神狐への変容と新たな神の誕生 作:匿名希望
やがて、幾夜もの愛欲が過ぎ去り、発情の奔流に身を焼かれながらも処女を散らし、気高い女神としての振る舞いをすべて叩き込まれた少女が完成する。
そして時は巡り、彼女にとっての「最終試験」の朝がやってくる。
太古の荒野へと飛び立つ、あの暗黒の歪みの前で、蓮――かつての少年であり、いまやすべての輪廻を継承した「母」は、震える新しい後継者の背中を、優しく、しかし容赦なく押し出した。
「過酷な神々の荒野で自らの力を示し、一柱の女神として生き延びてみせよ」
自分の口から放たれたその言葉の重みを、蓮は誰よりも深く理解していた。
空間の裂け目に飲み込まれ、見知らぬ太古の闇へと消えていくその後ろ姿を、蓮は境内の縁側から静かに見送る。
あの荒涼とした世界で、孤独と恐怖に打ち震えながらも、彼女はやがて自らの足で立ち上がり、何万年もの歴史を紡ぎ、そしていつかこの場所へと辿り着くのだ。
――いってらっしゃい。私のかわいい後継者、そして、私の愛しい過去よ。
すべての因果を受け入れ、果てしない輪廻の輪を繋ぎ終えた蓮の胸には、不思議なほどの晴れやかな安堵と、新しい未来へ向かう高揚感が満ちていた。
もう迷いはない。
自分は過去の亡霊に囚われているのではない。
過去も現在も未来もすべてが一つに繋がり、永遠の時間を生きる高貴なる一柱の神として、彼女は悠久の夜空の下で静かに微笑んだ。
空間の裂け目が完全に閉じ、境内に静寂が戻ると、蓮はふっと力を抜き、幾重にも重なる白銀の尾を柔らかく揺らした。
少年を送り出した達成感と、数千年に及ぶ長い輪廻の旅の完結に、心身が心地よい疲労感に包まれる。
だが、その緊張の糸がプツリと切れた瞬間、蓮の全身を、それまで神の威厳でかろうじて抑え込んでいた巨大なエネルギーの揺り戻しが襲った。
「っ……、はぁ、ぅ……っ!?」
足元がふらつき、蓮は豪華な社殿の柱に手を突いた。
下腹部の奥底から突き上げるような、猛烈な熱の奔流。
それはかつて自分が「最初の発情の季」を迎えたときと同じ、いや、それをも凌駕する圧倒的な獣の本能のうねりだった。
(嘘……どうして、今になって……?)
冷や汗が白磁の肌を伝い、頭頂部の白銀の獣耳がぴくりと震える。
そのとき、発情の苦悶に歪む蓮の脳裏に、かつての記憶のピースがパズルのようにカチリと音を立てて嵌まり込んだ。
――あの夜。
発情の熱に狂い、泣き叫び、全身の理性を焼き尽くされながらも、必死に自分の手で股ぐらを庇い続け、泥まみれになって耐え抜いたあの地獄のような一晩。
そして、冷酷に自分を放置し、翌朝になってからあざ笑うように処女を散らしていった、「母様」の姿。
脳裏で、当時の「母様」――つまり、未来の自分自身の記憶が鮮明に再生される。
当時、母様は冷徹に言い放ち、冷淡に背筋を伸ばして去っていった。
完璧なまでの冷酷な神狐として振る舞い、蓮に絶望と圧倒的な快楽の洗礼を与えた。
だが――!
今、まさに自分が同じ発情の狂熱に全身を焼かれ、立っていることもままならないほどの飢餓感と疼きに悶え苦しんでいるその「現実」を味わった瞬間、蓮はすべてを悟ってしまった。
(待って……じゃあ、あのとき……っ!)
あの夜、自分を部屋の外に放り出し、冷たく言い放って去っていった「母様」は、本当は冷酷な神などではなく、ただの自分自身だったのだ。
あのとき、社殿の裏に引っ込んだ「母様」は、独りきりの闇の中で、一体どうしていたのか。
自分と同じように、いや、それ以上に激しい発情の熱と、愛しい過去の自分に対する独占欲と疼きに耐えかねて、一人で床板を引っ掻き、歯を食いしばって身悶えていたのではないか。
「私の血を引く者としてどこまで耐えられるか見届けてやろう」などと気高いセリフを吐きながら、その実、裏の部屋で自分と同じように淫らな嬌声を噛み殺し、来るべき「朝」を震えながら待っていたのではないか。
(うそ……っ、じゃあ、あのときの母様も……っ、あんなにかっこつけておきながら、裏では私と同じように……っ!)
あまりの衝撃と、時を越えた自分自身の「格好つけ」への気恥ずかしさに、蓮の顔は真っ赤に染まった。
かつては絶対的な存在として恐れ、崇め、そして愛に狂わされた「母様」の威厳は、今や完全に崩れ去り、そこにあるのはただ、数千年前の自分と同じように発情の熱に溺れ、一人で悶絶していた過去の自分の「舞台裏」という名の赤面ものの真実だけだった。
「っ……もうっ、なにやってるのよ私……!」
誰もいない境内の片隅で、新しき最強の女神であるはずの蓮は、恥ずかしさと言いようのない甘い熱とにじり悶えながら、自分の白銀の尾で顔を隠した。
かつての自分が味わった苦難も、孤独も、そしてあの夜の恥ずかしい舞台裏すらも、すべてが愛おしい一つの輪廻の円環。
あの恐ろしくも美しく、絶対的な存在として君臨していた「母様」。
冷徹で、容赦がなくて、完璧に気高い神狐としての振る舞い。
そのすべてが、数千年前の自分自身がかつて経験した試練の記憶をトレースし、未来の自分を完成させるために必死に演じ通された「お芝居」だったのだと気づいた瞬間、胸の奥底から込み上げてきたのは、赤面するような気恥ずかしさと、言いようのない愛おしさだった。
(あの人……、いや、過去の私……っ!)
発情の熱に身を焦がしながら、蓮は懐かしい記憶の数々を思い返す。
あの夜、自分を部屋の外に放り出しながら、内心では冷や汗を流し、「うまく冷酷な神狐を演じきれているだろうか」「これであの未熟な小僧のプライドを完璧にへし折れるだろうか」と、裏で必死に震えながら自分の尻尾を噛んでいた過去の自分の姿が、痛いほどありありと脳裏に浮かんでくる。
散々カッコいいセリフを吐いて、悠然と去っていったくせに、その実、次の部屋で同じように身悶えていたのだ。
そう思うと、当時感じていた絶対的な恐怖や絶望すらも、愛おしい滑稽さに塗り替わっていく。
「めちゃくちゃ頑張って『母様』を演じてたわけ……?」
誰もいない境内の夜風に向かって、蓮は思わず乾いた、しかしどこか甘い笑い声を零した。
どれほど神としての位を極め、無数の信徒を導く一柱の女神となっても、結局のところ、自分は最初から最後まで「自分」の掌の上で踊らされていたのだ。
いや、踊らされていたというよりは、自分の果てしないセルフプロデュースを、数千年単位で延々と繰り返していたに過ぎない。
だが、その笑みのあとには、不思議とすっきりとした晴れやかな空気が残った。
発情の熱は依然として蓮の白磁の肉体を内側からジリジリと焼き焦がしていたが、もはやそれは、かつてのように怯えるためのものではなかった。
「母様」という絶対的な庇護者。その圧倒的な背中を追いかけ、甘え、狂わされ、すべてを委ねていた時間は、あの過去への少年の送り出しとともに完全に終わったのだ。
もう、過去の自分を甘やかしてくれる「母様」はどこにもいない。
なぜなら、この時代において、今や「母様」の役目を完全に引き継ぎ、この神域の頂点に立っているのは、他でもないこの自分自身なのだから。
蓮はぐっと背筋を伸ばし、乱れた白銀の長髪を優しくかき上げた。
頭頂部の獣耳がぴんと立ち上がり、背後に広がる九本の白銀の尾が、夜の霊気を鋭く、そして美しく捉えてふわりと大きく広がる。
かつての男子高校生だった脆い面影は、この瞬間に完全に消え去った。
「――ふふ。そうだよね」
蓮は独りごちるように呟くと、血赤色の小袖の裾を優雅に翻し、朱塗りの下駄で玉砂利を踏みしめた。
もはや、誰かの演出した「母様」の幻影に頼る必要はない。
過去の自分が必死に作り上げたあの不器用で愛おしい「神狐の仮面」を、今度は自分が脱ぎ捨てる番だ。
完璧な演技で誰かを導く必要もなければ、誰かに依存して快楽に溺れるだけの存在でもない。
これからは、あの古びた社で孤独に、しかし気高く、我が道を行く真の一柱の独立した神として――。
蓮は満天の夜空に輝く月を見上げながら、どこまでも誇らしく、そして誰よりも艶やかな微笑みを浮かべた。
幾千年の恋文のようだった果てしない輪廻の物語を一人で完結させ、彼女は新しい夜の始まりに向けて、誰の庇護も借りずに、ただ自らの足で歩き出すのだった。