コミュ障陰キャの私が学園のアイドルを買っちゃいます! 作:空空空空
――四月。
それは、出会いの季節。
高校二年生になった私――
いつも通りの日々。何も変わらない日々。平凡な日々。
代わり映えのしない毎日に、私は今日も「平和だな~」なんて思いながら、見慣れた街並みを眺め、すっかり癖になった人間観察に興じていた。
カフェで楽し気に会話をするご婦人たち。工事現場では、声を掛け合いながら作業の進み具合を確認する作業員たち。幼稚園くらいの子が母親と手を繋ぎ、今日の晩御飯を聞いた子供の喜ぶ声。
のほほ~んとしながら街の様子を観察していると、不意に前方の曲がり角から自分と同じくらいの年の女の子二人、今度一緒に遊びに行く約束について楽しそうに話しながら歩いてくるのが見えた。
――いいなあ。
私も友達がいたら、いろんなところに遊びに行ったり、おいしいものを食べたり何なら、一緒に旅行だってしてみたい。
観光地を巡って、おいしいものを食べ歩いて、夜はホテルでおしゃべりなんかしちゃったりして……。
「はあ……コミュ障の私には絶対に無理」
私はため息をつき自己嫌悪に陥りながら首を振る。そして、趣味である(えっちな)漫画の構想に思い耽け、心に負った傷を修復していく。
「へ、へへ……」
気付けば私はだらしなく緩んでいた。
傍から見たら気色悪い事この上ないげへた笑みを浮かべているに違いない。けれど、そんなことなどお構いなしに、私は脳内で繰り広げられる妄想の世界に浸りきっていた――。
「い、いや! は、離してください!」
不意に、女性の悲痛な叫び声が耳に飛び込んできた。声のした方へ視線を向けると、私の右手側にある路地が目に入った。どうやら、その奥で誰かが揉めているらしい。私は気になってそっと陰から様子を伺った。
――あれは……舞園さん?
容姿端麗、成績優秀、おまけに運動神経抜群と三拍子そろった、天に二物も三物与えられたような才色兼備を体現した人物だ。それなのに他人にひけらかすことなく、謙虚。まさに『高嶺の花』と評するに相応しい人物。
そんな高嶺の花を男子が放っておくはずもなく、次々と彼女にアタック。しかし、その誰一人として彼女のハートを射止めることはできず、ことごとく玉砕していった。
……もっとも、その大半は、吹雪さんと少しでも言葉を交わせただけで大喜びしていたらしいけど。
誰からの告白にも決して首を縦に振らないこともまた、彼女の評価を上げていた。気品がある。奥ゆかしい。清楚で可憐。などなど彼女に対する賛美は留まるところを知らず……。
そして、そんな彼女は、いつしかこう呼ばれるようになったのだ。
――『学園のアイドル』
と。
そんな学園のアイドルが路地裏で、二人のスーツ姿の男性に絡まれている。もしかして誘拐? そんなことをよぎったが、次の男の言葉でその可能性は否定された。
「それはできないな。なんせ、こっちはお嬢ちゃんの両親に、五千万の借金を返してもらわなきゃならないんでね。まあ、恨むなら親を恨んでくれ」
「そんなの嘘です! 五千万の借金なんて嘘に決まってます!」
「嘘じゃないんだな、これが。ほれ、こいつが借用書だ。ちゃんと君の親のサインもあるだろう?」
男の一人が、懐から取り出した一枚の紙を舞園さんへ突きつける。彼女は震える手でそれを受け取り、書面に目を走らせた。
借用書を読み進めるにつれ、舞園さんの顔からはみるみるうちに血の気が引いていく。
最初こそ、何かの間違いだと言いたげに書面を見つめていた彼女。しかし、そこに記された内容を一つひとつ確かめていくうちに、その瞳からは次第に光が失われていく。
「……あ」
やがて、かすかな声が漏れた。
彼女の視線は、書面の一番下で止まっていた。
おそらく、書面の一番下に記されていたのは両親のサインだったのだろう。見慣れた筆跡が両親のものだと気づき、それが紛れもない事実だと思い知らされた彼女は、ついに立っていることすらできなくなった。
膝から力が抜け、舞園さんはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「と、言うことだ。理解したかな? お嬢ちゃん」
スーツ姿の男は、舞園さんの目線に合わせるように膝を折った。
あまりにも突然の出来事に、心が追いついていないのか。それとも、すべてに絶望し、もはや抗うことすら諦めてしまったのか、彼女は何も答えず、ただうなだれたままぴくりとも反応を示さなかった。
男は彼女の沈黙を肯定と受け取ったのか、傍らにいたもう一人の男に目配せした。指示を受けた男は、舞園さんの腕を掴むと、無理やりその場から立ち上がらせる。
絶望に心を支配され、抗う気力さえ失ってしまったのだろうか。舞園さんは反抗することなく、二人の男にされるがままになっていた。
連れ去られる瞬間、彼女は不意に目頭から涙を零した。白い頬を伝う雫。それは、彼女の心の奥底に残された「助けて」という願いが、最後に零れ落ちたもののように思えた。
その涙はまるで宝石のように綺麗で、そして、涙を流す彼女の姿も無残にも美しいと――そう思ってしまった。
そして、その美しさに心を奪われたと気づいたときには、もう――。
「あ、あああ、あの……!」
気づけば私は、二人の男と舞園さんの会話に割って入ってしまっていた。
「ああ? 何だ、この女? 部外者は向こう行ってろ。しっしっ」
一人の男は、突然現れた私を怪訝そうに見やると、まるで犬でも追い払うかのように、手をひらひらと振った。
「あ、あああ……その、えっと……あの……」
極度のコミュ障である私は、胸の前で両手の人差し指をもじもじと突き合わせながら、視線を右へ左へと泳がせていた。
何か言わなければ。そう思っているのに、口から出てくるのは意味を成さない言葉ばかり。結局、まともに言葉を紡ぐことすらできずにいた。
「おい。ほっといて行くぞ」
「へい」
いつまでも要領を得ない私に見切りをつけたのか、男たちは舞園さんを連れて歩き出し、私のすぐ傍を通り過ぎて――。
「わ、わた、しが……!」
「「……?」」
男たちは足を止め、揃ってこちらを振り返る。
二人分の視線が、私に鋭く突き刺さり、私の心臓は激しく脈打ち、喉がきゅっと締めつけられる。
怯みそうになるのを必死に耐え忍び、私は胸に手を当てて一呼吸置く。そして、制服のスカートの裾を両手で皺が濃く刻まれるように力いっぱいぎゅっと握りしめながら、大きく息を息を吸い込んだ。
「わた、しが……彼女の借金をか、肩代わりします!」
――その瞬間、この場の時間が止まったかのようだった。
男たちはもちろん、舞園さんも、誰一人として声を発しない。静まり返った路地裏に、ただ一つ聞こえてくるのは、舞園さんのか細いすすり泣きだけ。
「ぷっ! あはははは! 何を言い出すかと思えば……」
次の瞬間、男の一人が堪えきれないとばかりに吹き出した。腹を抱えて笑いながら、目尻に浮かんだ涙を人差し指でさっと拭うと、私の方へと近づいてきた。
「嬢ちゃんが、この子の代わりに借金を肩代わりするって? バカも休み休み言え。一介の学生に、五千万なんて大金を払えるわけないだろう? その勇気だけは称賛してやるが、身の程知らずは痛い目を見るだけだぜ?」
「そ、そうだよ! これは私の問題だから……だから! 部外者のあなたには関係ない! お願いします! 早く私を連れてってください! 他の人を巻き込みたくない……!」
少女の叫びは私の身を案じてることが骨の髄まで伝わってきた。本当は助けて欲しいのに、この絶望的な状況から脱したいと一番に望んでるはずなのに、それでもなお、彼女は自分のことよりも、私のことを気遣う。
彼女は自業自得でこうなったわけではなく、親のせいでこうなっている。彼女自身は真っ当に生きてきて、なのに、両親のせいで人生がつぶれかけている。
一度きりの人生。たった一度しかない、かけがえのない人生が、自分の犯した過ちですらないことで奪われてしまうなんて――。
そんなの、そんなのって……あまりにも悲しすぎる。
「はは! だそうだ。嬢ちゃん。その勇気はまた別の機会に取っときな」
男はぽんぽんと私の頭を優しく叩くと、踵を返す――。
「ん?」
「あ、あああ、あの……えっと……こ、これを!」
私は男性のスーツの裾を掴み、強引にも歩みを止めさせると、濃紺のブレザーのポケットから携帯を取り出し、画面を見せる。
男はその画面を目を細め、まじまじと見つめると、途端に目を大きく見開く。
「嬢ちゃん……君は一体、いや……余計な詮索はよそう」
男はしみじみと呟くと自分の頭をがしがしと掻いた。
「黒井さん。どうかされましたか?」
「西田。彼女を離してやれ」
「は……? い、いきなりどうしちまったんですか!?」
黒井さんの部下であろう西田と呼ばれた男は突然の指示に、目を丸くした。先ほどまで舞園さんを連れていこうとしていた黒井さんが、急に方針を変えたのだから無理もない。
「事情が変わった。それだけだ」
「事情……ですか?」
「ああ……これを見てみろ」
黒井さんは西田さんにそう言いながら私の手に持つスマホの画面を指さした。西田さんも黒井さんと同じく目を細めて、まじまじと見つめる。
「な、なんだあ!? この金額……ありえねえだろう! こんな大金を高校生が……?」
おっかなびっくりしたように仰々しく驚く西田さん。信じられないといった様子で、スマホの画面と私の顔を何度も行き来する。
「まあそう言うことだ。で、だ」
黒井さんは腕を組むと、今度は何が何だか分からないといった様子で立ち尽くす舞園さんへと視線を向けた。
「本当にあの嬢ちゃんの借金を肩代わりするってんなら、彼女は解放しよう。どうする?」
「か、肩、がわ、り、ししし、しま、す……!」
私の返答に黒井さんはふっと笑みを零す。そして、いまだ呆然としたままの舞園さんへと歩み寄ると、そっと声をかけた。
「良かったな、嬢ちゃん。君はまだ天に見放されてないらしいぜ?」
「あ……ぐすっ」
その言葉を聞いた途端、舞園さんの全身からふっと力が抜けた。彼女はその場にへたり込むと、張り詰めていたものが一気に切れたかのように、子供のように泣きじゃくり始めた。
こうして、私は彼女の五千万の借金を肩代わりをした――言い換えれば、五千万で学園のアイドルを買ったのだった。