※この作品はR-18です。

ラグナロクオンラインの世界に転生した。―歪な愛の行方―   作:和泉終夜

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閑話 蜘蛛の網の上の安息日

二人がカフェテラスへ向かったことを大聖堂の出口で察知したエルネストは、気配を完全に殺しながら、ごく自然な足取りで二人の後を追っていた。

 

プロンテラの街は平和に見えて、裏通りや露店には怪しげな行商人や柄の悪い冒険者が溢れている。

 

酒場でリリアに向けられた不躾なセクハラ視線や、聖職者を狙う不穏な噂話を身をもって知っているエルネストにとって、可憐で無防備なリリアと、今や誰もが振り返るほどの美貌を持つ女性となったレイの二人だけで街を歩かせるなど、到底容認できることではなかった。

 

大通りを見渡せる時計塔の陰。

 

ウインドホークとしての気配遮断(カモフラージュ)を完璧に利かせ、エルネストは冷たい石壁に身を預けながら、二人をじっと見守っていた。

 

(……相変わらず警戒心が足りない。あんな大通りの目立つテラス席で無警戒に甘味を頬張るなど……)

 

心の中で呆れつつも、テラス席でイチゴのケーキを嬉しそうに頬張り、花がほころぶような満面の笑みを咲かせるリリアの姿が視界に入る。

 

その隣で、差し出されたフォークに顔を真っ赤にしながらも渋々付き合わされているレイの滑稽な姿も、銀髪の隙間から覗くエルネストの冷徹な瞳には余すところなく捉えられていた。

 

リリアの可憐な無邪気さと、それを守ろうと必死に「良き女友達」を演じているレイの複雑な覚悟。

 

その両方のやり取りを遠くから見据えながら、エルネストの目元が一瞬だけ柔らかく、しかしどこか冷ややかな体温を帯びた。

 

(……だが、あの笑顔を守れるなら、俺がこうして影に潜む価値はある)

 

だが次の瞬間、二人の周囲をチラチラと不躾な視線で舐め回すように見つめる、通りすがりの男たちの存在をエルネストの鋭敏な知覚が捉えた。

 

途端に、エルネストの瞳から甘さが消え去り、氷のように冷徹で射抜くような威圧の光が宿る。

 

(……消すぞ、羽虫風情が)

 

手元の弓の弦にそっと指をかけ、影の中から鋭い殺気を含んだ視線を男たちへと飛ばす。

 

エルネストから放たれる射手の本気の威嚇に気づいた男たちは、ゾッと背筋を凍らせ、青ざめた顔で脱兎のごとくその場を立ち去っていった。

 

まるで、大事な箱入り娘や恋人を社会の害悪から徹底的に遠ざける「過保護な保護者」そのものの立ち回り。

 

(レイ……『女の親友』として彼女の隣に立ち、その安全と笑顔を守るというお前の覚悟……今のところは、その勝手な立ち位置に目をつむってやろう)

 

昨夜の酒場で交わしたレイの不格好な誓いを思い返し、エルネストは静かに目を細める。

 

だが――それですべてだ。

 

今はまだ、リリアが心を開く相手としてその隣に置くことは容認している。

 

レイに向けられるその温かな笑顔も、今のところは良しとしよう。

 

だが――それとこれとは話が別だ。

 

あらゆる残酷な外敵や危険から守り抜くため、いつか必ず自分こそが彼女たちの絶対の庇護者となり、精神的支柱となるよう、静かに網を張り巡らせていく。

 

レイがどれだけ隣で微笑みかけようとも、最終的な魂の拠り所はすべて己の手元へと収束するよう、逃げ場のない網を狭めていく。

 

二人とも二度と自ら離れたいなどと思わなくなるまで、その精神の深部を静かに、だが確実につなぎ止め――。

 

一度その囲いに入れたからには、誰一人として他人に譲るつもりなどないのだから。

 

過保護な保護者の仮面を被り、王都の影からすべてを完璧にコントロールしながら、胸の奥では凍てつくような情熱と、逃れられない依存の網を幾重にも張り巡らせていく。

 

エルネストは不敵に口角をわずかに上げると、二人に気づかれない絶妙な距離を保ちながら、愛しい少女と、いずれ共に己の檻へと閉じ込めるもう一人の少女を、冷徹な瞳で見張り続けるのだった。

 

 

 

 

一方、『旧修道院跡』での過酷な連戦を無事に切り抜けた直後、昔馴染みのノリと圧倒的な火力で前線をなぎ倒してきたノアとバルドの頭にあったのは、「冷えた酒とデカい肉を喰らいたい!」という切実な欲望だった。

 

大聖堂の厳格で静謐な空気や、攻略前の張り詰めた緊張感から解放された途端、二人の内なるストレス発散のスイッチが同時に弾け飛んだのだ。

 

「おいノア! 街のど真ん中でおしゃれにお茶なんてやってられるか! 攻略の後は男らしく酒と肉で乾杯だろ!」

 

「だよね〜! 普段は冷たいお水でもいいけど、今日はガツンと冷えたビールで喉を潤したい気分! よーし、プロンテラで一番賑やかででっかい肉を出すお店に行こう〜!」

 

意気投合した二人が向かったのは、プロンテラ裏通りに暖簾を掲げる、活気に満ちた大衆酒場だった。店内に一歩足を踏み入れれば、香ばしい肉の焼き脂の匂いと、酔客たちの威勢の良い歓声が充満している。

 

「ぐはぁぁっ! やっぱり昼間から飲む冷えた麦酒(ビール)は最高だなっ!」

 

ドラゴンナイトのバルドは、運ばれてきた木製ジョッキを豪快に煽り、口についた白い泡を腕で雑に拭い去った。

 

(ふぅ……生きて帰って来れてマジでよかったぜ……。思いの外モンスター強すぎたしよ……)

 

重厚な甲冑を鳴らしながら、バルドは己の胸の内でひそかに胸を撫で下ろしていた。

 

命懸けの戦闘を乗り越えたからこそ、こうして気兼ねのない仲間と豪快に酒を飲み、肉を喰らう時間が何よりの救いになったのだ。

 

「ちょっとバルド、飲みすぎだってば〜! ……うわっ、この骨付き肉おいし〜い! すみませ〜ん、ジョッキもう一杯おかわり〜!」

 

「何が飲みすぎだよ! 誰よりも真っ先に注文追加してんじゃねえか!」

 

口では文句を叩き合いながらも、二人の相性は抜群だった。

 

ノアもまた、持ち前のおちゃらけた態度の裏で、魔法職でありながら最前線へ突っ込んでしまう自分の悪癖を自覚していた。

 

(あはは、今日も前に突っ込んでってレイちゃんに怒られちゃったな〜。でもさ、ボクが前に突っ込んでも、レナードやバルドが前に立ってくれて、リリアちゃんが完璧なバフとヒールをくれるから……安心して暴れられるんだよね)

 

ノアにとって、この賑やかな大衆酒場でノリ良く付き合ってくれるバルドは、気兼ねなくバカになれる最高の相棒だった。

 

だが、ジョッキが三杯目に差し掛かった頃、バルドがふと悔しそうに眉をひそめた。

 

「……なぁノア。俺様は見たぞ。さっきカフェのテラス席で、リリアちゃんとレイちゃんが二人きりで楽しそうにお茶してたのを……! なんだあの空間は! 俺様だって可愛い女子とおしゃべりしながらケーキ食べたかったぞ……!」

 

「ダメダメ! バルド、あそこに突っ込んだら一発で命がないって!」

 

ノアは骨付き肉をかじりながら、クスクスと意地悪そうに笑った。

 

「なんか見知った魔力の気配がするなぁ。って思ったら時計塔の影からすっごい気配の薄いエルネストがめちゃくちゃ怖い目で見張ってたもん! 『近寄ったら即射殺する』って顔をしてたよ? 突っ込んだら『痛い』で済むどころか一発で穴あけられちゃうって!」

 

「はぁ?マジかよ。あいつ、影からそんなストーカーみたいなことしてやがったのか。マジでブレねえな」

 

バルドが苦い笑いをしながら呟くと、ノアは大きく頷いておどけて見せた。

 

「ほんとエルネストって怖いよね〜! 普段は冷静でクールな顔してるくせにさ、リリアちゃんとかレイちゃんのことになると急に目が笑わなくなるんだもん。あの射撃の精度で本気の殺気を向けられたら、怪物より怖いよぉ!」

 

「いつもあいつのあの眼光、近寄る男を片っ端から射殺する気満々だしな。ほんと、リリアとレイに対して過保護っていうか、お前はリリアとレイの母ちゃんかってな」

 

「あはは! でもさ、エルネストがああやって影から目を光らせてくれてるから、俺たちも安心してこうやってお肉食べて酒飲めるんだけどね!」

 

「ちくしょう、一人でハーレム結成しやがって! 次の街に行ったら、絶対に俺様が先に可愛い女の子と仲良くなってハーレム作ってやるからな!」

 

「あはは! バルドのハーレムなんて絶対無理でしょ〜! でも、次の街『ゲフェン』に着いたら、また美味しいお店探そうよ!」

 

「フン、当たり前だ! ガツンと美味いもん喰って、次も俺様の強さを見せつけてやるぜ!」

 

くだらない妄想と文句を言い合い、豪快にジョッキをぶつけ合う二人。

 

最前線で命を張るアタッカーコンビだからこそ共有できる、遠慮のない気安さと信頼感。二人は戦いの疲労と鬱憤を完全に吹き飛ばすように、王都の賑やかな酒場で昼下がりの宴を心ゆくまで堪能するのだった。

 

 

 

そして王都の自室へ戻ったレナードは、重い甲冑と巨大な盾を床へ脱ぎ捨てるなり、崩れ落ちるようにベッドへ倒れ込んだ。

 

全身を押しつぶすような凄まじい疲労感と、幾度も死線をくぐり抜けたことによる神経の昂ぶりが、彼の思考をじわじわと侵食していく。

 

(……ふぅ………今回の戦闘も、まさにギリギリの連続だった……)

 

目を閉じれば、暗闇から迫り来る凶暴な魔物たちの群れと、前線で傷つきながらも必死に盾を掲げ続けた自身の姿が鮮明に蘇る。

 

一歩間違えれば、自分だけでなくパーティ全員が全滅していたかもしれない。

 

その重圧と絶望的なまでの恐怖感が、静まり返った部屋の中で途端に現実味を帯びて押し寄せてきた。

 

(ボクは……本当にこのまま、あいつらを護り切れるのか……?)

 

天井を見つめたまま、レナードは己の握り拳を固く締め直した。

 

前衛としての絶対的な責任、そしてパーティの「盾」であり続けなければならないというしかるべき重圧。

 

内なる揺らぎと不安を抱えたまま、彼はしばしの休息をとった。

 

午後になり、不安を振り払うように身を起こしたレナードが向かったのは、プロンテラ中央図書館の地下閲覧室だった。

 

次なる目的地『国境都市アルデバラン』への出発を前に、異世界における「ドラム族(亜人)」に対する根強い偏見や差別を誰よりも強く警戒しているレナードは、深くかぶったフードの影から鼻先すら見えないよう細心の注意を払っていた。

 

人目の少ない地下の暗い棚の影を選び、息を潜めるようにして古びた文献や地図を広げる。

 

(……はぁ、人間ばかりの王都じゃ、少しフードがめくれるだけでも変な目で見られるから気苦労が絶えないよ……)

 

大きな耳をぴこぴこと蠢かせ、周囲の足音に気を配りながら、レナードは羊皮紙の文字を追った。

 

『ミッドガルド大陸全土における次元の歪みおよび位相破綻の記録』

 

本書は、近時大陸各地で観測されている空間のほころび、および位相破綻に関する公的記録の抜粋である。混乱を避けるため、現在公式に認知・警告されている特異点のうち、本州周辺の主要な二箇所について以下に記載する。

 

一、 国境都市アルデバラン

 

所在: シュバルツバルド共和国との国境線上に位置する中立・交易都市。時計塔を中心とする区画。

 

状況: 時計塔の管理機構に程近い特定区画において、時空間の歪みおよび軽微な位相のほころびが観測されている。

 

公式見解: 表向きは「古びた魔導機関の暴走に起因する一時的な現象」と処理されており、定期的な魔力測定と周辺区域への立ち入り注意の勧告に留まる。

 

二、 聖都ラヘル

 

所在: アルナベルツ教国の中心地、フレイヤ大神殿を擁する聖域。

 

状況: 聖域の周縁部、および神聖力の高密度地帯において、説明のつかない空間の歪みや異質な魔力の漏出が確認されている。

 

公式見解: 教国側はこれを「信仰の揺らぎに伴う一時的な神罰の兆候」あるいは「異端者の魔術的干渉」として公表しており、他国の介入を固く禁じた上で厳重な警戒態勢が敷かれている。

 

「ふむふむ……国境都市アルデバランの他にも、アルナベルツ教国ラヘルの歪みか。次の道中も一筋縄ではいかなそうだねぇ……」

 

ぽりぽりと頭をかきながらも、その瞳の奥にはどこか自嘲気味で、けれど温かな苦笑いが浮かんでいた。

 

(……それに、ラヘルといえば多種民族に対して異様なほど排他的なことで知られている。あそこの異端審問官(インクイジター連中)がどの程度のレベルかは未知数だけど、用心しておくに越したことはない。うろつけば、ろくな事情も聞かれず有無を言わさず『異端』として処刑されかねないからね……。まあ、仲間たちには余計な心配をかけないよう、しっかり立ち回っておこう)

 

ふと、仲間たちの顔が浮かんだ。

 

リリアとレイは、今頃カフェテラスで甘いものを楽しんでいるだろう。

 

エルは時計塔の陰で相変わらず二人を見守っているし、ノアとバルドも酒場で賑やかにやっている。

 

(……ノアも相変わらず、目ざといね)

 

きっと今頃、バルドをからかっていることだろう。

 

(……みんな、楽しそうで何よりだね)

 

レナードは小さく微笑んだ。)

 

好き勝手に笑い、好き勝手に騒ぐ。

 

あの賑やかさが、今は妙に心地よかった。

 

再び文献へ視線を落とす。

 

ふと、机の端に積まれていた別の文献が目に留まった。

 

古びた革表紙には、『生死の境界と魂魄の秘儀――神聖術式および魔王降臨に関する禁忌研究』とある。

 

「……生死の境界?」

 

表紙を開くと、アルナベルツ教国の最高機密指定を示す文字が現れた。

 

(……これ、ボクが読んでいいものなのかなぁ)

 

周囲に人影がないことを確かめ、レナードは慎重にページをめくった。

 

そこに記されていたのは、この世界における死の定義だった。

 

心停止、脳の不可逆的損傷、頭部の切断。

 

生命活動が完全に失われた者を蘇らせる手段は存在しないという。

 

「……え?」

 

(ちょっと待って。リザレクションは? イグドラシルの葉は?)

 

ページを繰る指が速くなる。

 

イグドラシルの葉は、心臓が動き、脳が損傷しておらず、肉体の損壊が著しくない者に限って使用できる。

 

使用に際しては、まず回復魔法によって肉体の損傷を修復しなければならない。

 

そのうえで、回復魔法を扱える聖職者、あるいは回復魔法の使えるドラム族の介助のもと、葉の一部を胃へ到達させることで、瀕死の者を救うという。

 

意識のない相手に飲ませることは容易ではない。

 

イグドラシルの実は葉よりも重い損傷に対応できるが、心臓が止まった者を蘇らせることはできない。

 

(……ゲームとは、全然違うじゃないか)

 

リザレクションも同様だった。死者を生き返らせる術ではなく、死に瀕した者を救う神聖術式。

 

使用は一日に一度。

 

カーディナル以外の術者は、魔力の負荷によって廃人となる危険すらある。

 

さらに習得方法を読み、レナードは息を呑んだ。既存の術者から譲り受ければ、その術者は廃人となる。

 

別の方法では聖職者の魔力と命を犠牲にしなければならず、階級とレベルによって成功率が変わる。

 

(……リリアは、どうなんだろう)

 

ゲーム時代、カーディナルのリリアは普通にリザレクションを使っていた。

 

だが、この世界でも同じように使えるのかは分からない。

 

本人が今のスキルをどこまで確認しているのかも知らなかった。

 

(……あとで、リリアに聞いてみようかな)

 

ひとまずその疑問を頭の片隅に置き、さらに読み進める。

 

魔王降臨の章にも、聖職者を犠牲とし、その階級とレベルで成功率が変動する儀式が記されていた。

 

高位のカーディナルであれば、復活した魔王に元の人格が残る可能性すらあるらしい。

 

ただし、それが肉体の支配権まで保証するわけではない。

 

(……聖職者狩り)

 

エルネストたちと再会したとき、実際に対峙した連中のことが頭をよぎる。

 

(あいつらの目的は、リザレクションの習得……それとも魔王の復活?)

 

どちらも聖職者を犠牲にする。

 

偶然の一致にしては気になるが、確証はない。

 

別の目的がある可能性も残る。

 

レナードは最後のページまで読み終え、しばらく閉じた本を見つめた。

 

この世界には、ゲームと同じ名前の職業や魔法がある。

 

けれど、生と死の仕組みまで同じとは限らない。

 

知らなかったでは済まない違いが、確かに存在している。

 

(……死んだら、終わりなんだ)

 

自分もリリアも回復魔法を使える。

 

それでも間に合わなければ、救えない命がある。

 

ふと浮かんだのは、銀髪の幼馴染だった。

 

エルネストはウインドホークだ。

 

敵との距離の取り方も攻撃の見切りも巧みで、その判断力をレナードは信頼している。

 

けれど、弓を構える以上、盾で攻撃を受け止めることはできない。

 

(……エルは弓職だから、盾も持てないしね)

 

ほんの一度、避けきれない一撃を受けることだってある。

 

(……やっぱり、イグドラシルの葉を一枚くらい用意しておきたいな)

 

万能ではない。

 

それでも、万が一のときに救える可能性が一つ増える。

 

何か起きてから探しても間に合わないだろう。

 

レナードは文献を元の場所へ戻し、地図を丁寧に畳んだ。

 

フードを深くかぶり直して、地下閲覧室を後にする。

 

 

午後のプロンテラは賑やかだった。

 

石畳の大通りには荷馬車が行き交い、薬草商や魔法道具店の呼び声が響いている。

 

「すみませーん。イグドラシルの葉って、あります?」

 

最初の薬品店では、店主に困ったような顔をされた。

 

「そんなもの、うちには置いてないよ。王家が欲しがるような品だ」

 

次の魔法素材店でも、その次の珍品を扱う露店でも、返事は似たようなものだった。

 

在庫はない。

 

入荷予定もない。

 

そもそも本物を見たことがないという者さえいる。

 

(……さすがに、簡単には見つからないかぁ)

 

人混みの中で耳や尻尾を隠し続けるのも、なかなか骨が折れる。

 

レナードはフードを押さえながら、商業区の大通りから一本外れた路地へ入った。

 

そのときだった。

 

「……ん?」

 

濃密で穏やかな生命力の気配が、路地の奥から伝わってきた。

 

魔法の残滓とは違う。

 

まるで深い森そのものが、小さな場所に息づいているようだった。

 

(……あっち?)

 

目立たない木造の小さな商店。

 

レナードはその扉を押し開けた。

 

ちりん、と鈴が鳴る。

 

「いらっしゃい」

 

薄暗い店の奥で、年老いた店主が顔を上げた。

 

「ええと……ちょっと珍しいものを探してましてね。イグドラシルの葉って、あります?」

 

店主の手が止まった。

 

「……随分と珍しいものを探しておるな」

 

「本で読んだんですよ。一枚、欲しいなぁって」

 

「……ある、と言ったら?」

 

「本当ですか?」

 

店主はしばらくフード姿の客を見つめたあと、店の奥から封印の施された木箱を運んできた。

 

蓋を開けると、透明な容器の中に深緑の葉が一枚収められていた。

 

葉脈には淡い金色の光が走り、容器越しにも圧倒的な生命力が伝わってくる。

 

(……間違いない。本物だ)

 

禁書に記されていた特徴とも一致していた。

 

「王家の宝物庫にあってもおかしくない品じゃ。王族の命に関わるときでもなければ、まず使われん」

 

「でしょうね」

 

「それでも欲しいか?」

 

「はい」

 

店主は眉を上げた。

 

「値段を聞いてからでも遅くはなかろう。……十五億ゼニーじゃ」

 

「……1.5G、か」

 

十五億ゼニー。

 

この世界でそれだけの金を稼ぐのがどれほど難しいか、レナードは知っている。

 

ゲームとは違い、魔物を倒していれば際限なく稼げるわけではない。

 

買えば手持ちはほとんど底をつく。

 

それでも、最初に浮かんだ感想は別のものだった。

 

(……安いなぁ)

 

エルが万が一、避けきれない攻撃を受けたとき。

 

自分の回復魔法だけでは間に合わないとき。

 

この一枚があれば、救える可能性が増えるかもしれない。

 

もちろん、心臓が止まれば使えない。絶対に助けられる保証もない。

 

(……それでも、何もできないよりずっといいよね)

 

「買います」

 

「……なんじゃと?」

 

「その葉、買いますよ」

 

「十五億じゃぞ? 王侯貴族でも即決せん額じゃ」

 

「はい。分かってますよ」

 

「……そこまでして、誰かを助けたいのか?」」

 

「ええ。家族がいるので」

 

レナードは柔らかく笑った。

 

「まあ、使わずに済むのが一番ですけどね」

 

レナードはいつものように柔らかく笑った。

 

店主は言葉を失った。

 

金額の価値を理解していない客ではない。

 

それなのに、迷いがまるで見えなかった。

 

「……本当によいのじゃな?」

 

「もちろんです」

 

代金を確かめた店主は、深く息を吐いた。

 

「長く商売をしておるが、こんな客は初めてじゃ」

 

「そうですか?」

 

「十五億を、まるで菓子でも買うように……」

 

「いやいや、お菓子に十五億も出しませんよ」

 

「……そういう話ではないんじゃがな」

 

取引を終えると、店主は木箱を丁寧に閉じて差し出した。

 

「くれぐれも大切にな。金さえあれば再び手に入る品ではない」

 

「はい。ありがとうございます」

 

レナードは両手で箱を受け取り、大切にしまい込んだ。

 

手持ちはほとんどなくなった。

 

当面の出費には少し気をつけよう。

 

けれど、買わなければよかったとは少しも思わない。

 

(……よかった。見つかって)

 

店を出ると、午後の陽射しが石畳を照らしていた。

 

(……使う機会なんて、来ない方がいいんだけどねぇ)

 

レナードは荷物の中の木箱を確かめた。

 

一枚きりの葉。

 

願わくば、このまま使わずに済んでほしい。

 

(……さて。みんな、何してるかなぁ)

 

レナードはフードを深くかぶり直し、仲間たちの待つ場所へと歩き出した。

 




もう少し閑話が続きます。

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