作中の方言は現代の翻訳サイトを使ってますので、細かな表現の違いはご容赦ください
「以蔵!あの白札郷士の武市半平太さんが剣術修行で江戸へ行く話は聞いたか!?
おんしばあの剣を土佐に埋もれさせちょくには惜しい!
なっ!儂が口利きしてしんぜようで!上手う事が運んだら住み込みで働きもって、江戸で剣術を習わしてくれるかもしれんぜよ!
あと儂も江戸に剣術修行へ行けるき、なんちゃあ問題ないやいか!なっ!」
「龍馬さん、おまさんとなら儂も特に問題のう付いていきますが
武市さんとならお断り致します。あの人の考え方は根っこから合わんきに
そりゃ常々申し上げちょりましたけんど?」
「やっぱりいかんやか、頑固な奴じゃの~
ただもしも気が変わったらいつじゃち尋ねてきてくれ!武市さんもお主が加わってくれる事を強う望んじゅーで!」
「龍馬さん、申し訳ない」
嵐のような坂本龍馬を帰した岡田以蔵は木刀を握ると、今日も稽古を続ける
三つ年上の龍馬からの熱くて近い勧誘はこれまでも受けたが、武市瑞山(半平太)を長とする土佐謹王党に属する気持ちは以蔵に微塵もなかった
以蔵には嘗て尊王攘夷を掲げ、京で武市に人斬りとして使われてきた死前の記憶がある
だが結果として前の藩主・山内容堂によって謹王党は潰され、以蔵を含めた主な連中は獄に繋がれる
取り調べで毎回泣き叫ぶ以蔵は尋問に耐えられず、全てを取調官にぶちまけて何人も道連れにした
京で尊王攘夷が掲げられてた時代は良かった。しかしそんなのはただの一瞬、新撰組が台頭してた頃は浮浪者同然で幕府の追っ手に怯えてた毎日しか覚えてない
食うに困って商人相手に盗みをして捕まり、土佐に送られた先で拷問されると己の自白で、武市や何人もの幹部を切腹させ自分は罪人として首を落とされた
(誰があんな事を繰り返すか)
以蔵が子供の頃から持ち合わせていた死前の記憶。何で自分はやり直しをしているのか
【そんなのは分からない】
それで話は終わってるので幼少期の以蔵は深く考えるのを辞め、まだ瑞山を名乗ってない頃の武市や謹王党の面子とは徹底的に距離を置いて第二の人生を送ってきた
ただ坂本龍馬とだけは変わらず名前で呼び合う間柄なので、以蔵との関係は死前とそこまで変わってないようだ
人斬りになる気はない。直ぐに終わった謹王党に入る気持ちもない
もともと攘夷の流行りに乗って剣を振るい、世直しと天誅に陶酔した挙げ句に金と女と酒に狂った莫迦者だと今は思っている
獄に繋がれた時、牢番にペラペラ過去の事を漏らしたのも、今では自己嫌悪の対象でしかない
思い起こせば、世の中を知らない田舎者でしかなかったのだ
(あ、儂が死んだ後に日本がどうなったがか?
誰が死んで、誰が生き残ったか?
幕府は?天皇は?異人は?
そういうたら龍馬さんはどうやろ、まっこと長生きしそうやけんど…あ、勝先生は?姉小路の人は殺されてしもうたけんど、思うたら可愛そうなことや
そうや…人斬りは辞めて、日本一の用心棒になってみるか
どうせ学の無い人間じゃき
よし決めた。姉小路の人も勝先生も、龍馬さんも儂が守っちゃる!)
その考えに至ったまま、単純一途に以蔵は守護する為の剣を振るってきた
斬るのは一瞬、しかし守護は昼夜問わずの常
誰かの暗殺を気にしながら生きるのは、人斬りより途方もなく集中力が必要になる
だが以蔵としては死前でも今生でも大した事じゃない。寝食が保証された状況下で敵が現れたら斬れば良いだけの簡単な仕事だ
どのみち自分が謹王党に加わらなくとも土佐藩上士の重鎮で公武合体・開国を推進していた吉田東洋は、那須と安岡と大石に暗殺されて謹王党が世の中の流れを利用して台頭する
そうなれば奴等と距離を置いてきた自分はどうするか
ひたすら腕を磨いておきつつ龍馬とはある程度の縁を繋いでおき、その時が来たら偉い人の用心棒として生きるのは人斬りより偉い事じゃないか?
また、暗殺現場でうっかり名を名乗って後日、武市や幹部に執拗に叱責されたのは今でも覚えている
(つまり、人斬りで名を名乗るがはいかんかったが、良い行いをしちょったら堂々と名乗っても何の問題もないろう)
悪事は名乗れば駄目で、善行は名乗っても良し、これをしたのは土佐の岡田以蔵だと堂々としてられる。その方が楽しいし気分も晴れやかだ
こうして幼少期の以蔵は死前に江戸を含めた剣術道場で習った技や、人斬りの技を毎日欠かさず磨き続けている
武市半平太や坂本龍馬といった郷士の子息が通う日根野道場にうっかり顔を出せば、武市やらに目を付けられる可能性もあるので通っていない
というより土佐で教わる剣術が武市に連れ回された先、江戸やらで教わった剣術に格で勝る筈もなし。荒っぽい事で有名な土佐剣術でも、以蔵が実戦で身に着けた技と経験に勝るものなし
本来ならば今年、1856年(安政三年)十八歳の以蔵は土佐藩から支援を受けて江戸へ向かい、武市瑞山と同様に桃井春蔵の道場「士学館」で修業を開始。翌年には鏡新明智流の目録を取得して修業を終え、その秋に土佐藩に帰郷している
尊王攘夷に傾倒していた死前ならば、武市が裏から手を回して以蔵を江戸に連れ出していたが今の以蔵は龍馬を除き、武市とその関係者から徹底的に距離を取っていた為、土佐藩から支援の話は無かった
なので河原や林、膝上まで浸かる川や海の中、揺れる小舟の上、真夜中の山道、一切の整地がされていない場所で以蔵は縦横無尽に駆け、木刀を振るう
如何なる状況下で思うように動けなくて、何が用心棒か
例え変人奇人の類いだと周囲から蔑まれようと、以蔵はそれを続けたのであった
「以蔵、ちっくと慶次とで御家老様の屋敷まで手紙を頼まれてくれ」
まだ坂本龍馬や武市半平太が江戸に向かう前年。十七歳の以蔵はまだ慶次と名乗っていた十一歳の弟を連れ、郷士の父が仕えていた家老への遣いで街を歩いていた
行きは特に問題も無く、家老の屋敷では門番に自分達の身分を明かして手紙を渡すのみだったので用事そのものは直ぐに終わる
家老が郷士の息子を相手にするわけがない
しかしその帰路の城下町で問題が発生した
ほんの一瞬、人通りの少ない脇道から微かな少女の悲鳴が以蔵の耳へと届いた
野生動物並に勘が働く以蔵は即座に声がした脇道を猛進すると、一見だけで博徒と判断できる風体の男達が三人、美しい町娘を路地裏へと乱暴に連れ込んでいたのを目撃した
泣き叫ぶ町娘へ乱暴狼藉を働く輩に、以蔵と慶次は瞬間的に感情が爆発した
「兄上!」
「慶次は女を守れ、儂は塵共をやる」
以蔵は腰に差していた木刀を抜くや背中を丸めて路地裏を突き進む。そして状況を飲み込む前の博徒二人を早々と叩きのめしてしまった
その時の兄の一撃一撃は煌めく稲妻の如く、迷いのない俊敏な動作は隼の如きだった。と弟の慶次は後に語っている
「終わりましたよ。怪我はありませんか?」
逃げ出した一人を捨て置き、以蔵は町娘に訛りを抑えて話し掛ける
「い、いえ大丈夫です」
慶次より少し年上の町娘がそう応えるが、未だ恐怖に囚われており全身を震わせている
「そうか。なら後は番所にこの者達を任せ、貴女は拙者と拙者の弟が送るとしよう
逃げ出した奴が尾行しないとも限らぬ故
それでよろしいか?」
以蔵は自分が優男とは程遠い風貌で、粗雑な衣類に木刀を差した貧乏郷士だと自認してる
女受けをする顔の作り方などは鼻から知らない
外見がそれなので、以蔵はせめて口調だけでもと配慮したのだ
「はい。よろしくお願いします」
恐怖心やらでごちゃ混ぜになった言葉は尻すぼみだったが、町娘は以蔵の案には乗ってきた
「では参ろう」
以蔵と慶次は気絶した博徒を番所に引き渡し、番兵から事情聴取を終えた彼女の奉公先の商家に向かう
「それにしても驚いた!兄上はこがに強かったがかえ!?」
道中、我慢の限界だったらしく慶次が双眸を輝かせ、鼻息を荒くしてそう言った
「慶次よ少し落ち着け。まだ任務は終わってはおらぬ」
以蔵はそう嗜めながらも町娘が驚いてないかと、遥か斜め下を確認すれば眼下の彼女にそんな気は無かった
大柄な以蔵と並んで歩けば、頭1つどころでは無い身長差なので必然的に見下ろす形となる
この当時の一般男性の平均身長は150㎝ほどで一般女性はそれよりも低い、比べて以蔵は死前と同じく170㎝を優に越えており毎日の稽古や魚や獣肉を好んで食べていたお陰で筋骨隆々
そんな筋肉がはち切れんばかりの大男が、眼光を猛禽類のようにして警戒すれば誰もが道を譲る
起死回生を狙う博徒は別だったが
「兄上、あれは先程の奴ぜよ!
仲間を引き連れてもんてきた!」
やはり戻ってきたか。別に以蔵は驚かなかった
ああいう輩は面子が潰れることが何よりも大事だ。貧乏郷士と元服前の子供に仕事の邪魔をされた挙げ句、仲間を見捨てて逃げた。あの博徒は下手に吹聴される前に口封じに動くのは明らかだった
「慶次、こちらの道は袋小路や。おんしはそこで壁になれ」
「承知!お姉さんこっちや!」
弟に守りを任せるや以蔵は、さっと素足になった。木刀はまだ抜いてない
それなりに大きい道の向こうから十人の博徒が鬼気迫る表情で駆けてくると、無関係な人々の群れが割れに割れる
「この野郎、ようよう見つけたぜよ!
わしの仲間をどうした!?」
先頭を切って声を荒げたのは我先に逃げ出した博徒、だったかなと以蔵は思い起こす
「それは…われが見捨てた奴等の事か?今ごろ番所でお目覚めしゆー頃やろうよ
それよりも仲間や?笑わせるぜよ。おんしが我が身かわいさに尻まくって逃げたと知ったら、捕まっちゅー奴等どんな顔をするかえ?」
「で、出鱈目や!皆、こいつに惑わされたらいかんぜ!そがなんより一家に楯突いたきには生かしちょくわけにはいかん!殺せ!」
逃げ出した博徒が大声で誤魔化すように喚き散らし、奴等は一斉に匕首を抜いた
白刃が以蔵に向けられる
博徒は十人、此方は木刀だが腰に差したままで抜いてはいない
「一応言うちょくが、抜いたがはそちらが先やき」
以蔵はこれでどんなに博徒を叩き潰そうと、奉行所に引っ張られてた時に重罪に問われる心配はなくなった
匕首を抜いた多勢の博徒、非力な娘を庇いながら木刀すら抜いてない無勢の若輩郷士。群衆にはどちらが悪かは実に明白
以蔵はさっと木刀を抜き、腹の下の丹田に力を込め、心を人斬りだった頃に瞬時に戻して打ち掛かった
一番近くの博徒の左鎖骨を上段から叩き折り、返す刀で顎を下から叩き上げた
やられた博徒は鎖骨を折られた事を実感する前に、以蔵に意識を刈り取られる
そこから以蔵は足を止めず縦横無尽に動き回る
疾風の如く駆け抜けながら博徒に的を絞らせず。隙を見つければ顎や鼻、鎖骨や肋骨、股間や向こう脛が次々と破壊される
剣術を知らず、匕首を振り回すか体ごとぶつけるやり方しか知らない博徒は、そもそも人斬り以蔵の相手にならなかった
気付けば残る博徒は完全に意気消沈した三人。対して以蔵は無傷である
群衆が以蔵の強さにザワつく
ただ以蔵は引き分けにもっていきたかった。向こうはここで全滅しようとも、面子の為なら何度も何度も刺客を送り込んでくる害虫なので鬱陶しいこの上なく、町娘にもこれ以上の因縁をつけられれば気の毒でもある
以蔵は溜め息を一つ吐き、残る博徒に微笑みながら語りかけだした
「いや~参った参った。こがにだれたらもう無理や
あんた達の執念の勝ちだぜ
ここは潔うわしゃ負けを認めようやいか」
突然、以蔵の疲れたから敗北しました宣言に博徒も周りの群衆も理解できないでいる
「儂はもう闘えんし、おんし等もこれ以上の怪我は望まんろ?
どうな?ここはこれで手打ちにせんかえ?」
「て、手打ちに?」
残った博徒の一人が反応する
「そうそう。さっきは儂の勝ちで今回はそっちの勝ち。引き分けぜよ
それとも…まだ一家の恥をさらすつもりかえ?
やったらこの次は木刀じゃ済まさん。やるならとこんとんやき、真剣でお相手しちゃろうか?」
「わ、分かったぜよ。今回の喧嘩はこれで手打ちにしよう。約束や!
この場におる堅気の皆さんが証人や!」
次は真剣。以蔵の言葉は周囲が底冷えする程の圧力で、竦んだ博徒達は怪我人を引き摺るように帰っていった
「終わったがじゃ。出てきても大丈夫や」
以蔵の言葉に二人が顔を出す
無傷の以蔵を見た二人は、人外の者を見るような目であった
「二度も助けていただき、ありがとうございます御侍様。私は八重と申します
遅ればせながら御名前を伺ってもよろしいですか?」
深々と頭を下げて町娘、八重は名乗った
「八重さん、か
名乗るほどの者じゃありませぬが郷士・岡田義平の息子で以蔵。そして実弟の慶次です」
「以蔵さんに、慶次さんですね」
「はい。では送りますね」
そこから以蔵は八重を城下にある勤め先の商家に送り届け、心配していた番頭役に事情を詳しく話して弟と帰宅する
「では八重さん、御達者で
何かあれば七軒町の家まで連絡を下さい。用心棒として直ぐに駆けつけますので」
「以蔵さん、慶次さん、ありがとうございました」
用心棒稼業はまだ始めていないが、こういうのは言った者勝ちである
ちなみに八重の奉公先の商店は坂本龍馬の本家にあたる才谷屋と昵懇の間柄で、今回の一件は坂本龍馬と彼の姉にあたる女傑・乙女の耳に入っている
「兄上!儂はあいたから、いや、もんたら直ぐに稽古をつけて欲しい!」
八重と別れて直ぐに慶次が明日からでなく、帰ったら直ぐに剣術稽古をつけて欲しいと以蔵に迫った
「いや、もんたらって
そもそも、おんしは近くの剣術道場に通っちゅーやろ?」
「儂は兄上の剣術を習いたいがです!
兄上を超える剣術使いは見たことがん!」
「調子のえい奴や。そもそもおんしは儂が誘うても乗ってこざったろうに…あーあ、ありゃ悲しかったぜよ」
「はいはい、慶次が悪うございました!
これからは真面目に兄上から剣術を一から学ばしていただきますき、何卒よろしゅうお願いします!
これでえいか!?」
「うむ、苦しゅうないぜよ」
「兄上!」
「かかかかか!」
兄弟特有のふざけた会話をしながら帰宅する以蔵達
しかし流石の以蔵も気付かなかった
博徒との喧嘩現場を武市半平太とその取り巻きに目撃されてた事を
そして急進的な攘夷論者である武市は以蔵の腕を利用する目的で後日、手下を矢継ぎ早に派遣して勧誘してきた
「丁重にお断りする。わしゃ尊王攘夷に興味はないねや」
博徒との喧嘩が終わった次の日から土佐謹王党の連中から何度も勧誘を受け、以蔵はそれを全て突っぱね続けた
「異人を斬るがは容易いが、彼奴らは黒船を持っちゅーがぞ?ズラリと並べた大砲と鉄砲を相手に正面から喜んで斬り込む莫迦が何処におる?
そもそも、おんし達は黒船を持っちゅーがか?黒船を見たことは?
まずは敵の技術を敵以上に知り、手に入れ、調べ上げて弱点を見出し、それを改良して使いこなせんと話にならん思うが?」
以蔵が冷静に敵との戦力差を語れば、幕府に恨みを持つ意固地な攘夷論者達は精神論を語るだけで聞く手を呆れさせた
「すまんが初めから根性を語る人間は信用できん。儂は頭が悪いき上手う言えんが、斬り合いは鍛えた腕と経験を生かして戦うものだ思う、それじゃち無理な時がきたら最後の最後に出るがが根性や
おんし達は最初からなんちゃあ無いき根性を語るが、根性で黒船が斬れる思いゆーがか?
無いなら有るようにしたらえいだけやろう」
蓄えた経験と数多の技術で立ち向かい。それでも駄目なら最後の最後に物を言うのが根性だ
最初から根性勝負で殴り合うのは如何なものか?と以蔵は話しながら思う
(なんか悲しゅうなってきた。儂はこがな連中に使われちょったがか。)
幕府嫌いで異人嫌いの根性論者に散々、顎でこき使われていた自分に虚しさを覚える
嘗て、勝海舟に弟子入りした坂本龍馬が言っていた
【日本に強い海軍を作らんことには、外国船を打ち払うことなどできん
たった数隻の黒船が幕府を根底から揺るがせたなら、一隻でも持てば国内では無敵になる。たくさん持てば国外を威圧できる】
その通りだなと以蔵は今は強く思うと同時に、武市によって暗殺された吉田東洋が推進した開国はもしや間違ってはいないのでは?と考える
(公武合体は朝廷と幕府が歩み寄って大名やらがちっくとでも長う、偉そうにしたいきやったかえ?
あればぁほたえた謹王党も長州藩も幕府に潰された。ほんなら儂は今と同じで藩や上士には逆らわんと、謹王党とは距離を置くがが得やねや
開国の方は悪いことやない気がする。国が強うなるがはえいことやないがか?
昔もそうやって火縄銃を異人から教わったがじゃろうに
もしもだ。もしも吉田東洋を儂が守ったらどうなる?実行犯の那須や安岡が捕まったら芋づるで武市はお縄やろう。なら土佐謹王党はそこで終わりや。時期が早うなっただけで結果は変わらんね
なら吉田東洋を守って用心棒稼業を大々的に宣伝しちゃろうか
ただ龍馬さんがなー。武市と行動を共にしちゅーがは上士に露見されちゅーろう、連座して捕まってしまうがはいかん
あの人が勝先生と早う会うてくれちょったら謹王党から抜けられるに
…あれ?龍馬さんが長州藩の高杉さんや桂さんといつ頃に会うて、いつ龍馬さんが開国に影響を受けたがやったかえ?
あー思い出せん)
「以蔵!儂の話を聞いちゅーがか!?」
「あー悪い悪い。別の事を考えちょった
そもそもだ」
以蔵は名前も忘れた目の前の郷士に、攘夷攘夷と吠えるが外国の力を利用するだけ利用して土佐が強くなるのは良いことだろう?と返す
更に、憎い上士が開国を掲げるなら郷士はそれに反発しての攘夷?
情けない、女々しいガキじゃあるまいし。と吐き捨てるように追加
二言目は余計だったが攘夷論者に答えると、顔を真っ赤にしたその男は以蔵を睨み付けるが本人は何処吹く風
足音を荒立てた郷士が帰ると更に土佐謹王党の下っ端、そこそこの奴、幹部が以蔵を訪ねてくる
人間の位が高くなってきたがそれでも以蔵は首を縦には振らず
慶次を鍛え、護衛や喧嘩の仲裁やらを主とする用心棒稼業をしながら謹王党を相手するのは面倒だった
とうとう武市半平太がやってくると知った時は相当に焦ったが、いざ対面してみるとまだ青臭さが抜けない雰囲気で、以蔵は主導権を握られる事は無かった
「やれ小難しい事はよう知らん。ただはっきり言いたいがは儂はおまさんになんちゃあ共感できん。手を貸す気にはなれんぜよ」
色白で顎が立派な武市は以蔵を知識と弁舌で取り込もうとしたが、諸々の結果を知ってる以蔵には夢想家の戯言、馬の耳に念仏
死前は常に飼い主である武市の機嫌を損ねまいと気弱な狗の様にしていたが、今は主従関係でないので立場的に楽だったから言ってやった
自分に関わるな。内心は緊張で少し吐きそうだったが以蔵は武市半平太に面と向かって否と突きつけた
そうか。とだけ武市は口にして以蔵の家から去る
本来、白札郷士の武市は上士に匹敵する程に偉い身分。しかし以蔵は身分の時点で負ければズルズルと引きずり込まれると事前に分かってたので憮然とした態度で接した
無礼討ちにされる可能性もあったが、そうはならなかった
不安もあるが心の底から安堵する以蔵、しかし次の日から親戚の武市を退けたと感心した坂本龍馬に猛攻を受ける事になる
多数の博徒を木刀のみで叩き伏せた以蔵の噂は、土佐の城下町でそれなりに有名になった
殆どの威丈高な上士は眉唾ものだと相手にしなかったが、郷士の中には以蔵の幼少期から狂気染みた稽古風景を目の当たりにしてる者も少なくないのでそこは、やはり強いのだなと納得していく
すると以蔵は土佐の下級剣術道場より、竹刀による他流試合を申し込まれる
売名行為にはうってつけだと以蔵は喜ぶと、慶次とその剣術道場を訪れて道場主に挨拶を終えると直ぐに試合開始
道場主が審判を務める様子
まずは門下生五人が相手だ
以蔵は三本勝負の内、最初の一本は儀礼的な意味で向こうに差し上げ、残りは本領発揮をする構えをとってみた
蹲踞をしたり、互いに礼をしたりする作法は死前から染み付いていたのでそこはそつなくこなして互いに正眼の構えを取り、気合いとともに試合が開始された
向こうは以蔵より年上の様子。先鋒に選ばれる位なのでそれなりに腕と肝っ玉がありそう面構えだ
殺気も圧も出してない以蔵はとてもリラックスした状態なので向こうも気圧されず、呆気なく最初の一本は相手が先取
少しだけ道場内に以蔵が虚仮威しか?といった雰囲気が流れるが、直ぐにそんな気配は霧散する
「ほんなら本気を出すき」
言った以蔵は審判の合図を聞くや瞬間的に殺気と集中力を増大させた。その気迫に押された相手が正眼から竹刀を振り上げた
守りの型である正眼が意味を無くす攻撃の僅かな時間、刹那とも言える刻に以蔵は床板を蹴破る程の勢いで飛び込むとガラ空きの胴に打ち込んだ
そのあまりの速さに道場内がザワつき、審判は以蔵に一本を出す
最後の三本目には嘗ての好敵手・沖田総司の三段突きを少し真似した。一回の踏み込みで二段突き、しかもそれを様々な角度や間合いから三回連続で行い合計六段突きを見舞えば相手は何も出来ずに終わった
そんな調子で以蔵は楽しみながら次鋒、中堅、副将、大将を次々と沈めてしまう
試合が終わると門下生から何故そんなに強いのか等と質問攻めされるが以蔵は素直に、物心ついた頃から実戦を想定して毎日欠かさずに稽古をしたから。とだけ返して岡田兄弟は帰宅した
道場主との試合や慶次の試合もあったが、以降の方の内容は変わらずなので割愛。慶次はまだ以蔵流の稽古を始めたばかりなので負け越している
他流試合の面白さを知った以蔵は謹王党の勧誘から逃れるように、別の剣術道場に他流試合の申し込みをし、確実に名前を売っていく
すると武市や龍馬が通った日根野道場や、比較的に敷居が低い上士の道場にも呼ばれて以蔵はそこへ顔を出す
慶次から、毛嫌いする武市が在籍してた道場に顔を出すのは正直意外だと言われるが、以蔵は後々の迷惑の種を潰す為だと返した
「では日根野道場の皆さん、この度は他流試合の申し込み感謝する
だが始めに言うちょく、儂等は他流試合をする為にこの道場に来たまでや
変な押し売りは甚だ迷惑やし、考える気は微塵も無いき、早々に諦めちょけ」
「なんやと!?」
「押し売りとは心外や!」
「訂正しぃや!」
開口一番にこれまでの謹王党への熱心な勧誘行為を【迷惑な押し売り】と証されたと勘違いしたらしく、殆どの門下生が激怒した
以蔵は謹王党の名前や勧誘の言葉は全く出してないのだが、この浅慮な奴等を従えてアレコレ考える武市や攘夷派上士に少しだけ同情する
やはり日根野道場では武市を盲信する若者達が溢れていた。ただそこで血気盛んに挑んだ者は足腰とプライドを徹底的に破壊されて後日、謹王党はおろか道場も辞めてしまう
とばっちりを受けた慶次にはなんとも災難な日であったが、これも経験になるきと前向きだったそうで以蔵はそんな実弟を素直に褒めた
上士の道場では以蔵も慶次も普段の調子は鳴りを潜め、身なりや動作をこれでもかと正す。そしてどんなに弱い相手だろうと三本中の最初と最後の二本を相手に譲った。終わりよければ何とやらである
ただ途中の二本目に以蔵は実力の片鱗を見せているので、門下生からは侮りや誹りは受けなかった。寧ろ彼等は上士の中では序列が低い事もあるので強さへの憧れや渇望から、以蔵に技や鍛え方を聞く素直さも持っていた
徹頭徹尾に礼儀を尽くした結果なのか、以蔵の強さに惹かれたのか、道場主に月一で良いので尋ねて来て欲しいと懇願される
郷士ごときに剣術を習ってると高位の剣術道場から軽蔑される事になるのは重々承知のこと。それでもだと熱く説得された以蔵は、上士との繋がりは喉から手が出るほど欲しかったので快く承諾し、言われた通りに月一間隔で剣術を教え続けている
この道場は後に、中位の剣術道場から試合という名の接待と嫌がらせを受け続けるが、以蔵の鍛え方に比べれば試合は楽しい程だったそうな
「兄上、八重さんの店から長期の依頼が来たぜよ。近々、上方から東海道を下って江戸までの道すがら商いをするき、その護衛を儂等にお願いしたいそうです」
(江戸?まだまだ武市が江戸におる頃だが、江戸は広いき心配無用か?
予定通り井伊直弼は殺されたが、吉田東洋はまだ殺される時期やないし、儂が土佐を離れても問題ない
あ、やったら勝先生に顔を売っちょくのも有りやねや。後々の為にもよ)
以蔵は二十一歳になっていた
郷士のする仕事は父親に任せて己と慶次は、金さえ貰えれば身分を問わず期日まで護衛・用心棒する【宣振館(せんしんかん)】を起こし、これに精を出す
名前の由来は以蔵の諱【宜振】を捩(もじ)っただけで深い意味は無い
三月に江戸で大老・井伊直弼が水戸と薩摩の浪士に襲撃されて殺害される大事件、通称【桜田門外の変】が起きた。幕府の重鎮が殺された事により全国で暗殺が正当化させる時代が到来する事を知っている以蔵は宣振館で三年間、これに備えていた
宣振館には郷士だろうが町人だろうが農民だろうが誰でも入れる
不定期の雇われの立場であるが、大義名分が立てば問答無用で人を殴れる仕事なので正義感があり荒事が好きな人には受けは良い
ただ以蔵が想定する訓練があまりに過酷すぎて逃げ出すので、三日目の朝を迎えた者は未だいない
宣振館を始めて直ぐは閑古鳥が鳴いていたが、他流試合や地道な活動を重ねていく内に以蔵の腕っ節が世間に浸透すると土佐の城下町では知らぬ者がいない程となる
嘗て八重に乱暴を働いた博徒一家に宣振館は邪魔されていたが、あまりに度を過ぎた辺りで以蔵の堪忍袋の緒が切れた
博徒一家の屋敷に木刀一本で押し入った以蔵は邪魔する子分を悉く薙ぎ倒し、青い顔をした親分を表通りに引きずり出して堅気の面々の前で真剣による決闘を了承させる
以蔵と博徒一家の決闘は土佐藩では非公認だったが、博徒はダニのような扱いだったので藩には黙認された
そして後日の河川敷で博徒の用心棒と真剣勝負した以蔵は、あっさり用心棒の胴体を上下に裂いて勝利
噂を聞き付けた上士や郷士、町民や農民達が影で見つめる先で以蔵は彼等に己の強さを見せ付けた
そして博徒一家はこの一件で宣振館に完全沈黙。以降の城下町では争い事が起きれば【以蔵が来るぞ】と野次馬がこぞって集まるほどだ
「分かった、さてと江戸に遠征の準備や。忙しゅうなるで」
以蔵と慶次だけの宣振館は身が軽い。護衛の面目で江戸だろうと何処でも行けるのだ
「ヒューッ!江戸かぁ、武者震いがするのぉ!」
「慶次、遊びやないぜよ」
「分かっちゅー!緊張しちゅーだけやき
兄上も江戸は始めてですろう?京も大阪も
東海道にはあの富士山が聳え立っちゅーと聞くもんね。死ぬる前にいっぺんは見たい思うてましたぜよ
お土産は父上と~、母上と~、あ~近所のおっちゃんとおばちゃん連中と~、とにかく一杯やな!
いや~土佐を離れて江戸への大遠征とは考えてもおらざった事や。凄いのぉ兄上!」
「あー、うん、そうやったねや」
始めて土佐を離れられる事に浮かれまくってる弟に対し、江戸にも京都にも良い思い出が皆無な以蔵は空返事
「ん?」
「気にしなさんな。ほら支度や支度」
「もしかしたら八重さんの事を考えちょったりします?」
「なんでそうなる」
「だって兄上にまともに会話してくれるがは母上と八重さん、あとは近所のおばちゃん連中だけやもの。この遠征でも八重さんは参加すると書いてあるし、これはより仲を深める好機や
それに弟の儂から見ても八重さんは美人で気立てがえい。やのに兄上は強面や。生娘が見たら卒倒してしまう程の
これを逃したら兄上は男やないねや」
「ほざく暇があるなら慶次、おんしはあいたから素振りを二千回追加や」
「げぇーーっ」
大阪の八軒屋から伏見に渡る船は三十石で、かなり大きい船だった
それに以蔵と慶次は、八重を含めた商団と乗り込む
以蔵と慶次は出立前に龍馬の姉・乙女から面と向かって、八重にもしもの事があったら私が絶対に許さんと宣告されている
仁王様(乙女の通称)は以蔵と同じく背丈が170㎝を超える武芸全般を好む女傑で、幼少期の坂本龍馬を鍛え上げた
そんな彼女が失敗は死で償えと圧を飛ばすので慶次は微かに萎縮したが以蔵は動じず、任せろと言い切った
乙女はそれを聞いても雰囲気を変えず兄の権平から預かってきた刀【肥前忠広】を以蔵に渡し、これで八重を守れ、無理ならその刀で自ら頸を跳ばせと言い放って帰宅
久しぶりの肥前忠広との再会に、複雑な顔をした以蔵が残されたそうだ
伏見への渡し船の客間は人でごった返しており、それを嫌う者は畳を一枚貸し切って、到着までのんびり過ごす
乗り合い衆の話、利口が莫迦になって大きな声で話す。つまり退屈しのぎだ
この話を黙って聞いてると面白い。武蔵坊弁慶と野見宿禰が相撲をとったらどちらが強いかや、お国自慢に名物自慢。街道の博徒親分の格付け等、土佐では中々聞けない話題が飛び交う
商団の荷物の見張りは岡田兄弟が担当し、今は以蔵が大きな体で眼をギラつかせて周囲を威圧している
すると近くで独り酒をしていた男がフラフラと畳から立ち上がり、酒と寿司を持って以蔵の側に来た
「お、おう。お前さん、中々強そうじゃんかよ。ど、何処から来なさったね?」
彼は左の目に黒い眼帯をした滑舌の悪い男で、どこをどう見ても堅気には見えない
「大阪名物の押し寿司だ、く、く、食ってくれ」
彼は相当に肝が据わってるのか以蔵を前にしても臆する事無く接しようとし、更に酒と寿司を勧めてくる姿勢が何処か憎めない雰囲気をしている
「儂は生まれも育ちも土佐ぜよ。ただ生憎と今は商団の護衛をしちゅー最中や。邪魔するなら相手になるで?」
眼光を更に鋭くする以蔵だが、眼帯の男は芯から強いのかビクともせず名乗り始めた
「そりゃ悪かった。
俺は遠州の森の生まれの博打打ちで、い、い、石松ってんだ」
「以蔵だ」
「土佐の以蔵か、俺は清水の次郎長親分から代参を、た、た、頼まれてな、金比羅さんに刀を納めて清水への帰り道なんだに
親分からは石松、お前は酒を飲みゃあ面倒を起こすで、帰るまで酒を飲むな、刀は抜くな、問題は起こすなと散々言われてるで、あんたとやり合うつもりは無ぇよ
ほら、仲直りに寿司をく、食ってくれ。旨いぞ」
石松と名乗る眼帯の博徒は屈託のない笑顔で寿司を、ずぃと勧めてくるが酒と寿司に痺れ薬でも入ってる可能性は否定出来ない
寧ろ、赤の他人に旅の目的をベラベラと喋り、親分から酒を飲むなと言われてる男が自分の目の前で明らかに酒を飲んでるのだ。素直で裏表が無いのは分かるが絶妙に信用できそうで出来ない
「なら石松さん、京の都に着いたらで頼む
流石に今は遠慮して欲しいぜよ」
二心があるなら即座に斬るまでだが、本当に何も無いなら別に良い
邪念に塗れた気配を微かにでもさせたなら即座に警戒する所だが、死前の自分を思い起こさせる石松の真っ直ぐな言動に思う所があったのも事実だった
「分かった。以蔵は京の都は始めてか?
よ、良かったら案内するぞ?」
「時間があったら此方から頼むき、後で宿を教えてくれ。儂は荷物の関係で問屋に居るろ」
「そ、そうこなくっちゃよ」
へへっと笑いながら博徒・石松は嬉しそうに自分の畳に戻っていき独り酒を再開した
なんとも変な奴だが、頭カチカチの土佐謹王党の対応に疲れた以蔵からすれば遥かに分かりやすくて接しやすい男である
興味深い事も言ってた。石松の親分である清水の次郎長親分は以蔵でも知ってる有名な俠客だ。東海道では一番の親分で千人ちかく子分を持つとか。受けた義理は果たすし人情には厚いとか。博徒同士の喧嘩も滅法強いとか
石松が本当に次郎長の子分かは以蔵には不明だが、以蔵も嘘は大変苦手な男。腕っぷしは誰よりも強いがそれ以外はからっきし。つまり似た者同士なのだ
それに商団は東海道清水に寄る。ならば石松には客人として次郎長一家に繋ぎをして貰えば両者に得だ
もし嘘なら場合によっては番所に突き出すか最悪、以蔵が斬れば良いだけである
以蔵は慶次と交代して商団長に石松の話をしてみれば、次郎長親分の名は知ってた彼は石松の人となりを見てから判断すると決定した
次郎長一家との繋がりは悪い話ではないが、それはそれ
団長は以蔵が京都見物をする前に石松を値踏みする算段のようだが、彼もこの遠征中は団員の命と荷物を預かる身なので当然の反応と言える
取引が終われば京都で三日ほど滞在する予定になってるので、そこでという流れで決まる
以蔵もそれで納得し、慶次の元へ向かう
嘗て京の都を血に染めた自分が博徒と物見遊山か、人生とは不思議なものだと以蔵は慶次と合流し、再び視線を光らせるのであった
亀執筆ですが感想を頂けますと筆にブーストが掛かりますので、よろしくお願いします。
ありがとうございました。