ラグナロクオンラインの世界に転生した。―歪な愛の行方― 作:和泉終夜
大聖堂から許可を得て地下修道院跡へ挑むことが決まったものの、長年封印されていた高難易度ダンジョンへの突入には入念な下準備が必要だった。
王都プロンテラの賑やかな大通りに面した酒場。
木製の重厚なテーブルには、焼き立ての肉料理やパン、冷えた麦酒が所狭しと並べられている。
「ぐはぁ〜っ! やっぱりダンジョン攻略の前には肉と酒だな!」
ドラゴンナイトのバルドが豪快にジョッキを傾け、口についた泡を雑に拭く。
「ねえねえリリアちゃん〜、このお肉すごく柔らかいよ! はい、あーん!」
「ノアさん、またそうやってすぐ調子に乗る……。ほらレイちゃん、お肉分けてあげるね」
アークメイジのノアが金髪を揺らしながらニヤニヤと差し出してきた肉を、リリアは呆れ顔で綺麗にスルーし、自分のお皿から小さく切り分けた肉をレイの皿へと優しく添えた。
「……ありがとな、リリア。ノア、お前は自分で食え」
黒髪のショートボブを微かに揺らし、レイはリリアの気遣いには柔らかく感謝を返しつつ、隣で拍子抜けしているノアへ冷ややかな一閃のような視線を向けた。
だが、不快感の種は身内のノアやバルドだけに留まらなかった。
ふと視線を泳がせれば、賑わう酒場内のあちこちから、自分たちに向けられる下品で不躾な視線と、潜められたコソコソ話が嫌でも耳に届いてくる。
「おい見ろよ、あのテーブル……めちゃくちゃ上等な女が二人も揃ってるぞ」
「ピンクの髪の子もすごい爆乳だけど、隣の黒髪の子も凛としててたまらねえな……冒険者か?」
「へへっ、どんな声で鳴くのか試してみたいもんだぜ……」
酒に酔った男たちが投げてくる、品定めするようなねっとりとした目線と、卑猥な妄想を含んだ囁き声。
(ちっ……酒場の雑魚どもまでコソコソとくだらねえ噂話してやがる……。心底うんざりするな……)
本来なら男同士として笑い飛ばせたかもしれないセクハラまがいの言動や下品な視線も、いまや完全な「可憐な女の身体」となった自分に向けられると、身が削れるような異様な居心地の悪さと苛立ちを覚えざるを得ない。
レイは苦々しく眉をひそめた。
そして、そんな周囲の空気と雑音を、エルネストが見逃すはずもなかった。
フォークを握る手にぐっと力が入り、指骨が白く浮き上がる。
エルネストの銀髪の隙間から覗く目元に、氷のように冷たい殺意と、どす黒い憤怒が瞬時に宿った。
(身の程を知らない雑魚どもが……。リリアとレイに不躾な視線を向けるな……殺されたいのか……?)
リリアへ向けられる下品な視線に対する強烈な怒り。
そして、レイに対しても「女の身体」である以上、雑魚どもの好奇の目に無防備に晒すわけにはいかないという管理欲と、自分の秩序のなかにすべてを収めようとする冷徹な支配欲、そして許されざる誤差への検閲衝動が、氷のような冷たさでエルネストの胸中で渦巻いていた。
「よし、食事はこれくらいにして買い出しに出かけよう」
エルネストは低い、感情を抑え込んだ声で会話を打ち切ると、静かに立ち上がった。
「解毒薬と聖水、それに各種ポーションの補充だな。リリア、レイ。二人とも俺について来い」
酒場内の男たちの不快な視線から遠ざけるように、そして自分の監視・管理下に置くために、ごく自然な動作で二人を同時に連れて移動しようとするエルネスト。
「あ、はいっ! エルネストさん、私もお手伝いします!」
リリアが無邪気に頷き、レイもエルネストの思惑に苦い思いを抱きつつ立ち上がった――その時だった。
「えぇ〜〜〜っ!? ちょっと待ってよエルネスト!」
ノアが大げさにテーブルに突っ伏し、だだをこねるように声を張り上げた。
「せっかく6人全員そろってるんだから、みんなで一緒に買い物行こうよ〜! 俺だってリリアちゃんとレイちゃんと遊びたいよ〜〜!」
「おうよ! なんでお前だけ可愛い女子二人を独占しようとしてんだよ! ずるいぞエルネスト!」
バルドも豪快に便乗し、甲冑を鳴らして抗議の声を上げる。
「……騒ぐな、みっともない。二人の安全を第一に考えての行動だ」
エルネストは眉一つ動かさず冷ややかに言い捨てるが、その瞳の奥には誰にもリリアを触れさせないという強い執着が燃え上がっていた。
「まあまあ、ノアもバルドも落ち着きなよ」
呆れたように苦笑いを浮かべたのは、レナードだった。
「買い出しの二手に分かれるなら、ボクがノアとバルドを引き取るよ。この二人に任せたら余計な怪しいアイテムばかり買い込みそうだからねぇ」
「え〜〜っ! レナードと男3人で買い物なんて嫌だ〜〜!」
「俺様も可愛い女の子と街を歩きたいぜーーーー!」
叫び散らかす二人をよそに、エルネストは冷酷な笑みを密かに浮かべると、リリアとレイを促して先に酒場を後にした。
酒場の重厚な扉を抜けると、夕暮れ時の爽やかな風がプロンテラの石畳を吹き抜けていく。
あの粘つきつくような不快な目線と不気味な囁き声から解放され、レイは小さく息を吐き出した。
(……だが、素直にあの酒場の吐き気がするような空気から連れ出してくれたことに関しては……感謝せざるを得ねえのが、余計に胸くそ悪い……)
自分一人ではあの男たちの下品な視線やセクハラを力づくで突っぱねるのも難しく、なにより大切なリリアをあの劣悪な環境から速やかに引き離してくれたのは間違いなくエルネストなのだ。
悔しさと安心感の混ざり合う複雑な感情を抱えたまま、レイが歩を進めていると――。
「わあぁっ……! レイちゃんレイちゃん、見て見て!! あっちの露店、すごく綺麗なリボンがいっぱい売ってるよ! 行ってみようよ〜!」
不意に、柔らかく温かな感触がレイの右手にギュッと重ねられた。
驚いて視線を落とせば、リリアが両手でレイの手をしっかりと握りしめ、目を輝かせて露店を指差している。
「あ、おいっ……リリア!?」
「ほら、見て!! こっちこっち〜!」
「待てって! どこ行こうとしてんだよ……っとと!?」
酒場を出て気分が一転したのか、元来の天然で無邪気な性格が全開になったリリアは、レイの手を握ったまま、フラフラと吸い寄せられるように賑やかな露店街の方へと歩き出してしまった。
「きゃっ!?」
案の定、何もない石畳の段差に足をとられ、盛大にバランスを崩しそうになるリリア。
「うおっ、危ねえな! ほら言わんこっちゃない……!」
レイは慌てて握られた手を引き寄せ、倒れそうになったリリアの華奢な身体を抱きとめる羽目になった。
ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐり、豊満な感触が腕越しに伝わってきて、レイは顔を真っ赤にしながら慌てて身を起こした。
(くそっ……! 無防備すぎるだろあいつ……! こんな風に無警戒に手を握られて引っ張られたら、俺の精神が保たねえ……!)
元男としての理性が悲鳴を上げるが、リリアは「えへへ、ありがとレイちゃん!」と全く悪気のない満面の笑みを向けてくるだけだ。
そして、そんな二人のやり取りを、少し先を歩いていたエルネストが見逃すはずもなかった。
「怪しい行商人も多い。買い出しは俺が選ぶから、君は俺の横にいろ」
冷徹な口調とは裏腹に、エルネストは人混みの波からリリアを庇うように、ごく自然な動作で自身の身体と壁の間に彼女を囲い込んだ。
その瞳からは周囲の男たちを鋭く威圧する光が放たれており、誰一人口を挟む隙を与えない。
そのすぐ後ろを歩くレイは、二人の背中を見つめながら静かに息を吐き出した。
(……相変わらず隙がねえな。まあ、あの人混みでリリアを放置されたら溜まったもんじゃねえか……)
わずかに距離を取ろうとしたレイの気配に気づいたのか、エルネストは冷ややかに視線を後ろへ流し、低く吐き捨てる。
「……おい、レイ。そこで何をしている。お前も無駄にフラつくな、こっちに来て俺の隣に並べ」
「は? なんで俺まで……」
「群衆に紛れておかしな虫が寄ってくる前に、視界の届く範囲にいろと言っている。……それとも何か、一人で変質者の相手でもしたいのか?」
(っ……! 言い方!)
容赦ない皮肉交じりの命令に、レイは奥歯を噛み締めながらも、結局エルネストの隣へと引きずり出される羽目になるのだった。
エルネストの手際の良い案内で、一行は道具屋と薬屋を順調に巡っていく。
万能薬、解毒剤、高級ポーション、そして地下修道院攻略に不可欠な大量の『聖水』。
エルネストは価格の交渉から品質のチェックまで一切の無駄なく済ませ、まずは自分の分の買い出し品を手際よくポーチや革袋へとしまい込み、身軽になった。
「リリア、貸せ」
エルネストは無言のまま、重そうに袋を抱えていたリリアの手からスッと荷物を引き取る。
「わぁ、エルネストさん、ありがとうございます……!」
リリアがパッと花が咲いたような笑顔を向けるのに対し、エルネストは素気なく顔を背けつつ、そのすぐ隣で両手に聖水の瓶の木箱を下げてよろついているレイへと視線を滑らせた。
リリアの荷物を自身の身体に固定し終えると、エルネストはそのままの足取りでレイの目の前へと歩み寄り、その重い木箱すらも有無を言わさずひったくるように奪い取る。
「っ……おい、ちょっと待て……! それくらい自分で持てるっつーの!」
突然荷物を奪われたレイが声を荒らげると、エルネストは冷ややかな銀の目をほんのりと細め、心底不可解そうな顔で吐き捨てる。
「……自分で持てる? その華奢な肩で、これだけの重量を抱えて泥濘んだ道を歩き通せるというのか? 無駄な見栄を張るな。足元が狂えば、全体の移動速度に障るだろう」
「なっ……!」
(くそっ……! 聞こえのいいこと言やがって……! 要するに、俺が『女の身体』で非力だからって、庇って荷物を取り上げやがったんだろ……!)
エルネストの真意など露知らず、元男としてのプライドを刺激されまくっているレイの耳には、それが「女扱いされて見下されている」ようにしか聞こえなかった。
勝手に被害妄想を膨らませ、勝手に敗北感を煮詰めているレイの心中など気に留める様子もなく、エルネストは(こいつは何を怒っているんだ?)とでも言いたげな涼しい顔で荷物を抱え直す。
「エルネストさんって、本当に買い出しも手慣れてますね! 頼りになりすぎて尊敬しちゃいます!」
「……別に普通だ。生き残るための備えに過ぎない」
リリアに真っ直ぐな瞳で褒められ、エルネストは素気なく言い捨てつつも、わずかに頬の緩みを隠し切れていない。
「……ほら、レイちゃんも無理しないで。エルネストさんが持ってくれるなら、お言葉に甘えよ?」
リリアが心配そうに、けれどどこかホッとしたような笑顔でレイの袖を軽く引っ張る。
その無邪気な気遣いこそが、レイの胸をさらに重く締め付けた。
(……悔しいが、リリアの荷物を真っ先に回収して、俺の分まで一切の無駄を省くための立ち回りは完璧なんだよな……。荷物の配分、歩幅の調整、不意の襲撃に備えた位置取りまで……!)
エルネストはただ淡々と当たり前の作業をこなしているだけなのだが、レイの目には、男として、そして護衛者として、いつだって圧倒的な先を行く完璧な姿に映ってしまう。
男としてのプライドを勝手に刺激され、拳を握りしめて血が滲む思いがする一方で、今の自分の身体ではどうしてもその領域に手が届かないという残酷な現実が突きつけられる。
(くそっ……! 当たり前みたいな顔して、全部俺のやりたかったこと先回りしてやりやがって……! 次は絶対、お前のその無自覚な余裕をぶち壊してやるからな……!)
ひとりでに勝手に被害妄想と対抗心を燃やし、悔しさに奥歯を噛み締めながら、レイはエルネストの背中を睨みつけることしかできなかった。
「レイちゃん? どうしたの、ぼーっとしちゃって……疲れた?」
気づけば、買い出しを終えて大聖堂へと続く静かな並木道に入っていた。
リリアが心配そうに顔を覗き込んできている。
童顔美少女の甘く柔らかい表情が、夕日の朱色に照らされて一層可憐に映えていた。
「いや……なんでもない。買い出しも終わったし、少し考えごとをしてただけだ」
「そっか! よかったぁ。レイちゃんが静かだから、どこか体調でも悪いのかなって思っちゃった」
ふふっと花がほころぶように笑うリリア。
その無防備で純粋な好意に、レイの胸の奥がギュッと締め付けられる。
「……心配いらん。お前が無事なら、何も問題ない」
「……っ……うん……!」
レイの低い優しさに、リリアは嬉しそうに目を細め、並木道の木漏れ日の中でそっとレイの袖口を引くように並んで歩みを進めた。
その光景を、先を行くエルネストは振り返ることなく、だが気配だけで完璧に察知していた。
エルネストはあえて言葉を発することなく、唇の端に凍てついた冷笑を浮かべたまま、暗くなり始めた王都の空を見上げる。
大聖堂の宿舎では、別行動で余計なガラクタを買い込んできたであろうノアとバルドが、レナードに小言を言われながら待っているはずだ。
束の間の穏やかな下準備を終え、六人は明日始まる決戦――『旧修道院跡』への突入に向けて、静かに決意を深めていくのだった。
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