その日も、俺はいつもどおりの一日を過ごしていた。
午前中はマルグリット先生による貴族教育。歴史や地理、領地経営に必要な基礎知識を学び、午後からはマルティナ師匠に魔法を教わる。その後はグレーテの指導のもと、リーザ姉さまと一緒に剣術の稽古をした。
もちろん、すべてが順調というわけではない。
貴族教育では覚えるべき知識が多く、剣術ではリーザ姉さまとの実力差を思い知らされる。魔法についても、師匠から新しい知識を教わるたびに、自分の理解がまだまだ浅いことを実感させられていた。
それでも、毎日少しずつ成長しているという実感がある。
前世では機械設計の仕事をしていた俺にとって、未知の仕組みを理解し、試行錯誤を重ねながら少しずつ完成に近づけていく過程は、やはり楽しいものだった。
そして、俺にはもうひとつ、ずっと取り組んでいる研究があった。
透視魔法と盗聴魔法。
どちらも、まだ誰にも明かしていない秘密の魔法だ。
特に透視魔法については、発動中に目が淡く光ってしまうという問題が残っていた。
以前、マルティナ師匠から身体強化魔法について教わった際、魔素が集中する場所や分布によって、外部から観測できる現象が変わることを知った。
それ以来、俺は魔素の配置を変えながら、透視魔法の発動方法を改良してきた。
しかし、完全に光を消すには至っていない。
あと少し。
そんな感覚はあるのに、その最後の一歩がどうしても埋まらなかった。
……まあ、焦っても仕方がない。
研究というのは、そういうものだ。
行き詰まったときには別のことを考え、時間を置いてから改めて取り組む。前世でも、何日も悩んでいた設計上の問題が、ふとした瞬間に解決することは珍しくなかった。
だから今日も、いつもどおり授業を受け、家族と過ごし、夜になってから研究を再開することにした。
◇
夕食の時間。
俺は母と姉たちと一緒に食卓を囲んでいた。
「ルシー、今日は剣術の稽古で何を教わったの?」
リーザ姉さまが、料理を口に運びながら尋ねてきた。
「今日は、相手の攻撃を受け流す練習をしました」
「そうなのね。私はグレーテ様に、足の運び方をもう一度教えてもらったわ!」
姉さまは楽しそうに話している。
どうやら、最近の稽古がよほど気に入っているらしい。俺よりもずっと上達が早く、グレーテからも褒められることが増えているそうだ。
「リーザは剣術が好きなのね」
ノーラ姉さまが微笑む。
「うん! もっと強くなりたいもの!」
「ふふっ。あまり張り切りすぎて、怪我をしないようにね」
「わかっているわ、ノーラ姉さま!」
そんな姉妹のやり取りを、アンネリーゼも穏やかな表情で見守っていた。
「ルシーも、無理をしてはいけませんよ。魔法も剣術も、少しずつ身につけていけばいいのですからね」
「はい、母様」
アンネリーゼの言葉にうなずく。
最近は授業が増えたものの、こうして家族と過ごす時間は変わらず大切だった。
前世では、仕事から帰れば一人で食事を済ませることも多かった。こうして家族と今日あったことを話しながら食事をする生活は、以前とはまるで違う。
それに、母も姉さまたちも、俺の話を楽しそうに聞いてくれる。
恵まれた環境だと思う。
だからこそ、この暮らしを守りたいし、いつかは領地の人々にも、今より豊かな生活を届けたい。
そのためにも、今できることを一つずつ積み重ねていこう。
そんなことを考えながら、俺は食事を終えた。
食後は家族でしばらく団らんを楽しみ、それぞれの部屋へ戻っていった。
そして、夜が更けた頃。
俺は机に向かい、ノートを開いた。
「さて……続きをやるか」
誰に聞かせるでもなく、小さくつぶやく。
◇
透視魔法の研究を始めてからだいぶ経った。
前世で学んだ放射線による透過撮影の知識を出発点に、魔素を使って対象の内部情報を視覚として捉える方法を考えたのだ。
もちろん、実際の仕組みが前世の技術と同じというわけではない。
この世界には魔素があり、魔法という現象がある。俺はそれを利用して、対象の表面を通り越し、その奥にあるものを認識できるようにした。
最初は輪郭を影として捉えることしかできなかった。
そこから少しずつ改良を重ね、色の違いを判別し、透視する深さや範囲を調整できるようになった。
壁の向こう側を見ることも、物体の内部を調べることもできる。
ただし、発動中には目が淡く光ってしまう。
それが、ずっと残っていた問題だった。
「魔素を目の表面に集中させなければ、光は弱まる……」
俺はこれまでの実験記録を読み返した。
魔素の集中位置を変える。分布を広げる。流れを変える。発動に必要な魔素の量を減らす。
さまざまな方法を試してきたが、どれも決定打にはならなかった。
そもそも、なぜ目が光るのか。
魔法の発動に伴って生じる現象なのか。それとも、俺が魔素を扱う方法に問題があるのか。
原因を正確に把握できていないことが、改良を難しくしていた。
俺はしばらく考えたあと、これまでとは少し違う方法を試すことにした。
今までは、目の周囲にある魔素の配置を変えることばかり考えていた。
しかし、そもそも透視魔法に必要なのは、目の周囲に魔素を集めることなのだろうか。
必要なのは、目を通して対象の情報を認識するという結果だ。
ならば、魔素を集める場所と、魔法の効果が現れる場所を分けて考えてもいいのではないか。
俺は透視魔法の構造を頭の中で組み直した。
魔素を目の表面に集中させるのではなく、より内側で制御する。さらに、外部へ漏れる魔素の流れを抑えながら、透視に必要な情報だけを視覚へ反映させる。
今までの方法を一部修正するのではない。
魔法の仕組みそのものを、改めて設計し直すのだ。
前世で機械を設計していたときも、既存の構造を少しずつ修正するより、問題の原因を見極めて設計を根本から見直したほうが、結果的に早く解決できることがあった。
今回も、それと同じなのかもしれない。
「……よし」
俺は静かに息を吐き、魔素を動かした。
視界が変化する。
机の表面、その下にある構造、部屋の壁。その向こう側にある廊下。
いつものように、透視魔法が機能している。
だが、今までとは違った。
目の周囲に、光が浮かんでいない。
「……え?」
思わず魔法を解除し、もう一度発動させた。
壁の向こうが見える。
机の中も認識できる。
視界に異常はない。
そして、目は光っていなかった。
「…………」
俺はしばらく、何も言えなかった。
念のため、魔素の流れを少し変えてみる。
透視する深さを調整する。範囲を狭める。広げる。
どの状態でも、魔法は安定して機能していた。
目の光は、戻ってこない。
「……できた」
ようやく、声が漏れた。
「できた……! ついに、完成した!」
声が大きくなりそうになり、慌てて口を押さえる。
危ない。ここで騒いだら、セレナが様子を見に来てしまう。
俺は興奮を抑えながら、もう一度だけ確認した。
やはり、成功している。
長い間、解決できなかった問題が、ようやく片付いたのだ。
透視魔法の発動中に目が光るという欠点は、完全に克服できた。
これなら、魔法を使っていることを外から悟られる危険も大幅に減らせるだろう。
もちろん、魔法そのものの存在を知られては意味がない。使用する場所や相手には、これまで以上に注意しなければならない。
それでも、この成果は大きい。
俺は机に向き直り、今の発動方法と従来の方法との違いをノートに記録した。
ただ喜んで終わりにするわけにはいかない。
再現性を確認し、どの条件で安定するのかを整理する。魔素の消費量や長時間使用したときの影響についても、今後調べていく必要がある。
研究者として、ここで満足するわけにはいかないのだ。
……とはいえ。
今夜くらいは、少しくらい喜んでもいいだろう。
◇
透視魔法が完成した翌日から、俺の研究は加速した。
これまでは、透視魔法の改良に多くの時間を費やしていた。
発光を抑えるというはっきりした課題があったからだ。
しかし、その問題が解決したことで、別のことに意識を向ける余裕が生まれた。
そして、ひとつの問題を解決したことで、これまで見落としていた改善点にも気づけるようになった。
まるで、絡まっていた糸が一本ほどけた途端、ほかの部分も次々とほどけていくようだった。
まず取り組んだのは、盗聴魔法の完成だった。
こちらも以前から研究していた魔法だ。
周囲の音を魔素によって捉え、離れた場所にいても聞き取れるようにする。原理そのものは単純だが、距離が離れるほど音の認識が不安定になり、余計な音まで拾ってしまうという問題があった。
透視魔法の研究で得た知見を応用し、魔素の流れと情報の伝達方法を見直してみる。
すると、今までうまくいかなかった部分が、少しずつ改善されていった。
音を拾う範囲を調整し、必要な音を選別する。雑音を抑え、離れた場所の会話を聞き取れるようにする。
何度か試行錯誤を繰り返した末、ついに安定して発動させることができた。
盗聴魔法も完成だ。
もっとも、これについても使い方には注意が必要だろう。
俺はその点をノートに書き留め、研究を続けた。
そして、さらに数日が過ぎた。
透視魔法と盗聴魔法が安定したことで、魔法を使って情報を得るという仕組みについて、以前よりも深く考えられるようになっていた。
その結果、いくつかの新しい魔法が形になり始めた。
◇
最初に完成したのは、遠くの景色を捉える魔法だった。
いわば、千里眼のようなものだ。
透視魔法が対象の内部を認識するための魔法なら、こちらは離れた場所の様子を視覚として捉えるための魔法である。
単純に遠くを見るだけなら、望遠鏡のような道具でもよい。
しかし、魔法を使えば、道具を手に持つ必要がない。視界の向け方や認識する範囲を調整できれば、肉眼では確認できない距離の情報も得られる。
もちろん、無制限に遠くまで見通せるわけではない。
距離が伸びるほど制御は難しくなり、必要な魔素も増える。視界が不安定になる条件もある。
それでも、一定の範囲内なら、離れた場所の様子を把握することができた。
次に取り組んだのは、数秒先の未来を予測するような魔法だった。
これは、最初に考えていたものとは少し違う形で完成した。
未来そのものを確定的に見ることはできない。
しかし、現在の状況を細かく捉え、物体の動きや周囲の変化を分析し、そのまま進んだ場合に何が起こる可能性が高いのかを予測することはできるのではないか。
例えば、机の端から転がり始めた小さな球。
その位置、速度、進行方向を捉え、床に落ちるまでの動きを予測する。
あるいは、相手が動き始めた瞬間に、その姿勢や重心の変化から、次にどの方向へ動く可能性が高いのかを推測する。
そうした情報を魔法によって処理し、数秒先に最も起こりそうな事象として認識できるようにするのだ。
もちろん、予測が必ず当たるわけではない。
予想外の動きがあれば結果は変わるし、情報が足りなければ予測の精度も落ちる。
それでも、ほんの数秒先の変化を把握できるというのは、十分に大きな意味を持つ。
将来、剣術や身体強化魔法と組み合わせれば、動きの予測にも役立つかもしれない。
ただし、今はまだ実験段階だ。実際にどこまで使えるのか、これから検証していく必要がある。
そして、最後に完成したのが、顕微鏡のように微細なものを観察する魔法だった。
透視魔法の研究を進める中で、対象を認識する際の解像度や、捉えられる情報の細かさについて考えるようになった。
ならば、視覚情報を拡大し、肉眼では見えないほど小さなものを観察できるようにすることも可能なのではないか。
そう考えて試行錯誤した結果、微細な構造を拡大して認識する方法を見つけたのだ。
木材の表面にある細かな傷。布の繊維。砂粒の形状。
肉眼では見落としてしまうような違いまで、ある程度確認できるようになった。
まだ本物の顕微鏡と同じ性能を持っているわけではないし、何でも見えるわけでもない。
しかし、魔法によって観察できる情報の細かさを変えられるというのは、大きな発見だった。
特に、物質の構造を調べたり、魔道具の製作方法を研究したりする際には、役に立つ場面が多いだろう。
俺は新しく完成した魔法についても、ひとつずつノートに記録していった。
発動条件、魔素の消費量、認識できる範囲、苦手な状況、今後の課題。
思いついたことを忘れないうちに書き留め、実験の結果を整理する。
そうしているうちに、俺はあることに気づいた。
新しい魔法を作るたびに、次の魔法を作ることが簡単になっているのだ。
透視魔法で得た知識が盗聴魔法に役立ち、盗聴魔法の研究で得た知見が遠隔認識の魔法につながる。
ひとつの研究が、別の研究の土台になる。
俺は、自分の考えた魔法を、自分の力で形にできる。
その可能性を、今まで以上にはっきりと実感できるようになったのだ。
◇
夜。
俺は椅子の背もたれに身体を預け、ゆっくりと息を吐いた。
「……ふふっ」
自然と笑みがこぼれる。
五歳の子供が、夜中にひとりで何をしているのか。
もし誰かに知られたら、きっと驚かれるだろう。
だが、まだ誰にも話すつもりはない。
透視魔法も、盗聴魔法も、遠くを見る魔法も、未来を予測する魔法も。
それに、俺にはまだ、やるべきことが残っている。
貴族としての勉強も、魔法の研究も、剣術も。そして、将来の領地経営に向けた準備も。
今はまだ、すべての基礎を学んでいる段階だ。
けれど、今日までの研究で、俺はひとつの確信を得ていた。
俺は今日はもう寝ることにし、机の上を片づけた。
そして、誰も見ていないことを確認してから、口元をゆっくりと釣り上げる。
自分でも少し驚くほど、不敵な笑みが浮かんでいた。
俺はこれからの覗きライフのさらなる充実を確信していた