マルティナ先生が再び屋敷を訪れたのは、母に魔法を披露してから2週間後のことだった。
その日の午前中、俺はいつものようにセレナと勉強の予定を確認していた。
「ルシアニウス様。本日は午後から、マルティナ様がいらっしゃる予定です」
「マルティナ先生が?」
「はい。アンネリーゼ様から、魔法の指導をお願いされたそうです」
俺は少しだけ緊張した。
マルティナ先生は、以前、屋敷で起きた幽霊騒ぎを調べるために訪れた有名な魔法使いだ。あのときはアンネリーゼの後ろに隠れていたので、ほとんど話をすることもなかった。
まさか、その人から直接魔法を教わることになるとは思っていなかった。
「……わかった。ちゃんと挨拶するよ」
「はい。よろしくお願いいたします」
セレナはいつものように微笑んだ。
◇
午後。
応接室に入った俺を待っていたのは、以前と変わらない女性だった。
艶のある髪に、落ち着いた衣装。整った顔立ち。そして、魔法使いらしい独特の雰囲気。
マルティナ先生は、俺の姿を認めると、ぱっと顔を輝かせた。
「ああ……! またお会いできましたね、ルシアニウス様!」
「お久しぶりです、マルティナ先生」
俺が礼儀正しく頭を下げると、先生は両手を胸の前で組んだ。
「ふふっ、あのときはほとんどお話しできませんでしたから。こうして改めてお会いできるなんて、本当にうれしいです」
そう言いながら、先生は俺をじっと見つめてきた。
熱のこもった視線だった。
まるで、長年探し求めていた珍しい魔法道具を目の前にした研究者のような目である。
……いや、魔法道具に失礼かもしれない。
「…………」
「…………」
先生は微笑んだまま、なかなか視線を外さない。
俺は少し居心地が悪くなった。
「あの……?」
「失礼。つい、うれしくなってしまいました」
マルティナ先生は、ようやく視線を和らげた。
しかし、その目にはまだ強い好奇心が残っている。
アンネリーゼが隣で小さく咳払いをした。
「マルティナ先生。今日はルシアニウスの魔法の指導をお願いしたく、お越しいただきました。どうか、よろしくお願いいたします」
「もちろんです、アンネリーゼ様。お任せください」
先生は姿勢を正した。
「ルシアニウス様が魔法を使えることは、以前の一件から気になっておりました。今回、その実際の能力を確かめ、きちんと指導できる機会をいただけたことを光栄に思います」
言葉遣いは丁寧だ。
だが、目の輝きは少しも衰えていなかった。
俺は、これから先の授業が少し心配になった。
◇
「それでは、まずは現在使える魔法を見せていただけますか?」
マルティナ先生の提案で、俺は以前、アンネリーゼたちに披露した魔法をいくつか見せることになった。
水の生成と精密な操作。
炎で作ったライオン。
自分自身の浮遊。
空中での折り紙。
そして、電気の発生。
先生は最初こそ興味深そうに眺めていたが、披露が進むにつれて、その表情が変化していった。
水の球を複数の小さな水滴に分け、それぞれを独立して動かしたとき。
「……え?」
炎のライオンに歩かせ、尻尾を振らせたとき。
「ちょ、ちょっと待ってください。今のは、どうやって……?」
空中で折り鶴を作り、部屋の中を飛ばしたとき。
「そんな制御が可能なのですか!?」
そして、指先に青白い放電を生じさせたときには、とうとう先生は椅子から身を乗り出した。
「これは……!」
その目は、先ほどとは別の意味で輝いていた。
俺は少しだけ身構えた。
「ルシアニウス様。これらの魔法は、どなたかから教わったものですか?」
「いいえ。自分で考えました」
「すべて?」
「はい。基本的には……」
マルティナ先生は、ゆっくりと椅子に座り直した。
「……すばらしい」
心から感心しているようだった。
「魔法の威力が高いというだけではありません。魔法の構造を考え、細かな制御を組み立てている。しかも、複数の現象を同時に扱っている……」
先生は、しばらく考え込んだ後、俺に向き直った。
「ルシアニウス様。これから私が魔法をお教えするにあたり、最初にお伝えしておきたいことがあります」
「はい」
「今のあなたは、すでに一般的な魔法教育の枠から大きく外れたことをしています。ですから、既存の方法を一方的に教え込むのではなく、あなたが何を考え、どのように魔法を使っているのかを理解しながら、指導を進めたいと思います」
その言葉には、好奇心だけでなく、教師としての誠実さも感じられた。
俺は、少しだけ安心した。
「よろしくお願いします、先生」
「こちらこそ。……ああ、でも、先生という呼び方もよいですが」
マルティナ先生は、いたずらっぽく微笑んだ。
「これから長く指導することになるでしょうから、師匠と呼んでいただいても構いませんよ?」
「師匠、ですか?」
「ええ。魔法を学ぶ弟子と、それを教える師匠。なかなか素敵な関係だと思いませんか?」
そう言われると、確かにそれらしい。
俺は少し考えてから、頷いた。
「……わかりました。よろしくお願いします、師匠」
「はい! よろしくお願いしますね、ルシアニウス様!」
先生は、とてもうれしそうに笑った。
その笑顔を見て、俺はふと思った。
――この人、もしかして俺に会いたかっただけではないだろうか。
いや、さすがにそれは考えすぎか。
◇
魔法の披露が終わると、マルティナ師匠は、まず俺の魔素量を測定することにした。
「魔法の能力を評価する際、制御の精度は重要ですが、それだけでは全体像を把握できません。どれほどの魔素を扱えるのかも、知っておく必要があります」
先生が取り出したのは、手のひらほどの大きさの魔法具だった。
透明な結晶を金属製の枠で囲ったもので、表面には目盛りのような刻印が刻まれている。
「この魔法具に、一定時間、魔素を注ぎ込んでください。注ぎ込まれた量に応じて、内部の結晶が反応します」
「わかりました」
俺は魔法具に手を添え、魔素を送り込んだ。
魔法具の内部が淡く光り、刻印に沿って光が上昇していく。
しばらくすると、先生が合図をした。
「はい、そこまでです」
俺は魔素を注ぐのをやめた。
師匠は魔法具を確認し、測定結果を記録した。
「……なるほど」
「どうでしたか?」
「魔素の総量は、平均的な女性兵士よりそこそこ多い程度ですね。もちろん男性としてや同年代と比較すると規格外ですが」
意外な結果だった。
自分では、かなり魔法を使いこなせるようになったと思っていたのだが、魔素の量そのものは特別多いわけではないらしい。
「そうなんですね……」
「ですが、魔素の量と魔法の上手さは別の話です」
師匠は、俺の反応を見て微笑んだ。
「同じ量の魔素を使っても、扱い方によって生み出せる現象は変わります。あなたの場合、特に制御の精度と魔法の組み立て方が優れているようですね」
それは、俺にとって納得のいく説明だった。
前世で機械設計をしていた経験が、魔法にも生きているのかもしれない。
ただし、これだけで結論を出すのは早い。
今後、師匠の指導を受けながら、もっと詳しく調べていこう。
「それでは、次に基本的な魔法を確認しましょう」
師匠はそう言って、俺の前に立った。
「水や炎を生み出すこと、物を浮かせること。それらはすでに十分な技術をお持ちのようです。ですが、魔法にはほかにも、覚えておくべき基本があります」
そう言って、師匠は自分の腕に魔素を巡らせた。
すると、腕の表面が淡く光った。
「これは身体強化です。魔素を身体に巡らせ、筋力や反応速度などを一時的に高めます。戦闘ではもちろん、重い物を運んだり、身体を守ったりするときにも使われます」
俺は、その光をじっと見つめた。
身体強化。
以前、姉たちと一緒に軍の演習を見学したとき、兵士たちが使っていた魔法だ。
あのときは、身体強化を使っても、身体の表面が光っているようには見えなかった。
しかし、今の師匠の腕は、確かに淡く発光している。
「……師匠、一つ質問してもいいですか?」
「もちろんです」
「身体強化を使うと、身体が光るんですか?」
師匠は、自分の腕を見下ろした。
「常にそうなるわけではありません。魔素をどのように巡らせるかによって、見え方は変わります」
「そうなんですか?」
「ええ。魔素を身体の表面近くに多く集めると、外から光が見えやすくなることがあります。反対に、身体の内部を中心に巡らせれば、外からはほとんどわからない場合もあります」
なるほど。
身体強化は、単に身体の能力を高めるだけではない。魔素を身体のどこに、どのように配置するかによって、外見上の変化も生じるということか。
俺は自分の手を見つめた。
「……僕も、やってみていいですか?」
「もちろん。まずは腕だけで試してみましょう」
俺は師匠の動きを真似し、魔素を腕へと巡らせた。
筋肉の動きや骨格を意識しながら、必要な部分に魔素を集めていく。
すると、腕がほんのりと光り始めた。
「……できました」
「ええ、できていますね。初めてにしては、かなり滑らかです」
師匠が感心したように頷いた。
しかし、俺の意識は別のことに向いていた。
――光っている。
俺の腕が、淡く発光している。
透視魔法を使ったときにも、目が光るという問題があった。
あの現象も、もしかすると同じ原理なのだろうか。
俺は、身体強化を維持したまま尋ねた。
「師匠。魔法を使うと、身体の一部が光ることがあるんですよね?」
「はい。特に、魔素を集中させている部分は、そうなる場合があります」
「……どうして光るんですか?」
師匠は少し考えた。
「詳しい仕組みは、まだ研究が進んでいない部分もあります。ただ、魔素が強く集中したとき、周囲の魔素や物質に影響を与え、光として観測されることがあると考えられています」
「魔素が集中すると……」
「ええ。もちろん、すべての魔法で光るわけではありません。光が生じる条件も、魔法の種類や制御方法によって異なります」
俺は、その説明を頭の中で整理した。
透視魔法では、魔素を目の周囲に集めている。
そして、身体強化では、魔素を腕に巡らせることで発光が起きている。
つまり、透視魔法の際に目が光るのも、目の周囲に魔素を集中させていることが原因なのかもしれない。
もしそうなら、改善方法も考えられる。
魔素を一点に集中させるのではなく、必要な範囲へ分散させる。
あるいは、魔法の効果を維持したまま、魔素の流れを身体の内部へ誘導する。
もちろん、まだ仮説にすぎない。
だが、試してみる価値はある。
「……ありがとうございます、師匠。少し、わかった気がします」
「それはよかったです。魔法の仕組みについて疑問を持つことは、とても大切ですよ」
師匠はうれしそうに微笑んだ。
「では、身体強化をもう少し練習しましょう。まずは腕、次に脚、最後に全身へと広げていきます。無理に強くする必要はありません。魔素の流れを感じながら、少しずつ調整してください」
「はい」
俺は教えられたとおり、身体強化の練習を続けた。
魔法を使うための魔素の操作と、身体の動きに合わせて魔素を巡らせる操作。
似ているようで、意識すべき点は少し違う。
師匠の指導は的確で、俺がうまくできない部分を見つけると、すぐに別の方法を提案してくれた。
独学では気づかなかったことも多い。
やはり、専門家に教わる意味は大きいのだろう。
◇
身体強化の基礎を一通り確認した頃、師匠がふと思い出したように言った。
「そういえば、ルシアニウス様は、剣術を習ったことはありますか?」
「いいえ。まだありません」
「そうですか。身体強化を覚えたのであれば、少しだけ剣術もやってみましょうか」
「剣術、ですか?」
「ええ。魔法は便利ですが、身体の動かし方を知っておくことも大切です。身体強化を使うなら、なおさらですね」
師匠はそう言って、部屋の隅に置かれていた木剣を手に取った。
……魔法の先生なのに、剣術も教えられるのか。
そう思っていると、師匠は俺の考えを読んだかのように笑った。
「魔法使いだからといって、魔法だけを学べばよいわけではありません。いざというときに自分の身を守れることは、大切ですから」
確かに、そのとおりだ。
この世界では、女性の身体能力が男性を大きく上回る。魔法が使えるからといって、接近されたときに必ず勝てるとは限らない。
それに、身体強化と剣術を組み合わせれば、魔法だけではできないことも可能になるかもしれない。
「……お願いします、師匠」
「はい。それでは、まずは構えからですね」
師匠は木剣を俺に渡し、持ち方を教えてくれた。
剣を握る手の位置。
足の開き方。
身体の重心。
どれも、前世で機械の動作を考えていたときのように、理屈を理解すると納得しやすかった。
もちろん、実際に身体を動かすのは別の話だ。
思ったように剣を振れず、何度か姿勢を直される。
それでも、師匠は急かすことなく、丁寧に指導してくれた。
「最初からうまくできる必要はありません。身体に覚えさせていきましょう」
「はい」
こうして、魔法の授業は剣術の初歩にまで広がった。
◇
その日の夕方。
俺はセレナに手伝ってもらいながら、授業で学んだことをノートにまとめていた。
水や炎の制御。
身体強化の基礎。
魔素の集中と発光の関係。
そして、剣術の構え。
特に、魔素の集中によって光が生じるという話は、透視魔法の改善につながる可能性がある。
目の周囲に集めていた魔素を、別の形で制御できれば、発光を抑えられるかもしれない。
早く試してみたい。
ただし、昨日の事故を思い出すと、今すぐ夜中に一人で実験するのは避けたほうがよさそうだ。
……いや、本当に避けるべきだろう。
アンネリーゼにも、セレナにも、もう心配をかけたくない。
俺はノートを閉じた。
「セレナ。明日からの魔法の授業も、今日と同じ時間かな?」
「はい。マルティナ様には、しばらく定期的にお越しいただく予定です」
「そっか」
「何か楽しみなことでもございますか?」
「……うん。まだ知らないことが、たくさんあるから」
俺がそう答えると、セレナは穏やかに微笑んだ。
「それはよいことですね、ルシアニウス様」
俺は頷いた。
魔法の仕組みは、まだわからないことだらけだ。
身体強化一つをとっても、魔素の巡らせ方や発光の仕組みなど、考えるべきことはいくらでもある。
それに、剣術まで学ぶことになった。
これからは、独学では気づけなかったことも、少しずつ理解できるようになるだろう。
そして、透視魔法の発光を抑える手がかりも見つかった。
もちろん、まだ仮説にすぎない。
だが、試してみる価値は十分にある。
俺はノートの表紙をそっと撫でた。
――師匠ができた。
これからの魔法研究は、きっと今までとは違うものになる。
そんな期待を胸に、俺は明日の授業に備えて、早めに寝ることにした。