それから、さらに月日が流れた。
俺は相変わらず、秘密の魔法特訓を続けていた。
昼間は母や姉さんたち、そして侍女たちに囲まれて過ごす。絵本を読んでもらったり、おもちゃで遊んだり、お茶会の真似事に付き合わされたり。
それ自体は嫌いではない。むしろ、家族に愛されているという実感は心地よいものだった。
ただ、俺にもやりたいことがある。
魔法だ。
この世界には魔法がある。
空気中に漂う魔素という見えない物質を感じ取り、それを操作することで、さまざまな現象を引き起こす。
理屈は本で学んだ。
あとは実践するだけなのだが、これが思った以上に難しかった。
そもそも、見えないものを感じ取るという時点で難易度が高い。
前世で例えるなら、目を閉じたまま周囲の空気の流れを正確に把握しろと言われているようなものだ。風が吹けば肌で感じられる。しかし、風が吹いていないときに、空気そのものの存在をどれほど正確に感じられるだろうか。
それと似たようなものなのだと思う。
俺は毎晩、寝台の上で目を閉じ、指先に意識を集中させていた。
魔素はどこにあるのか。
どうすれば感じられるのか。
そもそも、感じるというのはどのような感覚なのか。
答えは出ない。
何日も、何週間も、同じことを繰り返した。
そんなある夜のことだった。
いつものように目を閉じ、指先に意識を向けているとその時が訪れた。
――ん?
何かがある。
指先の周囲に、何かが漂っているような感覚。
初日に感じて以降は何もなかったため、気のせいかと思っていた感覚。
意識を集中させると、その感覚は少しだけ強くなった。指先のすぐ近くに、目には見えない小さな粒が無数に存在している。そんなイメージが頭の中に浮かんでくる。
俺は息を止めた。
集中を切らさないよう、ゆっくりと意識を動かす。
すると、指先の周囲に感じていた何かが、わずかに動いた気がした。
偶然かもしれない。
気のせいかもしれない。
それでも、これまでとは明らかに違った。
「……っ」
思わず声が出そうになり、慌てて口を押さえた。
隣の部屋には侍女が控えている。こんな時間に騒いで起こしてしまえば、せっかくの実験が台無しだ。
俺は興奮を抑え、もう一度試した。
指先の周囲にあるものを意識する。
集めるつもりで、ゆっくりと集中する。
すると、ほんのわずかではあるが、何かが自分の意識に応じて動く感覚があった。
間違いない。
これが魔素だ。
ついに、魔素を感じ取ることに成功したのだ。
俺は心の中で歓声を上げた。
長かった。
赤ん坊の頃からこの世界に魔法があると知り、ようやく自分でも使えるかもしれないと思ってから、ここまでどれだけの時間がかかっただろう。
もっとも、喜んでばかりはいられない。
魔素を感じ取れたからといって、魔法を使えるようになったわけではないのだから。
むしろ、ここからが本番だった。
俺はさっそく、次の実験に期待で胸を膨らませた。
◇
最初に試したのは、水を作る魔法だった。
理由は単純だ。
水は目に見えるし、成功したかどうかもわかりやすい。
それに、万が一失敗しても、火を出す魔法のように寝具や家具を燃やす危険がない。
幼児の身体で火災を起こしたら、間違いなく大騒ぎになる。魔法の練習どころではない
俺は寝台の上で、手のひらを上に向けた。
そして、手のひらの上に水球が生まれる様子を思い浮かべる。
透明な水が集まり、丸い球になって浮かんでいる。
ただそれだけだ。
魔素を操作する感覚を探りながら、頭の中のイメージを現実にしようと試みる。
しかし、何も起こらない。
何度試しても駄目だった。
魔素を動かすことはできる。だが、それをどうすれば水に変えられるのかがわからない。
俺は一度、深呼吸をした。
そもそも、魔法とはどういう仕組みなのだろう。
水を作る魔法といっても、何もないところから突然水が生まれるわけではない。魔素を利用して物質を作り出すのだと、本には書かれていた。
ならば、もう少し具体的に考えてみよう。
俺は前世の知識を思い出した。
空気中には水蒸気が含まれている。
湿度や温度によって量は変わるが、少なくとも、この部屋の空気にも水分は存在しているはずだ。
だったら、空気中の水蒸気を集めて、液体の水に変えることはできないだろうか。
単純に水が生まれる様子を思い描くのではなく、過程を細かく考える。
まず、周囲の空気に意識を向ける。
そこから水分を集める。
集めた水分を一点にまとめる。
そして、小さな水滴を作り、それらを一つの球にする。
冷却によって水蒸気を凝結させるような仕組みも頭に浮かんだが、そこまで厳密に考える必要があるかはわからない。
とにかく、結果だけでなく、結果に至るまでの過程をイメージするのだ。
俺は再び魔素を操作した。
すると――。
手のひらの少し上で、きらりと何かが光った。
「……えっ?」
小さな水滴だった。
ほんの一滴。指先に乗せられるほどの大きさしかない。
だが、確かに水だった。
俺は興奮しながら、もう一度同じことを試した。
水滴が生まれる。
さらに繰り返す。
今度は、二つの水滴がくっついた。
何度も、何度も。
やがて、手のひらの上に小さな水球が浮かんだ。
直径にして一センチほどの、歪な球体だ。
「……できた」
思わず呟いた。
たった一センチ。
飲み水にもならない量だ。
しかし、俺にとっては大きな一歩だった。
魔法を使えた。
俺は水球を慎重に寝台の脇に置いた布に落とした。
◇
別の日、今度は別の魔法を試すことにした。
物体を浮かせる魔法だ。
水を生み出すよりも、こちらの方が簡単そうに思えた。
俺は近くに置いていた毛布に目を向けた。
対象を浮かせる。
そう念じながら魔素を操作する。
毛布は動かない。
もう一度。
やはり動かない。
うまくいかない理由を考え、俺は再びイメージを組み立て直した。
物体が浮かぶという結果だけを考えるのではなく、何が起きれば物体が浮くのかを考える。
物体には重力が働いている。
それに逆らう力が働けば、物体を持ち上げられる。
ならば、重力そのものを操作するイメージではどうだろう。
この世界の魔法が、どこまで物理法則に干渉できるのかはわからない。そもそも、俺が理解している重力の仕組みが、この世界でも同じなのかさえ不明だ。
それでも、試す価値はある。
俺は毛布に意識を集中させた。
対象を明確にする。
その周囲の魔素を捉える。
そして、対象に働く重力を弱め、上向きに動かす力を加えるようにイメージする。
最初は何も起きなかった。
だが、少しずつ意識の向け方を変えていくと、おもちゃが小さく揺れた。
さらに集中する。
毛布の片側が浮いた。
そして――。
ふわり。
毛布が寝台から離れた。
「おお……!」
声が出そうになった。
俺は慌てて口を押さえる。
浮いている。
間違いなく浮いている。
高さはわずか数センチ。少しでも集中が途切れると落ちてしまいそうだったが、それでも十分な成果だった。
俺は慎重に毛布を上下させた。
上へ。
少し下へ。
右へ。
左へ。
思い描いた方向に動かそうとすると、ぎこちないながらも反応してくれる。
ただし、かなり難しい。
浮かせるだけなら、まだなんとかなる。しかし、高さを一定に保ち、左右に動かし、最後に狙った場所へ着地させるとなると、途端に失敗が増える。
力が強すぎれば飛び上がり、弱すぎれば落ちる。
横向きに動かす力を加えたつもりが、斜め上に飛んでいくこともあった。
どうやら、魔素を動かすだけでなく、その力の大きさや向きまで細かく制御する必要があるらしい。
俺は浮かせた毛布を何度も動かし、少しずつ感覚を確かめた。
水を作る魔法も、物を浮かせる魔法も、結果だけを思い描くより、そこに至る過程をイメージした方が扱いやすい。
この発見は大きかった。
魔法の才能が特別に優れているわけではなくても、使い方を工夫すれば、できることは増やせるかもしれない。
そう考えると、胸が高鳴った。
ただし、問題もある。
過程を細かくイメージするほど、必要な集中力が増すのだ。
水滴を一つ作るだけならともかく、複数の水滴を集め、形を整え、一定の大きさに保つとなれば、途端に難しくなる。
物体を浮かせる魔法も同じだった。
対象を認識し、力の向きと大きさを調整し、動き続ける物体の位置を把握する。
少し気を抜けば失敗する。
つまり、俺が見つけた方法は、非常に繊細な制御を要求するものだった。
もっと練習が必要だ。
幸い、時間だけはたっぷりある。
俺は浮かせた毛布を元の場所へ戻すと、満足して寝台に横になった。
夢の中で大量の水球を作り、全身に水を浴びながら巧みに操っていた気がする。
そして次の日、俺はおねしょをしていた。
魔法キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!