「あの~、大丈夫ですか?」
固まった俺に、心配そうに見つめながら声を掛けてくる目の前の少女——新井素羽。
「あっ! もしかしてどこか痛めちゃったとか!? その、立てますか?」
慌てた様子で、彼女は俺に手を差し出してくる。
ぶつかって倒れさせた罪悪感があるとしても、女子高生が見ず知らずの大人の男の手を取ろうとするなんて今時ないよな……。
大人の男性相手に身構えることなく、純粋に俺の身を案じる素羽の姿勢が眩しく見える。
ストーリー内でも困っている人を見過ごせない正義感のある少女で、そんな彼女だからこそ、プレイ中は好感を持っていた。
「ああ、大丈夫だよ。俺も前をよく見てなかったから、お互い様ってことで」
素羽の手を借りて立ち上がると、彼女を安心させるように俺は笑顔を見せる。
「それなら良かったです。それじゃ、私はこれで……」
「っ、ちょっと待って!」
立ち去ろうとする素羽を思わず引き留める。
驚いて立ち止まり、振り返る素羽。
だが、俺は無意識だったのでしどろもどろになりながら、それっぽい理由を口から出していた。
「えっと、君、もしかして新井素羽さん? あの、天才野球少女で昔、騒がれていた」
「えっ!? あっ、アハハ……そうですけど、よく覚えていますね」
頭に手をやりながら照れ笑いを見せる素羽だが、どこか作り笑いにも見えて内心複雑であることが窺える。
そりゃ、そうだろうな……。
素羽にとって野球は楽しい思い出だけでなく、苦い思い出でもあるのだから。
「さいたまビッグタイガースの木内選手から打ち返したのも覚えているよ。凄かったよね」
「……でも、私、もう野球やめちゃったので」
木内の名前を出した途端、落ち込む素羽。
俺から目を逸らし、その話題からの拒絶の姿勢を見せる。
彼女にとって木内は消えない古傷だ。
俺もできれば初対面の素羽にこんな話題を出したくはなかった。
しかし、俺が素羽を無意識に引き留めたのは、恐らく、ただ彼女と長く話したいという気持ちだけではない。
これから起こる惨劇を止めるために、偶然出会えた機会を逃さないためだ。
「木内さんだけど、最近、渋谷駅の構内でぶつかり行為をしてるみたいなんだ」
「えっ……」
「磨我痛神ってサイトを後で見てほしい。いくつかヒットするはずだから」
俺の言葉に、素羽は青ざめながらスマホで検索し始める。
やがて、投稿された記事を見つけたようで、手が震えていた。
「女性ばかりを狙った悪質なぶつかり行為……何で……」
「それで、何だけど……新井さん、君も狙われる可能性がある。いや、間違いなく狙われると思う。だから……」
俺の言葉に素羽は振り向き、困惑した表情を見せる。
「何で、ですか?」
「それは……」
君に逆恨みしているから、とは言いにくい。
複雑な事情だし、そもそも何故そんなことを知っているのかと思われてしまうだろう。
「……もしかして、私のせいで引退してしまったから恨んでるんですか? やっぱり、そうなんだ……」
頭を抱えて俯く素羽。
吐息は荒くなり、身体は小刻みに震えだしている。
「私のせいで! だから、私は野球をやめて……憧れのあの人に、申し訳ないって! あっ、アアッ!」
ヤバい。
言い淀んだせいで木内に罪悪感のある素羽は最悪の想定をしてしまったようだ。
トラウマになっているようで動悸と息切れが凄い。
「ちっ、違うんだ! 君は何も悪くない!」
「ここだと目立つし、話すと長くなりそうだから、ちょっとついてきて」
素羽を落ち着かせるために俺は彼女の手を取り、連れ出した。
「その、すみません。見苦しいとこを見せちゃって」
俯いていた素羽が顔を上げる。
そして、目の前に出された包へとちらりと視線を向けた。
「遠慮せず、食べてよ。お代は気にしなくていいから」
「ありがとうございます。はむっ……美味しい……」
包みの中にあるハンバーガーを口にすると、素羽はようやく笑顔を見せる。
俺と素羽は渋谷のセントラル街にあるブームバン・バーガーにいた。
食べるのが大好きな素羽なら、ここでなら気持ちを切り替えてくれるかもしれない——という安直な考えだったが、上手くいったようでホッと安堵する。
「お兄さん、優しいんですね。あたしのこと、気遣ってくれて」
「……俺のせいで君を苦しめちゃったわけだし、これくらいはね」
傷を抉ってしまったのはこちらだ。
優しいと言ってくれるのは俺を悪く思っていないと言葉で示してくれているのだろう。
「それで、木内……さんのことですけど、あたしを狙っている理由って、引退する原因になった怪我のせいですよね……」
素羽が再び俯く。
彼女にとって憧れの選手を自分が引退に追い込んでしまったという事実は大好きな野球を断念するには十分な理由だった。
一緒にプロになることを誓い合った親友との約束も振り切るほどに、彼女はこれまで自分自身を責めてきたのだ。
「いや、それは違う。君の打球で木内は怪我をしてないし、打たれたことがショックでスランプに陥ったけど、立ち直れなかったのも女性トラブルを起こしたのも木内自身の問題だ」
「野球教室での怪我でプレーが悪くなったというのは、球団がバッシングを抑えるために流した嘘だ。君は悪くない」
俺の言葉に、素羽は目を見開く。
「どうして、そんなことを知ってるんですか……?」
「それは……球団関係者に知人がいて、というか……」
咄嗟の出まかせだが、素羽は追及しようとはしなかった。
先ほどまでの暗さは消え、代わりにあるのは困惑。
俺の言葉を受け止め切れていないように思えた。
「信じてほしいけど俺から出せる証拠はないから、どう受け止めても構わない。ただ、この件で木内は君を逆恨みしている」
「だから、今後、木内を見かけたら気を付けてほしい。ぶつかり行為をして怪我をさせに来るかもしれないから」
木内はこれからルフェルと一緒に改心させるつもりだが、それまでの間は素羽には木内に警戒していて欲しい。
ゲームをプレイしている限りだと、木内は仕掛け人によって次第に暴走していき、遂には素羽の親友を大怪我させてしまう。
それがいつかは分からない。
素羽の傍にいられるわけでもないし、俺からできるのは警告程度だ。
素羽というキャラに好感を抱いていたことや、ワンダーがいないために柄にもなくお節介をしているが。
「……分かりました。一応、警戒しておきます。お兄さんの言うこと、あんまり嘘にも思えないので……」
その後は微妙な空気になり、俺と素羽はブームバン・バーガーを出た。
別れ際に、今度は素羽が俺を引き留めた。
「その……お兄さんのお名前を聞いてもいいですか?」
「ああ、そういえば名乗ってなかったな。俺は茂部成雄。仕事は……求職中だ」
「もう知られてますけど、あたし、新井素羽です。茂部さん、ありがとうございました」
少し固いながらも笑顔を見せて去る素羽。
彼女からしたら、俺は信憑性のない話を一方的に告げてきた男でしかないが、少しは信じてくれたのだろうか?
あるいは、沈んだままで終わらせず、最後は明るく別れたかったのかもしれない。
いずれにせよ、素羽のためにも木内に早急に対処しなければならないだろう。
俺はりせとルフェルと共に木内パレスの入り口に再び対面する。
「さて、遂に踏み込むこととなったが……いつまで拗ねておるのだ、小娘」
「別に……」
ルフェルの言葉に、プイっと横を向き否定するりせ。
その仕草は可愛いが、俺に向けられるりせの視線は鋭い。
事の発端は、俺がナビを起動してメメントスでりせと再会した時のことだ。
「なんか……おじさんから他の女の匂いがする」
俺に抱き着くや否や、すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐりせ。
「おじさん、私に飽きて他の女に行ったの!?」
「ちっ、違う。確かに女の子と一緒にハンバーガーを食べたけど、理由があってだな……」
りせから詰問され、俺はたじたじになる。
結局、説明して誤解は解いてくれたようだが、不機嫌は直らないようで道中気まずいままであった。
愛撫したり、キスを迫っても拒絶するんだもんな……。
認知存在であるはずなのに感情豊かというか、俺の意思を無視するだなんて初めてのことで弱ってしまった。
「ところで、これから盗みを行うにあたって、ワシらもコードネームで呼び合うのがいいかと思っておる」
「コードネーム……」
ああ、そういえば怪盗としてやっていくんだもんな……。
「メメントスは大衆の集合的無意識だ。ワシらが本名で呼び合っていれば、巡り巡ってワシらの身元がばれてしまうやもしれぬ」
「それに、偽名と真名で呼び合うのは中々に鯔背であると思わぬか?」
ニヤリと笑みを浮かべるルフェル。
どちらかというと後者の理由の方に重きを置いてそうだが……コードネームか……。いい名前が浮かばないな。
そもそも、怪盗服とかに変身もしていないが大丈夫なのだろうか。
そう思い至ったところで、ふと、パレスの入り口の手前に青い扉が現れる。
そして、扉が開かれると、中から青い服を着た美女——メロペが現れた。
「お話があり、参上仕った。可及速やかに入られよ、と申し上げる」
ぺこりと頭を下げると、メロペは俺を掴み、有無を言わさずに扉の中へと押し込んだ。
「えっ、はっ!? ちょっ……」
ルフェルたちを置いて、俺はベルベットルームへと連れ去られた。
砂漠に建てられた宮殿の一室。
俺の心象風景が反映されているらしいベルベットルームの座席に、俺はいつの間にか座らされていた。
「貴方様に新たな欲望の発露があった」
「よって、私が力添えをし、貴方様のペルソナ“スルタン”の能力が拡張されることとなった」
向かいに座るイゴールは、淡々と告げるメロペに任せて机の上で手を弄っている。
先日に言い放った通り、従者の好きにやらせているようだ。
「新たな能力……一体どのような?」
「貴方様が寵愛を与えた者は、潜在的な力が引き出されていく」
「ハレムが拡張すればするほど、寵愛を受けた寵姫も力を増していくのです」
ハレム? どういうことだ?
寵愛ってのは……俺がりせとイチャイチャしているようなことを指しているのか?
「私はあくまで力添えをしたのみ。この素晴らしき能力は元々貴方様の奥底に備わっていた素質」
「そう、ハレムの主たる貴方様らしい能力である、と申し上げる」
困惑する俺を置いてきぼりにして、自分の言葉に酔いしれているかのようにしみじみとしているメロペ。
俺に説明する気など微塵もなさそうだ。
「その、もう少し分かりやすく……」
「理解するには言葉を尽くすよりも実践する方が早い、と申し上げておく」
「扉を出ることで、その力を実感することでしょう」
弱った俺がイゴールへと視線を向けても、イゴールは俺とメロペの様子を楽しそうに眺めている。
「ハァ……」
夢の世界の住人には翻弄されてばかりだ。
扉が開き、メメントスへと戻される。
俺がメメントスへと足を踏み入れると、いつの間にやら服装が変わっていた。
金糸が編まれた黒のローブに、同じ色のマントを羽織り、頭にはターバン、目にはサングラスがかかっている。
一見するとアラビアンナイトに出てくるような王族か、石油王のような装いだ。
「なっ、何だこれは!?」
「メメントスで他者から認知されていることを恐れていた貴方様は心の鎧を身に纏ったのです」
他者からの認知……そう言えば、メロペから連行される前にルフェルからそんなことを言われていたな。
警戒したからこそ、メロペの力で新たに発現したってことか?
そもそもペルソナ5の世界観ならペルソナに覚醒したら自動的に外見が怪盗服になるものだと思っていた。
俺のペルソナが特殊なのか、あるいは細かい条件などがあるのかもしれない。
「ハレムへと入った寵姫は貴方様に似た服装となり、その証を示す」
「粗削りの原石である姫たちを、欲望というクロスで磨くことで寵姫にして輝かせる」
「破滅を免れるためにも貴方様にはより多くの姫を輝かせていただきたい、と申し上げておく」
「……誘導されているようで釈然とはしないが、りせは大事にするつもりだし、言われなくても好き勝手させてもらう」
破滅の未来や仕掛け人の思惑と雁字搦めにされているが、ペルソナに目覚めて特別な力を手に入れた以上は自由に生きていきたい。
それこそ、西洋の彫刻のように美しい目の前の美女をも物にしたいという欲望はある。
もっとも、夢の住人の彼女に俺の力は通用しないだろうし、妄想に留めるが。
俺の考えを見透かしてか、メロペは目を細めると、そっと俺に近づき耳元へと囁いた。
「寵姫を侍るハレムの主へと至った暁には、私を自由にしていただいて構わない……と申し上げておく」
手袋で覆われた細い指先が俺の肉棒を優しく撫でる。
耳元へと息を吹きかけ、ルージュの口紅が光る唇にもう片方の指先を添えると、メロペは微笑を浮かべて扉の向こうへと去っていった。
「おい! 大丈夫か!? しっかりせぬか!」
周囲に響く声でハッと意識を取り戻す。
気づくと、ルフェルとりせが心配そうに俺の傍へと駆け寄っていた。
「あっ、ああ……問題ない。えっと、どういう状況だ?」
「お主が急に固まったのであろう! それに、いつの間にやら服装が変わっておるぞ」
自分の身体を確認すると、ベルベットルームから出た際に変化した服装となっている。
ゲームと同じく、ベルベットルームでメロペと接していた時間は、ルフェルたちには認識できていないようだ。
「流石は夢の住人、といったところか……」
「良かったぁ……おじさん、戻らないと思って心配したんだよ」
ぎゅっと俺に抱き着くりせ。
随分と不安にさせてしまったようだ。
安心させるためにりせを抱きしめると、ふと、りせの服装も変わっていることに気づく。
へそ出しの黒いショート丈の胴衣に黒のボトムス。
そして俺と同じサングラスと口元にヴェールをしていた。
「わっ、私何も知らないよ! 知らない内にこんな服装になってたの!」
俺とルフェルが驚く中で、りせは慌てて確認し始める。
「あれ? でも、何だかいつもより力が湧いてくるかも?」
「それに、おじさんと色やデザインが似てるし、不思議とおじさんを感じられて案外この服装も悪くないかも♡」
先ほどまで不機嫌だったのが嘘のように上機嫌に俺にすり寄ってくるりせ。
何がそこまで気に入ったのかは分からないが、抱き寄せて唇を寄せると、今度は受け入れてくれたので良しとしよう。
ちゅっ、ちゅっ……。
そういえば、メロペはハレムの寵姫に力を与えると言っていたが、りせの服装が俺と似たものへと変化したのはこのことかもしれない。
「ええい、いい加減にせぬか! ワシを忘れて睦み合いおって!」
りせとのキスを堪能していると、ルフェルが飛び上がり、叱責する。
ルフェルのことをすっかりと忘れていた……。
「すまん、りせと仲直りしたら夢中になってつい……」
「ふんっ、まあ良い。それより、コードネームについてのことだ。ワシのことは今後『キャトル』と呼んでもらおう」
腕を組み、誇らしげに言い放つルフェル。
「キャトル? ねえねえ、それってどういう意味? ルフェル」
「だから、ルフェルと呼ぶでない! ここではキャトルなのだ!」
「……横文字を使うと鯔背であろう?」
どうやら深い意味はなさそうだ。
だが、格好いいと思う横文字か……。
「うーん、俺はどうしようかな……」
「『オジサン』じゃ様にならないもんね~。『マスター』とかはどう?」
「いや、ペルソナが“スルタン”であれば、関連した名前がよいのではないか? 『マリク』や『エミール』など」
二人は俺のコードネームに対し、案を出し始める。
だが、せっかくなら寵姫らしいりせが呼びたい名前にした方がいいよな。
「りせは『マスター』がいいんだな?」
「うん、だって特別な関係っぽいし」
「それなら『マスター』にしようかな」
「やったー! よろしくね、マスター♡」
りせにマスターって呼ばれるの、ゾクゾクするな……。
軽く盛り上がった俺の股間にりせは気づくと、そっと撫でる。
「もうっ、今はパレスに行くから……また、後で、ね♡」
りせにお預けをくらい、悶々とするが、早めにパレスを攻略しようと俺は意気込むのであった。
ちなみに、りせにはコードネームは要らないと一蹴された。
まあ現実にいる久慈川りせとは年齢も外見も異なるので、恐らくは問題ないだろうが……。
パレスの渦へと侵入すると、中には大きな野球場が建っていた。
「KIUCHI」と書かれたその野球場は、野球選手であった木内の認知が大きく作用されたパレスなのだろう。
「うわ~、大きい~」
「周囲は夜だが球場は光に満ちておる。さしずめナイターの最中といったところか」
「潜入開始だな」
木内のオタカラを探すために、俺たちは球場の周囲を探索し始めた。
「うむ? 気のせい、か?」
ふと、ルフェルが立ち止まり、後方を確認する。
最後尾にいたルフェルの後ろには誰もいないが、ルフェルは妙な引っ掛かりを覚えていた。
「ニンゲン……いや、シャドウに似た何者かの気配を感じたのだが……」
「お~い、ルフェル~、じゃなかった! キャトル、何してるの~」
マスターの傍に付いていたりせが呼びかける声に気づいたルフェルは、慌てて先を急いだ。
立ち止まった場所に隠れていた茶髪の少女が、その後、姿を現したことに気づかぬまま。
怪盗始めました。
高評価や感想をいただけましたら励みになりますので、気に入っていただけましたら是非お願いいたします。