失踪事件から、月日が流れた。
俺は二歳になっていた。
相変わらず身体は小さいが、以前と比べればできることが格段に増えている。ハイハイしかできなかった頃とは違い、今では自分の足で歩き、簡単な会話を交わし、身の回りのものを自分で扱えるようになった。
もちろん、まだ走るのは苦手だし、少し長く歩けば疲れてしまう。手先も思いどおりに動かないことが多い。
それでも、俺にとっては大きな進歩だった。
何より、言葉を覚えたことで、この世界について知る手段が増えた。
きっかけは、やはりあの失踪事件だった。
書庫で本を見つけたものの、文字が読めず、挿絵から魔法について推測することしかできなかった俺。
その様子を見ていたセレナは、俺が本に興味を持っていることを理解してくれたらしい。
事件のあと、セレナやお世話をしてくれる侍女たちは俺のために何冊かの本を持ってきてくれるようになった。
最初は絵本のような本ばかりだったが、次第に簡単な物語や子供向けの歴史書まで用意してくれるようになった。
そして、読み聞かせまでしてくれた。
「それでは、今日はこの本にいたしましょうか」
そう言ってセレナが本を開く。
俺は彼女の隣に座り、膝の上に置かれた本を覗き込む。
「むかしむかし、アウレリア王国の西の森に……」
落ち着いた声が、部屋の中に響く。
俺はその声に耳を傾けながら、文字を目で追った。
最初は、どの文字がどの音に対応しているのかすらわからなかった。
しかし、同じ本を何度も読み聞かせてもらううちに、少しずつ規則性が見えてきた。
この文字は、いつも同じような音のときに使われる。
この組み合わせは、何度も同じ単語として登場する。
セレナが声に出して読む言葉と、目の前の文字を結びつけていく。
もちろん、この世界の文字はまったく別物だ。前世の知識だけで読めるようになるわけではない。
それでも、文字を覚えるという作業そのものには、多少の慣れがあった。
おかげで、二歳になった頃には、簡単な文字を読んだり、自分の名前を書いたりできるようになっていた。
会話についても、日常的な内容ならかなり理解できる。
ただし、周囲の同年代の子供と比べると、言葉を話すのも文字を覚えるのも、少し遅いらしい。
まあ、仕方がない。
今の身体は二歳児とはいえ、俺は前世の記憶があるのだ
凝り固まった頭で新たな言語の習得は難儀だろう。
しかし、ありがたいことに集中力や呑み込みの良さは2歳児並みなのでなんとかある程度習得することができた。
そのため、俺は自然と口数が少ない子として認識されている。
必要なことだけを話し、あとは周囲の様子を観察する。
前世でも、どちらかといえばそういう性格だった。
そう簡単に人間は変われないようだ。
ただ、今の俺は二歳児である。
暇なのである
静かに本を読んでいる時間が増えたとはいえ、遊びたいときは侍女の後ろをついて回るし、構ってほしくなれば服の裾を引っ張る。
ときには、気づかれないように近づいて、侍女の袖を軽く引っ張ったり、手元にある布をそっと隠したりすることもあった。
そして、いたずらが見つかると、何もしていないような顔で見上げる。
「ルシアニウス様……またですか?」
セレナにそう言われると、俺は小さく笑って誤魔化すのだった。
……いや、子供らしい遊びの範囲である。
たぶん。
◇
ただし、失踪事件の代償は大きかった。
あれ以来、俺に対する監視が明らかに厳しくなったのだ。
部屋を出るときには、誰かが必ず付き添う。
廊下を歩くときには、侍女が少し離れた場所から見守っている。
トイレへ行くときでさえ、侍女が同行する。
俺が少しでも姿を見せなくなると、すぐに誰かが探しに来る。
……そこまでしなくてもいいと思うのだが。
もちろん、勝手に屋敷を歩き回った俺が悪い。
それは認める。
しかし、二歳になった今でも、部屋の隅へ移動するだけで侍女がついてくるのは、さすがに過保護ではないだろうか。
「ルシアニウス様、どちらへ行かれるのですか?」
「……ほん」
「本でございますか。それでは、ご一緒いたしますね」
セレナは当然のようにについてくる。
自分で本を選ぶだけなのに、付き添いが必要なのだ。
さらに、母と姉たちも負けてはいなかった。
アンネリーゼは領主としての仕事がある。
エレオノーラとエリザベートは貴族としての勉強や身体を鍛える訓練などを受けているようだ。
それぞれ忙しいはずなのだが、仕事や勉強、訓練の時間以外になると、驚くほど俺に構ってくるようになった。
「ルシー、今日は何をして遊びましょうか?」
アンネリーゼがそう尋ねてくる。
「ルシー! こっちにいらっしゃい!」
エリザベートが両腕を広げる。
「待って、リーザ。今日は私が先よ」
エレオノーラがすかさず口を挟む。
「ええっ!? 昨日はノーラお姉様が先だったじゃない!」
「昨日はあなたが長く遊んでいたでしょう?」
「そんなことないわ!」
……また始まった。
母も姉たちも、俺を構うことに関しては、妙に譲り合わないところがあった。
俺が本を読んでいれば、母が隣に座る。
俺が積み木で遊んでいれば、姉たちが参加する。
俺が侍女と話していれば、いつの間にか母がやってきて、俺を抱き上げている。
しかも、俺が嫌がっているわけではないとわかると、さらに甘やかしてくるのだ。
……まあ、嫌ではないのだが。
今では、母に抱かれたり、姉たちと一緒に遊んだりすることが日常になっている。
最初の頃は恥ずかしさもあったが、二年も暮らしていれば慣れるものだ。
それに、家族と過ごす時間は嫌いではなかった。
ただ、一人で考え事をしたり、本を読んだりする時間も欲しい。
そのため、俺はときどき侍女のそばへ逃げるようになった。
侍女たちは仕事をしているので、母や姉たちほど長時間俺に構うわけではない。
俺にとっては、ほどよい距離感だった。
◇
そんな生活を続けるうちに、俺はこの世界について、少しずつ知ることができた。
アウレリア王国。
この国は、女性の国王が統治する王国である。
王都はアストリア。
王家の名前はアウレリア家。
現在の国王はアーデルハイト・アウレリアという女性で、その夫である王配のリヒャルトは、政治にはほとんど関与しないのだという。
初めてそれを聞いたとき、俺は少し不思議に思った。
前世の歴史では、王や国王といえば男性が中心となっている時代が多かった。
もちろん女性の君主も存在したが、この世界では、女性が国を治めることが当たり前らしい。
最初は、単に文化の違いなのだろうと思っていた。
しかし、読み聞かせてもらった本や、侍女たちの会話を聞いているうちに、もっと根本的な違いがあることに気づいた。
それは、男女の数だった。
「せれな。ほんにでてくるひと、おんなのひとばっかり。おとこのひとは?」
ある日の午後。
俺は読み聞かせの途中で、ふと思いついた疑問を口にした。
セレナは少しだけ目を丸くした。
「男性、でございますか?」
俺は頷いた。
「うん」
セレナは俺の隣に本を置き、わかりやすい言葉を選ぶようにして答えた。
「この国では、女性の方がずっと多いのですよ」
「……そうなの?」
「はい。生まれてくる子供も、女性が多いのです。男性は、とても珍しい存在なのですよ」
俺は彼女の顔を見つめた。
……男性が、珍しい?
その言葉を、頭の中で繰り返した。
俺は今まで、自分の周囲に男性がほとんどいないことを、そこまで深く考えていなかった。
母も女性。
姉たちも女性。
侍女も女性。
しかし、赤ん坊の世話をするのは女性が中心なのだろうと考えていたし、父親は仕事で忙しいのだろうと思っていた。
前世でも、家庭内の育児を女性が担うことは珍しくなかった。
だから、最初は特に疑問を持たなかったのだ。
だが、男性そのものが少ないとなれば話は別だ。
「どれくらい?」
俺は尋ねた。
セレナは少し考えてから答えた。
「地域によって違いはありますが、この国では、女性が十人いるとすれば、男性は一人いるかいないか、というくらいでしょうか」
……は?
俺は固まった。
女性が十人に対して、男性が一人。
それは、俺の前世の常識からすれば、あまりにも極端な数字だった。
人類の男女比は、基本的には大きく偏らない。
地域差や時代による違いはあっても、ここまで一方の性別が少ないというのは、普通ではない。
だが、この世界では、それが当たり前なのだ。
「おとこのひとは、すくないの?」
「はい。ですから、男性はとても大切にされるのです」
セレナは、ごく自然なことのように言った。
俺は自分の手を見た。
小さな手。
まだ指も短く、思うように動かせない手だ。
この身体は、間違いなく男のものだ。
そして、俺はこの世界で生まれた男の子である。
……なるほど。
ようやく、いろいろなことに説明がついた気がした。
母や姉たちが、俺を異様なほどかわいがること。
侍女たちが、俺の小さな仕草一つで嬉しそうにすること。
俺がいなくなっただけで、屋敷中が大騒ぎになったこと。
そして、母が俺を見つけたとき、涙を流して抱きしめたこと。
いや、よく考えると前世でも赤ちゃんがいなくなると大騒ぎになるか……
それに俺はどうやら貴族らしい
政治・外交的にも重要な存在であるのかもしれない
もちろん、それだけが理由ではないだろう。
母は俺の母親だし、姉たちは俺の姉たちだ。
家族としての愛情も、当然あるはずだ。
それでも、男性が希少な世界であることは、彼女たちの行動に少なからず影響しているのだろう。
……しかし。
これは、想像していた以上に大変な世界なのかもしれない。
◇
男女比の話を聞いたあと、俺はさらにいろいろなことを尋ねた。
セレナは、俺が興味を持ったことを理解すると、できるだけ簡単な言葉で説明してくれた。
この国では、男性は希少であるため、幼い頃から大切に育てられる。
貴族の家では、男性が家を継ぐことは基本的に少ない。
家督は長女が継ぐことが多く、次女以降は騎士や役人など、別の道へ進むこともある。
男性は、結婚後に家庭を支える役割を担うことが多い。
もちろん、すべての家が同じではないし、身分や地域によって違いもあるらしい。
しかし、少なくともヴァレンシュタイン家では、母が領主を務め、ノーラが次の領主になる予定だ。
リーザは将来、騎士になるための訓練を受けている。
貞操観念的なものも結構違うようだ。
さすがにもう2歳なのでぱいタッチは卒業したが、特に嫌がられてもなかったようだ。
ちなみに俺は前世で言うとパパっ子の女児みたいなものなのだろう。
なんか甘やかされていたのが分かる気がする。
……いや、それでもオナニーはやりすぎだと思うけどね。
ところで、男性は何をするのだろう。
俺はさらに尋ねた。
「おとこのひとは、おしごとしないの?」
セレナは、少し困ったように微笑んだ。
「もちろん、お仕事をなさる男性もいらっしゃいますよ。ただ、男性は数が少ないため、危険な仕事や身体に負担のかかる仕事から遠ざけられることも多いのです」
「そうなの?」
「はい。貴族の男性であれば、家庭を支えたり、子供を育てたり、家族を助けたりすることも、大切な役割なのですよ」
俺は頷いた。
それ自体は、悪いことではないと思う。
前世でも、家庭を支えることは立派な役割だ。
ただし、男性だからという理由だけで、何かを禁止されたり、選択肢を狭められたりするのは、少し気になる。
……まあ、今の俺は二歳児だ。
将来の職業を心配するには早すぎるだろう。
それに、俺は領主になりたいわけでも、騎士になりたいわけでもない。
今のところは、魔法を研究したい。
俺は少しずつ、この世界の常識を理解し始めていた。
そして、もう一つ。
ずっと気になっていたことがある。
父親だ。
俺は生まれてから二年近く経つが、父親らしい人物に会ったことがない。
母はいる。
姉たちもいる。
だが、父親の姿は見たことがなかった。
ただ、この世界では男性が希少だ。
とてもじゃないが全員結婚することはできない。
一夫多妻制だとしても、
どうやら俺と姉2人は他領の男娼と母との子のようだ。
この世界では別に珍しいことでもないようだ。
というよりこっちが主流らしい。
まあ地球と同じ制度じゃ人口が減っていくだけだもんな。
それに外から血を入れる意味もあるようだ。
何もしてないが俺の青春が光り輝くものになった気がした。
ようやく世界観を説明できました( *´-ω-`)・・・フゥ