第1話 終わりの始まり
三十代になってから、仕事というものがますます面白くなってきた。
俺は、とあるメーカーで機械設計をしているエンジニアだ。
理系の大学院を修了後、就活では失敗しかけたが、なんとか拾ってくれた企業に入社した。
以来、エンジニアとして製品開発に携わってきた。
配属先は、地方の田舎にある工場だった。
周囲には田畑と山ばかり。都会のような娯楽は少なく、休日に出かける場所も限られている。最初は少し不便に感じたものの、住めば都だった。
設計という仕事は、なかなか奥が深い。
図面の上では問題がなくても、実際に部品を組み立ててみると干渉が見つかったり、想定外の負荷がかかったりする。
試作品を作り、測定し、不具合の原因を調べ、設計を修正する。その繰り返しだ。
大学院で研究していた頃も実験と考察の連続だったが、会社では自分の設計が実際の製品になり、誰かの仕事や生活を支える。そこに、研究とはまた違った面白さを感じていた。
もっとも、面白いからといって、仕事が楽なわけではない。
「先輩!ここの寸法公差なんですけど、もう少し厳しくした方がいいでしょうか?」
デスクの横から声をかけてきたのは、入社三年目の後輩だった。俺の部下にあたる、真面目だが少々慎重すぎるところのある男だ。
差し出された図面を確認する。
「うーん……ここは厳しくしなくていいと思う。組み付けに必要な精度は確保できているし、これ以上厳しくすると加工コストが上がるだけだな」
「なるほど。機能上必要な精度と、ただ高精度にすることは別ってことですね」
「そうそう。精度は高ければいいってものじゃないから。必要なところに必要な精度を持たせる。それが設計だよ」
「勉強になります。ありがとうございます!」
後輩は納得した様子で図面を持ち帰っていった。
その背中を見送りながら、俺は少しだけ笑った。
自分も若い頃は、必要以上に細かいところまでこだわっていたものだ。大学院で研究していたときも、実験装置の精度を上げることばかり考えて、肝心の実験そのものがなかなか進まなかったことがある。
あの頃に比べれば、多少は成長したのだろう。
「そろそろこっちも確認してくれ」
今度は上司から声が飛んできた。
「はい、今行きます」
振り返ると、上司が会議室の入り口から手招きしていた。
今回の案件は、会社にとっても重要なものだった。機械の構造を見直し、性能を向上させながら、製造コストも抑える。設計だけでなく、製造部門や調達部門との調整も必要だった。
簡単な仕事ではなかった。
設計変更が何度も入り、試作品で不具合が見つかるたびに原因を追究した。納期が迫るなか、関係部署と何度も打ち合わせを重ね、ようやく完成にこぎ着けたのだ。
そして今日、最終確認が終わった。
「これで、ひとまず完了だな」
上司が満足そうに言った。
「お疲れさまでした。皆さんのおかげで、なんとか間に合いました」
「いやいや、お前が最後まで粘ってくれたおかげだよ。お前がいなかったら、もっと苦労していたと思うぞ」
「先輩、今日は定時で帰れますね!」
後輩も嬉しそうに口を挟んだ。
「そうだな。今日はもう図面を見たくないな」
「えっ、先輩がそんなこと言うなんて珍しいですね」
「俺だって人間だぞ」
そんな軽口を交わしながら、俺たちは笑った。
大きな仕事をやり遂げた達成感は、何物にも代えがたい。
そして、その日の夜。
俺たちは仕事の打ち上げと称して、飲み会を開いた。
◇
「いやあ、ようやく終わったな!」
居酒屋の座敷で、上司が豪快にジョッキを掲げた。
「本当にお疲れさまでした!」
「お前も今日は遠慮せず飲めよ。いつも仕事ばかりなんだからな」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
乾杯の音が響く。
普段は仕事の話ばかりしている同僚たちも、今日ばかりは無礼講だった。上司は若い頃の失敗談を語り、後輩はそれを聞いて大笑いしている。
「課長、その話、前にも聞きましたよ!」
「何度聞いても面白いだろうが!」
「いや、課長。さすがに三回目ですよ、それ」
俺が横から突っ込むと、周囲がどっと笑った。
仕事の緊張感から解放されたせいか、酒がいつも以上にうまく感じる。
ビールから始まり、日本酒へ。普段なら途中で切り上げるところだが、今日は気分がよかった。
長い仕事が終わった。
明日からは少し余裕ができるだろう。
そう考えると、ついつい杯が進んでしまった。
「先輩、結構飲んでますけど大丈夫ですか?」
隣に座る後輩が、心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫、大丈夫。これくらい平気だよ」
「いや、顔真っ赤ですよ」
「酒がうまいってことだ」
「それ、絶対違いますって……」
後輩は苦笑いしていたが、俺は気にせず笑い飛ばした。
今思えば、あそこでやめておけばよかったのだろう。
だが、そんなことを考える余裕もないほど、俺は浮かれていた。
◇
店を出た頃には、すっかり酔いが回っていた。
夜風が頬に当たる。
田舎の夜道は暗い。街灯の間隔は広く、道路の脇には塀が続いている。遠くから虫の鳴き声が聞こえ、空には星が見えていた。
普段なら、何でもない道だ。
何年も暮らしている場所なのだから、迷うはずもない。
「……飲みすぎたな」
苦笑しながら、俺はゆっくりと歩いた。
タクシーを呼ぶほどの距離でもない。少し歩けば酔いも醒めるだろう。
そんな甘い考えがあった。
しかし、足元は思った以上におぼつかなかった。
道路の端に寄りすぎたのか、足がもつれる。
「あっ……!」
体勢を立て直そうと、とっさに手を伸ばした。
だが、間に合わなかった。
視界が大きく傾く。
ゴッ、と鈍い音が響いた。
頭に、強烈な衝撃が走る。
塀の角に、思いきり頭をぶつけたのだ。
「……っ、あ……」
痛い。
そう思った瞬間、体から力が抜けた。
地面に倒れ込む。
立ち上がろうとしても、手足が動かない。
頭がぼんやりする。
何かをしなければならない気がした。
救急車。携帯電話。誰かを呼ぶ。
そうだ。ポケットにスマホが入っているはずだ。
だが、指先一つ動かせなかった。
視界が暗くなっていく。
仕事が終わったばかりなのに。
明日からは少しゆっくりできると思っていたのに。
まだ、やりたいことだってあった。
もっと設計の仕事を極めたかった。
いつか、自分が一から考えた機械が世の中で活躍するところを見てみたかった。
それに積んでいるエロゲもたくさんある。
そんな取り留めのない考えが、頭の中を巡る。
けれど、意識は容赦なく遠ざかっていった。
最後に感じたのは、冷たい地面の感触だった。
そして、何もかもが闇に沈んだ。
勢いで書き始めましたがハーレム展開はだいぶ先になりそうです(´;ω;`)