午前中は貴族教育、午後はマルティナ師匠から魔法を学び、時間があればグレーテから剣術の指導を受ける。
そんな生活が始まってから、しばらくが経った。
最初の頃は慣れない勉強に疲れることもあったが、今ではすっかり日常の一部になっている。セレナが授業の予定や資料を整理してくれるおかげで、自由に使える時間も確保できていた。
もちろん、空いた時間を無駄にするつもりはない。
魔法の研究は順調に進んでいるし、領地について学ぶことにも興味がある。前世の知識を生かせそうな分野も少しずつ見えてきた。
とはいえ、まだ五歳だ。
できることには限りがある。焦らずに知識を蓄え、将来に備えることが今の俺にできる最善の方法だろう。
そんなある日の午後。
「ルシアニウス様、今日は少し違うことをお話ししましょうか」
魔法の授業を終えたマルティナ師匠が、いつものように楽しそうな笑顔を浮かべながら言った。
「違うこと、ですか?」
「ええ。ルシアニウス様は、魔法について学ぶ場所が、この屋敷以外にもあることをご存じですか?」
「魔法について学ぶ場所……?」
俺は首を傾げた。
魔法を使える人間がいるのだから、専門的に研究する施設や教育を行う機関が存在していても不思議ではない。
しかし、これまで俺が知ったのは、魔法の基礎を家庭教師や身近な魔法使いから学ぶということくらいだった。
「もしかして、魔法学校のことでしょうか?」
「あら。知っていたのですね」
「いえ、名前を聞いたことがあるわけではありません。ただ、魔法を専門に学ぶ学校があるのではないかと思っただけです」
「なるほど。では、今日はその魔法学校についてお話ししましょう」
師匠は満足そうにうなずくと、俺の向かいに腰を下ろした。
◇
「王都には、王立魔法学園という教育機関があります。魔法を学ぶだけでなく、魔法そのものを研究するための設備も整っているのですよ」
王立魔法学園。
いかにもファンタジーらしい名前だ。
この世界にも、魔法を専門的に学ぶための学校があるらしい。
「そこでは、どのようなことを学べるのですか?」
「基礎的な魔法の扱い方から、魔素の性質、魔法の制御、既存の魔法の分析まで、幅広く学べます。研究に力を入れている生徒なら、教員の指導を受けながら、自分で研究課題を設定することもできますね」
「自分で研究課題を……?」
思わず身を乗り出してしまった。
今の俺にとって、魔法の研究は最大の関心事だ。
自分の頭の中で考え、実際に試し、結果を記録して次の実験につなげる。それ自体は楽しいのだが、わからないことがあっても、相談できる相手は限られている。
師匠は優秀な魔法使いだが、すべての分野に精通しているわけではない。
そもそも、魔法の研究がどこまで進んでいるのかさえ、俺はほとんど知らないのだ。
もし、専門的な設備や資料がそろっている場所で研究できるのなら、今まで思いつかなかったことにも挑戦できるかもしれない。
「入学するには、どのような条件があるのでしょうか?」
「一般の生徒として入学するなら、一定の学力や魔法の適性が必要になります。ただ、特に優れた才能を持つ者は、特待生として迎えられることもあります」
「特待生、ですか」
「ええ。学費などの負担が軽減される場合もありますし、一般の生徒より早く研究に参加できることもあります。もちろん、入学後も相応の成果を求められますけれどね」
なるほど。
単に魔法を教わるだけではなく、才能のある人間を集め、研究者として育てる仕組みもあるらしい。
これは想像以上に魅力的な話だった。
「師匠も、そこに通っていたのですか?」
「はい。私も王立魔法学園の出身ですよ」
師匠は少し懐かしそうに微笑んだ。
「当時は、魔法の仕組みを解き明かすことに夢中でしてね。授業が終わってからも研究室に入り浸って、先生方に何度も注意されたものです」
「師匠にも、そのような時期があったのですね」
「どういう意味でしょう?」
「いえ……今も、あまり変わらないのかなと」
「あらあら。ルシアニウス様も、なかなかおっしゃいますね」
師匠は笑っていたが、どこか図星を突かれたようにも見えた。
実際、俺の魔法を見たときの師匠の様子を思い出せば、研究に夢中になる性格だというのはよくわかる。
興味を持ったことには、とことん向き合う。
その姿勢は、研究者として見習うべきものかもしれない。
「さらに、王立魔法学園という名前ですが、魔法以外の勉強もできるのです。名前だけを見ると魔法を専門に教える学校のように思えるでしょうけれど、実際にはさまざまな学問を学べる総合的な教育機関なのですよ」
師匠は指を折りながら説明を続けた。
「たとえば、騎士を目指す者が剣術や戦術、身体強化魔法や剣術を学ぶ騎士科。衣服の仕立てや装飾、染色などを学ぶ服飾科。ほかにも、薬学や錬金術、歴史、経済、魔道具の製作など、専門的な学科が設けられています」
「服飾まであるのですか?」
「ええ。貴族の衣服を仕立てる職人や、王宮に仕える者を目指す生徒もいますからね。魔法と直接関係のない分野であっても、王国を支えるために必要な学問は数多くあります」
なるほど。
魔法学校というより、魔法研究を中心に据えた大規模な学園都市に近いのかもしれない。
騎士を育て、職人を育て、研究者を育てる。
さまざまな分野の人間が同じ場所に集まっているなら、学問同士の交流も盛んになるだろう。
それは研究を進めるうえでも、大きな利点になりそうだった。
「それに、学園は人と人が出会う場所でもあります」
「出会う場所、ですか?」
「はい。騎士科の生徒が、卒業後に仕える相手を探したり、貴族家が将来の護衛や側近を探したりすることもあります。服飾科などで学ぶ生徒も、卒業後の就職先や、自分の腕を生かせる場所を探していますからね」
師匠はそこで、少し意味ありげに微笑んだ。
「もちろん、学問や仕事だけではありません。将来の伴侶を探すために、学園での出会いを大切にする方もいらっしゃいますよ。もっとも男性はほとんどいませんけどね」
「……なるほど」
この世界では、男女比が大きく偏っている。
男性は非常に少なく、女性が社会の大部分を担っている。貴族の男性ともなれば、結婚相手を探す女性は多いだろう。
そう考えると、学園が出会いの場として機能しているという話にも納得できる。
もっとも、今の俺にはまだ先の話だ。
五歳の子供が結婚相手について真剣に考える必要はない。
それよりも、気になることがあった。
「師匠。王立魔法学園では、研究にどれくらい集中できるのでしょうか?」
「ふふっ。やはり、そこが気になりますか」
師匠は俺の反応を楽しむように目を細めた。
「研究を目的に入学した生徒なら、相応の時間を研究に使えます。特待生として認められれば、設備や資料を利用する際にも便宜を図ってもらえるでしょう。もちろん、基礎学力や必要な授業をおろそかにすることはできませんけれど」
それでも、今の環境とは大きく違う。
俺は魔法を研究したい。
ただ魔法を使えるようになるだけではなく、その仕組みを理解し、これまで誰も考えなかった使い方を見つけたい。
そして、できることなら、その成果を領地の発展にも役立てたい。
魔法によって農作業を効率化したり、道具の製作を容易にしたり、生活に必要な設備を整えたりできれば、領民の暮らしを豊かにできるかもしれない。
まだ具体的な方法が見えているわけではないが、研究に集中できる環境があれば、その可能性も広がるはずだ。
「……とても魅力的な場所ですね」
「そうでしょう?」
師匠はうれしそうにうなずいた。
そして、少しだけ声の調子を変えた。
「ルシアニウス様。ひとつ、提案があるのですが」
「提案、ですか?」
「将来、王立魔法学園に入学してみませんか?」
思いがけない言葉に、俺は目を瞬かせた。
「僕が、ですか?」
「ええ。もちろん、今すぐという話ではありません。まずは必要な知識を身につけ、魔法の腕を磨くことが先です。ただ、ルシアニウス様には、研究者として大きな可能性があると思うのです」
師匠はいつになく真剣な表情だった。
「魔法の才能というのは、魔素をどれだけ扱えるかだけで決まるものではありません。ルシアニウス様は、魔法を発動する際の制御が非常に精密ですし、現象を感覚だけで捉えず、仕組みから考えようとしている。その考え方は、研究を進めるうえで大きな強みになります」
「……そうでしょうか」
「ええ。私が保証します」
師匠は迷いなく答えた。
「特待生として入学できれば、研究に必要な設備や資料を利用できます。そこで成果を積み重ねていけば、卒業後に学園の研究者として残る道もありますし、いずれは講師として後進を育てることもできるでしょう」
研究者。
そして、講師。
どちらも魅力的な将来像だった。
前世では、機械設計の仕事をしていた。
設計したものが実際に形になり、動き、誰かの役に立つ。それは大きなやりがいだった。
だが、今世では魔法という未知の技術がある。
もし、その仕組みを解き明かし、誰も思いつかなかった応用方法を見つけられたら。
もし、その研究成果を領地の産業に取り入れることができたら。
「少し、考えてみます」
「ええ。今すぐ答えを出す必要はありませんよ」
師匠は満足そうに微笑んだ。
「ただ、私はルシアニウス様が学園に来てくださる日を楽しみにしています。優秀な研究者がひとり増えることは、学園にとっても喜ばしいことですからね」
その言葉を聞きながら、俺はふと思った。
「……師匠は、僕が入学したら、また教えてくださるのですか?」
「もちろんです!」
即答だった。
「私も、学園で研究を続けていますから。研究室に来てくだされば、いつでも歓迎しますよ」
「それは心強いです」
「ただし、研究に夢中になって食事を忘れたり、夜更かしをしたりするのは感心しませんね。私のようになってはいけませんよ?」
「……師匠が言うのですか?」
「あら。今の私は、ちゃんと反省していますよ?」
師匠は胸を張った。
どう考えても、あまり説得力はなかった。
◇
その日の授業を終えたあと、俺はセレナに頼んで、王立魔法学園について調べてもらうことにした。
「王立魔法学園について、ですか?」
「はい。どのような学科があるのか、入学するには何が必要なのか、それから特待生の制度についても知りたいです」
「かしこまりました。書庫の資料を確認し、必要であればイザベラ様を通じて、学園に関する資料を取り寄せられるか奥様に相談してみます」
「ありがとうございます、セレナ」
セレナは軽く頭を下げた。
「ルシアニウス様が将来について真剣に考えていらっしゃることは、奥様もお喜びになると思います。ただ、王都で学ぶとなれば、生活や安全のことも含めて、十分に検討する必要がありますね」
「そうですね。まだ先の話ですし、まずは情報を集めたいです」
「承知いたしました」
セレナが退室したあと、俺は机の上に置かれたノートを開いた。
そこには、魔法の制御方法や透視魔法の改良について書き留めた記録が並んでいる。
その隣に、新しい項目を書き加えた。
――王立魔法学園。
――魔法研究の設備と資料。
――特待生制度。
――卒業後の研究者・講師という進路。
書き終えてから、俺はしばらくその文字を眺めた。
この世界には、まだ知らないことがたくさんある。
魔法の仕組みも、領地を豊かにする方法も、貴族社会のことも。今の俺が知っているのは、そのほんの一部にすぎない。
けれど、学べる場所があるのなら、そこへ行くことは大きな意味を持つはずだ。
王立魔法学園で研究を続け、いつか講師になる。
それは、確かに魅力的な将来だった。
今すぐ答えを出す必要はない。
まずは、もっと学ぼう。
魔法を。領地経営を。そして、この世界そのものを。
そうして知識を蓄えていけば、いつか自分が進むべき道も、少しずつ見えてくるはずだ。
俺はノートを閉じ、次の授業の準備に取りかかった。
王立魔法学園。
いつか訪れるかもしれないその場所は、俺の将来を考えるうえで、新たな目標のひとつになった。