ラグナロクオンラインの世界に転生した。―歪な愛の行方― 作:和泉終夜
洞窟の外へ出ると、東の空が少しずつ白み始めていた。
救援に駆けつけた「聖者の行進」のリーダー・イオンや商隊の男たちと合流し、捕らえられていた女性たちはそれぞれの保護者や仲間の元へと戻っていく。
「本当にありがとうございました、エルネスト!あなたが来てくれなかったら、私たちは……」
イオンやアリシアたちが深々と頭を下げる中、エルネストは興味なさそうに短く頷くだけだった。
彼の意識のすべては、己の隣で未だに服の破れ目を小さく押さえ、不安そうに裾を掴んでいるリリアだけに注がれていた。
「……着ていろ」
エルネストは自分が羽織っていた厚手のマントを脱ぐと、リリアの華奢な肩を包み込むように掛けた。
マントはすっぽりとリリアの身体を覆い、破れた服や豊かな胸元を隠してしまう。
「あ……ありがとうございます、エルネストさん。温かいです……」
「二度と俺の側から離れるな。……いいな?」
「はい……っ!」
エルネストは、自分の厚いマントでリリアの華奢な肩や震える体をしっかりと包み込み、そのまま片手で優しく支えながら、空いたもう片方の手で懐からもう一枚の予備の外套を取り出した。
そして、近くでブルブルと震えていたレイの頭めがけて、それをバサッと無造作に投げつける。
「……いつまでも道化のようにそんな格好を晒すな。風邪を引かれても面倒だ」
「っ、んだよ……ありがたく受け取っとくけどさ!」
と、相変わらずの毒を吐きつつもちゃんと着せてやっていた。
その不器用で温かい気遣いをマントの裾からこっそり覗き見たリリアは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。
――普段はあんなに冷たくて怖い人に見えるのに、やっぱりエルネストさんは誰よりも優しくて、仲間をちゃんと大切にしてくれる人なんだ。
恐怖に凍りついていた心がすっかり解きほぐされ、無事にみんなが揃って生きている嬉しさに浸りながら、リリアは思わず「ふふっ」と小さく柔らかく笑みをこぼした。
そんな彼女の温かな笑顔を横目で捉えながら、エルネストは自身の内側で渦巻く感情を静かに噛み締める。
(……この世界がどれほど残酷で、これからどんな脅威が立ちはだかろうと関係ない。――俺がすべてを敵に回してでもこの手を守り抜き、二度と誰の指一本たりとも触れさせはしない)
洞窟の崩落した天井から差し込む朝の光が、血と鉄の匂いが残る岩肌を白く照らし出していた。
エルネストの厚いマントにすっぽりと包まれ、その大きな胸に顔を埋めて震えを納めていくリリア。
その頭を優しく撫で、二度と離さないと言わんばかりに抱きしめるエルネストの姿を、すぐ傍らで外套を羽織りながら、レイは静かに見つめていた。
「……よかったな、リリア」
ぽつりと呟いたレイの声は、周囲の喧騒にかき消されるほど小さかった。
(……助かった。あいつが無事で、本当に……心の底からよかった)
胸を撫で下ろす安鈍感と同時に、レイの胸の奥を刺したのは、鋭く苦い「己の無力さ」だった。
転生する前、男だった頃からずっと惹かれていた少女。
天然で無防備で、放っておけば何もないところで躓いてしまうようなリリアを、自分はずっと「男」として守りたかった。
自分の腕で抱きしめ、危険から遮り、誰よりも頼りにされる存在でありたかった。
だが、今の自分の身体は、洗練された美しい「女性」の姿だ。
魔力封じの結界を施されたとき、男としてのプライドも、高火力アタッカーとしての力も奪われ、ただの無力な存在として岩場に伏せることしかできなかった。
リリアの服が破かれ、恐怖で涙を流していたその時、颯爽と現れて悪党どもを叩き潰したのは自分ではなく、あのエルネストだった。
(もし……俺が男のままだったら。いや、身体が女だろうが、俺にもっと力があれば……あんな思いをさせずに済んだのに)
悔しさと屈辱に唇を噛みしめるレイ。
だがそれ以上に苛まれていたのは、「女」の身体になってしまった自分が、リリアにとってただの「頼りになる同性の友人」として扱われることへの切ない葛藤だった。
リリアがエルネストに見せるような、男性に対する無自覚な甘えや信頼の眼差し。
それが自分に向けられることは二度とないのだという冷酷な現実が、胸を締め付けていた。
救援に駆けつけた「聖者の行進」のメンバーや商隊が後始末に追われる中、リリアはふと、手首の傷を静かに見つめていたレイに気づいた。
「レイちゃん……!」
マントの裾をぎゅっと握りしめたまま、リリアすぐそばのレイの傍へと歩み寄った。
「あ……リリア。怪我はないか? 服は……エルネストのマントを着ていれば大丈夫そうだな」
レイは咄嗟にいつものクールで凛とした表情を作り、優しく声をかけた。
自分の中のドロドロとした葛藤や未練を、この可憐な少女に見せるわけにはいかない。
しかし、リリアはレイの目の前に立つと、ぽろぽろと大きな涙粒をその瞳からこぼし始めた。
「リ、リリア……!? どうしたんだ、どこか痛むのか……!?」
慌てるレイの手を、リリアは両手でギュッと包み込んだ。
彼女の手に残る微かな震えと温もりが、レイの掌にダイレクトに伝わってくる。
「……ごめんね、レイちゃん……っ。私、すごく怖かった……! でも……レイちゃんがずっと私の前にいて、守ろうとしてくれてたの、ちゃんと分かってたよ……!」
「……っ」
「結界で魔法が使えないのに、身体を張って……服を掴まれた私を庇ってくれたでしょ……? レイちゃんが側にいてくれたから、私、諦めないでいられたんだよ……!」
リリアは涙で濡れた顔を上げ、まっすぐにレイの瞳を見つめた。
そこにあったのは、単なる「助けられた被害者」の顔ではなく、極限の恐怖を共に生き抜いたからこそ芽生えた、レイへの深い感謝と揺るぎない絆の光だった。
「レイちゃん……本当に、ありがとう……っ!」
抑えきれなくなった想いが溢れ出したのか、リリアはそのまま彼女の華奢な身体へと勢いよく飛び込み、ギュッと強く抱きついた。
「っ……! リリア……っ」
不意打ちの温もりに、レイは思わず息を呑む。
(……俺なんて、守られるだけで……情けない……っ)
最初は「男として守りたかった」という悔しさが頭をもたげる。
しかし、リリアが自分の背中に回した腕に、どれほどの力が込められているかを感じ取ったとき、レイの思考はフッと止まった。
「……レイちゃんも何もされなくて…本当によかった……!」
レイの胸元で声を上げて泣くリリア。
レイだって本当は怖くて怯えていたに違いない。
レイ自身だって同じように怖かったはずなのに、それでも逃げずに盾になってくれた彼女の優しさと痛みが、リリアの胸を熱くさせる。
(……レイちゃんも、すごく怖かったんだよね。一人で震えていたんだよね……)
だからこそ、今度は自分がこの温もりで包み込んで、安心させてあげなければならない――そんな切なくも温かい想いに突き動かされるように、リリアはより一層強くレイにしがみつき、その背中を優しくトントンと叩いた。
自分の胸元で必死に自分を労ってくれるリリアの体温を感じるうちに、レイの胸の奥にあったドロドロとした葛藤や自己否定の感情が、少しずつ氷解していく。
「……バカ言え。礼を言うのは俺の方だ」
レイは一瞬だけ言葉を詰まらせた後、ふっと力を抜いて苦笑した。
伸ばした細い指先で、リリアの頬に伝う涙を優しく拭う。
(……そうだな。男だとか女だとか、そんな格好悪いこと言ってる場合じゃねえや)
たとえ身体が女になろうと、リリアに見せる顔が「頼れる同性の親友」になろうと関係ない。
自分がこの少女を大切に思い、守りたいと願う気持ちに変わりはないのだから。
「お前が無事なら、それでいい。……これからは俺も、もっと腕を磨いてお前を守るからな。エルネストだけにいい格好はさせねえよ」
「ふふっ……うん! レイちゃん、すごく格好よかったよ!」
花が咲くようなリリアの笑顔に、レイの胸のつっかえがすーっと溶けていくようだった。
「……仲が良いな、お前たちは」
背後から掛けられた低い声に振り返ると、弓を背負ったエルネストが冷たさと過保護さを孕んだ瞳で立っていた。
その手には、リリアのために用意した冷たい水が入った革袋がある。
「エルネスト……フン、命拾いしたな。俺が魔法を使えてたら、お前の出番はなかったぜ」
「そうか。だが現実には、お前も彼女も俺が助けた」
不敵に口元を歪めるレイと、冷徹に言い返すエルネスト。
二人の間に火花が散るが、そこにはかつて同じギルドで修羅場を潜り抜けてきた者同士の、妙な信頼感も漂っていた。
「もう、二人とも喧嘩しちゃダメだよ!」
呆れたように、けれど嬉しそうに笑うリリア。
エルネストに手を引かれ、レイに側を固められながら、リリアは朝焼けに染まる渓谷の出口へと歩み出した。
さらわれた危機を乗り越え、試練の中で試された者たちの絆。
エルネストの歪んだ独占欲と庇護、レイの切なくも力強い決意、そしてリリアが二人に寄せる絶対的な信頼。
それぞれの想いを胸に秘め、彼らは離れ離れになった他の仲間たちが待つ、広大なルーンミッドガッツ王国への次なる一歩を踏み出すのだった。
3章がここで終了です。
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