さあ行け、しなやかな藺草の茎でこの男の腰を巻き、その顔を洗っていっさいの汚れを落としてやれ。悪夢に曇った目で、天国のお使いの中の第一等の方の御前に出るわけにはゆくまい。
ーダンテの神曲・煉獄編第1章第93節〜95節ー
エミが届けたカフェで一人、ダイナー席でブラックコーヒーを飲む私服姿のジョウジはポッケから小銭を取り出しダイナーへと置いた。
「ご馳走さま」
そう言ってジョウジは店の外に出ると多くの人達が行き交う光景を見ながら大きく溜息を吐いた。
「フランスへ行きたい。でも今の状況じゃまともに貯金も出来ない。かと言って国籍が変わっていない俺じゃ給料が高い正社員にもなれねぇーしなぁ」
落ち込むジョウジはズボンのポケットから折り畳んだパリの写真が付いた絵ハガキを眺める。
するとスラム街の大通りをゆっくりと走るトラックの荷台に立つ男性がスピーカーで人々に呼び掛けいた。
「スラム街に住む皆様!現在!
スピーカーから流れた報奨金の額にジョウジの体に電気が走った。
「なっ!何⁉1000万ドルだと‼」
ジョウジはすぐに眺めていた絵ハガキを折り畳み、ポッケへと入れると駆け足で
支社駐車場へと着いたジョウジは驚愕する。トラックからの知らせを聞いた多くのスラム街の人々が集まり、列を成していた。
「こいつは凄いなぁ。皆、1000万ドルを目当てに集まったのかぁ」
ジョウジはそう言いながら列へと並び応募用紙を受け取ると早速、生年月日、年齢、職歴を書き込み提出した。
そしてジョウジは結果を待つ為に壁に背を預けて体育座りをする。
「さぁてと、結果はどうなる事やら」
「あれ!ジョウジじゃない」
聞き覚えのある声にジョウジは顔を向けると、そこには私服姿のユイ、リエ、ジュンコの姿があった。
「ユイ、リエ、それにジュンコさん。もしかして皆も応募を?」
ジョウジの問い掛けに三人は笑顔で頷く。
「そうよジョウジ。ボク、1000万ドルを手にしてフランスへ移住するのよ」
「アタシも。こんな国をさっさと出ててフランスの田舎で静かに暮らしたいの」
「私もよ。娘のユイを連れてフランスに行ってパリで穏やかに暮らす為にね」
ユイ、リエ、ジュンコの願いにジョウジは感心を持った。
「へぇーーーっ奇遇だねぇ。俺もフランスへ移住する為に今回、応募したんだ。後は結果を待とう」
ジョウジがそう言うと三人は笑顔で頷き、ジョウジの近くで待つ事となった。
三十分後には応募の申し込みは締め切られ、支局長直々に駐車場の一角にある事務室で審査を行った。
「ふーーーーん、なるほど。こいつらなら上手くやれるかもしれないなぁ」
デスクに座り応募用紙を手に支局長はトラック運転手を選び抜き、デスクから立ち上がり、外へと出た。
そして集まった人達に向かって大声で名前を挙げた。
「マリオ!ジョー!ルイージ!ビンバ!ドミンゲス!セラーノ!マルティネス!ニーロ!ジョウジ!ユイ!リエ!ジュンコ!以下の者はここに残れ!その他の者は残念ながら帰ってくれ!」
支局長からの通告に集まった人達はゾロゾロと帰って行き、駐車場にはジョウジ達を含めた十二人が残る事となった。
「それで、俺らは何を運ぶんですか?まさか不法入国者じゃないですよねぇ」
「それとも麻薬ですか?悪いけど、俺たちゃ悪事に手を染めるのは嫌ですからね。あ!でも美女の運搬なら考えてもいいですけど」
ルイージとビンバの軽いジョークに残った者達は笑い合うと支局長は少し強めに言った。
「運ぶ物はかなり危険だ!それも慎重に運ばないと命の危険がある物だ!」
「それで、その危険な物って何ですか?」
ドミンゲスからの問い掛けに支局長はポッケから小さな液体が入った小瓶を取り出し、皆に見せた。
「これだ」
「何ですか、それは?見たところラム酒の様に見えますが」
マリオがそう言うと支局長は何も言わずに何も無い開けた場所に向かって小瓶を投げ、地面に落ちた瞬間、物凄い爆発と白い煙が上がり皆は壮絶とする。
「ニトログリセリンだ。こいつを使って西に333マイルにある我が社の石油採掘施設で起きている火災を鎮火する為の爆風消火に用いる。無論、そこまで行くまでの道は悪路同然だ。少しの振動でも爆発する」
「ニトロだと⁉︎おい!あんた!まさかそれをトラックで運ぶってのか?」
強い口調で問い掛けるジョーに対して支局長は頷く。
「そうだ。ヘリでの運搬は困難と考え、陸路での運搬となった。他に質問は?」
支局長が問い掛けるとセラーノ、マルティネス、ニーロはゆっくりと駐車場の出入り口へと向かった。
「悪いが俺は降りるぜぇ。いくら何でも危険過ぎるからな」
「俺もだ。1000万ドルは惜しいが、命が無いんじゃ意味がねぇーよ」
「ダイナマイトならまだしもニトロは論外だ。悪いが帰るよ」
セラーノ、マルティネス、ニーロは支局長に通り去り際にそう言い残し、去って行く。
すると四人に釣られる様に他の者達もボソボソと運搬の荷の重さを言いながら駐車場を去って行き、最終的にジョウジ達だけが残った。
「なぁ!報酬の1000万ドルの他に要求してもいいか?」
ジョウジの問い掛けに支局長は頷く。
「構わんよ。金以外なら」
するとジョウジは立ち上がり、支局長へと近づく。
「それじゃパスポートと航空券を大人四人に子供一人の五人分。行き先はフランス。それと移住許可証と国籍取得証もだ。無論、人数はさっきと同じ五人分だ。用意して貰えるなら俺らは今回の仕事を引き受ける」
ジョウジからの要求に支局長は彼を見ながら少し考え、答えを出した。
「いいだろう上と掛け合っておく。受け取りは運搬完了時で構わないなぁ?」
「もちろん。頼んだぜ」
笑顔でそう言ったジョウジは支局長と契約成立の握手をする。
その様子を見ていたユイ、リエ、ジュンコは喜びの笑顔を見せる。
「上手く行ったようね。これでボク達はようやくフランスに行けるわ」
「ええ。色々あったアタシらだけでど、これで何とかなる様ねぇ」
「エミもきっと喜ぶは。夢にまで見たフランスへ行ける事に」
危険と分かっていながら藁にもすがる想いで希望を手に掴んだ事に喜ぶユイ、リエ、ジュンコであった。
⬛︎
そして支局長からしばらく間は一社員である為、社員証を受け取ったジョウジ、ユイ、リエ、ジュンコは早速、ニトロを運搬する為のトラックを見る事となった。
「こいつは!何とまぁー
用意されたトラックを見て呆れてしまうジョウジ。それもそのはず、なんと用意されたトラックは全て走行不能と言わざる負えないボロボロに破損したスクラップであった。
「おい支局長さんよ!動けるトラックは他にないのか?いくらなんでも廃車はねぇーだろ」
ジョウジがそう言うと支局長は呆れた様な表情で首を横に振った。
「会長の意向でねぇ。経費は出来る限り少なくしたいと」
アリナの意向にジョウジは大きく溜め息を吐いた。
「どうする?ジョウジ。トラックが無いんじゃ運搬は出来ないわよ」
ジョウジの右側に立つリエからの問い掛けにジョウジは少し悩み、答えた。
「仕方ない。状態を探って修理出来るトラックを見付けるしかない」
そう言ってジョウジは用意された廃車となったトラックの状態を探り始めた。ハンドル、サスペンション、エンジン、駆動系などの状態を確かめたジョウジは一台のトラックを選んだ。
「こいつにしよう。こいつだったら破損している箇所を修理改修すれば動けるはずだ」
ジョウジが選んだのは陸上自衛隊が使っている四輪駆動式輸送トラックの56式トラックであった。
すると支局長が手に持つ物をジョウジ達に差し出した。
「作業服と社員証だ。しばらくは皆はうちの社員だからな」
「ありがとうございます」
ユイはお礼を申し上げながら支局長が持って来た作業服と社員証を受け取ると皆に配り、作業服を重ね着した。
早速、ジョウジ達は廃車となった56式トラックの修理と改修の作業を開始した。エンジンの汚れ落としと修理、オイル交換、サスペンションやブレーキング、ギアチェンジなどは新品同然の中古品と交換、タイヤ交換、駆動系の修理、細かい箇所の改修が夜通し、降りしきるゲリラ雨の中で行われた。
暑さで汗を流しながら体力を消耗させる中でエンジンの修理が終わり、再び力強い音を鳴らし始めた。
そんな最中の夕方、荷台ではジョウジとジュンコが何かの作業をしており、そこに別作業を終えたユイとリエが現れる。
「ジョウジ、アクセルとブレーキの交換作業が終わったわ。ん?それ何なの?」
リエの問い掛けにジョウジは作業をしながら答えた。
「こいつは即席の衝撃吸収台だ。板と板の間に仕込んだバネが揺れを吸収する仕組みだ。とは言っても気休めだけどなぁ」
「へぇーーーーーっやっぱりジョウジって凄いわねぇ」
ユイからの褒め言葉にジョウジは少し照れる。
「まぁーな。あ!そうだユイ、夕食に行くついでに今回はかなり距離だから街に行って必要な物を買って来てくれ。缶詰とか寝巻きとか」
そう言いながらジョウジはポケットから二枚折りにした紙をユイへと差し出す。
「分かったわ。他に何かないかしら?」
紙を受け取ったユイからの問い掛けにジュンコが答えた。
「それじゃ隣人のアヴィラおばさんに預けたエミの様子を見に行ってもらえませんか?あの子、たぶん帰りが遅いから寂しがっているかも」
「分かりましたジュンコさん、アタシとユイで見て来ますから。行きましょうユイ」
リエが笑顔で声を掛けるとユイも笑顔で頷く。
「ええ」
ユイとリエは駐車場を出てスラムへと向かう側で残ったジョウジとジュンコは引き続き作業を続けるのであった。
⬛︎
ジョウジがコーヒーを飲んでいたカフェで夕食を終えたユイとリエはスラムで唯一の雑貨店へと向かった。
「えーーーと、主食と果物の缶詰と水、それと」
ジョウジから渡された紙の内容を見ながら床に置いた買い物篭へ手に取った商品を入れて行く。
一方のリエは会計台でマチェットを手に取り眺めていた。
「ふーーーん、いいマチェットねぇ。じゃあこれを二本に野宿用の寝巻きも頂戴」
リエが台を挟んで前に立つ男性店主は笑顔で頷く。
「あいよ。ちょっと待ってねぇ」
そう言って店主は店の奥へと向かう。それと同時にどっさりと入った篭を会計台へと置く。
「リエ、目当ての物はあった?」
「ええ、あったわ」
「後は領収書を貰ってエミちゃんを見に行くだけね」
「ジュンコさん、今回の仕事の事はエミちゃんに教えていないのかしら?」
ユイの抱いた疑問にリエは頷く。
「恐らく話していないでしょうね。ニトロを運ぶんだし、心配させたくないよきっと」
「だよねぇー」
二人が会話をしていると店の奥から店主が折り畳んだ四枚のアメリカ製アーミーブランケットとその上に鞘に収まった二本のマチェットを持って現れ、それを会計台へと置く。
「はい、頼んでいたやつだよ」
「おじさん、悪いんだけどこれも一緒に会計をお願いします。あと領収書も」
ユイがそう言うと店主は笑顔で頷く。
「あいよ。ちょっと待ってね計算するから」
それから購入した品と領収書を貰ったユイとリエは店を後にし、エミの元へと向かった。
ジョウジ達の我が家であるアパートに着いたユイとリエは隣人のアヴィラの部屋へと入り、預かっているミオを宥めていた。
「ねぇーリエお姉ちゃん、ママはいつか帰って来るの?」
ベッドに座るリエの膝に頭を横にしながら寂しそうな表情で尋ねるパジャマ姿のミオにリエは笑顔で答えた。
「大丈夫よ、きっと寝ている間にママは帰って来るから」
「本当に?本当に寝ている間にママは帰って来るの?」
「もちろんよ。さぁーベッドに入ってもう寝なさい、ミオちゃん」
「分かった」
ミオはそう言って体を起こすと今度は枕に頭を横にする。するとリエはミオの体に布団を掛ける。
「おやすみなさい、リエお姉ちゃん」
「おやすみ、ミオちゃん」
リエは笑顔でミオの額にキスをし、静かに部屋を出た。
そしてリビングへと向かうとテーブルの椅子に座るユイと私服を着こなす黒髪の老婆、アヴィラがカップに入った暖められた牛乳を飲んでいた。
「ミオちゃんの様子はどうだった?」
ユイの問い掛けにリエは椅子に座って答えた。
「眠ったわ、でも少し寂しそうだったわ。仕事とは言え長い事、親と離れ離れは幼い子供にとっては辛いものよ」
リエの指摘にユイと聞いていたアヴィラは同感する様に頷く。
「それはそうね。でも今回の仕事が上手く行けば、大金が手に入るしフランスにも行ける。ミオちゃんには申し訳ないけど、もう少しの辛抱してもらわないと」
「確かに。でも心配する必要はないよ。ミオちゃんはしっかり私が守っておくから」
笑顔で励ます様に言うアヴィラに対してユイとリエは笑顔で軽くアヴィラに向かって頭を下げた。
「ありがとうございます、アヴィラさん」
「感謝します、アヴィラさん」
感謝を述べたユイとリエは一緒に頭を上げると壁に架かった時計の時刻が20時を指しているの見てユイはハッとする。
「いけなーーーい、早く仕事場に戻らないと!それじゃアヴィラさん、ミオちゃんお願いします。牛乳、ご馳走さまでした」
「ご馳走さまでした、アヴィラさん。それじゃこれで」
ユイとリエが椅子から立ち上がるとアヴィラも立ち上がった。
「いいのよ。それじゃ気を付けてねぇ」
「「はい」」
二人はそう言って購入品を手にアヴィラの部屋を後にした。
そして駐車場に戻ったユイとリエは56式トラックの運転席に座りギアチェンジとフットペダルの動きをチェックするジョウジの元へと向かった。
「ジョウジ、お待たせ。必要な物は買って来たわ」
ユイが笑顔で声を掛けるとジョウジも笑顔で頷く。
「そっか、ありがと。あれ?リエはどうした?」
「ちょっと顔洗いにお手洗いへ。それよりジュンコさんは?」
ユイはそう言ってドアがなくなった乗降口のステップに上がるとジョウジは答えた。
「作業が終わって先に夕食を食べて、今は事務所の空いているソファーで寝ているよ」
「そっか・・・っ!またひと雨降りそうね」
山の方から響いて来る落雷音にジョウジはチェックの手を止めなかった。
「今の時期はゲリラ豪雨が多いからなぁ。大丈夫さ。流れる様に降るから落雷の心配はないよ」
ジョウジはそう言ってキーを差し込み口に入れ、アクセルを踏みながら回すとトラック特有のエンジン音がなり始め、そして雨が降る中でジョウジはスイッチを入れ、56式トラックのライトが