神狐への変容と新たな神の誕生 作:匿名希望
数千年に及ぶ輪廻の円環が閉じ、すべての因果が一点へと収束した静寂の中で、激しい発情の奔流が急激に引き潮のように引いていく。
あの猛烈な熱狂と、世界がひっくり返るような快楽の嵐が嘘のように去ったあと、蓮の脳裏に訪れたのは、底知れぬ冷徹なまでの静けさ――いわゆる、完全に冷めきった「賢者モード」だった。
白銀の長髪を乱し、血赤色の小袖をはだけたまま、蓮は大きな社殿の床板にぺたりと座り込んだ。
頭頂部の二対の獣耳が、気だるげにぴくりと垂れ下がる。
背後に広がる九本の立派な白銀の尾も、すっかり力が抜けてふさふさと床に散らばっていた。
(……待ってくれ)
蓮の琥珀色の瞳が、虚空の一点を見つめたまま完全に据わっている。
脳裏で、これまでの数千年にわたる壮大な人生の軌跡が、猛烈なスピードでフラッシュバックした。
現代の山林で迷い込み、謎の美貌の神狐に襲われ、服を溶かされ、女の子の体に改造され、夜な夜な容赦なく愛撫され、「お前のその肉体がどれほど快楽に溺れやすいかを教えてやろう」と耳元で甘く囁かれ……。
時には最終試験と称して原始の荒野へ放り出され、戦国の乱世を生き抜き、血と祈りの中で必死に神格を磨き上げ、ついに一柱の圧倒的な女神へと登り詰めた。
そして、かつての自分と同じように迷い込んできた男子高校生(=過去の自分)を同じ手順で捕らえ、同じセリフを吐いて同じように神の器へと作り替え、過去の時代へと送り出した。
そこまでの思考を終えた瞬間、蓮の脳内で、パズルのピースが音を立てて完全に噛み合った。
(……これ、冷静に考えたら……)
蓮の美しい白磁の顔が、じわじわと、しかし確実に、沸騰したかんすいのように真っ赤に染まっていく。
(私、数千年前からずっと……自分自身と延々と交わり続けていたってこと……!?)
ショックのあまり、声にならない悲鳴が喉の奥で詰まる。
「母様」という絶対的な存在。
圧倒的な神威と艶やかな色香で自分を狂わせ、夜ごとに濃厚な霊力を注ぎ込み、雌としての快楽を脳髄の芯まで刻み込んできた、あの忌まわしくも愛おしい「主」。
その正体は、未来からタイムスリップ(あるいは因果のループ)してきた、未来の自分自身にほかならなかったのだ。
つまり、あの夜の濃密な交わりも、逃れられない発情の狂熱も、処女を散らされたあの屈辱的で甘美な儀式も――すべては、過去の自分が未来の自分の幻影(あるいは未来の自分の残したシステム)を相手に勝手に暴走し、勝手に感じ、勝手にイッていただけの、「時空を超えた壮大な一人遊び(自慰)」だったということになる。
(嘘でしょ……? じゃあ何?
私、何千年もかけて、自分で自分を開発して、自分で自分を牝に落として、自分で自分を愛し抜いて、一人で完結してたわけ……!?)
あまりの真実に、気高い新しき女神の尊厳が音を立てて崩れ去っていく。
あれほど神聖に、あれほどドラマチックに捉えていた「母様との愛欲の歴史」が、客観的な視点を得た途端、世界で最もスケールが大きくて、世界で一番恥ずかしい「セルフ・オナニーの無限ループ」に成り下がってしまった。
(しかも、あのとき「お前が自らの体に刻まれた獣の理にどこまで耐えられるか見届けてやろう」とか言って部屋の隅でカッコよく去っていった私、次の部屋で一人でめちゃくちゃ発情して悶絶してたんでしょ……?
なにやってんの私! バカなの!? 馬鹿すぎない!?)
思い出すだけで、自分の過去の「中二病全開の演出」と「自己陶酔のセリフ回し」に全身の穴から湯気が吹き出しそうになる。
完璧な神狐を演じるために、わざわざ冷徹な声を出し、わざわざ冷たく言い放って別室に引っ込み、裏で一人でクッションを抱きしめて歯を食いしばっていた自分の姿を脳内再生した瞬間、蓮は恥ずかしさのあまり両手で顔を覆い、畳の上で盛大に転げ回った。
(もうやめて……! 誰か私を殺して……! いや、もう人としては死んでるようなもんか、神だし……っ!)
どれほど神格を極めようとも、どれほど圧倒的な神威を纏っていようとも、この「賢者モード」で導き出された真実の前には、ただの赤面ものの黒歴史しかなかった。
数千年の愛欲も、神話の荒野での苦難も、すべては「自分大好きすぎる脳内おままごと」の壮大なスケールアップ版でしかなかったという現実が、蓮の精神を激しく打ちのめす。
しかし、どれほど頭を抱えて悶絶しても、体感した快感の記憶も、作り変えられた肉体の構造も、すべて本物だった。
自分の手で自分をここまで開発し、完璧な「女神の器」へと調教し上げてしまったのは、まぎれもなく過去の自分(=未来の自分)なのだから、文句の言いようがない。
蓮は大きな深呼吸を一つし、真っ赤に火照った顔をようやく両手から離した。
トロンと潤んでいた琥珀色の瞳は、賢者モード特有の達観した、どこか冷めた光を帯びている。
「はぁ……もう、どうしてくれよう……この黒歴史……」
蓮は大きな社殿の床板にその場へペタリと座り込み、白銀の長髪を両手でくしゃくしゃとかき乱した。
どれだけ時代が流れようとも、どれだけ神格が高まろうとも、このループから抜け出すことはできない。
なぜなら、自分が過去の少年の背中をあの闇へ突き飛ばした瞬間から、また次の数千年にわたる「自己調教の輪廻」が確実に始まってしまうのだから。
自分が過去の自分を「母様」として愛し、愛され、そしていつかその立場を継承する。
この宇宙の理そのものが、自分の快楽と変容を延々と再生産し続けるための、巨大なセルフプレイの装置としてデザインされていた。
だが、不思議と怒りや絶望は微塵も湧かなかった。
むしろ、数千年にわたる孤独な神の営みのすべてが、自分自身への強烈な執着と愛着で満たされていたことに気づいた今、押し寄せてくるのは、あまりの自作自演っぷりに対する乾いた笑いと、どうしようもない気恥ずかしさ、そして――どこか底抜けに満たされたような奇妙な充足感だった。
「……まあ、いいか」
蓮はふっと息を吐き出すと、朱塗りの下駄を脱ぎ捨て、大きく伸びをした。
冷め切った頭で周囲を見渡すと、先ほどまで恐ろしく感じていた境内の静けさが、今はひそやかに自分のプライベートな部屋のように心地よく感じられる。
もう二度と、あの過剰な「母様ごっこ」を真面目な顔して繰り返す気にはなれないが、自分が自分にとっての最高のパートナーであり、最大の被害者であり、そして唯一の理解者であったことは事実だった。
蓮はゆっくりと立ち上がり、乱れた小袖を整え、九本の白銀の尾を上品にまとめ直す。
賢者モードの冷徹な思考の裏で、下腹部の奥には相変わらず微かな名残の熱が残っていたが、もはやそこに惑わされるような未熟さはなかった。
「さて……。もう誰も私を『母様』なんて呼んでくれないんだし、これからは完全に私オリジナルの人生を生きてやろうじゃないの」
誰の演出も入らない、完全なアドリブの未来へ向けて。
数千年のセルフ・ループを完結させた女神は、二度と過去を振り返らないとばかりに、朝の光に包まれた境内へと毅然とした足取りで歩き出した。