それは、金曜の夕方のことだった。
週末に備えて、千夏はバックヤードで在庫を数えていた。コーヒー豆、紙コップ、シロップ。
一番上の棚に、紙ナプキンの箱が一つ。
つま先立ちになって手を伸ばすが、あと少しで届かない。
「取ってあげる」
すぐ後ろから声がして、玲奈の腕が千夏の肩越しに伸びた。
背中に、柔らかい胸が、むにゅっと押し当てられる。甘い香水の匂い。そして、その少し下。
千夏の臀のあたりに、何か硬くて、熱いものが、ぐっと当たった。
「……っ!?」
千夏は息を呑んだ。
フレアスカートの薄い布地越しに、はっきりと形がわかる。太くて、長くて、臀の割れ目に沿うように押し付けられている。それは、どう考えても、女性の身体にあるはずのないものだった。
ほんの一秒か、二秒。
玲奈は何事もなかったように箱を下ろし、身体を離して、千夏の手に渡した。
「はい。……どしたの千夏さん、顔赤いよ?」
「な、なんでもないわ。ありがとう」
千夏は箱を抱えて、逃げるようにバックヤードを出た。
背中に、玲奈の視線を感じた。振り返ることは、できなかった。
その日の店内で、千夏は何度も注文を聞き間違えそうになった。
カウンターに立っていても、コーヒーを淹れていても、臀に残った感触が消えない。
硬さも、熱さも、形も、全部、身体が勝手に覚えていた。
(あれは、なに……?)
考えるまいとするほど、考えてしまう。
スマートフォンのケースだったのかもしれない。ポケットに入れた何かだったのかもしれない。
そう自分に言い聞かせても、あの感触は、そんなものではなかった。
あれは、生きていた。脈打っていた。
ちらりと、フロアを歩く玲奈の細い腰を盗み見る。短いスカートの前は、何事もなかったように平らだった。
そのとき、玲奈がふいに振り返った。
目が合う。
玲奈は、いたずらっぽく片目をつぶってみせた。
千夏は、慌てて手元のコーヒーに目を落とした。ミルクを注ぐ手が、少しだけ震えて、ラテアートのハートが、いびつに歪んだ。
その夜。
一人きりの寝室で、千夏は布団の中で何度も寝返りを打っていた。
目を閉じると、背中に押し当てられた柔らかい胸の感触がよみがえる。甘い香水の匂い。そして、臀に当たった、硬くて熱いもの。
(……だめ)
そう思うのに、身体の奥が、じわりと熱を持ち始めていた。
こんな感覚は、もう何年も忘れていた。智也が寄り添ってくれなくなってから、自分でも、そういうことは考えないようにしてきた。
考えたところで、惨めになるだけだと思っていたから。
けれど今夜は、身体が言うことを聞かなかった。
千夏は、羽根布団の中で、そっとパジャマの上から自分の胸に手を当てた。
ゆっくりと、指に力を入れる。布地の下で、先端が尖っていくのがわかる。
「……んっ……」
自分の口から漏れた声に、千夏は驚いて唇を噛んだ。
もう片方の手が、おそるおそる、下へと滑っていく。パジャマのウエストをくぐり、下着の上から、そっと触れる。
そこは、もう、じっとりと湿っていた。
(……うそ。こんなに……)
恥ずかしさに、頬が焼けるように熱くなった。それなのに、指は止まらなかった。
下着の上から、ゆっくりと円を描く。そのたびに、背筋に小さな疺れが走る。
目を閉じるとまぶたの裏に、玲奈の人懐っこい笑顔が浮かんだ。
いたずらっぽく片目をつぶった、あの顔。そして、あの硬さ。
(あれが、もし……)
そこまで考えた瞬間、身体の奥がきゅうっと縮んだ。
「……っ、あ……っ!」
小さな波が、身体を駆け抜けた。
それは、何年ぶりかもわからない、あまりにもあっけない絶頂だった。
千夏は息を切らしながら、暗い天井を見つめた。隣の空いた布団が、やけに広く感じられた。
(……何を、想像してたの、私)
大切な夫ではなかった。年下の、バイトの女の子だった。
千夏は、羽根布団を頭まで引き上げた。
それでも、罪悪感よりもずっと強く、身体の奥に熻る熱が、
いつまでも消えなかった。
なんか続きそうです。