ラグナロクオンラインの世界に転生した。―歪な愛の行方― 作:和泉終夜
重々しい摩擦音とともに地下奉納庫の石扉が解き放たれると、冷え切った湿気と鼻をつく古書の腐臭、そして凶悪な魔力の残り香が渦となって吹き抜けた。
「……行くよ」
フードを目深にかぶったギルドマスター・レナードが、低い声で短く告げた。
182cmという長身で筋肉質で圧倒的な存在感を纏い、巨大な盾を構えて真っ先に暗がりへと歩みを進める。
その後ろに、左右の警戒を固めるドラゴンナイトのバルドとアークメイジのノアが続く。
「へへっ、どんな化け物が出てこようが、この俺様のドラゴンスキルで丸焼きにしてやるぜ!」
「痛い目には遭いたくないからね〜。ノアさん本気出しちゃうよぉ!」
口々に威勢の良い言葉を吐きながらも、二人の足取りに油断はない。
そして後衛に立つウインドホークのエルネストは、長弓に矢を番えたまま、冷徹な視線を暗闇の奥、そしてすぐ前を歩くレイの背中へと走らせていた。
先ほど脳裏を掠めた疑念――『レイの中身は、本当に男なのではないか』という問い。
だが、エルネストの冷徹な思考の底にあるのは、感情的な嫉妬などではない。
むしろ、男であろうと女であろうと関係なく、その有能な存在価値ごと自分の掌の上で完全にコントロールしてやろうという冷酷なまでの優越感だった。
(……中身が女であれば、そのままでよし。もし真実に男であったとしても――元よりお前が、俺の構築する支配のピラミッドの頂点を超えることなど絶対にあり得ない)
目の前を行く黒髪のショートボブ――しなやかで細い肩のライン、薄い胸元。
いくら内面が男だと叫ぼうが、どれほど悔しさに血を吐こうが、この現実の世界において彼女が「華奢な女の身体」であるという事実は未来永劫変わりはしない。
男としての腕力も、リリアを男として真に抱きしめる権利も持てぬまま、不条理に苦悶するレイ。
(中身が何だろうと関係ない。女の身体である以上、俺が庇護対象として手元に縛り付け、完璧に囲い込んでやる)
『庇護してやる』というその甘美な態度の裏に隠されていたのは、純粋な騎士道などではない。
レイを一生「守られる弱者」の枠組みに閉じ込め、男としてのプライドを完膚なきまでに叩き潰す、エルネストの深層心理における残酷なマウント(絶対優越)だった。
リリアという存在を自分の作り上げた絶対的な庇護の檻の中に完全に封じ込め、彼女の認知も、周囲の人間関係も、そしてその傍らに立つレイの存在すらも、すべて自分の掌の上で統制・支配し尽くす――その冷徹な王のような絶対権力の構築こそが、彼の胸の内で甘い悦楽となって渦を巻く。
「レイ、左前の角から微かな魔力反応だ。無駄な詠唱は挟むな。俺の射撃と同時に展開しろ」
エルネストは感情を完全に排した冷たい声で、庇護者としての余裕を崩さずに指示を飛ばした。
「……あ? 言われなくても分かってんだよ」
レイは悔しさと気まずさを誤魔化すように短く返し、指先で素早く魔法陣を描き始める。
だが――その瞬間、レイの背筋にわずかな寒気が走った。
(……なんだ? この感触……)
すぐ隣に立つエルネストから漂う、氷のように澄み渡りながらも、どこかドロリと重くまとわりつくような不気味な気配。
戦闘スタイルは違えど同じ後衛として、そしてかつてのゲーム時代からの仲間として、エルネストの冷徹さや合理的な態度は百も承知だった。しかし、今の彼の声に含まれる異常なまでの「余裕」と、自分に向けられる品定めをするかのような鋭い視線の奥に、説明のつかない違和感が潜んでいる。
(……エルネストの様子が、少しおかしい……?)
レイの頭の片隅に、かすかな疑問が浮かぶ。
いつもなら仲間を冷静に分析しているだけの男が、なぜか今、自分に対して得体の知れない優越感や歪んだ庇護欲のようなものを投げかけてきている気がしてならない。
しかし、その疑問を深掘りする猶予は与えられなかった。
「——グゴォォォッ!!」
響き渡る重低音の咆哮とともに、暗がりから飛び出してきたのは、全身が重厚な石で覆われた大型のガーゴイルと、ゆらゆらと蠢く邪悪なアンデッドの群れだった。
奉納庫の古びた石畳が、魔物たちの質量と邪気によって激しく打ち震える。
「へっ、威勢がいいのは最初だけだぜ! ——『ファイアードラゴンブレス』!!」
最前線で槍を構えたバルドが豪快に地を踏み鳴らし、巨大なドラゴンの幻影とともに灼熱の炎を前方へ解き放つ。
轟音とともに猛火が押し寄せ、突進してきたアンデッドの群れを一瞬で包み込んだ。
「えっ!あっちぃいい!! 熱気で前髪が焦げそうなんだけど!? もう、バルドのせいで顔が火照っちゃったじゃない! 涼しくするよ、——『フローズンスラッシュ』!!」
バルドの炎のすぐ横から、ノアが解き放たれた冷気と氷の刃が弾け飛ぶ。
熱風を強引に切り裂くような猛烈な冷気によって、前衛二人の圧巻の火力(と冷気)の挟み撃ちにより、手前の雑魚群が一瞬で氷の彫像へと変わっていく。
だが、奉納庫の奥から躍り出てきた石像群(ガーゴイル)は、並の物理・魔法攻撃をものともせず、堅固な外皮で炎と氷結の刃を弾き返しながら肉薄してきた。
「甘いよ。ボクの盾を破れると思ってるの?」
そこへ割り込んだのは、ドラム族のギルドマスター・レナードだ。
圧倒的なフィジカルと質量感で巨大な盾を構えて、ガーゴイルの鋭い石爪を真っ向から受け止める。
重厚な衝撃音が地下空間に響き渡るが、レナードの足元は一ミリたりとも揺るがない。
「前衛はしっかりタゲ固定したよ! 後衛、射撃と魔法で削っちゃって!」
「了解だ。……レイ、右のガーゴイルの詠唱を潰せ」
エルネストの冷徹な声が飛ぶ。
「——『サイキックウェーブ』!!」
レイは指先から青白い精霊の光を放ち、空間そのものを歪める波状の念属性魔法を展開してガーゴイルの巨体を空中で激しく翻弄する。
間髪入れず、エルネストの長弓から解き放たれた極限の矢――『クレッシブボルト』が、精密機械のような正確さで魔物の関節と核を抉り抜いた。
「よし、落ちた……!」
「ナイスサポート、レイちゃん! さすがだね〜!」
ノアが呑気に声をかけるが、レイの表情は硬いままだった。
集中して魔法を放ちながらも、頭の片隅ではすぐ隣に立つエルネストの「雰囲気」に意識が割れていた。
(……やっぱり、おかしい……)
魔法の発動タイミング、射撃の精度、後衛としての立ち回り——どれをとってもエルネストのプレイスキルは完璧そのものだ。
だが、敵の攻撃をかわし、指示を飛ばすその合間、エルネストの視線がチラリと自分(レイ)に向く時の「色」が、これまでと明らかに違っていた。
「リリア、バフの残効時間に注意しろ。前衛のアスムが切れかけている」
「あ、はいっ! すぐかけ直します! ——『アスムプティオ』『クレメンティア』『カントキャンディダス』!!」
背後でリリアが神聖な呪文を紡ぎ、レナードたちの周囲を硬質な光のオーラが幾重にも包み込んでいく。
その光に照らされたリリアの健気な横顔を、エルネストは一瞬だけ優しく、そして逃さぬように強い執着を秘めた瞳で見つめ、すぐさまレイの方へと視線を戻した。
その一連の目線の動きを、レイは見逃さなかった。
(……リリアを狙うその眼差しと、俺に向けられるあの冷徹なマウント……! やっぱり、エルネストは本気でリリアを自分のものにする気で……っ!)
男としてリリアに真っ直ぐ踏み込めない自分の苦悩を嘲笑うかのように、すぐ隣でこんな歪んだやり方と執着を滾らせていたという事実。
――その煮え切らない苛立ちを振り払うように、レイがふと視線を戻した瞬間。
すぐ隣に立つエルネストの銀色の双眸が、再び冷徹な温度を持ってレイの横顔を捉えた。
先ほどよりもさらに踏み込んだ、まるで手元のチェスの駒を動かす位置を品定めするかのような、ねっとりと絡みつく視線。
(ん……? いや……違うか? なんなんだ……? その目は……!)
レイの背筋に、思わずゾクリと冷たいものが走る。
ただの仲間としての距離感でも、単なるライバル視でもない。
もっとこう、すべてを手のひらの上で見透かされているような、得体の知れない不気味な優越感。
なんなんだ、あいつのあの態度の変わりようは。
俺が最近おとなしくしているのをいいことに、何か勝手に頭の中で面倒くさい理屈をこねくり回してマウントを取っているのか……?
胸の奥で苛立ちと不気味な悪寒が入り混じり、レイはぐっと奥歯を噛み締めた。
――だが、そのレイの思考のすべては、エルネストの冷徹な計算の掌の上で完全に看破されていた。
(……レイの奴、さっきから妙に気まずげに目を逸らしたり、こちらを険しい目で探ったりしているな)
戦況を冷静に把握しながら、エルネストは弓の弦を張り直す。
男としての器量も、リリアの心身を真に受け止める力も、あいつには最初から備わっていない。
頭では完全にそう理解し、盤上の道化として冷ややかに切り分けているというのに――なぜか、レイの存在が視界の端に入るたび、胸の奥で黒いものが波打つのを抑えきれない。
(――……フッ)
ふと、エルネストはすぐ隣で悔しそうに歯を噛み締めているレイの横顔を一瞥し、冷徹な愉悦と、どこか不気味な熱を帯びた執着を胸の内に沈めた。
(レイの奴、俺がただ……リリアを女として手に入れたがっているとでも思っているらしいな。俺がリリアを独占することだけに気を取られ、嫉妬に狂っているとでも――)
浅はかだな、とエルネストは心の中で冷ややかに切り捨てる。
そんな矮小な恋愛感情の独占欲のために、自分がこれだけの動線や布石を打つとでも思ったのか。
彼が求めているのは、ただの恋人関係などではない。
リリアを自分の作り上げた絶対的な庇護の檻の中に完全に封じ込め、さらにその周囲の人間関係、力関係、そしてレイのプライドや尊厳のすべてを「絶対的な上位者(支配者)」の立場で徹底的に掌握し尽くすこと――この世界の秩序そのものを自分の手元で完全に構築・支配することなのだ。
そしてその支配のピラミッドにおいて、リリアの傍らに立つレイの存在だけは、なぜか――誰よりも強く、彼の視線と執着を捉えて離さなかった。
レイが「リリアを取られる!」と恋愛脳の枠組みでピリピリと警戒していることすら、エルネストの巨大な支配のロードマップの上で踊らされている滑稽な一幕にすぎない……と言い聞かせながらも、その視線は無意識にレイの挙動を検知し続けている。
(何を小粒なことで焦っている。お前の人間関係も、そいつの未来も、最初から俺の掌の上ですべてコントロールする予定でいるのだがな……ただ、お前がリリアの傍らにいるその視線だけは、どうあっても許容するわけにはいかないが)
言葉を交わさずとも、互いの視線の交錯だけでそれぞれの腹の底にあるドロドロとした思惑がぶつかり合う。
「おいエルネスト、余計なところでよそ見してんじゃねぇよ。右から次の群れが来るぞ」
「……お前の心配をしている暇があるなら、自分の足元でも固めておけ、レイ」
口を開けば淡々とした実務的な連携の会話。
だが、その背中合わせの距離感の裏で、二人の間に流れる空気は異様なほどに熱を帯びて歪んでいた。
ハッと息を呑んだ瞬間、奉納庫のさらに深い暗がりから、地響きとともに今までとは比べものにならない巨大な邪気の波動が膨れ上がった。
「みんな気をつけて! 奥から本命が来るよ……!」
レナードの警告が地下空間に響き渡り、六人はそれぞれの胸に不穏な予感と緊張感を走らせながら、さらなる戦闘体制へと移行するのだった。
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