない」
「……ああ。特に、リリアは純支援職だからな……。この荒れた状況での長距離移動は、どうしても護衛の負担とリスクが跳ね上がる」
エルネストのその言葉に、リリアは「うう、すみません……私、足手まといで……」と申し訳なさそうに耳を伏せた。
エルネストは慌ててその頭を優しく撫で、甘い声音で否定する。
「気にするな、リリア。君のバフがなければ俺たちの戦闘力は半減する。守るべきなのは当然だ」
(いちゃつくなよ……っ! 見せつけやがって……!)と心の中で激しくツッコミを入れながら、レイは昨日立ち寄った冒険者ギルドの掲示板で得た耳寄りな情報を思い出し、ふっと口元を緩めた。
「まあ、そう絶望するなよ。実はな、前にギルドで情報を集めていた時に面白いものを見つけたんだ」
「……何だ?」
「ゲフェンからプロンテラ方面へ向かおうとしている、手練れの『商隊の護衛募集』が出ている。何でも、専用の魔導馬車を連ねた大型の商隊で、厳選された腕利きの護衛を雇って安全な迂回路を一気に抜ける計画らしい。これに便乗すれば、安全かつ確実な移動手段が手に入るってわけだ」
レイの提案に、エルネストはしばらく思案するように眉間を寄せたが、やがて小さく頷いた。
「……なるほど。他人の褌を借りる形にはなるが、包囲網を敷かれている今の状況下では、個別に動くよりも大規模な商隊の群れに紛れ込む方が追手の目を眩ませやすい。……その商隊の出発はいつだ?」
「明日の朝早く、ゲフェンの北門前だそうだ。報酬も悪くないし、何より俺たちの目的地と完全に一致している」
「決まりだな」
エルネストはリリアの手をとり、優しく微笑みかけた。
「明日は朝から移動するぞ、リリア。準備をしておけ」
「はい! エルネストさん、よろしくお願いします……!」
過保護なウインドホークと、秘めた恋心と葛藤を抱えた元男のエレメンタルマスター、そして無防備なカーディナル。
それぞれの胸に複雑な思惑と絆を乗せながら、彼らは首都プロンテラへと通じる新たな旅立ちの朝を迎えようとしていた——。
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