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お金がない。足りない。
そう感じたのは、チャンピオンになってから暫くのことであった。
大きな大会予選などもないシーズンでは、賞金を得るのはもちろん、野良バトルで稼ぐことも難しくなる。
仮にも本選出場者、チャンピオンということもあって中途半端に知名度が上がったのも良くなかった。
金銭を賭けたフリーバトルは断られることもしばしばであった。
チャンピオンは当然、スタートレーナー相応の待遇は受けることができる。
ヤリモン所持数制限の緩和などの特権のほか、独り暮らしはおろか、贅沢しなければ4人暮らしの家計を一人で支えることができるだけの俸給はあった。
……しかし、あくまでそれだけだ。
捕獲したヤリモンの飼育費用は数が多いだけかかってくるし、加えて膨れ上がった交際費を賄うにはあまりに心許なかった。
ゆえに、ミズキちゃんのようにバイトをしたり、ルナ博士やヴリトラ博士のように、副業或いは本業を持つスタートレーナーも少なくない。
が、しかし、チャンピオンにはスタートレーナーとは別個に、様々な義務業務が課される。
例えば、行方不明のトレーナー捜索への協力や、トレーナーの学府たるジムの視察・指導、警察では手に負えないレベルのヤリモンが人里に降りてきた際の撃退や、青少年トレーナーへの教育を目的とした講演会など、その業務範囲は多岐にわたる。
それらに対してもいくらかの成功報酬は出たが、安定した収入源とはいいがたい。
ゆえに、歴代チャンピオンは企業とスポンサー契約を結んで、仕事の片手間に広告収入を得ることが多かったと聞く。
……が、残念ながら僕に人気は期待できない。
前チャンピオンのアテナさんが人気なのも相まって、その座を奪った僕にはむしろアンチの方が多い始末であり、手を挙げる企業は皆無であった。
限られた時間で色々な副業案も試してみたが、どうしても時間が取れなかったり、色々トラブルに遭ったりやらで中々長続きしなかった。
交際関係にあった女性の中には、マキを始め資産家もおり、中には籍を入れようと提案してくれる人もいた。
しかしそうなれば肝心のお財布を握られるのは確実で、他の子達との交流を制限されることを恐れた僕は尻込みしてしまった。
マキも遠坂グループからの公的な援助を引き出そう頑張ってくれていたが、幹部の猛反対に遭い立ち消えになってしまった。
そんな八方塞がりの折だった。
彼女、「西園寺ユメ」から、ヤリモンバトルの
彼女は人気アイドルユニット「ヤリスターガールズ」のメンバーであり、遠坂グループと双璧をなす「西園寺グループ」の令嬢でもある。以前から多少の
そんな彼女から提示された雇用条件は週二回、実働2時間の指導で、週給は手取りで100万オーバー。交通費、宿泊費は別途支給。福利厚生は盛り盛りといった破格のもの。
これらに加え広告料どころか、大会関連物品の支給まで行うともいう。
かくして、僕は万年金欠チャンピオン生活から解放されたというわけだ。
指導を始めてから約1年、大した指導もしていなかったが、彼女はヤリモンバトルにおけるスランプから完全に復調した。
元々の確かな下地もあってか彼女はトレーナーとしての才能を開花させ、スタートレーナーの仲間入りを果たした。
そして今年の大会予選では、2年前のイベント試合では歯の立たなかった強豪マキを相手に快勝し、本選に出場。初出場でありながら、ベスト4入りを果たす快挙を成し遂げた。
トーナメントで倒した相手も、相性不利の炎使いの桃姫さんと、相性有利ではあったものの優勝候補の一角であったタイガさん、といった錚々たる面子だ。
負けてしまった相手も
3位決定戦にてタマちゃんに敗れたりはしたものの、アテナさんとの死力を尽くしたバトルの後ならそれも止む無し。消耗がなければ、どちらが勝っていたかは分からない。そのくらい拮抗した実力差だったと思っている。
かくして、彼女はスタートレーナーとしての鮮烈なデビューを飾ったわけだ。
一方のマキは、僅差ではあるが今年の本選出場は適わず、予選敗退。
その後開催された、下位リーグ(Bリーグ)で優勝を果たすあたり、マキも流石の実力だが……
そんな因縁のある二人が今、このパーク内で相対している。
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(……しかし、マキを連れて行った遊園地がよりにもよって西園寺グループの直営だったなんて……)
どおりでマキがパーカー姿に変装してきたわけだ。
西園寺グループとマキが代表を務める遠坂グループは、互いに唯一といっていい
いつもの姿のまま来ていれば、偵察目的として事情を知るスタッフ達に確実に警戒されていたかもしれない。
(まぁ、堂々と偵察するのもマキらしいと言えばそうなんだが……)
時折表情を曇らせていたのは、自分の経営する遠坂ドリームランドのシェアを奪われかねないという焦りからか……。
(休ませるつもりが、余計な心労を増やしてしまった、かも……)
ピリピリと静かに牽制しあう二人を見て、そう思うほかなかった。
「そういえば、今日はマキさん、とてもラフな格好ですね。……遠坂グループ以外の遊園地だからって別に遠慮されなくてもよろしいのですよ?」
「……ッ、そういう日もあるのよ。そういうアンタも、凄い恰好ね」
ユメちゃんからの服装の指摘に、マキも負けじと言い返す。
ユメちゃんはキャストを兼任しているからか、いつものアイドル衣装と比較しても随分と豪奢なお姫様然としたドレスを纏っている。
コルセットで締め上げた腰のくびれと、腰から下のドームラインの豊かな広がりのコントラストが眩く感じた。
「フフ、ところで太郎先生、この衣装は私に似合っていますか?」
「え?あ、ああ、凄く似合っているよ。なんだか本当のお姫様みたいだね。」
ユメちゃんからの突然のパスに、取り敢えず素直な所感を答えた。
「ウフフッ//……だそうですよ、マキさん。せっかくの逢瀬なら、殿方の目を楽しませる服装をなさってみては?」
「……ッ」
「衣裳のレンタルも御座いますよ♪」
マキからジロリと睨まれてしまった。
対するユメちゃんはアルカニックスマイルを浮かべたままだ。ちょっと言い過ぎの気もするが……。
「いつでもお客様に、最高のおもてなしと「非日常」を、が当園のモットーですので……。太郎先生が来られるならなお一層気合が入るものです。」
「……「非日常」は兎も角、最高のおもてなしの割には、随分粗末な警備体制ね。」
「…おっしゃる通りです。ご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした。これから鋭意改善していきます」
マキの苦言に対し、言い訳はせず深々とマキと僕に頭を下げるユメちゃん。
あの黒髪の子にも何度も謝っていた。
本日幾度目かの謝罪だ。
「いや、僕は別に……」
「……精進しなさい」
素直にユメちゃんが謝罪すると、マキはそれ以上追求しない。
彼女もまた経営者だ。テーマパークの安全確保は一朝一夕で成らないことはよくわかっているのだろう。
そのための、問題点を洗い出すためのプレオープンなのだ。
実害が出そうになったのは非常に問題ではあるが、結果的に言えば未遂で済んだ。改善する余地はある。
ーーそういうことにしておく。
私情を切り離し、相手に塩を送ることも厭わないマキの誠実さを、僕は尊敬している。
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「このエリア一帯のハーブ園は当園の秋の名物ですの」
「……なんでアンタも着いてきているのよ」
マキがジト目を向けながら不快感を露わにするのも無理はなかった。
僕とマキ、そして豪奢なドレスの裾を軽やかに揺らすユメちゃん。その後ろを、2.5メートル級の巨躯を誇る無言の着ぐるみマスコットたちが数体、護衛よろしく等間隔でズシンズシンと追従してくる。どう見ても一般のデート客が醸し出す空気ではない。
すれ違う招待客たちが「お姫様だ!」「な、何事……?」「あの方、もしかして西園寺の……?」等々ざわつきながら、慌てて道を開けていく始末だ。
そんな異様な大名行列の先、僕たちの前に現れたのは、視界いっぱいに広がる鮮やかな緑と、心地よい風が運んでくる清涼な芳香の園だった。
「ここは『ボタニカル・オアシス』――当園自慢の植物園エリアですわ」
ユメちゃんが得意げに胸を張り、ドレスの袖を広げて案内する。
石造りの優美なガゼボやテラコッタの小道が張り巡らされた広大な敷地には、キャットミントやラベンダー、セージといった多種多様なハーブ類が青々と生い茂っていた。
どこを歩いても鼻腔をくすぐる爽やかな香りは、先ほどの騒動で逆立っていた神経をふっと和らげてくれる。
「落ち着く香りだね。一面のハーブ畑ってだけでも相当見応えがあるよ」
「ええ。ですが太郎先生、これらはただの観賞用ではありませんの。……足元をよくご覧になって?」
ユメちゃんに促され、小道沿いに茂るハーブの根本に視線を落とす。そこには、綺麗に剪定され、支柱に結わえられた無数の瑞々しい木本植物――見覚えのあるトゲを持つ枝が、規則正しく並んでいた。
「これって……バラの木?」
「その通りです。」
ユメちゃんの話によると、今咲き誇っているハーブたちは、すべてバラの『コンパニオンプランツ』。病害虫を遠ざけ、土壌の環境を整えるために計算されて混植されたものらしい。
バラの方は、今はまだ硬い蕾のものがほとんどだが、一か月後のグランドオープンの頃には満開を迎えるようだ。
(グランドオープンの時には是非フレアも連れて行ってやらないとな……)
感嘆の声を漏らす僕の横で、マキは腕を組み、鋭い経営者の視点で敷地内をスキャンするように見渡していた。
「……開花調整の手間も、これだけの本数の手入れにかかる人件費も並大抵じゃないわね。害虫対策に農薬を乱用せず、あえてコンパニオンプランツで生態系を作って株を維持する……。西園寺グループが本気でこのパークを長期的なフラッグシップに育てるつもりなのは、よく伝わってきたわ」
「あら、天下の遠坂コーポレーション代表にそこまでお褒めいただけるとは光栄ですこと」
「……精々、ハーブに園内を乗っ取られないように気をつけなさい」
ふふっ、と鈴を転がすように笑うユメちゃん。
マキも張り合うような毒気は一旦引っ込め、一人の事業家として冷徹に相手の手腕を認めている様子だった。
さらに奥へと進むと、風に乗って爽やかな花の香りだけでなく、観客の歓声や聞き慣れたヤリモンの咆哮が混ざり合って聞こえてきた。
ここは園内にいくつか存在する『ヤリモン交流エリア』に指定されているらしい。スターディスクからヤリモンを解放するのも自由だ。
「あっち、バトルやってるぞ!」
「すごい!あんな連続技を綺麗に決めるなんて…!」
広場の中央には簡易的な円形フィールドが幾つか設けられており、スターディスクからヤリモンを解放したトレーナーたちが思い思いに楽しんでいた。
一般の招待客同士が手持ちのヤリモンを繰り出して和気藹々とフリーバトルに興じているスペースもあれば、ひときわ人だかりができている一角もある。
見れば、パーク専属のコスチュームに身を包んだアクターたちによる「バトル体験イベント」が開催されているようだった。
「さあさあ、次はどなたが挑戦されますか!?我こそは、と腕自慢のお客様のお相手、この 私が務めさせていただきますよ!」
別エリアから来たアクター達が派手なマイクパフォーマンスで場を盛り上げ、観客席の子供から大人までが我先にとディスクを掲げている。
繰り出される数々の技やヤリモン同士のぶつかり合いは迫力満点で、ショービジネスとガチバトル特有の熱気が絶妙な塩梅で融合していた。
「……プレオープンでここまでの熱気とはね…客層の動線管理は中々じゃない。エリアの広さも相まって、今後更なる拡張も期待できるわ」
「ただ、火気にはもう少し注意を払いなさい。植物に引火する程度なら兎も角、バックヤードの農薬や肥料に引火したらスプリンクラーでは止めきれないわよ」
「御忠告痛み入ります。……マキ様は相変わらずお優しいのですね」
「……期待しているだけ、よ」
マキはサングラスの奥の瞳を細め、ライバルの手腕を冷静に分析しながら呟いた。
物心ついた時からヤリモンを育成し、その可能性を知り尽くしているマキだからこそ、この広場の今後の期待値の高さ――客がどれほど夢中になっているかが痛いほど分かるのだろう。
だからアドバイスを送ることも厭わない。
「そして、お堀の向こうに聳え立つあの建物が、当園のシンボル『ユートピア宮殿』ですわ」
「えっ、凄……」
堀の前で僕は歩みを止めて、思わず感嘆の声を漏らしていた。
華麗を極めた宮殿の優美さを体現したかのような白亜の巨城――。
天を突くように幾重にも連なる尖塔の青銅色の屋根が陽光を反射して青白く煌めき、白大理石を削り出したかのような優美な列柱と幾何学模様のアーチが、見る者を圧倒する威容を誇っていた。
壁面には細やかなレースを思わせる浮き彫り細工が施され、高層部の回廊にはステンドグラスが嵌め込まれて、まるで本物の王族が居を構える古城の歴史と風格をそのまま現代に切り取ってきたかのようだ。
そして何より驚いたのは、今僕たちが歩いているこの広大なハーブ園そのものが、城の低層部に張り出した広大な城壁上部――巨大な空中バルコニーの上に築かれた庭園だったということだ。
(いくらなんでも、
「グランドオープンの際は、宮殿内部を案内するツアーもご用意しています。是非、いらして下さいね?」
「え……!?」
さらっと内部も作られていることを教えてくれるユメちゃん。
流石にハリボテだろうと思い込んでいただけに、衝撃が大きかった。
呆気に呆気にとられてしまった僕と、静かに瞠目するマキの様子を横目に、ふとユメちゃんが足を止めて振り返った。
「太郎先生、マキ様。ご招待客限定のスペシャルチケットの特典についての説明は職員より御座いましたか?」
「え?あぁ、アトラクション代と食事代が無料になる奴だよね。あ、あとファストパス機能もか」
「……それだけではございません」
「お二人にアレを」
そうユメちゃんが指示を出すと、後ろに控えていたマスコットキャラ達が、懐のポーチをまさぐって何かを取り出し、渡してくれた。
「……それは、マスク?」
それは、目元を隠す2枚のマスクであった。
丁度先程ユメちゃんが着けていた、貴族が
「当園のプレオープンは、一般の皆様には20時をもって一旦閉園となります。」
「……ですが、お二方がお持ちのその『スペシャルペアチケット』をお持ちの招待客の皆様には、20時以降、こちらの『交流エリア』にて特別なプレオープン限定イベントをご用意しております」
「……プレオープン限定イベント?」
「えぇ。ヤリモンバトルを通じて、他の参加者様やスタッフ達と交流を行うといった趣旨なのですが……」
「お二人とも、ご参加のほどは如何がされますか?」
ユメちゃんがにこやかに微笑みながら、そう問いかけてきた。
そして、僕の耳元でそっと……
「……凄く刺激的なことが、待ってますよ」
「////ッ!?」
滅茶苦茶艶っぽい声で耳打ちしてきた。
(なんだ、凄く刺激的なことって…)
「…どうする、マキ?」
努めて平静を装い、マキに尋ねる。
自分はスポンサーをやってもらっている立場だから別に構わないが、マキからすれば敵対グループ主催の、どちらかと言えばアウェーな空間になるだろう。
というか、そもそもマキの予定次第では、もっと早く帰らないといけないかもしれない。
少なくとも、ここの選択権はマキにあるだろう。
「……、マキ?」
「……………。」
マキは、静かにユメちゃんの目を見つめていた。
ユメちゃんも、マキの目を見つめ返していた。
その顔からは、いつの間にか柔らかなアルカニックスマイルが消えていた。
その目に宿るは、勝負師として研ぎ澄まされた光。
二人の間に風が吹いた。
「受けるわ」
静かで剣呑な雰囲気の中、マキは意を決してそう言い放った。
「御主……アンタもそれでいいわよね?」
「うん、良いよ」
「フフ、お二人ともご参加ということでよろしいですね?」
コクリとうなずくマキ。
「とても…とっても楽しみに待っています。」
そう答えて、ユメちゃん恭しく一礼した。
そうして、着ぐるみ軍団を引き連れ、スタッフ以外立ち入り禁止の、お堀の向こうの宮殿へと姿を消していった。
「…執事に電話するわ。……気合の出る服、用意してもらわないと」
僕は僕で、総帥やチケフレアに遅くなると連絡しなければならない。
一旦、マキとは別行動を取ることにした。
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午後8時、園内放送で閉園のアナウンスが流れる。
夜の帳がおり、昼間あれだけ人がごった返していたメインストリートも、今は清掃組のスタッフが残るだけだ。
ボタニカル・オアシス周辺も、園内に残った客がいないかを探すためか、スタッフが巡回していた。
そのスタッフ達に、スペシャルチケットを見せると、快く会場まで案内してくれた。
「
会場は、『ユートピア宮殿』の中庭。
どうやら、『特別イベント』では、宮殿が解放されるらしい。
案内されるまま、橋と城門を超えて、中庭に歩みを進める。
広い中庭の中心には、大規模な会食会場が用意されていた。
四方の城壁からライトアップされ、周囲には、スーツ姿の紳士や、ドレス姿の貴婦人が会話に華を咲かせている。
どこかで見知ったような、インフルエンサーや芸能人の姿も散見される。
そして、彼ら彼女らは一様にマスクを身につけている。
その更に周囲には、如何にもシェフ然とした料理人たちが、贅を尽くした料理を作っている。
(うわ、あそこの鉄板で焼いているステーキ滅茶苦茶美味しそう…!)
「こっちよ」
美味しそうな食事に目移りしていると、朝の焼き直しの様に、聞き覚えのある声に話しかけられた。しかし、その恰好は昼とは全く異なっていた。
「マキ、その恰好は」
仕立ての良いカフス付きの長袖白シャツと、赤い胸リボン、赤いプリーツスカート。いつもの、本来のマキの服装だ。
「勝負服よ!」
(毎日が勝負、ってことかい……)
「そういうアンタは、そのまんまの格好か……」
「この格好だと寒くなっても平気だしね……」
アーミーグリーンの生地に浮かぶ、右肩の西園寺ロゴを憎々し気に睨むマキ。
キャンプ用品のブランドだけあって、寒暖差への対応性能は半端じゃない。
自分のようなファッションに無頓着な人間は、便利で着心地のいい服装に慣れてしまうと、それしか着なくなってしまうのだ。
「……アンタもそこのトイレでこれに着替えてきなさい」
「え…!?」
マキが左手のガーメントバックを寄越してきた。
中には仕立てのいい、周囲の紳士たちにも見劣りしない、シンプルながら高級感のあるスーツ。
……鮮やかな紅色のネクタイといい、シャツのカフスの意匠といい、なんだかマキとのペアルックのような…?
「いや、僕は……」
「せっかく用意したんだし、着てもらわないと荷物が増えて困るわ」
「えぇ……(困惑)」
マキは一歩も引かない様子だ。
「……あら、太郎先生、マキ様。ご機嫌麗しう。」
半ばトイレで強引に着替えさせられようとしていたところ、もう一人の見知った相手に声をかけられた。
「おお、西園寺、ユメ様……」「今日も麗しい」「どうか今後とも弊社をよしなに……」
そうやって群がる紳士淑女に挨拶しながら、ユメちゃんは徐々にこちらへ近づいてくる。
元々目立つ衣装とティアラが更にライトアップされて、とても眩しい。
「マキ様、文字通りの『お仕着せ』は良くありませんよ?」
「アンタに言われたかないわよ……」
「あら、太郎先生は自ら進んで着てくださっていますわ。」
「それは、コイツがファッションに無頓着だから…」
「ファッションに無頓着イコールこだわりがないわけではありませんわ。太郎先生は着心地と実用性をとても重視していらっしゃいます」
「………!」
「誰しもが、貴女のように「お洒落は我慢」の時代ではないのですよ」
(物は言い様だな……)
だが、実際その通りかもしれない。
正直、高いスーツを着て汚れないように肩肘張るよりかは、最低限無難で、肌触りが良く、多少雑に扱っても壊れない服の方が性に合っている。
加えてどれだけ泥だらけになっても。普通洗濯できれいに元通りにできるあたり、この服は手入れが簡単で便利なのだ。
なにより、同じデザインの服をたくさん用意してくれているから、出掛ける時にいちいち着ていく服装に迷わずに済む。
「……盗人猛々しいわね。そのアパレルブランドだって、うちのグループとの提携交渉中に横やりを入れて奪った癖に」
「えっ、そうなの?」
「――あら、マキ様。勝負は早い物勝ちなのですよ?」
ニヤリと不敵に、ユメちゃんが笑った。
そのまま横を通り過ぎて、マイク片手に会食会場正面の仮設ステージに上がる。
会場全体の視線が一瞬で彼女に釘付けになる。
「紳士、淑女の皆様。ご機嫌よう」
「当園総支配人の、西園寺ユメです。」
「本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。」
「挨拶もほどほどではございますが、待ちきれないという方もいらっしゃるという事で」
「ーーーでは、早速」
「『
おまけ
フッ太の心の声
(やばい、チケフレアからめっちゃ鬼電かかってる……!取り敢えず、総帥に連絡して説明してもらうか……)
なんだかんだマキちゃんは優しいです。彼女の性格を踏まえて、ユメちゃんに対して思いついた苦言の8割くらいはお蔵入りになりました。
これがカナタちゃんとかだったら、「総支配人とか、親の七光りで成れただけの癖に」とか言っちゃいそう。(どの口が)
なお、現在()
フッ太くんの以前行っていた副業については、また別の機会に書きます。