※この作品はR-18です。

貞操逆転世界の傾国記   作:熟睡枕

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第2話 転生

――温かい。

 

最初に感じたのは、そんな感覚だった。

俺は、死んだのではなかったのか。

ぼんやりとした意識のなかで、そんな疑問を抱いた。

体の周囲を何かが包み込んでいる。

柔らかく、温かい。

まるで布団にくるまっているようだった。

いや、違う。

もっと密着している。

体の周りには液体のようなものがあり、身じろぎするたびに、ゆらゆらと揺れる感覚があった。

 

――何だ、これは。

――夢か?

 

死ぬ直前の記憶は、妙にはっきりと残っている。飲み会。夜道。塀の角。頭に走った衝撃。

あれが夢だったとは思えない。

では、ここはどこなのだろう。

目を開けようとした。

しかし、うまくいかない。

手を動かそうとしても、思うように動かせなかった。体そのものが小さな空間に押し込められているようで、身動きが取れない。

不思議なことに、苦しくはなかった。

むしろ、ひどく安心するような温もりがある。

 

◇

 

しばらく過ごしていると意識は少しずつはっきりしていった。

音が聞こえる。

規則正しく、ゆっくりと繰り返される音。

ドクン、ドクン、ドクン。

心臓の音だろうか。

俺のものではない。

では、誰のものなのか。

考えようとしたところで、体が大きく揺れた。

押されるような感覚。

周囲から圧迫され、体が狭い場所を通っていく。

何が起きているのか、まるでわからない。

ただ、温かかった空間が少しずつ変化していくのを感じた。

圧迫が強くなる。

体が押し出される。

そして――。

突然、世界が変わった。

 

◇

 

眩しい。

いや、眩しいのかどうかも、よくわからなかった。

それまで全身を包んでいた温もりがなくなり、冷たい空気が肌に触れる。

体が持ち上げられた。

誰かに抱えられているらしい。

視界はぼやけていて、何もかもが曖昧だった。目の前に人影がある。女性だろうか。白っぽい布を身につけているように見える。

 

――ここは……どこだ?

――何が起きた?

――俺は生きているのか?

 

必死に考えようとした、そのときだった。

 

「…………っ」

 

女性が何かを言った。

言葉らしい音の連なりだったが、何を言っているのかまったくわからない。

日本語ではない。

英語でもない。

少なくとも、俺が知っている言語ではなかった。

いや、そもそも外国なのか?

頭をぶつけて救急搬送され、知らない病院にいるのだろうか。

そんな可能性を考えたものの、どうにも様子がおかしい。

体が動かない。

声を出そうとしても、喉がうまく働かない。

視界のなかで、人影がいくつも動いている。

誰かが慌ただしく動き、別の誰かが何かを叫んだ。

何を言っているのかはわからない。

だが、声の調子から、どうやら普通の状況ではないらしい。

 

そして、ふと気づいた。

周囲が静かすぎる。

いや、正確には、人の声は聞こえる。

けれど、それ以外の音が少ないのだ。

機械音も、電子音も聞こえない。

ここは本当に病院なのか?

 

俺は何とか目を動かし、周囲の様子を確認しようとした。

すると、視界の端に、自分の手が映った。

……小さい。

あまりにも小さい。

ぷにぷにとした、丸っこい手。

指は短く、手のひらは驚くほど小さい。

 

――何だ、これは。

――俺の手なのか?

 

信じられない思いで、手を動かそうとした。

小さな指が、かすかに動く。

自分の意思に反応している。

間違いない。

これは俺の手だ。

背筋が凍るような感覚が走った。

いや、待て。

落ち着け。

俺は三十代の男だ。

仕事をしていて、ついさっきまで酒を飲んでいた。

それなのに、どうしてこんな手をしている?

どうして体が動かない?

どうして、目の前の人間が話している言葉を理解できない?

混乱する俺をよそに、女性が俺の体を手際よく拭いていく。

そして、何かを確かめるように俺の顔を覗き込んだ。

その表情が、わずかに変わった。

 

「…………!」

 

女性が鋭い声を上げた。

周囲の空気が、一瞬で張り詰める。

別の女性が駆け寄ってきた。

二人が俺の顔を覗き込み、何かを言い合っている。

声が上ずっている。

さっきまでとは明らかに違う。

何かあったのか?

俺に何か問題でもあるのか?

どうにかして状況を確認しようとした、そのとき。

ぺちんっ!

 

――っっっっ!?

 

尻に衝撃が走った。

突然のことに、頭の中が真っ白になる。

 

――何だ!?

――何をするんだ、この人は!

 

ぺちんっ!

もう一度、尻を叩かれた。

痛いというほどではない。だが、意味がわからない。

なぜ俺の尻を叩く?

俺は何もしていないぞ!

抗議しようと口を開く。

やめろ、と。

いい大人に何をするんだ、と。

そう言おうとした。

しかし――。

 

「…………」

 

声が出ない。

いや、正確には、息が漏れるだけだった。

女性の顔がますます険しくなる。

別の女性が俺の胸元に耳を当て、何かを確認しているようだった。

周囲の人影がさらに増えた。

誰もが落ち着かない様子で、次々に声を上げている。

 

――何が起きているのか、誰か説明してくれ!

 

そう思った瞬間、また尻に衝撃が走った。

ぺちんっ!

 

――やめろ!

 

ぺちんっ!

 

――だから、何なんだ!

 

ぺちんっ!

 

――もういい加減に――!

 

「おぎゃああああああっ!」

 

…………。

………………。

……………………え?

 

今の声、何だ?

いや、待て。

俺が出したのか?

 

「おぎゃあああああっ! ああああっ!」

 

また聞こえた。

耳元で響く、甲高い泣き声。

しかも、泣き声は俺が息を吸うたびに途切れ、吐くたびに大きくなる。

周囲の女性たちが、一斉に動きを止めた。

そして。

 

「……ああっ!」

 

一人の女性が、ほっと息を吐いた。

それを合図にしたかのように、張り詰めていた空気が一気に緩んだ。

別の女性が胸に手を当て、安堵したように目を閉じる。

誰かが、涙ぐんだ声で何かを言った。

それに続いて、周囲から次々と声が上がる。

もちろん、何を言っているのかはわからない。

それでも、さっきまでの不安が消え、みんなが安心していることだけは伝わってきた。

どうやら、俺が泣いたことで、何かが解決したらしい。

 

……いや。

そもそも、なぜ俺は尻を叩かれていたんだ?

泣いたら安心された?

つまり、俺が泣くことに何か意味があったのか?

必死に考えていると、女性が俺を抱き上げ、優しく背中をさすった。

その手つきは、先ほどまでの慌ただしさが嘘のように丁寧だった。

俺の顔を覗き込み、何かを話しかけてくる。

もちろん、言葉はわからない。

けれど、声の調子は優しかった。

そして、ようやく少しだけ落ち着いた俺は、自分の体を改めて確認した。

小さな手。

短い指。

思うように動かない腕。

そして、泣くことしかできない喉。

 

……まさか。

いや、そんなはずはない。

ありえない。

だが、ほかに説明がつかない。

俺は死んだ。

そして今、赤ん坊になっている。

そんな馬鹿な。

そんなことが現実に起きるわけがない。

けれど、目の前の光景は、俺の常識を容赦なく否定していた。

知らない場所。

知らない人々。

知らない言葉。

そして、赤ん坊になってしまった自分。

 

……本当に、転生したのか?

頭の中がぐちゃぐちゃだった。

ただ、一つだけ確かなことがある。

俺は、もう元の体ではない。

それどころか、三十年以上生きてきた人間が、いきなり生まれたばかりの赤ん坊になっているのだ。

何がどうなっているのか、まったく理解できない。

だが、考えることはできる。

前世の記憶も、知識も、今のところ失われてはいない。

ならば、まずは状況を把握しなければならない。

ここはどこなのか。

目の前の人々は誰なのか。

なぜ自分が赤ん坊になっているのか。

そして、これからどうやって生きていけばいいのか。

問題は山積みだった。

……もっとも。

今の俺にできることは、ほとんどなかったのだが。

 

「……あぅ」

 

小さな声が漏れた。

女性が嬉しそうに微笑む。

そして、俺を胸元に抱き寄せた。

温かい。

柔らかい。

さっきまでの混乱が、ほんの少しだけ和らいだ。

女性は何かを繰り返し口にしていた。

同じ音の並び。

何度も、何度も。

 

そのなかに、ひときわ耳に残る音があった。

 

「……ルシアニウス」

 

……ん?

今、何と言った?

聞き取れたわけではない。

意味もわからない。

ただ、その音だけは、なぜか繰り返し耳に残った。

ルシアニウス。

ルシアニウス。

女性は俺の顔を見つめながら、何度もその音を口にしている。

ほかの言葉とは違い、その音を発するときだけ、どこか優しい表情を浮かべている気がした。

 

もしかして……。

これが、俺の名前なのだろうか。

確証はない。

言葉が理解できない以上、単なる推測にすぎない。

それでも、そう考えると、妙にしっくりきた。

ルシアニウス。

どうやら、今の俺はそう呼ばれているらしい。

その名前を頭の中で繰り返す。

ルシアニウス。

俺は、ルシアニウス。

……いや、まだ決まったわけではない。

そもそも、どうして俺がこんなことになっているのかもわからないのだ。

だが、今すぐ答えが出る問題ではない。

何より、ひどく眠い。

生まれたばかりの体というものは、どうやら思っていた以上に疲れやすいらしい。

女性に抱かれたまま、俺はゆっくりと目を閉じた。

意識が遠ざかっていく。

最後に聞こえたのは、何度も繰り返される、あの聞き慣れない音だった。

ルシアニウス。

 

――それが、俺の新しい人生の始まりだった。

このときの俺は、まだ知らなかった。

この世界では、男という存在がどういったものなのか。

そして何より。

これから始まる第二の人生が、俺の想像以上に騒がしく、甘く、そして女性に囲まれたものになることを。

 




生まれました
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