本格的なエロ要素は次からです。
「小野寺智樹の体内から、魔胎神の因子が検出された」
西九条の声が、地下第七会議室に重く落ちた。
「は?」
その声は、低かった。
会議室にいた官僚たちの肩が、わずかに強張る。
姫丸は笑っていなかった。
いつものような生意気な笑みも、金の匂いを嗅ぎつけた時の軽薄な顔もない。
あるのは、不快感。
自分が殺したはずの相手が、まだどこかで息をしていたと聞かされた時の、純粋な苛立ちだった。
「魔胎神の因子? なにそれ。聞いてないんだけど」
「我々も三日前に確定した」
西九条は淡々と答えた。
「最近、微弱だが、魔胎神に近しい妖気が観測された。最初は機器の誤探知だと疑った。だが、違った。3日前、その妖気の発生源が特定された」
西九条は、机の上に置かれた写真へ視線を落とす。
「それが、小野寺智樹だ」
姫丸は写真を見下ろした。
そこに写っている男は、どう見ても普通だった。
カフェの窓際でコーヒーを飲んでいる。
姿勢は悪くない。
服装も派手ではない。
目つきも荒れていない。
本当にごく一般の男性といった印象を受ける。
「ふざけてるの?」
「ふざけているなら、どれほど良かったか」
西九条は、黒い封筒から数枚の報告書を取り出し、机の上に並べた。
その報告書には魔胎神の因子に関することが記載されていた。
姫丸は報告書へ目を落とす。
いかにも役人が作った、読ませる気のない書類だった。
「……長い。三行で」
「小野寺智樹の体内に魔胎神の因子がある。放置すれば一年ほどで成熟する。成熟すれば魔胎神が復活する」
「最悪じゃない」
「だから呼んだ」
「呼ぶ前にどうにかしなさいよ」
「それができれば呼んでいない」
西九条の返答は淡々としていた。
姫丸は不機嫌そうに舌打ちをした。
「で? その因子って何なの。残りカス? 呪い? それとも卵みたいなやつ?」
「現時点で最も近い表現をするなら、復活の核だ」
会議室の空気が、わずかに重くなる。
西九条は資料を一枚めくった。
「魔胎神は滅びる直前、自身の妖力の最深部を切り離し、人間の肉体へ宿した。通常の妖気残滓や呪詛とは違う。魔胎神が再び現世へ戻るために残した、自己再生用の因子だ」
「つまり、あいつは死に際に保険をかけたわけ」
「そういうことだ」
「ほんっと、性格悪いわね」
姫丸は吐き捨てるように言った。
「殺されるなら殺されるで、綺麗に死になさいよ。最後の最後で一般人に面倒を押し付けるとか、神様のやることじゃないでしょ」
「魔胎神を神と呼ぶべきかは議論が分かれるがな」
「この際、神でも魔神でもどうでもいいわ。それで、また復活します魔胎神を倒せるように鍛えておけばいいってこと?」
姫丸の言葉に、西九条は首を横に振った。
「それは不可能だ」
「は?」
「復活した魔胎神は、以前の個体とは比較にならない規模になると予測されている」
西九条は淡々と言った。
「魔胎神は敗北したことで、現世における弱点を学習した。今度復活する時は、その弱点を補った状態で現れる可能性が高い」
「なにそれ。負けたくせに学習してんじゃないわよ」
「だから厄介なんだ」
西九条は机の上の報告書を指で叩く。
「退魔庁、退魔省、教会、イバラの姉妹、円城家、神守家。各勢力の戦力を総動員した場合の勝率予測も出した」
「で?」
「0に近い」
会議室の空気が沈んだ。
姫丸はしばらく黙っていた。
それから、鼻で笑う。
「私がいるでしょ」
「お前を含めてだ」
その一言で、姫丸の目が鋭くなった。
「……へえ」
「不愉快だろうが、事実だ。前回は魔胎神が現世に定着しきる前に討てた。だが、因子が成熟した後に復活する個体は、現世への適応を終えている可能性が高い。そうなれば、同じ手は通じない」
「つまり、次に復活したら終わりってこと?」
「そう見ている」
姫丸は写真を指先で弾いた。
小野寺智樹。
どこにでもいそうな普通の男。
その身体の中に、世界の終わりが眠っている。
姫丸の中で1つの嫌な予感が生まれた。
「まさか、その小野寺智樹ってやつの殺害を私に頼むってこと?」
姫丸の言葉に西九条は首を横に振る。
「調べたが、それも不可能のようだ。宿主である小野寺智樹が死亡した場合、因子は別の男性へ転移する可能性が極めて高い」
姫丸は露骨に嫌そうな顔をした。
「なにそれ。宿主を乗り換えるってこと?」
「そういうことだ」
西九条は報告書を手に取る。
「様々な事を調べた、封印、抽出、治療、制御、因子のみの破壊、その全てが現状不可能だ」
姫丸は少し苛立ちの表情を見せる。
「で? なんで私が呼ばれたの? まさか、それを言うために呼んだ訳じゃないのよね?」
姫丸は机に肘を着いて不機嫌な口調で話す。
それに対して西九条は一瞬だけ、口を開くのを戸惑う仕草を見せてなら、唯一の対処法を説明し始める。
「一つだけ、魔胎神をこの世に復活させない方法がある」
西九条の言葉に、姫丸の眉がわずかに動いた。
「……あるんじゃない」
「正確には、復活を完全に防ぐ方法ではない。抑え続ける方法だ」
「抑え続ける?」
「ああ。因子そのものは消せない。抽出もできない。封印しても、成熟すれば破られる。宿主を殺しても転移する。だから、因子を成熟させないよう、定期的に抑制する必要がある」
姫丸は机を指先で叩いた。
「で、その抑制方法は?」
「……」
西九条は、すぐには答えなかった。
そのわずかな沈黙を、姫丸は見逃さない。
姫丸の声が一段低くなる。
「なに? 勿体ぶられるのが一番嫌いなんだけど」
「……セックスだ」
「……は?」
姫丸の声が、完全に低くなった。
会議室の空気が凍る。
先ほどまで書類を見ていた官僚たちも、誰一人として動かない。
その様子が姫丸の機嫌をさらに悪くさせた。
「今、なんて言った?」
「セックスだ」
西九条は、逃げなかった。
「現状、因子の成熟を遅らせる唯一の手段だ」
姫丸は黙っていた。
「……はぁ……」
やがて、姫丸はゆっくりと息を吐いた。
「……本当に、死んでからまで最低ね。魔胎神」
その声は静かだった。
だが、静かだからこそ、会議室の空気がさらに冷える。
「自分を殺した相手に、最後の最後でそんな置き土産を押しつけるわけ? どこまで性格悪いのよ、あの残りカス」
「我々も、そう見ている」
「同意されても腹立つんだけど。それで? 私がその小野寺って人とセックスすればいいってこと?」
姫丸の問いに、西九条は頷きつつ言葉を出す。
「そういう事になる。……それも1回で終わり、というわけにはいかない」
西九条の言葉に、姫丸の眉がぴくりと動いた。
「……今、なんて?」
「一度の性行為で完全に因子を沈静化できるわけではない。効果は時間経過で薄れていく。定期的な処置が必要になる」
「つまり、一生ってこと?」
「そうなる」
「……最悪」
姫丸は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
「ほんっと、最低。倒されるなら倒されるで、素直に消えればいいのに。最後の最後でそんな嫌がらせを残すとか、魔胎神って名前のわりにやることが陰湿すぎるでしょ」
「我々も同感だ」
「だから同感されると余計腹立つって言ってるでしょ」
姫丸は鋭く西九条を睨んだ後、再び視線を小野寺の写真に向ける。
「で? その小野寺って奴の人柄はどうなの? 言っとくけど、性格最悪のクソ野郎だったら断るからね。そんなやつの性処理になるぐらいなら世界諸共死ぬから。金がない私は今無敵よ」
キッパリと言い切る姫丸に西九条は、そこで初めて少しだけ困ったような顔をした。
「人柄に関しては、問題ない」
「本当に?」
「あぁ」
西九条は報告書を手に取って読み上げる。
小野寺智樹。成人済み。退魔師ではない。術者でもない。犯罪歴、暴力歴、違法魔術への関与はなし。酒、煙草、賭博の習慣も確認されていない。趣味は紅茶とコーヒーを飲みながら菓子を食べる事と、自転車でサイクリングをする事。
それを聞いた姫丸は思わず「平和ね」と呟いた。
「紅茶とコーヒーとお菓子? それにサイクリング? なにそれ。魔胎神の因子って、もっとこう、邪悪な儀式とか、違法魔術とか、地下組織とか、そういうのに宿るものじゃないの?」
「こちらも、そうであってくれた方がまだ分かりやすかった」
西九条は資料をめくる。
「だが、小野寺智樹にそういった関与は確認されていない。むしろ、人格傾向はかなり善良だ」
「善良?」
「ああ。退魔省は、因子発見後に小野寺智樹の行動調査を行った」
「本人に知らせずに?」
「知らせれば逃亡、混乱、自傷の恐れがあった」
「相変わらず、やることが雑ね」
「否定はしない」
西九条は淡々と言い、続けた。
「路上で倒れた老婆を配置したところ、小野寺は即座に駆け寄った。身体を支え、救急車を呼び、到着まで付き添っている。老婆役の職員が『大丈夫』と拒んでも、転倒時の怪我を疑い、通報を取り下げなかった」
「へえ」
「道に迷った人物を配置した時は、目的地まで同行した。土地勘のない相手だと判断すると、途中で投げずに交番まで案内している」
「ふぅん」
「路上に現金を落とした試験では、札であってもそのまま交番へ届けた」
姫丸は小野寺の写真を見下ろした。
カフェでコーヒーを飲んでいる、普通の男。
魔胎神の因子を宿しているとは思えない。
妖魔の気配も、悪人の顔つきもない。
「……本当に善人じゃない」
「そうだ」
「魔胎神、宿主選びのセンスまで最悪ね。分かりやすいクズなら、こっちも気楽だったのに」
「あぁ。ただし、人格面とは別に、少々厄介な情報もある」
「なに」
姫丸の目が細くなる。
「まさか、善人に見えて裏では女を食い物にしてました、とかじゃないでしょうね」
「そうではない。加害歴は確認されていない。だが……性嗜好に偏りがある」
性嗜好というワードを耳にした姫丸は誰がどう見ても分かるくらい嫌そうな表情を浮かべる。
「嫌な予感しかしないんだけど。何? ボディスーツやハイレグが性癖とか言う気?」
「その通りだ」
「馬鹿じゃないの? とんでもない変態じゃない」
姫丸は即座に吐き捨てた。
西九条は否定しなかった。
むしろ、否定する余地がないと言わんばかりに、淡々と資料を読み上げる。
「身体のラインが出る衣装、特にボディスーツやハイレグ形状の衣装を好む傾向が強い。加えて、豊満な体型の女性、強気な女性、支配的な状況に関する嗜好も確認されている」
「確認されている、じゃないわよ。なんでそんなとこまで調べてるのよ」
「魔胎神因子の抑制に関わる可能性がある以上、必要な調査だ」
西九条の言葉を聞いた姫丸は、心底面倒くさそうな表情で頬杖をする。
「コイツの性癖が私に刺さっているのも凄い腹立つ」
姫丸は、自分の身体を見下ろす。
黒と濃紫の光沢ある退魔師スーツ。
身体のラインを隠さない密着衣装。
自分で選んだわけではない。
霧月流の退魔師スーツは、あらゆる機能性を考慮して作られている。
その結果としてこういう形になっているだけだ。
……という建前はある。
だが、似合っている自覚はあった。
姫丸は自分が可愛いことも、目立つことも、男の目を引くことも知っている。
SNSで自撮り写真を投稿したら自分でも驚くぐらいのいいね数を貰ったこともある。
だからこそ、余計に腹立つ。
「ホント最悪。魔胎神の因子がどうこう以前に、まずそこが最悪」
「だが、加害歴はない」
姫丸の悪態を半分無視して西九条は冷静に続けた。
「小野寺智樹に、女性への暴力、脅迫、違法行為、ストーカー行為などの記録は確認されていない。性嗜好は強いが、現実で他者を傷つけた形跡はない」
「当たり前でしょ。あったらその時点で断るわよ。それで、勿論、報奨金はあるんでしょうね? 生活費その他諸々」
「当たり前だ」
西九条は即答した。
その返答の早さに、姫丸はわずかに眉を上げる。
「へえ。そこは話が早いじゃない」
「この案件は、魔胎神再臨阻止を目的とした国家最重要指定任務だ。無償で押しつけられるようなものではない」
「当たり前でしょ。寧ろ、そんなこと言われたらこの場で机蹴って帰ってるわよ」
「だから、先に用意してある」
西九条が指を鳴らすと、隣に控えていた職員が一枚の書類を姫丸の前に置いた。
姫丸はそれを手に取る。
報奨金や危険任務手当、長期拘束手当etc。
いかにも役所が作った、クソほど堅苦しい項目名が並んでいる。
姫丸は面倒くさそうに目を滑らせていたが、ある数字を見た瞬間、動きが止まった。
「……へえ」
声の温度が、明らかに変わった。
なんなら、目が$になっている。
西九条はそれを見逃さない。
「どうだ」
「悪くないじゃない♪」
姫丸は口元を緩める。
先ほどまでの不機嫌さが消えたわけではない。
だが、報奨金という現実的な数字は、霧月姫丸という女に対して極めて効果的だった。
「これ、月額?」
「ああ。任務継続中は毎月支払われる」
「魔胎神案件にしては、少し安くない?」
ある意味恐ろしい発言に、西九条はこめかみを押さえて「その金額で安いと言えるのはお前くらいだ」と半笑いで呆れ果てる。
実際、月額で貰える金にしてはありえないほど高額だ。
4人家族がニートで飲み食い遊び歩いても半年は過ごせる金額だ。
まぁ姫丸は30億を一人で、それも1年で使い果たした女。
常人の金銭感覚で測ってはいけないのかもしれない。
「で、これが1ヶ月ごとに支給されるのよね? 服飾費は?」
「必要経費として認められる範囲ならな」
「美容代」
「……任務に必要な範囲なら」
「必要よ」
姫丸は即答した。
「小野寺智樹って男の性癖に、私の見た目が刺さってるんでしょ? だったら私が可愛く、綺麗で、完璧でいることは抑制効率に関わるじゃない」
「お前、よくそんな理屈を即座に出せるな」
「天才だから」
「その才能をもっと別のところに使え」
西九条は疲れたように言った。
姫丸は書類をひらひらと振りながら、椅子の背にもたれた。
「まあ、悪くないわね。面倒くさいお金稼ぎとかせずにお金が貰えて、気持ちのいいセックスまでできる」
「お前な……」
西九条は、本気で頭痛を堪えるように眉間を押さえた。
「何よ。事実でしょ」
姫丸は悪びれない。
「お金の有無は重要よ。それに相手は善人なんでしょ? しかも、向こうの性癖的に私はドストライク。だったら、そこまで損な話でもないわ。最低最悪で面倒くさい任務って認識は変わらないけどね」
姫丸はそう言った後、「あと、条件があるわ」と言葉を付け足す。
西九条は、やはり来たかと心の中で呟き、どんな条件が来るのかを身構えた。
姫丸は指を一本立てた。
「まず一つ目。私は小野寺智樹の所有物になるわけじゃない」
「当然だ」
「当然って言うけど、こういうのは最初に確認しておかないと、後から都合よく解釈する馬鹿が出るのよ」
姫丸は会議室にいる官僚たちをぐるりと見回した。
「私は小野寺に仕えるんじゃない。小野寺に買われるんでもない。小野寺の中にある魔胎神の因子を抑えるために、退魔省から派遣される。それだけ」
「その認識でいい。霧月姫丸は、退魔省から小野寺智樹のもとへ派遣される第一抑制担当だ。小野寺智樹個人の所有物でも、退魔省の備品でもない」
「当たり前のことを、ちゃんと書面にしなさい」
「用意する」
「二つ目」
姫丸は二本目の指を立てた。
「小野寺智樹の生活費の援助、メンタルケアを行うこと」
その言葉を聞いた官僚たちの目が少しだけ開く。
西九条も姫丸の発言に意外そうな表情を浮かべていた。
それを見た姫丸は「なによ」と不機嫌な表情になる。
「意外だな。お前が他人の生活費まで気にするなんてな」
「失礼ね。言っとくけど、別に同情したわけじゃないわよ」
姫丸は不機嫌そうに言いながら、机の上の写真を指先で軽く叩いた。
「でも、そいつは一般人なんでしょ? 退魔師でも術者でもない。魔胎神の信者でもない。違法魔術師でもない。ただ、勝手に魔胎神の因子を宿された被害者」
「その認識で間違いない」
「だったら、退魔省が面倒を見るのは当然でしょ。世界が終わるかもしれない爆弾を体内に入れられて、いきなり私みたいな美少女退魔師を送り込まれるのよ。普通の男なら精神がバグるわ」
「自分で美少女と言うのか」
「事実でしょ」
西九条は反論しなかった。
反論すると話が進まないことを、彼はよく知っていた。
姫丸は続ける。
「生活費、医療費、必要なら引っ越し費用。精神面のケア。退魔省の都合で人生を滅茶苦茶にするんだから、それくらい出しなさい」
「分かった。小野寺智樹には、退魔省の保護対象として必要な支援を行う」
「書面」
「用意する」
「条件は以上よ」
姫丸はそう言って、椅子の背にもたれた。
会議室の空気は、先ほどまでとは少し変わっていた。
「分かった。その二つの条件を書面に明記する」
西九条はそう言って、隣に控えていた職員へ視線を向けた。
職員はすぐに頷き、端末へ何かを打ち込み始める。
姫丸はそれを見届けてから、満足そうに鼻を鳴らした。
「よろしい」
「ただし、こちらからも条件がある」
「なに?」
「任務を受ける以上、勝手な判断で小野寺智樹のもとを離れることは認められない。長期抑制任務だ。気に入らないから帰る、飽きたからやめる、報酬が振り込まれる前に逃げる。そういうことは許されない」
「私をなんだと思ってるのよ」
「三十億を一年で使い切った女」
「そこじゃない」
姫丸は不機嫌そうに唇を尖らせる。
「言っとくけど、私は一度引き受けた任務は最後までやるわよ。途中で投げたら負けたみたいで腹立つし」
「その一点に関しては信用している」
「その一点って何よ」
「それ以外は信用していない」
「正直すぎるのも考えものね」
西九条は淡々と続けた。
「小野寺智樹には、明日、最低限の連絡を入れる。退魔省関係者が訪問するとだけ伝える予定だ」
「内容は?」
「話さない」
姫丸は、心底呆れたように西九条を見た。
「ほんっと、退魔省ってそういうところあるわよね」
「情報を与えすぎれば混乱する」
「与えなさすぎても混乱するでしょ。いきなり私が家に行くのよ?」
「だからお前が説明しろ」
「丸投げじゃない。まぁいいけど。小野寺智樹本人は、魔胎神のことをどこまで知ってるの?」
「ほとんど知らない。一般人向けの報道程度だ」
「じゃあ、私のことは?」
「知っている可能性はある。魔胎神討伐の報道で、お前の名前と姿は一部公開されてる」
「ふぅん。じゃあ、私が世界を救った超天才美少女退魔師だってことくらいは知ってるわけね」
「その言い方で認識しているかは分からん」
「認識してなかったら教えてあげるわ」
姫丸は当然のように言った。
西九条は、もう突っ込む気力もないのか、短く息を吐くだけだった。
「明日、午前十時。退魔省の車でお前を小野寺智樹の自宅へ送る」
「明日?」
「そうだ」
「急すぎない?」
「時間をかける余裕はない」
「一年あるんじゃなかったの?」
「一年しかない」
「あんたたちって、ほんとそういう言い方好きよね」
姫丸は面倒くさそうに言いながら、机の上に置かれた小野寺の写真を手に取った。
明日から小野寺と共に暮らしてセックスをすることになる。
改めて考えると、とんでもない話だ。
姫丸は写真を机の上に置いた。
「それで? 私は明日、小野寺の家に行く。本人には最低限の連絡だけ。詳しい説明は私がする。抑制任務は長期。報奨金は月額。生活費と必要経費は別。小野寺本人の支援も退魔省が行う。そういうことでいいのね?」
「ああ」
「書面」
「用意する」
「ならいいわ」
姫丸は椅子から立ち上がった。
黒と濃紫の退魔師スーツが、会議室の青白い照明を反射する。
赤いマフラーが、彼女の動きに合わせて揺れた。
「受けてあげる」
その声は、やけに軽かった。
会議室にいた官僚たちが、わずかに息を吐く。
安堵した者もいれば、まだ不安そうな顔をしている者もいた。
それを見た姫丸は、鼻で笑った。
「なによ、その顔。私が逃げるとでも思ってたわけ?」
「お前なら、報酬額を見てさらに吹っかける可能性はあると思っていた」
「吹っかけるに決まってるでしょ。これで終わりだと思わないでよ。追加で必要になったら請求するから」
「……やはりか」
「当たり前じゃない。世界の終わりを止めるのよ? 安売りする理由がないわ」
姫丸は堂々と言い切った。
西九条は、もう何度目か分からないため息を吐いた。
「分かった。必要経費については、その都度申請しろ。ただし、明らかな浪費は通さない」
「浪費じゃないわ。必要投資よ」
「その判断はこちらでする」
「ケチ」
「バカ、国家予算だ」
「世界を救う予算でしょ。だったら私に回しなさいよ」
「お前に回すと一年で消える」
「三十億の話、まだ引っ張るの?」
「一生引っ張るぞ」
姫丸は不満げに頬を膨らませたが、それ以上は言わなかった。
「あーーもう分かったわよ。それでいいわ。最後に再確認するけど、明日、その男の家に行けばいいのね」
「ああ。午前十時に迎えを出す」
「荷物は?」
「長期滞在を想定して準備しろ。ただし、常識の範囲でだ」
「私の常識でいい?」
「よくない」
「じゃあ聞かないでよ」
姫丸は肩をすくめ、踵を返す。
扉へ向かう直前、姫丸は立ち止まる。
「西九条」
「なんだ?」
「その小野寺って男に伝えておきなさい」
「何をだ」
姫丸は振り返らずに言った。
「明日、魔胎神を倒した、あなた好みの女が行くって」
西九条はわずかに目を細めた。
「それでいいのか?」
「ええ」
姫丸は不敵に笑う。
「細かい説明は、私がしてあげる」
そう言い残し、姫丸は地下第七会議室を出ていった。
扉が閉まる。
重い沈黙が、再び会議室に落ちる。
西九条は机の上に残された小野寺智樹の写真を見下ろした。
善良な一般人。
魔胎神の因子を宿した男。
そして明日、霧月姫丸という劇薬を家に送り込まれる男。
「……頼むぞ」
西九条は、誰にも聞こえない声で呟いた。
それが小野寺に向けた言葉なのか。
姫丸に向けた言葉なのか。
あるいは、もう一度終わりかけている世界そのものに向けた言葉なのか。
その答えは、誰にも分からなかった。
続く