貴族としての基礎教育が一通り終わったこともあり、俺は十歳ごろから、少しずつ社交の場に顔を出すようになっていた。
といっても、王都の大規模な舞踏会や、王族も参加するような華やかな催しに出席しているわけではない。
まずは周辺の同格貴族たちが主催する、小規模なお茶会からだ。
母の領地に近い男爵家や子爵家の令嬢たちが集まり、茶菓子を囲みながら近況を語り合う。
表向きは、互いの親睦を深めるための場。
実際には、家同士の情報交換や関係づくり、将来的な縁談の可能性を探るための場でもある。
最初のころ、俺はこの習慣がひどく面倒だった。
知らない人間と顔を合わせ、当たり障りのない会話を続ける。相手の家の事情を探りながら、こちらの情報をどこまで話すか考える。言葉遣いや態度にも気を配らなければならない。
相手が何を考えているのか、言葉だけではわからないこともある。何気ない発言が意図しない意味に受け取られることもある。
しかも、俺は男だ。
この世界において、男児が希少であることは、幼いころから何度も教えられてきた。
そして、実際に社交の場に出てみれば、その意味を嫌というほど理解できた。
「ルシアニウス様、本日はお会いできて光栄ですわ!」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
「まあ、そんなにかしこまらないでくださいませ。わたくしたち、もうお友達ですもの!」
……いや、まだ会って一分も経っていないのだが。
そう思っても、もちろん口には出さない。
にこやかに微笑み、相手の話を聞き、必要に応じて相槌を打つ。
これも貴族の務めだ。
そう自分に言い聞かせながら、俺は何度も同じような場を経験した。
というかなんだその下着は…
あまりに気合が入りすぎでなかろうか
今の俺の透視魔法ならはたから見ても使っているのが見えないので安心して覗くことができる
令嬢についている侍女も気合が入った下着をつけている
この世界の女性は大変なようだ
最初はただ面倒なだけだったが、続けているうちに、社交にも利点があることがわかってきた。
領地の外では、何が起きているのか。
周辺の貴族たちは、どのような問題を抱えているのか。
街道の整備状況、作物の出来、不作への備え、領内で流行している病気、商人たちの動き。
そうした情報は、正式な報告書だけではなかなか把握できない。
お茶会での何気ない会話の中に、意外なほど重要な情報が紛れ込んでいることもあった。
それが、外の世界を知るための窓としては、十分に役立った。
社交そのものを楽しいと思えるようになったわけではない。
ただ、面倒な時間の中にも、学べることはある。
そう考えられるようになっただけでも、以前よりは成長したのだろう。
……もっとも。
問題は、俺に近づいてくる令嬢たちが、想像していた以上に積極的だったことだ。
「ルシアニウス様、次のお茶会にもぜひいらしてくださいませ!」
「ええ、機会があれば」
「本当ですか? では、次はわたくしがご案内いたしますわ!」
「ありがとうございます」
「それから、今度はぜひ二人きりでお話ししたいですわ。わたくし、ルシアニウス様ともっと仲良くなりたいのです!」
……距離が近い。
物理的にも、心理的にも。
こちらが一歩下がれば、相手が二歩近づいてくる。話題を変えようとしても、いつの間にか俺自身の趣味や好みの話に戻される。
別の令嬢と話していれば、いつの間にか隣に座られている。
お茶を飲むためにカップを持ち上げるだけで、なぜか期待に満ちた視線が集まることすらあった。
……俺は珍しい動物か何かだろうか。
いや、男が少ないこの世界では、珍しい存在であること自体は否定できない。
しかし、俺だって普通にお茶を飲みたいし、菓子を食べたいし、静かに会話を楽しみたいのだ。
少なくとも、会ったばかりの相手から将来の話を持ち出されるのは、少し早すぎると思う。
俺はまだ十二歳である。
十五歳になれば成人と認められるが、それまではあと三年もある。
それなのに、相手によっては、まるで今すぐにでも婚約の話を進めたいかのような勢いで迫ってくる。
母や姉たちは、そんな俺の様子を見て楽しそうに笑っていた。
助けてくれ。
いや、本当に。
母は「これも貴族の務めですよ」と優しく言うだけだし、エレオノーラは「ルシーなら、きっと上手にお付き合いできるわ」と微笑むばかり。
エリザベートに至っては、「嫌なら、私が追い払ってあげようか?」などと物騒なことを言い出す始末だった。
それはそれで、別の問題が起きそうなので遠慮している。
ともあれ、社交の重要性は理解している。
ただ、あの勢いには、いまだに慣れそうになかった。
◇
そんな俺の周囲で、最近、大きな変化があった。
次女のエリザベートが、先日十五歳の誕生日を迎えたのだ。
この世界では十五歳が成人とされる。
つまり、エリザベートは、正式に大人の仲間入りを果たしたことになる。
誕生日には、家族や使用人たちが集まり、ささやかながら盛大な祝いの席が設けられた。
リーザ姉さまは、いつもどおり元気いっぱいだった。
「これで私も成人ね!」
そう言って胸を張る姿は、子供のころからあまり変わっていないようにも見えたが、その表情には、どこか誇らしげなものがあった。
もちろん、見た目はずいぶん大人びている。
母によく似た整った顔立ちに、年齢を重ねてすっかり女性らしくなった体つき。長い髪をきれいに整え、成人の祝いにふさわしい衣装を身にまとった姿は、誰が見ても美しい令嬢だった。
エレオノーラも同様だ。
落ち着いた物腰と柔らかな笑み。周囲を安心させる雰囲気は母様譲りで、こちらも大変な美人に育っている。
俺の姉たちは、二人とも本当に美しい。
……身内の贔屓目を差し引いても、そう思う。
母も含め、ヴァレンシュタイン家の女性陣は、どうしてこうも顔立ちが整っているのだろうか。
もっとも、二人とも、ただ美しいだけの女性ではない。
……まあ、エリザベートは、俺に対しては今でも子供のころと変わらないところがあるけれど。
「ルシー、ほら、こっちにいらっしゃい!」
祝いの席でそう呼ばれ、俺は少し苦笑しながら姉の隣へ向かった。
頭を撫でられ、頬をつつかれ、最後には抱きしめられる。
十二歳になった今でも、姉たちにとって俺はかわいい弟らしい。
……いつまでこの扱いが続くのだろうか。
嫌ではない。
嫌ではないのだが、そろそろ少しだけ、男として扱ってほしい気もする。
もっとも、そう言ったところで、二人が聞き入れてくれるとは思えなかった。
そして、エリザベートが成人したことで、俺の身近な家族の中で成人していないのは、ついに俺だけとなった。
エレオノーラはすでに十五歳を超えているが、まだ家督を継いでいない。
子供が出来ると家督を継ぐそうだ。
エレオノーラが家督を継ぎ、ある程度安定し始めると、エリザベートは騎士になるために家を出て、母は隠居するらしい。
そのため、生活が大きく変わったわけではなかった。
それでも、家族が少しずつ大人になっていくのを感じると、自分の成人も遠い未来ではないのだと思わされる。
俺が十五歳になれば、成人を祝ってもらう。
そして、その後は魔法学校へ入学する予定だった。
この進路については、母と何度も話し合ってきた。
師匠のマルティナも、俺の能力なら十分にやっていけると考えてくれている。
すでに師匠が推薦状を書いてくれたおかげで、特待生として入学することも決まっていた。
母は最初こそ、俺が家を離れることを心配していた。
しかし、最終的には認めてくれた。
「ルシーが自分で考えて決めたことですものね。私は応援しますよ」
そう言ってくれたときは、本当に嬉しかった。
俺が十五歳になるまで、あと三年。
長いようで、きっとあっという間だろう。
それまでに学んでおきたいことも、研究しておきたいことも山ほどある。
魔法の研究を続け、剣術の基礎を身につけ、領地経営についての理解を深める。
そのうえ、魔法学校への入学準備や社交もある。
俺は最近、自分の予定を管理するだけで一苦労だった。
専属侍女であり、俺の勉強や予定を支えてくれるセレナがいなければ、とっくに破綻していたと思う。
彼女には本当に頭が上がらない。
ちなみに、セレナは現在二十五歳。
年齢だけを聞けば、そろそろ結婚や出産について考えても不思議ではない時期だ。
だが、彼女にそういう気配はない。
以前、母様がそれとなく結婚を勧めたことがあったらしい。しかし、セレナは俺の専属侍女として働くことを優先し、その話を断ったと聞いた。
俺が五歳のときに専属になったのだから、当時のセレナは十八歳だったことになる。
俺の世話をするために自分の人生の選択肢を狭めてしまったのではないかと、申し訳なく思うことがあった。
セレナは、俺が自分で彼女を選んだことを何より喜んでくれていた。
それは覚えている。
しかし、本人が望んでいるのなら、俺に止める権利はない。
それでも、いつか彼女が望む相手と出会ったときには、気兼ねなく幸せになってほしいと思っていた。
……そんなことを考えていると、ますます申し訳なくなってくる。
いつか、きちんと聞いてみよう。
セレナ自身はどうしたいのか。
俺の世話をしてくれているからといって、彼女自身の人生を犠牲にしてほしくはない。
そう思いながら、俺は今日もセレナに予定を確認してもらい、勉強に取り組んでいた。