「何がどうなっているのか、説明してちょうだい」
もう言い逃れはできない
逃げ道はない。
俺は観念して口を開いた。
「……魔法の練習をしていました」
「魔法?」
アンネリーゼの表情が固まった。
エレオノーラとエリザベートも、驚いたように目を見開く。
「ルシー、今、魔法と言ったの?」
「はい……」
「いつから?」
「……小さい頃からです」
沈黙。
部屋の中に、なんとも言えない空気が流れた。
アンネリーゼは俺を抱きしめたまま、目を閉じた。
そして、ゆっくりと息を吸い込む。
「……そう」
その声は、先ほどまでの安堵に満ちたものとは違っていた。
「つまり、ルシーは、私たちに内緒で魔法の練習をしていたのね?」
「……はい」
「一人で?」
「………はい」
「誰にも教わらずに?」
「…………はい」
質問されるたびに、俺の声は小さくなっていった。
アンネリーゼの表情から、笑みが消えていく。
「ルシアニウス」
「……はい」
あ、これは、本気で怒っているときの呼び方だ。
「あなたは、自分が何をしたのか、わかっているの?」
「……わかっています」
「いいえ、わかっていないわ」
アンネリーゼの声が、部屋に響いた。
「魔法は、扱い方を誤れば自分だけでなく、周囲の人々まで危険にさらすものよ。あなたが無事だったからよかったものの、もし破片が身体に刺さっていたら? 屋根が崩れて下敷きになっていたら? 火事が起きていたら? あなたが一人で対処できない事故が起きていたら、どうするつもりだったの!?」
「……っ」
返す言葉がなかった。
俺は前世の知識があることもあり、魔法の制御には自信を持っていた。
だが、今の俺は五歳の子供にすぎない。
知識があっても、疲労で判断力が落ちることはある。どれだけ慎重に考えていても、失敗を完全になくすことはできない。
今回の事故は、そのことを嫌というほど教えてくれた。
「……ごめんなさい、母様」
「謝れば済む問題ではありません」
アンネリーゼはきっぱりと言った。
「魔法の練習をしていたことも、危険を隠していたことも、今まで何も相談してくれなかったことも、全部問題です」
「……はい」
「それに、あなたは小さいころからと言いました。私たちにばれていないだけで、以前にも何かやらかしていたのではないかしら?」
「…………」
ぎくりとした。
アンネリーゼの目が細くなる。
「ルシアニウス?」
「……ええと」
「正直に話しなさい」
俺は、しばらく黙っていた。
しかし、ここまできて隠し通せるとは思えなかった。
「……前に、空を飛んで屋敷の中を徘徊していたことがあります」
「空を?」
「本を浮かせたり、自分の身体を浮かせたりして……」
アンネリーゼの顔が、ぴたりと止まった。
そして、ゆっくりと振り返る。
「……あの幽霊騒ぎのこと?」
「…………はい」
そう。
以前、俺が身体を浮かせて屋敷の中を移動していた際、侍女に目撃されて大騒ぎになったことがある。
あのときは幽霊だと思われ、屋敷中が大混乱になった。
結局、原因はわからないまま、事件はうやむやになっていたはずだった。
それが、まさかこんな形で掘り返されるとは。
「……あのときの幽霊は、ルシーだったのね?」
「……はい」
アンネリーゼは片手で額を押さえた。
エレオノーラは口元を押さえ、エリザベートは目を丸くしている。
「ルシー……あなた、あのときから魔法を使っていたの?」
「……そうです」
「どうして黙っていたの?」
「……怒られると思って」
「今、怒られているわよ?」
「……はい」
リーザ姉さまの指摘は、実に最もだった。
俺は何も言い返せなかった。
◇
その後、部屋の片付けと応急処置の手配が始まった。
アンネリーゼは屋敷の修繕を指示し、侍女たちは破片を集め、倒れた家具を片付けていく。
俺はというと、アンネリーゼの前に座らされていた。
逃げ道はない。
「ルシー。今後、許可なく一人で魔法の練習をすることは禁止します」
「……はい」
「魔法を使いたいのであれば、きちんと指導を受けなさい。あなたの身を守るためでもあるのよ」
「……はい」
「それから、疲れているときに無理をしないこと。魔法に限らず、何かを学ぶときにも同じです。集中できない状態で続けても、よい結果にはならないでしょう?」
「……はい」
アンネリーゼの言葉は、どれも正しかった。
それなのに、俺は自分のこととなると、その基本をおろそかにしてしまった。
反省するしかない。
そして、アンネリーゼからの説教が終わったあと。
「……ルシアニウス様」
今度は、セレナが俺の前に立った。
その顔には、いつもの穏やかな微笑みがなかった。
「私からも、お話があります」
「……はい」
「……どうして、私に何も相談してくださらなかったのですか?」
セレナの静かな問いかけに、俺はうつむいた。
「……自分でできると思っていました」
「それだけでしょうか?」
すぐに返事ができなかった。
セレナは俺の専属侍女だ。勉強の手助けも、日々の予定の管理も、必要であれば相談相手になることも、彼女の役目である。
それなのに、俺は魔法の練習について何も話さず、ずっと一人で続けてきた。
当然、セレナからすれば不満もあるだろう。
「……前に、魔法を教えてほしいってお願いしたことがあったと思います」
「はい。覚えております」
「あのとき、セレナは、僕は男の子だから、今はお絵描きやお茶会をして遊んでいたほうがいいって言ったのでやっちゃいけないことかと……」
セレナの表情が、わずかに変わった。
「だから、自分で勉強してみようと思って……」
言いながら、俺は自分の考えが少し子供じみていることに気づいた。
実際、俺は五歳なのだから、子供じみていて当然なのだが。
それでも、あのときの言葉が心に残っていたのは確かだった。
セレナは、しばらく黙っていた。
「……そうでしたか」
やがて、彼女は小さく息を吐いた。
「申し訳ありません。あのときは、ルシアニウス様が魔法に興味をお持ちだとは思っておりましたが、本格的に学びたいとお考えだとは理解しておりませんでした」
「……ううん。僕も、ちゃんと説明しなかったから」
「いいえ。私も、もう少しお話を聞くべきでした」
セレナは俺の目線に合わせるように、少しだけ身をかがめた。
「ただ、ルシアニウス様。あのとき私が申し上げたのは、男の子だから魔法を学ぶことはいけない、という意味ではございません」
「……そうなの?」
「はい。貴族の男子は、将来の生活や社交について学ぶことが多く、魔法の教育はしないことも多いです。それに、幼い子供が十分な指導もなく魔法を使うのは危険です。私は、そうした事情からお勧めしなかったのです」
セレナはそこで一度言葉を切った。
「ですが、ルシアニウス様がこれほど熱心に魔法を研究されていたのであれば、私も別の対応を考えるべきでした」
責められると思っていた俺は、少しだけ驚いた。
セレナは、ただ俺を叱りたいわけではないのだろう。
俺が何を考え、どうして秘密にしていたのか。それを知ろうとしてくれている。
「……ごめんなさい。勝手に練習して、天井まで壊して」
「はい。本当に危険なことでした」
セレナはきっぱりと答えた。
「ですが、魔法を学びたいというお気持ちまで否定するつもりはございません。今後は、アンネリーゼ様のご指導のもと、安全に学べるようにいたしましょう」
「……うん」
「その代わり、もう一人で無理をなさらないと約束してください」
「約束する」
俺が頷くと、セレナはようやく、いつもの穏やかな表情を少しだけ取り戻した。
今回のことは、俺が勝手に秘密を抱え込んだせいで起きた事故だ。
だが、その原因の一つには、以前のやり取りで俺が魔法を学ぶことを諦めかけた、という事情もあった。
もちろん、それで今回の失敗が許されるわけではない。
ただ、思っていることをきちんと伝えなければ、相手には伝わらないのだ。
前世でも、設計の現場で何度も経験したはずのことだった。
――まさか、五歳にして侍女との意思疎通の大切さを学ぶことになるとは。
俺は、もう一度だけセレナに謝った。
その後にもいくつか注意を受けた。
夜更かしをしないこと。
勉強も魔法も、休憩を挟んで行うこと。
自分の能力を過信しないこと。
そして、何か問題が起きたら、隠さずにすぐ報告すること。
どれも正論だった。
正論だったが……。
――アンネリーゼに怒られたあと、セレナにも怒られるとは。
今日は本当に、散々な一日である。
◇
すべての騒ぎが落ち着いた頃には、すっかり夜も更けていた。
部屋の天井には応急処置が施され、俺は別の部屋で休むことになった。
ただし、寝る前にアンネリーゼから最後の通告があった。
「ルシー。明日の午前中、私の部屋に来なさい」
俺は肩をびくっと震わせた
「……ごめんなさい」
じぶんでもびっくりするくらい泣きそうな声が出た
そんな俺を見て母がぎゅっと抱きしめる
「そんな顔をしなくてもこれ以上怒ったりしませんよ。ただ、あなたの魔法を見せてもらいます」
優しい声での逃げ場のない宣告だった。
「今までどのような魔法を使ってきたのか、どれほど制御できるのか、きちんと確認する必要があります。あなたの力を正しく把握したうえで、今後の指導方針を決めましょう」
「……はい」
「もちろん、私の目の届くところでね」
アンネリーゼはにっこりと微笑んだ。
その笑顔に、俺は何も言い返せなかった。
こうして、俺の秘密の特訓は、あっけなく幕を閉じた。
いや、正確には、秘密でなくなっただけだ。
これからはアンネリーゼの監督のもとで、正式に魔法を学ぶことになるのだろう。
それ自体は悪い話ではない。
むしろ、正しい方法で指導を受けられるのはありがたいことだ。
俺は寝台に横になり、天井を見上げた。
そこには、先ほどまであったはずの星空はない。
代わりに、見慣れない部屋の天井が広がっていた。
「……明日、どうしよう」
呟いた声は、誰にも届かない。
今回の失敗で、俺は一つ学んだ。
魔法は便利だ。
工夫次第で、さまざまなことができる。
だが、制御を誤れば、天井すら吹き飛ばす。
そして何より――。
隠し事は、失敗したときが一番面倒くさい。
俺は深くため息をつき、目を閉じた。
明日は、きっと長い一日になるだろう。