ラグナロクオンラインの世界に転生した。―歪な愛の行方― 作:和泉終夜
「……大聖堂の門を叩く前に、少しばかり寄り道をしておきたい場所がある」
白亜の尖塔が青空に突き刺さるような大聖堂を遠目に眺めながら、エルネストはふと足を止めた。
その整った顔立ちは、聖域特有の厳かさに呑まれるどころか、むしろ次なる布石を計算する冷徹な光を帯びている。
隣を歩くリリアは、きょとんとした大きな瞳をパチクリとさせ、不安げにスカートの裾をぎゅっと握りながらおずおずと尋ねた。
「あの……エルネストさん、どこに行くんですか?」
「あぁ。王立図書館の特別閲覧室だ」
エルネストは淀みのない声ですんなりと言ってのける。
「大聖堂へ向かう前に、この国の法規、直近の交通網の乱れ、そして――大聖堂の連中が隠し持っている系譜の整合性を、もう一度この目で確認しておく必要がある。丸腰で、あるいは状況の裏付けもなしに虎穴に入る気はないからな。ついでに道中で消耗した触媒も補充しておこう」
そう言ってエルネストが手元の荷物を確認した瞬間、その背後で、レイが黒髪のボブヘヤを盛大に揺らしながらガックリと肩を落とした。
(……マジかよ。これからあの堅苦しい大聖堂に突撃するってのに、その前に図書館でガッツリ下調べする気かよ……! 絶対、あの本棚の奥にあるような面倒くせぇ禁書とか資料を漁り直して、裏の裏まで暴く気だろ……。俺の胃の休まる暇がねぇ……っ!)
冷や汗を隠しつつ、勝気な美少女の仮面を必死に保つレイを他所に、エルネストはリリアを優しく促しながら歩き出す。
やがて通された特別閲覧室の重厚な机の上で、エルネストは音もなく資料を広げていった。
机の上に広げられた『ルーンミッドガッツ王国全土・詳細地誌および関門移動図鑑』のページを、エルネストは静かな眼差しでパラパラとめくっていた。
(……やはり、どうにも腑に落ちないな)
護衛という手前、道中ではあえて口には出さなかったが、エルネストの頭の中ではずっと一つの疑問が引っかかっていた。
本来であれば、ゲフェンからプロンテラへ向かうのであれば、ゲフェンの西門から街道に出てまっすぐ東へ突っ切るのが最も近道のはずだ。
それなのに、旅団があえて北方のミョルニール山脈を大きく迂回し、幾重もの険しい関門や山道を超えて遠回りなルートを進んだのは、効率の観点から見ればおよそ最適とは言えなかった。
(あのときは護衛としての警戒や、不測の襲撃を避けるための臨時の判断だと思っていたが……それにしても、ここまで遠回りを選ぶ理由があるのだろうか)
疑問を解くため、エルネストは図鑑の該当ページ――ルーンミッドガッツ中央部の地形図と、旧街道の記録が記された古い付録のページに視線を落とした。
指先でページの地図を辿り、本来の直通ルート周辺を確認した瞬間、彼は「なるほど……」と小さく息を漏らし、納得したように細い目を細めた。
図鑑の注釈には、かつて主要な往来に使われていたゲフェン西側からプロンテラへと抜ける最短ルートが、赤く×印の封鎖線とともに記されていた。
そこには、十数年前に発生した大規模な土砂崩れによる山道の崩落、そしてそれに乗じるかのように魔物たちの異常な活性化と巣食い化が進み、王国の認可した正規の関門すらも長年閉鎖されたままであることが詳細に記されていたのだ。
「……そういうことか。最短の西側ルートは、十数年前の土砂崩れと魔物の巣窟化によって完全に封鎖されていたわけだ。……道理で、あんな大回りなルートを強いられるわけだ」
護衛としての直感が感じていた非効率さの正体が、単なる遠回りではなく、地理的・歴史的な「通れない理由」によるものだと腑に落ちたことで、エルネストの中ですべてのパズルがカチリと噛み合った。
銀の髪を揺らしながら、彼は静かに図鑑を閉じ、納得したように息をつく。
ゲームの記憶や古い知識だけでは測れない、現実の世界が抱える「地形の歪み」と「過去の災厄の爪痕」。
それを自らの目で確認したエルネストは、再び顔を上げる。
さらに『ルーンミッドガッツ日報・特別臨時号』に目を走らせ、先日起きた土砂崩れによる交通網の麻痺や治安の悪化といった直近の状況をサッと頭に叩き込み、移動計画の微調整を済ませた。
そして、エルネストの手が真鍮の鍵付きで厳重に保管されていた『ルーンミッドガッツ大聖堂 高位聖職者系譜および派閥録』のページでピタリと止まる。
そこに記されていたのは、白亜の聖域の裏側に巣食う醜悪な権力構造の真実だった。
――保守派(伝統主義・排斥派)。
人間中心主義および教条の純潔を掲げ、自分たちの権勢を脅かす優秀な若手聖職者や異端の存在を疎み、裏で非公式の「狩り(排除)」を暗黙に容認・手引きしている。
――さらに、その裏でうごめく構造②。
宗教国家アルナベルツ教国の工作員による、かつて封印された『魔王復活』のための生贄(触媒)および儀式用の聖素回収を目的とした、高位聖職者たちの密かな拉致・集積。
(なるほど……そういうことか)
エルネストは羊皮紙の上で細い指先をトントンと軽く叩き、冷徹な瞳を細めた。
国内の保守派が権力闘争のために繰り広げている身内同士の足の引っ張り合いと排斥工作、そして隣国アルナベルツ教国による魔王復活の謀略――。
この二つの異なる意図が、水面下でグロテスクに噛み合っている。
連中が何を探り、なぜこのタイミングで影で動いているのか。
そのカラクリが綺麗に一本の線で繋がった瞬間だった。
さらに『首都プロンテラ地下遺構および大聖堂地下遺構(ジオラマ図録)』を開き、聖域の足元に広がる隠し通路の構造を脳内に焼き付ける。
だが、エルネストの思考の深掘りはそこで終わらない。
彼は視線を隣の分厚い古文書へと移した。
人間中心主義が絶対とされるこの王国内で、異種族やその血を引く者が受ける法的な足かせを記した『ルーンミッドガッツ王国における異種族制限法および聖域法規』。
それを脳内で換算したとき、エルネストの脳裏には自然と、あの男の姿が浮かび上がっていた。
(……レナードの存在、そして彼の持つ血の重み。この法規が奴の足枷になる閾値は、どの程度まで許容できるか)
さらに、その傍らにあった『異界系譜論および生殖の理の限界について』の古文書を開き、世界の外側から迷い込んだ「転生者」という存在がこの世界の理や系譜においていかなる例外であり、どのような矛盾(エラー)を孕んでいるのかを冷徹に読み解いていく。
(……なるほど。異界の魂がこの世界に根付くとき、その系譜と理にはこうした特異な歪みが生じるわけだ)
世界の本質に関わる「転生者」の定義と構造を完璧に頭脳へインプットし、エルネストはすべての確認を終えた。
フッと美しくも冷ややかな笑みを浮かべ、重厚な表紙をパタリと閉じる。
「……よし。これで、連中の土俵で踊らされる理由はなくなった。行こうか、二人とも」
不穏な影が忍び寄るプロンテラの街並みの中、二人の少女を従えたエルネストは、万全の布石を胸に大聖堂へと針路を変えた。
プロンテラの中心部にそびえ立つ、白亜の大聖堂。
澄み切った青空に向かって高くそびえる尖塔と、幾重にも重なるステンドグラスは、ルーンミッドガッツ王国の信仰の中心地としての圧倒的な威厳を放っていた。
その広大な大聖堂の正面広場へと、エルネスト、リリア、そしてレイの3人が足を踏み入れる。
「……ここが、プロンテラの大聖堂か」
エルネストは周囲を鋭く見回しながら、低い声で呟いた。
周辺には、熱心に祈りを捧げに来た市民や巡礼者たちの姿が多く見られる。
だが、その華やかな表向きの光景の裏で、エルネストの冷徹な青い瞳は、聖職者や衛兵たちが放つ冷徹な選民意識や、人間以外の存在に対する厳戒な視線をしっかりと捉えていた。
(……魔王モロクの復活や世界各地の異変に対応するためだと言いつつ、この国の教会組織も一枚岩ではない。下手に厄介な連中に目をつけられないよう、十分に気を引き締めなければならないな)
エルネストは思考を巡らせながら、隣を歩くリリアへとさりげなく体を寄せ、護衛としての位置取りを完璧に固める。
「うわぁ……すごく大きくて、綺麗なお城みたいな建物ですね……!」
リリアは圧倒的なスケールの大聖堂を見上げながら、目を丸くして感嘆の声を漏らした。
その可愛らしい横顔を見つめると、エルネストの冷徹な胸の奥にも、かすかな温もりと庇護欲が広がっていく。
――だが、そのすぐ隣で。
(……はあ、空気が重苦しいのなんのって……。なんで俺はよりによって、この過保護な弓手と、昨夜あんなことになったリリアとの3人でこんな神聖な場所にいなきゃならねぇんだよ……ぶっちゃけ、今の俺の体も頭の中も、全然神聖のかけらもねぇよ……っ!)
レイは黒髪のボブヘアを揺らしながら、心の中で盛大な溜息をついていた。
外見は誰もが振り返る凛とした美女でありながら、内面は冷や汗を流す男である。
エルネストの過剰なまでの警戒心と、リリアからの無意識に熱を帯びた上目遣いの両方を一身に受けるこの状況は、精神的に拷問を受けているのと変わらなかった。
しかも昨夜の激しい余韻と、この瞬間の圧倒的な緊張感のギャップに、レイの胃は休まる暇がない。
「おい、レイ。ぼさっとするな。大聖堂の周辺には不審な動きをしている者も多い。――リリアはもちろん、お前のこともだ。いざという時に足元をすくわれないよう、周囲の警戒を怠るな」
エルネストから冷徹ながらも真摯なトーンでそう釘を刺され、レイはビクリと肩を揺らした。
「っ……わかってるよ! 俺だって伊達にエレメンタルマスターやってるわけじゃないさ!」
慌ててクールで男勝りな美女のトーンを取り繕い、レイはそっと視線を逸らす。
秘密を抱えたまま進むプロンテラでの探索行は、静かに、そして危ういバランスを保ちながら次なる局面へと動き出そうとしていた――。
登場人物が読み込む本の内容は設定してある為、物語が終了後に公開する予定ではあります。
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