※この作品はR-18です。

貞操逆転世界の傾国記   作:熟睡枕

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第16話 幽霊事件2

……

………

…………いつのまにか本当に眠ってしまっていたようだ。

廊下から、慌ただしい足音が聞こえてきて目を覚ました。

 

「こちらです! 確かに、この廊下に……!」

「落ち着いて。何を見たの?」

「浮いていたんです! 人が……いえ、子供のようなものが……!」

「子供?」

「本も浮いていて……それで、こちらを見たら、急に消えて……!」

 

夜中に出会った侍女たちの声だった。

俺は布団の中で、さらに身体を縮めた。

お願いだから、こっちには来ないでくれ。

しかし、そんな願いは通じなかった。

扉が開く音がした。

 

「ルシアニウス様は?」

「お休みになっているはずです」

 

セレナの声だ。

いつも冷静な彼女の声だったが、今日は少しだけ緊張しているように聞こえた。

 

「念のため、確認を」

 

足音が近づいてくる。

寝台の脇で止まった。

 

「ルシアニウス様?」

 

セレナが俺を呼ぶ。

俺は目を閉じたまま、寝息を立てるふりをした。

 

「……ご無事のようですね」

 

セレナはそう言って、俺の寝台から離れた。

どうやら、疑われてはいないらしい。

どちらかというとさらわれてないか心配している感じだった

俺は胸をなで下ろした。

助かった。

そう思ったのも束の間だった。

 

「本当に見たんです! 空中に浮かぶ人影を!」

「わかりました。詳しく話を聞きますから、まずは落ち着いてください。それと、屋敷内の見回りを増やしてください。念のため、使用人たちにも知らせておきましょう」

「は、はい!」

 

……まずい。

これは、かなりまずい。

屋敷の中を自由に探索するどころではない。

見回りが増えれば、魔法の練習も難しくなるかもしれない。

俺は布団の中で頭を抱えた。

いや、実際には頭を抱えることもできない。

寝たふりを続けているのだから。

しばらくして、足音が遠ざかり、扉が閉まった。

俺はゆっくりと目を開けた。

部屋には誰もいない。

ようやく安心した俺は、長く息を吐いた。

 

……やってしまった。

完全にやってしまった。

魔法を使えることが知られたわけではない。

少なくとも、今のところは。

だが、屋敷に幽霊が出たという噂は、間違いなく広まるだろう。

そして、その噂の原因が自分だと知られたら。

母は心配するだろう。

ノーラ姉さんは呆れるかもしれない。

リーザ姉さんは面白がるかもしれないが、最後には怒るだろう。

セレナは……。

俺は、セレナの顔を思い浮かべた。

あの冷静な侍女が、もし本気で怒ったら。

想像するだけで、背筋が寒くなった。

その日は、もう魔法の練習をする気にはなれなかった。

俺は大人しく寝台に横になり、布団をかぶった。

今後は、もっと慎重に行動しよう。

そう心に誓った。

……もっとも、好奇心を完全に抑えられるとは思っていなかったが。

 

◇

 

翌日から、屋敷の様子が少し変わった。

使用人たちの間で、妙な噂が広まっていたのだ。

曰く、夜の廊下に幽霊が出る。

曰く、何もない空中に人影が浮かんでいた。

曰く、その幽霊は本を読んでいた。

俺は母さんの膝の上で絵本を読んでもらいながら、そんなことを考えていた。

 

「最近、屋敷で不思議なことが起きているみたいなの」

 

母さんが、心配そうな顔で言った。

 

「ふしぎなこと?」

 

俺は幼児らしく首を傾げた。

内心では、冷や汗が止まらない。

 

「ええ。誰もいない廊下で、妙なものを見たという人がいるのよ。大きな声を出して驚いた人もいるみたい」

 

母さんは俺を抱きしめ、優しく頭を撫でた。

 

「でも、ルシーは心配しなくていいからね。何かあったら、すぐに母さんのところへ来るのよ」

「うん」

 

俺は素直に頷いた。

……ごめんなさい、母さん。

その幽霊、俺です。

とはいえ、正直に打ち明ける勇気はなかった。

母は俺を抱きしめたまま、侍女たちに指示を出していた。

屋敷の見回りを増やすこと。

夜間の廊下には不用意に近づかないこと。

不審なものを見た場合は、すぐに周囲に知らせること。

どうやら、思っていた以上に大きな騒ぎになっているらしい。

俺は心の中で反省した。

今後は、探索の時間と場所を考えなければならない。

そもそも、ダミー人形を置いただけで安心していたのが間違いだったのだ。

人に見られたときの対策も必要だし、魔法の使い方そのものも、もっと工夫する必要がある。

やはり、何事も準備が大切だ。

……次からは、本当に気をつけよう。

 

◇

 

幽霊騒動は、数日たっても収まらなかった。

目撃した侍女たちは、今でも廊下を歩くたびに周囲を気にしているらしい。特に、最初に俺を目撃して漏らした侍女は、あの廊下を通るのを嫌がっていると聞いた。

……本当に申し訳ない。

俺も、そこまで怖がられるとは思っていなかった。

とはいえ、空中に浮かぶ幼児と、宙を漂う本。

冷静に考えれば、かなり異様な光景だ。

俺が悪い。

そこは認めよう。

そして、騒動が始まってから数日後。

屋敷に一人の来客があった。

その日、俺はアンネリーゼと一緒に客間へ向かっていた。

もちろん、今度はちゃんと自分の足で歩いている。

魔法で浮かんでいるところを見られるわけにはいかない。

客間の前には、普段より多くの侍女が控えていた。

部屋の中からは、アンネリーゼと誰かが話す声が聞こえる。

 

「お待ちしておりました」

 

侍女の一人が扉を開けた。

アンネリーゼに手を引かれ、俺は客間へ入った。

そこにいたのは、見知らぬ女性だった。

年齢は、アンネリーゼより少し下だろうか。

落ち着いた色合いのローブを身にまとい、腰には小さな杖を下げている。装飾は控えめだが、衣服の仕立てや持ち物には上質さが感じられた。

何より、彼女の雰囲気が独特だった。

柔らかく微笑んでいるのに、どこか隙がない。

周囲を見渡す目は鋭く、客間の調度品だけでなく、窓や扉、壁の隅まで確認しているようだった。

そして、彼女が身につけている魔法具らしき装飾品からは、かすかに魔素の気配が感じられた。

……魔術師だ。

俺はすぐにそう判断した。

 

「わざわざ足を運んでいただき、ありがとうございます」

 

アンネリーゼが丁寧に頭を下げる。

 

「いえ。魔法に関わる異常が起きている可能性があると聞きましたので。こういうことは、早めに調べておくに越したことはありません」

 

女性は穏やかに答えた。

 

「屋敷に幽霊が出るという話でしたね」

「はい。使用人が二人、空中に浮かぶ人影を見たと申しております。何かの魔法によるものではないかと思いまして……」

「なるほど」

 

女性は顎に手を当て、少し考え込んだ。

 

「目撃した方々から、詳しい話を聞かせていただけますか。何を見たのか、どこで見たのか、何時頃だったのか。それから、周囲で何か変わったことがなかったかも」

その口調は落ち着いていた。

幽霊という言葉に怯える様子もなければ、最初から魔法だと決めつける様子もない。

ただ、情報を集め、原因を探ろうとしている。

その姿勢に、俺は少し興味を持った。

この人は、かなり頭が切れるのかもしれない。

 

「私は魔法に関する調査や研究を長く続けております。目撃されたものが本当に幽霊なのか、それとも魔法による現象なのか、まずは確かめてみましょう」

 

女性はそう言って、客間の中をゆっくりと見渡した。

そして、不意に俺へ視線を向けた。

 

「それで、こちらがルシアニウス様ですね?」

「ええ。私の息子です」

 

アンネリーゼは微笑み、俺の肩に手を置いた。

 

「ルシアニウス、ご挨拶して」

「……お初にお目にかかります。ルシアニウス・ヴァレンシュタインと申します。」

 

俺は教えられたとおり、ぺこりと頭を下げた。

女性は一瞬だけ目を見開き、それから微笑んだ。

 

「まあ。ご挨拶が上手ですね」

「ありがとうございます」

「ふふ。ずいぶんとしっかりしたお子様だこと」

 

女性はそう言って、俺をじっと見つめた。

その視線に、妙な居心地の悪さを覚えた。

まるで、何かを観察されているような感覚だった。

もちろん、二歳程度の子供が礼儀正しく挨拶をしたからといって、特別なことではないのかもしれない。

だが、彼女の目は、俺の表情や仕草を注意深く見ているようだった。

……気のせいだろうか。

 

「それでは、さっそく調査を始めさせていただきます」

 

女性はアンネリーゼに向き直った。

 

「屋敷の中を一通り確認したいのですが、よろしいでしょうか」

「もちろんです。必要なことがあれば、何でもお申しつけください」

「ありがとうございます。まずは目撃された場所から調べてみましょう」

 

そう言って、女性は立ち上がった。

アンネリーゼとセレナが案内のために動き出す。

俺もついていこうとしたが、母さんに優しく抱き上げられた。

 

「ルシーは危ないから、私と一緒にいましょうね」

「……うん」

 

俺は大人しく頷いた。

内心では、かなり焦っていた。

まさか、ここまで大事になるとは思っていなかったのだ。

しかも、やって来たのは魔法の専門家。

俺が使った魔法の痕跡を調べられたら、何かがわかってしまうかもしれない。

いや、そもそも魔法の痕跡など残るのだろうか。

俺にはわからない。

だからこそ、怖かった。

女性は客間を出る前に、もう一度だけ俺を振り返った。

 

「ルシアニウス様。また後ほど、お話しできるとよいですね」

 

にこりと微笑む。

俺も笑顔を返した。

しかし、その女性の目は、最後までどこか鋭いままだった。

――まずい人が来たかもしれない。

俺は、そんな予感を覚えた。

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