ラグナロクオンラインの世界に転生した。―歪な愛の行方― 作:和泉終夜
白亜の大聖堂の奥深く、一般の参拝客の足が途絶える静謐な回廊。
高い天井に施された精巧なレリーフと、微かに漂う古い羊皮紙の匂いが、この場所が持つ重厚な歴史と神秘を物語っていた。
エルネストに命じられて先導を進むレイは、周囲に衛兵や神官の気配がないことを確認しながら、早足で石畳を踏み締めていた。
(……ふう、ようやくエルネストのあの鋭すぎる視線から一時的にでも離れられたか……)
外見は誰もが息を呑むような麗しい黒髪の美少女でありながら、内面は冷や汗を拭う男であるレイは、人気の少ない回廊の柱の陰でそっと小さく息をついた。
昨夜、同じ部屋でリリアと交わした濃密な温もりと甘い記憶。
そして、せっかくギルドメンバー6人合流したにもかかわらず、その当事者であるリリアと、彼女を我が物のように守ろうとする過保護なエルネストの3人で行動しているというこの異常な状況。
少しでも気を抜けば、どこかで致命的なボロを出してしまいそうなほどのプレッシャーが、レイの肩に重くのしかかっていた。
(それにしても……エルネストの奴、リリアはもちろんのこと、俺のことも少しも視界から外す気がないみたいだな……っ。ちょっと先導しているつもりでも、振り返ればいつでも間合いを詰められる位置にやつの気配が張り付いてやがる……)
用心深いエルネストのことだ。
リリアとレイという「守るべき対象(あるいは監視すべき対象)」を同時に視界に収め、不測の事態が起きれば一息で対応できる位置取りを崩すはずがない。
少しでも歩調を緩めようものなら、すぐ背後からあの冷徹な青い瞳がプレッシャーをかけてくる。
(はあ、ホント……空気が重苦しいのなんのって……。なんで俺はよりによって、流されるままにこの男と、リリアとの3人で、こんな場所にいなきゃならねぇんだよ……。)
(それにしても……リリアのやつ、さっきからやけに視線を送ってくるし、耳まで真っ赤にして……。あんなの、他の奴に見られたら一発アウトだろ……っ!いつエルネストにバレるかとなんか後頭部がザワザワするぜ……)
頭をかきむしりたい衝動に駆られながらも、レイは「エレメンタルマスターとしての警戒任務」という体裁を必死に保ち、周囲の状況に目を光らせた。
その頃——。 少し離れた大聖堂の回廊の入り口付近では、エルネストとリリアが足を止めていた。
「リリア、足元に気をつけてくれ。この辺りは古い石造りで、床が滑りやすい」
「あ、はい……ありがとうございます、エルネストさん」
エルネストは冷徹な青い瞳をわずかに和らげ、リリアの背中にそっと手を添えて段差をエスコートする。
その徹底して丁寧で、かつ独占欲の滲んだ過保護な優しさに、リリアは少しだけ頬を染めながら小さくうなずいた。
(エルネストさんは相変わらずすごく優しくしてくれるけれど……なんだか、昨夜のレイちゃんのことが頭から離れなくて……っ!エルネストさんも一緒に、3人で同じ気持ちを共有出来たら本当に素敵なのに……なんて、思っちゃいけないよね……)
リリアの胸中は、複雑な熱と戸惑いで揺れ動いていた。
エルネストに向けられる信頼と安心感。
そして、昨夜の密室でレイと交わした、甘く激しい触れ合いの余韻。
どちらも自分にとってかけがえのない大切な感情でありながら、この正反対の二人の間で挟み込みになっているような、そして彼らと真っ直ぐに繋がってみたいと願ってしまうような、不思議な背徳感が彼女の心を締め付けていた。
「どうした、リリア? 気分でも悪いのか?」
エルネストが心配そうに足を止め、彼女の顔を覗き込む。
「ううん、なんでもないです! ちょっと、大聖堂の雰囲気に圧倒されてるだけだから……!」
慌てて笑顔を作り、リリアはごまかすように視線をレイが向かった回廊の奥へと向けた。
エルネストは、リリアに対してだけはいつだって、その冷徹な警戒心の網をわずかに緩めてしまう。
目の前にいる少女が、自分にとって害をなす外敵などではないという絶対的な信頼からだ。
だからこそ、リリアやレイの様子がわずかに浮ついており、どこかちぐはぐで不自然な変化を見せていること自体には、鋭い観察眼を持つエルネストとて薄々気づいていた。
しかし、彼女たちが完璧なまでに証拠や綻びを隠し流し尽くしている以上、その「様子がおかしい理由」の真相―
―昨夜あの部屋で繰り広げられた秘密の情事や、そこで交わされた熱の正体にまで思い至ることはなかった。
(……まあ、緊張からくるものか、あるいは神聖な空気にあてられたか、か)
エルネストはそれ以上深く追及せず、ただ静かに視線を戻す。
それぞれの胸に隠された秘密と、決して他人に打ち明けることのできない熱を乗せて、3人のプロンテラ大聖堂における探索は、さらなる深みへと進んでいった。
古文書の回廊の奥、歴史の澱みが沈殿しているかのような冷涼な空気の中を、レイは慎重に歩みを進めていた。
(よし、この辺りならエルネストの奴の視線も完全に届くまい……。って、振り返らなくてもすぐ後ろからあの冷たい気配が張り付いてやがるぜ……!)
黒髪ボブの美少女の姿をしたレイは、心の中で頭をガツンと壁に打ち付けたい衝動に駆られながら、石造りの壁に軽く背中をもたせかけた。
外見の凛とした美しさと、内面で冷や汗を流して悶絶している男の精神のギャップは、相変わらず限界突破の極みに達している。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。
ふと、耳を澄ますと、石畳の回廊のさらに奥、厳重に施錠されているはずの最奥の書庫エリアから、かすかな物音が響いてきた。
——コツ、コツ、コツ……。
重く、しかし妙に滑らかな足音。大聖堂の神官たちが履くサンダルや靴の音とは明らかに違う。
(……なんだ? こんな一般人の立ち入れない制限区域に、神官以外の誰かがいるのか……?)
レイは一瞬で思考を切り替え、半歩ほど身を低くして振り返ろうとした――その時、背後からピタリと重なるように、エルネストの低い声が降ってきた。
「……レイ、止まれ。前方で不自然な気配がある」
エルネストはリリアを自分の背後へと庇うような位置取りを崩さぬまま、研ぎ澄まされた銀色の瞳を回廊の奥へと鋭く向けた。
そのすぐ傍らにいるリリアも、ただならぬ気配を察して小さく息を呑む。
三人が慎重に柱の陰からそっと先を覗き込むと――そこには、漆黒のローブを纏い、顔を深いフードですっぽりと隠した不審な人影が数名、古文書が保管されているはずの木製の扉の前に立ち塞がっているのが見えた。
彼らの手には、怪しく青白く発光する奇妙な魔導具が握られている。
(おいおい、マジかよ……! あんな怪しい連中が、この大聖堂の奥で何コソコソやってやがる……!)
その光景を目の当たりにした瞬間、レイの脳内でぐにゃりと世界の色が変わった。
ほんの先ほどまで、エルネストの過剰な視線やリリアの熱っぽい視線に当てられ、頭の中で変な汗をかいていた甘ったれた思考や照れくさい余韻は、一滴残らず氷解して消え去る。
――カチリ。
精神の奥底で、かつて修羅場をくぐり抜けてきたエレメンタルマスターとしての「戦闘スイッチ」が冷徹な音を立てて切り替わった。
一目で「ただの参拝客ではない」と分かる危険な雰囲気が、その一味から漂っている。
魔王の復活や世界各地の異変に絡む手口なのだろうか。
レイは心臓の鼓動が高鳴るのを感じながら、先ほどまでの怯えや気まずさを微塵も感じさせない鋭い眼光を宿す。
(ふざけた真似をしやがって……。こんな場所で余計なちょっかい出しやがったら、俺たちの平穏が完全に吹っ飛ぶだろうがっ……!)
思考の速度が跳ね上がり、身体の末端まで研ぎ澄まされた魔力が巡っていく。
いざという時にいつもの調子でボロを出さないための「仮面」ではなく、ここからは命のやり取りを見据えた本物の「戦士の仮面」が、レイの表情を凍りつかせていくのだった。
「エルネスト、リリア……あれは、只者じゃないようだ。どうする?」
レイは低く引き締まった声で背後に問いかけ、いつでも戦闘魔術を展開できるように指先を微かに光らせるのだった――。
その瞬間、エルネストは一瞬たりとも迷うことなく、背負っていた愛用の長弓を素早く手元に引き寄せ、矢をつがえた。
リリアの安全を完全に自分の死角のない守りの要塞に収めつつ、その冷徹な銀色の瞳に一切の揺らぎなき戦闘の光を宿す。
「……あいつら、いったい何者だ。こんな厳重に警備されている大聖堂の奥に、神官以外の不審者が入り込んでいるなどあり得ない……。一体、どうやって警備網を抜けた」
エルネストの低く響く声を聞きながら、レイは内心で盛大にツッコミを入れていた。
(……いや、お前が言うな。俺たちも全く同じ手口で、今まさにこの厳重な警備網を突破してここまで入り込んでいるところだろうが……!)
自分たちの侵入は「特殊なスキルと実力による必然」で、他人の侵入は「あり得ない異常事態」と言わんばかりの棚上げっぷり。
だが、そんな突拍子もないツッコミを口に出している余裕など今のレイにはない。
エルネストの声には、絶対的な迎撃の気迫と、想定外の事態に対する鋭い警戒心が満ちているのだ。
リリアは小さく息を呑みながらもこくんと頷き、彼の法衣の裾をしっかりと握りしめる。
静まり返った白亜の大聖堂の奥底で、緊迫した空気が一気に加速していく。プロンテラ大聖堂を舞台にした新たな脅威の幕が、音もなく開こうとしていた――。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
そしてお気に入り登録してくださっている方ありがとうございます!
何かしらの反応をいただけるととても励みになります。
暫くは毎日7:00と19:00の1日2回のペースで更新していこうと思っています。
よろしくお願いします。