ラグナロクオンラインの世界に転生した。―歪な愛の行方― 作:和泉終夜
プロンテラの澄み渡る秋空のもと、通りに面したオープンカフェのテラス席には、心地よい陽光と焼きたての焼き菓子の甘い香りが漂っていた。
白とピンクを基調とした可憐な街着に身を包んだリリアは、テーブルの上に運ばれてきた特大のイチゴショートケーキを目にすると、宝石でも見つけたかのように両目をキラキラと輝かせた。
(……すごい、ケーキの上にこんなに大きなイチゴが載ってる……! 日本にいた頃も、ケーキを食べる事なんてあんまりなかったけど……この世界に来てからは毎日が生きるか死ぬかの連続だったし、こんな風におしゃれをして大好きなお友達と甘いものを食べる時間が訪れるなんて思わなかった……)
ケーキフォークを握りしめ、リリアの胸の中には、無事に危険なダンジョン攻略を終えられた安堵感と、初めてのお友達とのささやかな日常を過ごせたことへの溢れんばかりの幸福感が満ちていた。
だが、何よりも彼女の心を躍らせていたのは、目の前に座る人物——レイの存在だった。
「わあぁっ、レイちゃん見て! このショートケーキ、イチゴがすっごく大きくて甘いよ! はい、あーん!」
ボブヘアをゆらゆらと揺らし、弾んだ声でフォークを差し出す。
(レイちゃんとこうやって二人きりでお茶するの、ずっと楽しみだったんだ……! 普段はすごく冷静でかっこいいけれど、私がドジを踏むと『まったくお前は……』って呆れながらも、絶対に私を見捨てないで優しく手を差し伸べてくれるレイちゃん。私にとってレイちゃんは、頼もしくて可憐で、何でもできちゃう世界で一番大好きな『お友達』……!)
純粋で無邪気な親愛と、憧れにも似た甘い好意。
何ひとつ裏のない真っ直ぐな瞳で自分を見つめてくるリリアの姿に、向かいに座るレイ——黒髪のショートボブを微かに揺らし、心臓を直接掴まれたかのような激しい動揺と胸の痛みに襲われていた。
「っ……いや、自分で食える……って、押すな、鼻にクリームがつく……っ!」
顔を真っ赤に染め、狼狽しながらも差し出されたフォークを拒みきれず、レイはおとなしくケーキを口へと運んだ。
口いっぱいに広がる甘酸っぱい苺の風味と生クリームの甘さ。
だが、それ以上にレイの感覚を痺れさせていたのは、至近距離から伝わってくるリリアの柔らかな体温と甘い果実のような香りだった。
(くそっ……無防備すぎるだろ、あいつ……。こんな距離で笑いかけられて、あーんなんてされたら、理性が吹き飛びそうになる……!)
胸の奥で渦巻くのは、男性としての強い恋心と、一人の女性として彼女を力強く抱きしめたいという切ない渇望だった。
だが——レイは必死でその衝動を抑え込み、己の胸に深く刻んだ「誓い」を静かに反芻した。
(あいつは、俺を『頼れるかっこいい女友達のレイちゃん』として心から信じ、心を許してくれているんだ。もし俺が男としての欲を出して『実は俺、中身は男で、お前のことが好きなんだ』なんて明かしてみろ……あいつは困惑し、怖がり、これまで積み上げてきたこの温かな関係も、あいつの無邪気な笑顔も全部壊れてしまう……)
男としてのプライドや自尊心、抱きしめたいという欲望。それらをすべて秤にかけても、リリアの守られた安全と、何ものにも代えがたい「笑顔」の方が遥かに重かった。
(男としての役目はエルネストに譲ったさ。悔しくないと言ったら嘘になる……。だが、俺が『女の親友』という最高の理解者として隣に立ち続けることで、誰よりも近くであいつのこの笑顔を見守り抜けるなら……この胸の切なさなんて、いくらでも背負ってやる)
口元のクリームを拭い、レイは苦笑いを噛み殺すように口角を柔らかく緩めた。自分に向けられる純粋な好意を全身で受け止め、彼女の頭へそっと手を置き、優しく撫でる。
「……ああ。美味いよ、リリア。……また来ような」
「うんっ! 絶対約束だよ!」
テーブル越しに手が触れ合うほどの距離で、嬉しそうに目を細めて花がほころぶように笑うリリア。
その満面の笑みを瞳に焼き付けながら、レイは恋心と覚悟の混ざり合った深く温かな眼差しで、静かに紅茶のカップを傾けるのだった。
満足いくまで甘いスイーツと紅茶を堪能した二人は、心地よい満足感に包まれながらカフェをあとにした。
プロンテラの中央通りには、色鮮やかな布地やアクセサリー、冒険者向けの小物が並ぶ露店がずらりと軒を連ね、昼下がりの賑わいをみせている。
「ふふっ、美味しかったね、レイちゃん! お腹いっぱいになっちゃった」
「……ああ。あんなにデカいケーキをペロリと平らげるとは思わなかったけどな」
「もう、レイちゃんったら! でも、せっかくこうしてお出かけしてきたんだし、もう少し街を見て回らない?」
「そうだな。急いで宿に戻る理由もないし、付き合うよ」
リリアが嬉しそうにレイの袖口をちょんと引くと、二人は並んで賑やかな露店街へと歩き出した。
色とりどりの雑貨や衣装が並ぶショップの軒先を眺めていたその時、ふと、レイの足がぴたりと止まった。
(……そういえば)
今更ながら、レイは周囲の妙な静けさというか、驚くほど平穏な空気に気づいた。
普段なら三人で歩いていてもうっとうしい野郎どもが寄ってくるというのに、今日は二人きりだというのに、妙な虫がつく気配すらない。
(こんなに快適に過ごせてるんだ。……間違いないな)
姿は見えないし、どこに隠れているのかも皆目見当がつかないけれど、脳裏に浮かんだのは呆れと、どこか乾いた笑いだった。
(…………ったく、ブレねえやつだぜ。あいつなりに俺たちに気を使って、あえて2人きりにしてくれたのかな)
男としての役目を勝手に譲って「親友枠」で守っている気になっていた自分の横で、相変わらずの徹底した過保護っぷりで影からすべてをコントロールしている銀髪の男。その不器用すぎる愛の形を思い返し、レイは思わずフッと鼻で笑った。
「……どうしたの、レイちゃん? そんなところで立ち止まって」
首をかしげて振り返るリリアの、あまりにも無邪気で曇りのない笑顔。
その可愛い笑顔を遠くから(きっと全方位の警戒を怠らずに)見守っているであろう相棒へ心の中で軽く手を上げ、レイは何でもないように柔らかく微笑んだ。
「なんでもない。……ほら、少し風が冷たくなってきたから、次のお店に行こうか」
「うんっ!」
何にも気づいていないリリアの細い手を優しく引きながら、レイは穏やかな足取りで再び賑やかな通りへと歩き出した。
暫く大通りを歩いていると、リリアの足がふと立ち止まった。
帽子専門の露店の棚に、つばが広く仕立てられた、上質な深緑色のハットが置かれていたのだ。シンプルながらもどこか温かみのあるデザインで、大きめのサイズ感が目を引く。
「あ……レイちゃん、見て! この帽子、すごく素敵……!」
「帽子? リリア、お前が被るには少し大きすぎないか?」
不思議そうに首をかしげるレイに、リリアは愛くるしいボブヘアを揺らし、優しく目を細めて首を振った。
「ううん、私じゃなくて……レナードさんへのお土産にどうかなって思って!」
「レナードに……?」
「うん。レナードさんのあの黒くて大きな猫のお耳、私すっごく可愛くて大好きだから、本当は出しておいてほしいなって思っちゃうんだけど……」
リリアは少しだけ寂しそうに眉を下げ、声をひそめた。
「レナードさん、人間ばかりの街にいる時はいつもフードを目深にかぶって、周りを気にして縮こまってるでしょう? ドラム族だからって変な目で見られたり、差別されたりして苦しんでるのを、私知ってるから……」
リリアの言葉に、レイはハッと息を呑んだ。
普段は少し天然でドジなところばかりが目立つリリアだが、実は誰よりも細やかに仲間の痛みや心の傷を観察し、寄り添おうとしていたのだ。
「レナードさんの耳は本当に可愛いけれど……でも、レナードさんが少しでも嫌な思いをしないで済むなら、この大きな帽子で耳をすっぽり隠しちゃえば、フードをかぶらなくても堂々と街を歩けるんじゃないかなって」
真っ直ぐで温かな優しさに満ちたリリアの瞳。
その純粋な思いやりに触れ、レイの胸の奥がキュッと熱く締め付けられた。
(……本当に、お前というやつは……)
自分が男か女か、どんな関係かなど関係ない。
ただひたすらに仲間の幸せを願い、寄り添おうとする彼女のこの温かさこそが、自分が心から惹かれ、守り抜きたいと願った「リリア」そのものだった。
レイは目元を柔らかく緩めると、リリアの頭をそっと撫でた。
「……いい考えだな、リリア。レナードの奴、口では『気にしてない』なんて言ってるけどさ……きっとすごく喜ぶと思うぞ」
「本当……!? えへへ、よかった〜!」
「よし、決まりだ。俺も半分出すから、二人からのプレゼントってことで買っていこう」
「うんっ! ありがとう、レイちゃん!」
二人は笑い合いながら店主から帽子を購入し、丁寧にリボンをかけてもらった箱を大切に抱えた。
仲間の笑顔を思い浮かべながら並んで歩くプロンテラの街角。二人の間に流れる時間は、秋の陽光のようにどこまでも優しく、暖かく満ちていた。
もう少し閑話が続きます
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