※この作品はR-18です。

貞操逆転世界の傾国記   作:熟睡枕

17 / 24
第17話 幽霊事件3

マルティナ。

それが、屋敷にやってきた魔術師の名前だった。

最初にその名前を聞いたのは、客間で母さんたちと一緒に話をしていたときだ。

もっとも、俺にとっては名前以上に、その人物が何者なのかという方が気になっていた。

魔法に関する調査や研究を長年続けているという話だったが、どうやらそれだけではないらしい。

彼女は王国でもかなり名の知れた魔術師で、実力も相当なものだという。

そんな人が、なぜわざわざ来たのだろう?

幽霊騒動など、普通に考えれば大した事件ではない。

使用人が二人、妙なものを見たと騒いでいるだけだ。高名な魔術師が出向いてくるような話には思えなかった。

その疑問は、調査が終わる頃には解消されることになった。

 

◇

 

「ひとまず、調査は終了です」

 

マルティナは、客間の椅子に腰かけたままそう告げた。

彼女が屋敷に到着してから、すでに数時間がたっていた。

目撃された廊下をはじめ、屋敷の中を一通り調べ、問題が起きた場所についても詳しく確認したらしい。

俺はアンネリーゼの隣に座り、絵本を眺めているふりをしながら、二人の会話に耳を傾けていた。

 

「何か、原因はわかりましたか?」

 

母さんが心配そうに尋ねる。

 

「残念ながら、断定できるようなものは見つかりませんでした。少なくとも、侵入者が魔法を使った形跡や、屋敷の中に何者かが潜んでいるような様子はありません」

 

その言葉を聞いて、俺は内心で胸をなで下ろした。

よかった。

どうやら、魔法を使ったことまではわからなかったらしい。

そもそも、俺自身にも魔法の痕跡というものが残るのかどうかはわからなかった。だからこそ、調査が始まってからずっと気が気ではなかったのだ。

もし魔法を使ったことがバレれば、秘密の特訓どころではなくなる。

母に心配されるのはもちろん、セレナに徹底的に監視されることになるかもしれない。

それだけは避けたかった。

 

「では、やはり見間違いだったのでしょうか」

「その可能性は十分にあります。日々の仕事で疲れがたまっていたのかもしれません。それに薄暗い廊下で何かを見間違えたとしても、不思議ではありません」

 

マルティナは淡々と説明した。

 

「ただ、本当に何かを目撃した可能性も否定できません。魔法による幻影や、私たちがまだ知らない現象ということも考えられますから」

「幽霊という可能性も?」

「幽霊というものが実在するかどうかは、私にも断言できませんね。少なくとも、今回の調査では、それを裏付けるものは見つかりませんでした」

 

なるほど。

つまり、原因不明ということだ。

見間違いだったのかもしれないし、本当に何かがいたのかもしれない。

少なくとも、俺が空中を漂っていたことが原因だとはわかっていない。

俺は心の中で、そっと安堵した。

これで、ひとまず一件落着だ。

……いや、まだ安心するのは早いか。

調査は終わっても、マルティナはまだ帰っていない。

俺は絵本のページをめくりながら、彼女の様子をうかがった。

マルティナはアンネリーゼと穏やかに話している。

幽霊騒動についての話は終わり、今度は屋敷や領地についての雑談へと移っていた。

その表情には余裕があり、話し方も落ち着いている。

やはり、ただ者ではないのだろう。

俺がそんなことを考えていると、マルティナがふとこちらへ目を向けた。

 

「ところで、アンネリーゼ様」

「はい?」

「先ほどから気になっていたのですが……ルシアニウス様は、もう言葉をかなり理解されているようですね」

 

母さんは嬉しそうに微笑んだ。

 

「ええ。少しずつですが、いろいろなことを覚えてくれています。まだ幼いので、できることは限られていますけれど」

「そうですか」

 

マルティナは俺を見つめた。

その視線は、初めて会ったときよりも少しだけ真剣だった。

 

「男の子は成長の仕方もさまざまですからね。こうして直接お会いできて、よかったです」

 

その言葉が、妙に引っかかった。

この世界では、男が少ない。

それ自体は以前、セレナから聞いていた。

しかし、それが人々の考え方にどれほど大きな影響を与えているのか。

俺は、まだ十分に理解していなかった。

 

◇

 

マルティナが帰る前に、アンネリーゼともう少し話をしたいと言い出した。

俺はセレナに連れられ、いったん客間を出ることになった。

 

「ルシアニウス様。こちらで少しお待ちくださいね」

「うん」

 

俺は素直に頷いた。

セレナは俺を近くの部屋へ連れていき、絵本を一冊手渡した。

 

「すぐにお迎えに参りますので、こちらでお待ちください」

「……うん」

 

セレナは微笑んでから、部屋を出ていった。

扉が閉まる。

俺は絵本を開いた。

……さて。

大人しく待っているべきだろうか。

もちろん、その方がよい。

これまでの失敗を考えれば、余計なことをせず、静かに過ごすのが一番だ。

しかし、先ほどの会話が気になって仕方がなかった。

マルティナは、俺が男であることを妙に意識しているようだった。

それに、彼女は王国でも有名な魔術師だという。

そんな人物が、どうして俺のような辺境男爵家の子供に興味を持つのだろう。

俺は絵本を閉じた。

そして、そっと扉へ近づいた。

……少しだけ。

ほんの少しだけ、話を聞いてみよう。

別に悪いことではない。

いや、盗み聞きは悪いことかもしれないが、俺のことを話しているのなら、少しくらい気になっても仕方がないだろう。

そんな言い訳をしながら、俺は扉の近くに腰を下ろした。

幸い、客間まではそれほど遠くない。

声は、はっきりとは聞こえないものの、ところどころ拾うことができた。

 

「……それにしても、ルシアニウス様は本当に聡明なお子様ですね」

 

マルティナの声だった。

 

「そうでしょう!」

 

アンネリーゼが自信を持って自慢げに答える。

……ちょっと自慢げすぎない?

 

「ええ。私がこれまでお会いしてきた男の子、いえ大人の男性たちと比べても、ずいぶんと落ち着いていらっしゃいます」

「まあ……」

「もちろん、子供の性格はそれぞれです。ですが、あの年頃の男児で、あれほど素直に挨拶をし、相手の話を聞こうとする子は珍しいですね」

「……そうなんです。男児は横暴になりやすいと聞いていたのですが」

 

アンネリーゼの声には、少し戸惑いが混じっていた。

マルティナはすぐには答えず、少し間を置いてから口を開いた。

 

「アンネリーゼ様は、これまで男児を育てた経験がおありですか?」

「いいえ。ルシアニウスが初めてです」

「そうでしたね」

 

マルティナは小さく息を吐いたようだった。

 

「私は以前、ルシアニウス様と同じくらいの年頃の男児にお会いしたことがあります」

 

彼女は、静かに話を続けた。

 

「その子は、侍女に向かって命令ばかりしていました。飲み物を持ってこさせては、気に入らないと投げ捨てる。着替えを手伝う侍女には、手際が悪いと怒鳴りつける。自分の思いどおりにならなければ、泣きわめいて周囲を困らせるのです。男児はそう育ちやすいようです。」

 

……うわぁ。

なかなかすごい子供だな。

 

「それに、周囲の大人もあまり強く叱らないのです。男児に嫌われては困る、機嫌を損ねてはいけない。そう考える方もいますから」

「……実は以前、ルシアニウスが勝手に外へ出たので叱ったことがあります。それが関係しているのでしょうか?」

「そうかもしれませんね。少なくとも、アンネリーゼ様はよい教育をされているようです」

「あら、うれしいですわ」

 

アンネリーゼの弾んだ声が聞こえてきた。

そういえば、以前セレナに男性について尋ねたことがあった。

男性は希少で、危険な仕事から遠ざけられることが多い。

貴族の家では、長女が家督を継ぎ、男性は家庭を支える役割を担うことも多い。

その話を聞いたとき、俺は男性が大切にされる世界なのだと理解した。

だが、今の話は少し違う。

大切にされることと、何をしても許されることは同じではない。

それなのに、両者を混同する人がいるというのだ。

 

マルティナは、あくまで冷静に話していた。

ただ男性を責めているわけではない。

男性を特別扱いする社会と、その環境の中で育つ人間。

その両方に原因があると考えているようだった。

俺は少し考え込んだ。

この世界では、女性が政治や軍事、経済の中心を担っている。

男性が希少だからこそ、女性たちは男性を大切に扱う。

しかし、その結果として、男性の一部が傲慢になってしまう。

なかなか複雑な話だ。

 

◇

 

「それと、男女問わず貴族の中には、侍女を自分の道具のように扱う方もいます」

 

マルティナの声が、少しだけ低くなった。

 

「自分より身分が低いのだから、何を命じても構わない。給金を払っているのだから、どんな扱いをしてもよい。そう考えている方も、残念ながらいらっしゃいます」

 

母さんは何も言わなかった。

もしかしたら思い当たる節があるのかもしれない

 

「侍女たちは、主人に逆らえば職を失うかもしれません。場合によっては、家族の生活まで危うくなる。だから、不満があっても口に出せないことがあるのです」

 

俺は、セレナの顔を思い浮かべた。

いつも冷静で、何事もそつなくこなす侍女。

俺が本を読みたいと言えば、時間を見つけて用意してくれる。

何かを尋ねれば、できる限りわかりやすく説明してくれる。

失踪事件のときは、俺がいなくなったことで大騒ぎになり、母さんと一緒に怒ってくれた。

あのとき、セレナは俺に対して本気で怒っていたわけではないのかもしれない。

むしろ、俺を見失ったことで、自分の責任を感じていたのだろう。

そう考えると、少し申し訳なくなった。

 

「ルシアニウス様は、侍女たちに対しても丁寧に接していらっしゃるようですね」

 

マルティナの言葉に、母さんが答えた。

 

「ええ。あの子は、誰かに何かをしてもらうと、必ずお礼を言うのです。まだ幼いのに、どうしてそんなことができるのか、不思議に思うこともあります」

「それは、とてもよいことだと思います」

 

マルティナは微笑んだ。

 

「それに、侍女たちは主人の生活を支える大切な存在です。彼女たちが安心して働ける環境を整えることは、主人にとっても利益になります。信頼関係がなければ、仕事だってうまく回りませんから」

 

その言葉には、強い実感がこもっていた。

 

◇

 

「ところで、マルティナ様」

 

母さんが、ふと思い出したように尋ねた。

 

「今回の件ですが、どうして引き受けてくださったのでしょうか。失礼ながら、王都でもご活躍されている方と伺っております。辺境の小さな屋敷の騒ぎに、わざわざ足を運んでいただくのは、少し申し訳なく思いまして」

 

俺も気になっていたことだった。

マルティナほどの魔術師なら、もっと大きな仕事がいくらでもあるはずだ。

それなのに、わざわざここまで来てくれた。

彼女は少しだけ笑った。

 

「幽霊騒動そのものに興味があったのも事実です。未知の現象かもしれませんからね。ただ、それだけではありません」

「と、いいますと?」

「男児が生まれたと聞いたので、一度お会いしてみたいと思ったのです」

「ルシアニウスに、ですか?」

 

母さんの声は少し低くなった

 

「ええ」

 

マルティナは穏やかに頷いた。

 

「貴重な男児が貴族の家に生まれた男の子となれば、今後、どのように成長されるのか、興味がありました」

 

俺は心の中で納得した。

つまり、マルティナは俺に会っておきたかったのだ。

王国で有名な魔術師なら、貴族とのつながりも多いだろう。

その彼女が、辺境男爵家とはいえ貴族の男児と早いうちに面識を持っておく。

将来、何かしらの影響力を持つかもしれないと考えれば、悪い話ではない。

もちろん、本人はそこまで露骨な言い方をしているわけではない。

ただ、これまでの会話から考えれば、そうした思惑もあるのだろう。

俺は絵本を膝の上に置き、じっと考え込んだ。

すると、アンネリーゼが少し棘ありげに言った。

 

「ルシアニウスは、とても優しい子です。きっと、皆に好かれる子に育つと思います」

「ええ。私も、そうなってくださると嬉しいですね」

 

もしかして、牽制したのだろうか。

こういうのは苦手だ。

 

「礼儀正しく、周囲に気を配ることができて、好奇心もありそうです。これほど将来が楽しみな男児にお会いできるとは思いませんでした。もし何か魔法に興味を示されるようでしたら、ぜひ私にもお手伝いさせてください」

 

……魔法?

俺は思わず顔を上げた。

今の言葉は聞き逃せない。

マルティナは魔法の専門家だ。

しかも、王国でも有名な実力者。

そんな人物が、魔法について教えてくれるかもしれないというのだ。

それは、俺にとって非常に魅力的な話だった。

しかし、母は渋い顔をしていた

 

◇

 

それからしばらくして、ようやくマルティナが帰ることになった。

 

「本日はありがとうございました、アンネリーゼ様」

「こちらこそ、遠いところまでお越しいただき、ありがとうございました」

 

アンネリーゼは丁寧に頭を下げた。

 

「調査結果については、後日改めて書面をお送りいたします。今回の件は、ひとまず見間違いの可能性が高いということでよろしいでしょう」

「わかりました。使用人たちにも、あまり怖がらないよう伝えておきます」

「ええ。それがよいと思います」

 

マルティナは頷き、帰りの支度を整えた。

そして、客間を出る直前。

彼女は、もう一度俺を振り返った。

 

「ルシアニウス様」

「……はい」

 

俺はアンネリーゼのそばに立ったまま答えた。

 

「またお会いできる日を楽しみにしておりますね」

 

そう言って、マルティナは微笑んだ。

そして俺をじっと見つめている

 

「……マルティナ様?」

 

アンネリーゼも、彼女の視線に気づいたようだった。

マルティナははっとしたように瞬きをすると、すぐにいつもの落ち着いた表情へ戻った。

 

「失礼しました。あまりにもかわいらしいので、つい見入ってしまいました」

「まあ……」

「ルシアニウス様の将来が楽しみでございます」

 

俺は思わず、母さんの陰へ移動した。

 

「あら?」

 

アンネリーゼが不思議そうに俺を見下ろす。

俺はアンネリーゼの服をぎゅっと握った。

 

「……?」

 

マルティナが、不思議そうに首を傾げた。

 

「どうされましたか、ルシアニウス様?」

「……なんでもない」

 

俺は小さく答えた。

いや、なんでもなくはない。

さっきから視線が妙に熱い。

俺は母さんの後ろに隠れたまま、そっと顔を出した。

マルティナと目が合った。

彼女は微笑んだ。

俺は再び母さんの陰に隠れた。

 

マルティナは満足そうに微笑み、セレナの案内で屋敷を去っていった。

扉が閉まる。

ようやく、彼女の姿が見えなくなった。

俺は、ふうっと息を吐いた。

疲れた。

何もしていないはずなのに、ひどく疲れた気がする。

 

「ルシー、どうしたの?」

 

母さんが俺を抱き上げた。

 

「マルティナ様が怖かった?」

「……ちょっと」

 

正直に答えると、母さんはくすりと笑った。

 

「大丈夫よ。あの方は、とても優秀な魔術師なの。きっと、ルシーのことも気に入ってくださったのね」

「……そうなの?」

「ええ。ルシーはとてもいい子だもの」

 

母さんは俺の頬に軽く口づけをして、ぎゅっと抱きしめた。

……うん。

母さんが俺を大切にしてくれていることは、よくわかっている。

ただ、俺は今日、もう一つのことを理解した。

この世界では、男であるというだけで、周囲から特別な目を向けられることがある。

しかも、その特別扱いは、単に大切にされるというだけではない。

男性であることを理由に、何をしても許されると思い込む者もいる。

そして、そうした男性を当然のように受け入れてしまう環境も存在する。

わがままを言うことはあるかもしれない。

幼児なのだから、失敗することだってあるだろう。

それでも、自分が特別扱いされることを当然だと思わず、相手への感謝を忘れないようにしよう。

この世界で男として生きていくのは、想像していたよりも大変そうだ。




君は男であるが特別ではない( •̀ω•́ )σ
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。