「あー大変だったな……」
沼津と違うヌマヅ、そこで何でも屋のヨハネと一緒に働いて愛を結びキスをした。
ポキポキと、体の骨を流しながら、俺はヨハネのいる教室を探した。
黒沢ルビィも一緒に彼女は配信活動を起こっていた。
「ちょっと!リトルデーモン!勝手にはいらないでよ!」
「ああ、済まない……ヨハネ、会いたくてな……お前を探していたんだ、可愛い声がしたらつい……」
「会いたくて……可愛い……!♡」
その瞬間、「男だ!男!」「恋人?」と一気にコメント数が上がった。
黒澤ルビィは目を丸くしていた。
「えっ……ええっ!? せ、先生!? どうしてここに!?」
「いや、善子に用事があってな」
「ヨハネよ!」
「そうだった、ヨハネ」
コメント欄はさらに勢いを増した。
『先生!?』
『ヨハネ様の彼氏?』
『今、可愛いって言ったよね?』
『リトルデーモンじゃなくてダーリンじゃん!』
「ちょ、ちょっと! みんな落ち着きなさい!」
善子は慌てて画面に向き直った。
「この人は、その……ヨハネの知り合いであって、別に恋人とか、そういうわけじゃ……!」
「そうなの?」
ルビィが首をかしげた。
「だって善子ちゃん、すごく嬉しそうだよ?」
「ルビィ!」
俺は二人のやり取りを眺めながら、つい笑ってしまった。
やっぱり違う。
ヌマヅのヨハネと、沼津の津島善子。
顔も声も似ているが、二人は別人だ。
それでも、こうして目の前で騒いでいる彼女を見ると、あの一ヶ月を思い出してしまう。
「……なあ、ヨハネ」
「な、何よ?」
「配信が終わったら、少し付き合ってくれないか?」
「えっ……?」
またしてもコメント欄が爆発した。
『デートのお誘い!?』
『ヨハネ様、顔真っ赤!』
『これは恋愛配信ですか?』
「だ、だから違うってばーっ!」
「……ということがあったんだ」
「なんか……スケールが大きくなりすぎてついていけない……」
「前世だのなんだのは信じるくせにパラレルワールドやタイムスリップは理解できないのか?映画でも定番なのに……」
休日、俺はヨハネこと津島善子とデートすることになった。
俺はラフな格好でいつものスポーツカーに乗ってきた。
「こんなスポーツカーじゃ目立つじゃない……」
「学校でもこれに乗っているんだ、何か問題があるのか?」
ヨハネこと津島善子の私服は、黒を基調としたフリル付きのワンピースだった。
胸元には紫色のリボン、足元には黒いショートブーツ。いつものお団子ヘアには小さな羽根飾りまで付いている。
いかにも堕天使を自称する彼女らしい服装だ。
しかし、普段より少しだけ控えめな装いからは、今日のデートを意識していることが伝わってきた。
「……何よ、ジロジロ見て」
「いや、似合ってるなと思って」
「そ、そう……? ふふん、当然よ! このヨハネが選んだ服なんだから!」
そう言いながら、彼女は嬉しそうにスカートの裾を整えた。
「やっぱり、異世界のヨハネの格好と違うなぁ……」
「デートしている時に、他の女の人の話をするなんて最低……」
善子は頬を膨らませ、そっぽを向いた。
「いや、パラレルワールドの同一人物だと思うんだが……」
「それでも別の女の子でしょ!」
「じゃあ、ちょっと確認してみるか」
俺はノートを開いた。
「……何を確認するつもり?」
「いや、下着の色が同じかどうか……白か……同じだ……!」
「セ、セクハラ! 何考えてるのよ!」
善子は顔を真っ赤にして叫んだ。
トホホなオヨヨだ。
どうやら異世界のヨハネとこちらの善子は、似ているようで違うらしい、しかしパンティーは出会った頃と同じ白だった。
「お詫びとして何か奢るよ」
「リトルデーモン……」
善子はじっと俺を見つめた。
「……何でもいいの?」
「ああ、常識の範囲内ならな」
「ふふん、ならばこの堕天使ヨハネにふさわしい、漆黒の晩餐を所望するわ!」
「……具体的には?」
「チョコレートパフェ!」
「甘いものじゃないか」
「う、うるさいわね! 黒いんだからいいでしょ!」
俺は思わず笑ってしまった。
「分かったよ。好きなだけ食べていいぞ」
「本当!?」
善子の表情がぱっと明るくなった。
「……じゃなくて! リトルデーモンとして当然の務めよ!」
「はいはい、お姫様」
「お、お姫様……!?」
また顔を赤くする善子だった。
「それにまだ、朝だぞ、晩餐じゃない」
そういいながらも俺達は朝食も兼ねて沼津仲見世商店街の有名なやば珈琲沼津店に入った。
に入った。
俺は腹が減っていたのかおにぎりとトーストとコーヒーを注文した。
「それで、ヌマヅってところでは何を食べていたのよ……」
彼女は聞いた、俺は即答した。
「いや普通だよ、ここで採れる魚とか……」
「ふーん……料理とかもしたんだ……」
「ああ、ヨハネはノリノリで裸エプロンをしてくれた、油がはねるからやめろといったんだが……」
「……ちょっと待ちなさいよ……」
善子はコーヒーカップを置いた。
「何だ?」
「どうして料理の話から、そんな格好の話になるのよ!」
「いや、一緒に料理したか聞いたのはお前だろ?」
「そこまでは聞いてない!」
善子は頬を膨らませた。
「……ずいぶん仲が良かったのね、向こうのヨハネとは」
「ああ。一ヶ月も一緒に暮らしていたからな」
「い、一ヶ月!?」
「言ってなかったか?」
「聞いてないわよ!」
俺はコーヒーを一口飲んだ。
「……なあ、善子」
「ヨハネ!」
「今日は向こうのヨハネじゃなくて、お前とデートしているんだ。そろそろ俺の話ばかりじゃなく、お前の話も聞かせてくれよ」
「……!」
善子は一瞬、言葉を失った。
「そ、それなら……まずはヨハネって呼びなさいよ……」
「分かったよ、ヨハネ」
「……ふふっ♡」
「それじゃあ、今度はお前の話を聞かせてくれよ」
「ヨハネ!」
「そうだった、ヨハネ。最近どうしてるんだ?」
「ふふん、よくぞ聞いてくれたわね!」
善子は得意げに胸を張った。
「最近はリトルデーモンたちへの配信活動が忙しいのよ! それにAqoursの練習もあるし、結構大変なんだから!」
「ほう、具体的には?」
「この前なんて、せっかく考えた堕天使の儀式を千歌に見せたら、面白そうだからみんなでやろうって言い出して……」
「いいじゃないか」
「よくないわよ! ヨハネの神聖な儀式なのに、いつの間にかみんなで踊ることになっちゃったんだから!」
「ははは、そりゃ大変だったな」
「笑い事じゃないわよ!」
そう言いながらも、善子は楽しそうだった。
「それにね、リリーが新しい曲を作ってくれて、曜が衣装を考えてくれて……」
「ふむふむ」
「ルビィも最近は配信に付き合ってくれるの。最初は恥ずかしがっていたんだけど、今では結構楽しんでくれているみたい」
「いい仲間に恵まれたな」
「……まあね」
善子は少し照れくさそうに笑った。
「昔はね、ヨハネのことを分かってくれる人なんて、あんまりいなかったのよ」
「そうなのか?」
「だって、変な子だと思われることもあったし……。でも、Aqoursのみんなは違うの」
彼女はコーヒーカップを両手で包んだ。
「呆れたり、ツッコんだりはするけど、ヨハネのことを仲間として受け入れてくれる。だから……今は結構楽しいのよ」
「…………」
俺は黙って彼女の話を聞いていた。
ヌマヅのヨハネ。
沼津の津島善子。
顔も声も同じ、魂だって同じなのだろう。
しかし、歩んできた人生は違う。
あちらのヨハネは何でも屋として働き、ライラプスやヌマヅの住人たちと暮らしていた。
こちらのヨハネはスクールアイドルとして、八人の仲間たちと歌い、踊り、笑っている。
同じ魂であっても、同じ人間ではない。
それぞれに大切な思い出があり、友人がいて、夢がある。
俺は今まで、どこかで二人を同一視していたのかもしれない。
それは失礼なことだった。
「……なあ、ヨハネ」
「何よ?」
「お前、Aqoursが好きなんだな」
「……当然でしょ」
善子は少し驚いた顔をした後、優しく微笑んだ。
「みんな、ヨハネの大切な仲間なんだから」
「そうか……」
俺はコーヒーを一口飲んだ。
「じゃあ、今度はお前の歌をちゃんと聴かせてくれよ」
「えっ?」
「何でも屋のヨハネとは一ヶ月も一緒にいたけど、スクールアイドルのヨハネのことは、まだあまり知らないからな」
「…………」
「だから、もっと知りたいんだ。お前のことを」
善子は顔を真っ赤にした。
「な、何よそれ……! そんなこと急に言われても……!」
「嫌か?」
「嫌じゃないわよ!」
彼女は慌てて視線を逸らした。
「……だったら、今度のライブには絶対に来なさいよね」
「ああ、約束する」
「それと……」
「ん?」
「向こうのヨハネと比べたりしないでよね……」
「ああ。お前はお前だ」
「……うん♡」
善子は嬉しそうに笑った。
最初は厨二病の痛々しいガキだと思っていた。
だが、こうして話してみると、仲間思いで、少し寂しがり屋で、何より自分の世界を大切にする女の子だった。
……俺はこいつのことを、何も知らなかったんだな。
「ところで、ヨハネ」
「何?」
「おにぎりとトースト、どっちか食べるか?」
「……どうして朝からそんな組み合わせなのよ?」
「腹が減っていたからだ」
「ふふっ、変なの!」
お前にだけは言われたくない。
そう思ったが、口には出さなかった。
俺達は店を出て、アクセサリーショップに立ち寄った。
「じ~っ……」
善子はショーケースの中に並んだアクセサリーを、食い入るように見つめていた。
「なんだ? 買わないのか?」
「……今月、お小遣いがなくて……」
「じゃあ俺が買ってやる。ここはカードが使えるみたいだな」
俺は財布からクレジットカードを取り出した。善子は目を丸くして絶句した。
「ま、まさか……闇の世界の支配者だったの!?」
「いや、ただのクレジットカードだぞ」
「ただのカードじゃないでしょ、それ!」
「まあ、好きなのを選べよ」
「……本当にいいの?」ああ、遠慮するな」
善子は嬉しそうにショーケースを眺め始めた。
「それにしても……」
「ん?」
「財布は安物なのね……」
「ああ、昔から使っている」
ノートを拾う前から。
金が手に入ったからといって、何もかも買い替える必要はない。なんだか意外」
「そうか?」
「もっと何でも高級品で揃えているのかと思ったわ」
「使えるものは使う主義なんだ」
「……変なの」
そう言いながらも、善子は少し微笑んだ。
やがて彼女が選んだのは、黒い羽根を模した小さなイヤリングだった。
「ほう、いかにもお前らしいな」
「ふふん! この漆黒の翼こそ、堕天使ヨハネにふさわしい装飾品よ!」
俺はカードで代金を支払った。
店を出ると、善子はさっそくイヤリングを身につけた。似合ってるぞ、可愛いな」
「か、可愛い……!?」
善子は顔を赤くした。
「そ、そうじゃなくて! もっとこう、魔界の女王みたいな威厳とか……!」
「じゃあ、可愛い魔界の女王だな」
「もうっ! そういうことじゃないの!」
俺は思わず笑ってしまった。
「それにしてもお前がそんなものを買うなんてな……」
「悪い?」
「いや、裸の乳首につけるんだろ?」
「裸から離れてよ……!」
「いや、お前のお尻が小さくて可愛いのがインパクトに残っていて……」
「公共の場で言わないでよ!」
「堕天使の儀式にでも使うのかと思ってな」
「普通におしゃれしたっていいでしょ!」
「そりゃそうだ」
「……それに」
「ん?」
「今日はデートなんだから、少しくらい可愛くしたいじゃない……」
最後のほうは小声だった。「公共の場で変なこと言わないでよ!」
「悪かった、悪かった」
善子は頬を膨らませながら、買ったばかりのイヤリングを取り出した。
黒い羽根を模した、小さなイヤリングだった。
「……どう?」
「似合ってるぞ」
「本当?」
「ああ。いかにもヨハネらしい」
「ふふん! 当然よ。この漆黒の翼こそ、堕天使ヨハネの証!」
そう言いながら、善子は店の鏡をのぞき込んだ。
「……でも、ありがとう」
「ん?」
「これ、大切にするから……」
「気にするな。そんなに高いものでもなかったし」
「値段の問題じゃないの!」
「……そうか」
「そうよ。もう、分かってないんだから……普通におしゃれしたいんだから……♡」
彼女はイヤリングにそっと触れた。
その表情は、堕天使ヨハネというより、プレゼントをもらって喜ぶ普通の女の子だった。
俺は思わず微笑んだ。
続いて俺達は沼津深海水族館に向かった。
「おおう、アンコウだ、大洗のアンコウ鍋は美味しかったな……」
「色気より食い気……?」
彼女は少しがっかりした顔をした。
「そんな事はないぞ、アンコウのオスは小さくて、メスと同化するんだ、つまり出産のためにおちんちんなるんだ……」
「だから公共の場でそんなエッチなことを言わないでよ!」
「ヨハネのほうがうるさい、全くアンコウもヨハネもどうかしているって……」
「どうかしている……アハハ」
「ハハハ」
2人で笑い合った。
「みてみて!リュウグウノツカイよ!まるで悪魔の化身ね!」
小悪魔の化身が言う。
「いや、竜宮城から来た使いじゃないのか?」
「違うわ! この長い銀色の身体、真紅のたてがみ! どう見ても魔界の眷属よ!」
「お前の魔界は海の中にもあるのか?」
「当然よ! 深淵の底にだって、ヨハネの力は届くんだから!」
「便利な魔界だな……」
「もう! 少しは雰囲気に合わせなさいよ!」
そう言いながらも、善子は楽しそうだった。
世界がこんなふうに見えているのか。
「なあ、ヨハネ」
「何?」
「お前と水族館に来てよかったよ」
「えっ……?」
「普通に見て回るより面白い」
「……ふふん! ようやくヨハネの偉大さが分かったようね!」
「ああ、少しだけな」
「少しだけって何よ!」
俺達はまた笑い合った。
「先生はよくこんなところに来るの……?」
「いや、来ない、昔は大阪の天保山の水族館や須磨、三重県の鳥羽の水族館に行ったが……震災があってな……」
「東北の?」
「いや……阪神大震災……」
俺はしまった、と思った。
「……阪神大震災?」
「ああ……1995年のな」
「それは知ってるけど……」
善子は首をかしげた。
「先生、まるで自分が経験したみたいな言い方ね」
「…………」
しまった。
俺は40代なんだ……。
こんな10代の少女達と恋愛をするなんて……。
ノートの能力のお陰で、外見も体力も若いままだ。
しかし、だからといって、俺が生きてきた年月まで消えるわけではない。
「……ねえ、先生?」
「ん?」
「先生って、本当はいくつなの?」
「……聞いて驚くなよ」
「何よ、そんなに年上なの?」
「40代だ」
「…………」
善子は目を丸くした。
「よ、40代!?」
「声が大きい!」
「だ、だって! 全然そんなふうに見えないじゃない!」
「まあ、いろいろあってな……」
善子は俺の顔をじっと見つめた。
「……じゃあ、ヨハネよりずっと長く生きてるのね」
「ああ」
「それなのに、さっきからくだらない駄洒落ばっかり……」
「悪かったな!」
「ふふっ……」
善子は小さく笑った。
しかし、俺は笑えなかった。
年齢差という現実は、笑い話だけで済ませられるものではない。
「……なあ、ヨハネ」
「何?」
「俺はお前よりずっと年上だ。それに、いろいろと隠していたこともある」
「…………」
「だから、お前がどう思うかは、ちゃんと聞いておきたい」
善子はしばらく黙っていた。
「……正直、びっくりしたわ」
「ああ」
「まだ、よく分からないことも多いし……」
「そうだろうな」
「でも、今日のデートが楽しいのは本当よ」
「……そうか」
「だから、もう少し先生の話を聞かせて」
俺はうなずいた。
今度こそ、彼女を一人の人間として尊重しなければならない。
都合の悪いことを隠したまま、好意だけを受け取るわけにはいかないのだから。
「場所を変えようか……」
沼津港、様々な船が停泊している、渡辺曜とのデートでも行ったが、思い出すのはヨハネこと津島善子に失礼だろう。
「綺麗だったわ、クラゲとか……デビルフィッシュとか……」
「俺の話だったな……」
俺はノートを見えるように、津島善子に見せた。
「……普通のノートにしか見えないけど……」
彼女は訝しんたま、それを見た。
「だろ?だけどな……」
俺はノートを投げた、沼津港の海の底に落ちる。
「……!そんな事したら駄目じゃない!」
彼女は絶句する、しかし、まるでビデオの逆再生のように戻った。
「ほら……濡れてもいない……」
「……本当だわ……!」
彼女は手触りを確認する、ペラペラと捲るが……
「何この文字、見たことない……」
それは俺も知らなかった、冒頭のページにびっしりと書かれてあるルールを確認した。
『ノートの持ち主以外は文字や図形などを確認できない、それはほかのノートの持ち主でも同様である』
と、書いてある。
「しかも、俺の体重は拾う前に比べてもかなり落ちている、顔も兄には分かったが、かなり変わったようだ、それはノートでもある程度は変えるが時間制限がないと無理だ……」
「まるで祝福されたみたいじゃない……ノートに……」
「いや呪いだよ……」
「この堕天使ヨハネにふさわしい宿命じゃない! 永遠の呪いを背負ったリトルデーモン!」
善子は両手を広げ、得意げに笑った。
「……お前は本当にブレないな」
「当然よ! 呪われた者同士、私達は運命の糸で結ばれているのよ!」
「俺の呪いは、お前の不幸体質とは少し違うぞ」
「何よ、失礼ね!」
「だって、お前の不幸体質は雨が降ったり、転んだりする程度だろ?」
「程度って言わないでよ!」
善子は頬を膨らませた。
俺は手元のノートに視線を落とした。
「……このノートを拾ってから、人生が変わった」
「…………」
「金も手に入った。若さも取り戻した。普通なら手に入らないものばかりだ」
「だったら、どうして呪いなの?」
「……終わりが分からなついからだ」
「終わり?」
「ああ。俺がこのまま歳を取らなかったら、どうなると思う?」
善子は答えなかった。
「周りの人間は歳を取る。家族も、友人も……お前達もな」
「…………」
「俺だけが変わらなかったら、いつか一人になるかもしれない」
海から吹く風が、善子の髪を揺らした。
彼女は先ほど買ったイヤリングに触れた。
「……ねえ、先生」
「なんだ?」
「そのノートって、本当に何でもできるの?」
「何でも、というわけじゃない。俺にも分からないことが多い」
「じゃあ……呪いを解く方法も、まだ分からないのね」
「……そうだな」
善子はしばらく海を見つめていた。
「だったら、探せばいいじゃない」
「え?」
「呪いの正体も、解く方法も。分からないなら調べればいいのよ」
「簡単に言ってくれるな……」
「ふふん! 堕天使ヨハネに不可能はないわ!」
「さっきは水族館の自動販売機で、お釣りが出なくて困っていたくせに」
「そ、それは関係ないでしょ!」
俺は笑った。
善子もつられて笑ったが、やがて真剣な表情になった。
「……でもね、先生」
「ん?」
「先生が40代だってことも、そのノートのことも、まだ全部理解できたわけじゃない」
「ああ」
「だから、もっと教えてほしいの。先生がどんな人なのか」
「……分かった」
「それと、今日のことは勝手に誰かに話したりしないわ」
「助かるよ」
「ただし!」
善子は人差し指を立てた。
「ヨハネに隠し事をするなら、それなりの覚悟をしてもらうんだから!」
「どんな覚悟だ?」
「……次のデートでも、ちゃんと話を聞かせること!」
「それなら構わないぞ」
「……約束よ?」
「ああ、約束だ」
善子は満足そうに微笑んだ。
俺は再びノートを見つめた。
祝福か、呪いか。
その答えはまだ分からない。
ただ、今日一日で分かったことが一つだけある。
津島善子という女の子は、俺が思っていたよりもずっと優しく、そして強い。
……もっとも、厨二病が治る気配はまったくないが。
「何よ、ニヤニヤして!」
「いや、何でもない」
「絶対に何か考えてたでしょ!」
俺達の笑い声が、潮風に乗って港へ流れていった。
「それと……お守りとして、ちょうだい……♡」
「ノートの一ページをか?」
「ええ。永遠の呪いを宿した、特別なお守りよ」
「物は言いようだな……じゃあ、書いておくか」
俺はノートを開き、ペンを走らせた。
『Aqoursの9人がいつまでも幸せでありますように……』
そして、そのページを丁寧に切り離した。
「ほら」
「……ありがとう」
善子は紙を受け取ると、不思議そうに眺めた。
「やっぱり、何が書いてあるのか分からないわね……」
「Aqoursの9人が、いつまでも幸せでありますようにって書いたんだ」
「……私だけじゃなくて?」
「ああ。みんな大切だからな」
「……ふふっ。先生らしいわね」
「ほかの女の子達にも、明日以降配っておくか……」
「ちょっと! せっかくヨハネだけの特別なお守りだと思ったのに!」
「じゃあ、お前のは第一号だ」
「……第一号?」
「ああ。記念すべき最初の一枚だ」
「……それなら、許してあげる♡」
善子は紙を丁寧に折り畳み、カバンの内ポケットにしまった。
「大切にするわ。ありがとう……先生……」
「どういたしまして」
彼女は俺を見上げた。
「ねえ、リトルデーモン」
「なんだ?」
「契約には、まだ最後の儀式が残っているわ」
「最後の儀式?」
「……目を閉じて」
俺は言われるままに目を閉じた。
チュッ……♡
唇に、柔らかな感触が触れた。
「……これで契約成立よ♡」
善子は頬を真っ赤に染めながら、得意げに微笑んだ。
「堕天使ヨハネと、永遠の呪いを持つリトルデーモンの契約ね!」
「……ずいぶん可愛らしい契約だな」
「か、可愛いって言わないでよ!」
俺達は顔を見合わせ、笑い合った。
潮風が吹き抜ける沼津港。
俺は、彼女のカバンにしまわれた一枚の紙を思い浮かべた。
呪いから生まれたものが、誰かの幸せを願うお守りになる。
……そんな使い方も、悪くないかもしれない。