コミュ障陰キャの私が学園のアイドルを買っちゃいます! 作:空空空空
「あの……如月さん。その、ありがとう」
黒井さんから指定された口座に五千万を振りこみ、二人が姿を消した頃。ようやっと泣き止んだ舞園さんは、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、私に感謝の言葉を伝える。
これだけ泣いて顔がぐちゃぐちゃになっているというのに、彼女の美しさは少しも損なわれていない。むしろ、涙に濡れた瞳や赤くなった目元さえ、彼女の魅力を引き立てているように思えてしまう。
改めて舞園さんの容姿の整い方には驚かされる。
腰まで届く黒髪は丁寧に手入れされており、夕陽を受けてカラスの羽のような艶やかな光を放っていた。
卵型の輪郭に、透き通るような白い肌。桜色の唇と、すっと通った鼻筋。その上にある大きな瞳は、まつ毛が長く、ぱっちりとした二重。黒々とした虹彩の奥には、彼女自身の強い意志が宿っているように見えた。
顔立ちが整っているだけでなく、スタイルも抜群だった。ブレザー越しにもわかる豊かな胸元に、きゅっと引き締まった腰回り。すらりと伸びた立ち姿も相まって、まさにモデルそのものといった印象だった。
まるで、神にでも愛された芸術家が、持てる技術のすべてを注ぎ込んで生み出したかのように、彼女の容姿は完成されていた。
それなのに、成績優秀、運動神経も抜群なのだから、もはや恐ろしい。
と、彼女の魅力は置いといて、私は彼女に応えを返そうと、おどおどしながらも、必死に言葉を紡いだ。
「えっと、えっと。どどどど、どう、い、いい、た、し、まし……て……」
正直に言えば、彼女の借金を肩代わりしたという事実を盾にすれば、私は舞園さんにいくらでも頼み事を聞かせられるだろう。
おそらく、私があの場に居合わせなければ、彼女はさっきの男たちに連れ去られ、夜な夜な風俗とかで働かされ、身体とか無理やり弄ばれて、身も心も壊されて、何も残らない人生を送っていたと思う。
――そう考えるとぞっとする。
それを未然に防げたのだから、舞園さんも今は相当な安堵を覚えているはずだ。
こんなコミュ障で、他人と話すだけでもおどおどしてしまう私であっても、彼女にとっては窮地を救ってくれた恩人。少なくとも、柔らかく接してくれるだろうと思う。
しかし、それでも、いくら立場がこちらに傾いているからといって、他人と積極的に関わりたいかと聞かれれば、答えは断固として否だ。
助ける前はそりゃあ彼女の恩義につけこんで、あれやこれやとしてもらおうかな? なんてそんな妄想をしていた。
けれど、いざ本当に助けてしまうと、そんな考えもすっかり鳴りを潜めてしまった。
あの二人から聞いた話によれば、彼らが舞園さんの住むアパートを訪ねたとき、部屋はすでにもぬけの殻だったらしい。
帰る家があるとはいえ、そこに住めないのであれば、実質的には家を失ったも同然だ。親は姿を消し、五千万円もの借金を抱えて手元にはお金もない。
私の家に泊めること自体は、別に問題ない。部屋には余裕があるし、生活費だって今の私ならどうにかできる。
けれど、冷静になった私は、他人と一緒に暮らすのはやっぱり避けたい。
私はできることなら、他人との関わりを最小限に抑えて生きていたい人間なのだ。そんな私が、学園のアイドルである舞園さんと毎日顔を合わせながら暮らすなんて、想像しただけで気疲れしてしまう。
……助けておいて何を言っているんだ、という話ではあるけれど。
とはいえ、幸いなことに、私にはお金がある。
ならば、彼女が学校を卒業するまで、生活に困らず過ごせるだけの資金を渡せばいい。そうすれば、借金や生活費に追われることなく、彼女は学生生活を送れるはずだ。
友達と遊んだり、好きなことを楽しんだり。学生でいられる今この瞬間を、思う存分、謳歌してほしい。
せっかく助かったのだから、これからは誰かの都合に振り回されることなく、自分の人生を自由に歩んでほしいと思う。
……うん。それがいい。
少しばかり申し訳なさはあるけれど、これなら彼女も安心して暮らせるし、私も今までどおりの生活を送れる。
まさに一石二鳥。我ながら、なかなかの名案ではないだろうか。
「え――」
「あの!」
私が口を開きかけたその瞬間、舞園さんが私の声を軽々と上回る、芯の通った声音で言葉を被せてきた。
「は、はははははいっ! な、ななな、何でしょう!?」
びくりと肩を跳ねさせながら返事をすると、舞園さんはすっと立ち上がり、私の方へとずんずん歩み寄ってきた。
そのあまりの勢いに気圧され、私はまるで金縛りにでも遭ったかのように身体が固まり、ただ彼女がこちらとの距離を詰めてくるのを見ていることしかできなかった。
……え、何?
もしかして、私、これからボコボコにされる?
いや、待って。落ち着こう。
舞園さんは運動神経抜群。一方の私は、正真正銘の運動音痴。その差は歴然。まともに勝負したところで、結果なんて考えるまでもない。
彼女が本気で何かしようものなら、私に抵抗する術なんてないのだ。
……え、詰んだ?
もしかして、助けたつもりが、かえって自分の身を危険にさらす結果になった? 世の中には、恩を仇で返すということわざもある。しかも、舞園さんは私が大金を持っていることも知っている。
まさか……いや、まさかね?
……でも、もし本当に、私の想像したとおりになったら?
そう考えた途端、背筋に嫌な汗が伝った。
……やばい。やばいやばいやばい。本気でヤバイ!
私の脳内では、最悪の未来予想図がものすごい勢いで展開されていた。
このあと私は舞園さんにボコボコにされ、あれよあれよという間に全財産を奪われる。挙げ句の果てには奴隷のようにこき使われ、用済みになったところでポイ捨てされるのだ。
――終わった……何もかも、終わった……。
さよなら、私の人生……。今までありがとう、私の人生……。
もし来世というものがあるのなら、今度こそ誰とも関わらずに済む生き物になりたい。できれば、集団行動とは無縁のやつで。
……いや、もういっそ石ころでいい。
「えっと、き、如月さんって一人暮らし?」
「は、ははは、はい!」
ばかばかばかばか! 私のバカあああああ! 嘘でも「違います」って答えればよかったのに! この場所には少なからず人目がある。ここで何かをするつもりはなくても、私が一人暮らしだと知れば、わざわざ家まで押しかけてきて、そこであれやこれやと――。
「も、もしね、如月さんがいいなら、し、しばらくの間、い、居候させてくれない、かな? あ、もちろん、家事とかその他もろもろは私が全部請け負う。五千万の借金を返済するまで、私を好きに使っていい。どんなこき使っても構わない! 恩着せがましいことを言っているのは分かってる。けど、私……あの家には戻りたくないの! お願い……お願いします!」
舞園さんはそう言って全力で頭を下げる。
彼女のすすり泣く声と、頬を伝った涙がぽたぽたとアスファルトに落ちる音だけが、私たちの間に静かに響いていた。
……彼女の必死な訴えは、嫌というほど伝わってきた。
舞園さんにとって、もはや実家は安らげる場所ではないのだろう。両親は借金を残して姿を消し、そのしわ寄せは、何も知らなかった彼女に降りかかった。そんな仕打ちを受けた今、両親と過ごしてきた家に戻ることなど、彼女にとっては一種の拷問でしかないはずだ。
それに、彼女は五千万円もの借金を肩代わりしてもらった見返りに、自分を好きに使っていいとまで言っていた。
……もしかすると、それは私が先ほど想像していたようなことをするための口実なのかもしれない。もちろん、絶対にないとは言い切れない。人の本心なんて、そう簡単に分かるものではないから。
けれど、必死さが滲む切羽詰まった声。頭を下げたまま、涙を流し、震えながら私の返事を待つ姿。
そんな彼女を目の前にしていると、どうしても悪意があるようには思えなかった。少なくとも――今の彼女が私に危害を加えようとしているとは思えない。いや、もちろん、確証なんてない。私の考えが間違っている可能性だって十分にある。
それでも――やっぱり、手を差し伸べてあげたいと思った。
もし、この選択が間違いだったとしても。もし、助けたことが裏目に出て、私自身が何らかの不利益を被ることになったとしても。
それは、私が自分で決めたことだ。
誰かに強制されたわけでもない。自分で考え、悩んだ末に選んだ道なのだから、その結果も自分で受け止めるしかない。
「わ、わわ、分かった……。わわ、私の家に泊まっていいよ」
「ほ、ほんとに……? ほんとにいいの?」
舞園さんはゆっくりと顔を上げた。私の言葉が信じられないのか、震える唇で念を押すように問いかけてくる。
「う、うん……」
私が小さく頷いた、その瞬間。舞園さんの黒い瞳が、ぱっと喜びに輝いた。
舞園さんは私の右手を両手で握ると、ぶんぶんと勢いよく振り始めた。そのあまりの勢いから、彼女がどれほど喜んでいるのかは嫌というほど伝わってくる。
うん。喜んでもらえたのは何よりだ……。何よりだけど……! 手を振る勢いが、ちょっと、いや、かなり強い!
右手が上下に揺さぶられるたび、私の身体までつられて揺れてしまう。けれど、あまりの勢いに圧倒された私は、抵抗することもできず、
「うわ……! わ、わああ~……!」
と、私は情けない声を口から漏らしつづけたのであった。
*
私たちはまず、如月さんが住んでいたアパートへ向かい、学校で使う教材類を回収することにした。
もぬけの殻、という言葉がこれほど似合う光景もないだろう。家具らしい家具はほとんど残っておらず、生活用品も綺麗さっぱり姿を消していた。挙げ句の果てには、舞園さんが自分のお小遣いで買った私物まで、ほとんど残されていなかった。
その中には、彼女が大切にしていたぬいぐるみもあったらしい。それが見当たらないと気づいた瞬間、舞園さんの表情が曇った。
怒り、悔しさ、そして、どうしようもないやるせなさ。
いくつもの感情が胸の中で渦巻いており、けれど、それらをどこにぶつければいいのか分からないのか、彼女はただ、ぎゅっと拳を握り締め、奥歯を噛み締めていた。
……かける言葉が、見つからなかった。
私にできたのは、彼女の隣で黙っていることだけだった。
必要な教材類を回収した私たちは、後ろ髪を引かれる思いを抱えながらも、アパートを後にした。
そのまま、舞園さんが当面の生活で困らないように、衣服や下着、日用品などを買い揃えると、いよいよ私の家へ。
「えっと……き、如月さんってここに住んでるの?」
「う、うん」
私たちの視界に映るのは天を貫くかのような高層マンションだった。
ガラス張りの外壁は夕日に照らされ、黄金色に輝いている。エントランスの前には手入れの行き届いた植え込みが並び、広々とした車寄せには高級車が何台も停まっていた。
舞園さんは目の前のあまりにも壮大な高層ビルに、引きつった笑みを浮かべていた。彼女が学校で見せる笑顔は純真無垢で明るく、見ているこちらまでつられて笑顔になってしまうようなものだ。
しかし、今の彼女はそんな輝きを潜めて、誰から見ても中途半端さが垣間見える、ぎこちない笑顔だった。
……舞園さんも、こんな表情をするんだ。
思いがけない一面を目の当たりにし、内心でちょっぴり驚きながら、私たちは高層ビルの中へと足を踏み入れ、エレベーターに乗り込んだのだった。
――気まずい……あまりにも気まずい……。
エレベーターの扉が閉まると、私たちの間には沈黙が降りた。
耳に入るのは、上昇するエレベーターの低い駆動音と、舞園さんが腕に掛けたビニール袋の擦れる、カサカサという音だけ。それ以外には、これといって聞こえてくるものもなかった。
……な、何か話したほうがいいのだろうか。
いや、でも、何を話せばいいのか分からない。こういうときに自然と話題を見つけられる人は、本当にすごいと思う。
そんなことを考えているうちに――。
ちん……!
到着を知らせる軽やかなチャイムが鳴り、エレベーターの扉がゆっくりと開き、私たちはそろって一歩を踏み出す。
「うわあ!!」
エレベーターを降りた途端、舞園さんは歓声を上げた。左手に広がる、壁一面を占める巨大なガラス窓。その向こうに広がる景色を目にした彼女の瞳は、まるで子供のようにキラキラと輝いていた。
夕陽はゆっくりと傾き、街を包んでいた暖かなオレンジ色は、徐々に息を潜め、夜へと誘っていく。
視線を下へ向ければ、遥か眼下に広がる街並みが一望できた。陽が沈むにつれて、ビルやマンションの窓には一つ、また一つと明かりが灯り始める。やがて、それらは街のあちこちへと広がっていき、まるで地上にもう一つの星空が生まれていくかのようだった。
そして、そんな美しい景色に夢中になってはしゃぐ舞園さんの姿にも、思わず目を奪われる。無邪気に目を輝かせる横顔は、夕陽の名残と街の灯りに照らされ、いつも以上に美しく見えた。まるで、目の前に広がる幻想的な景色が、彼女の美しさをいっそう引き立てているかのように。
「あ……えへへ。ご、ごめんね。あまりにも綺麗だったから、つい……」
舞園さんは少し気恥ずかしそうに頬を染め、はにかむような笑みを浮かべた。
「へ!? あ、う、うん。ぜ、全然大丈夫だ、だか、ら、ききき気にしな、いで!?」
――か、かか、か、可愛すぎるよおおおおおおおおお!!
思いがけず見せてくれた、照れくさそうにはにかむ笑顔。その破壊力に、私は今にも緩みそうになる頬を必死に引き締めながら、心の中で盛大に萌え叫ぶのだった。
*
「ど、どうぞ……」
「あ、うん。お、おじゃましま~す……」
私は扉を開けて、舞園さんに入るように促す。彼女は恐る恐るゆっくりと家の中に入っていく。
玄関から続く廊下は、白い壁と明るい木目調のフローリングで統一されており、壁側にはいくつかの扉が並び、どれもが周囲の壁に馴染むシンプルなデザイン。
「えっと……こ、こっち」
私は舞園さんを先導し、一つの部屋に入る。
中は玄関と同じ白い壁と木目調のフローリング。部屋の片隅にはベッドがあり、その向かい側には、壁に沿うように机が置かれ、壁際には天井近くまで高さのあるクローゼットが備え付けられている。
窓はそれほど大きくなく、薄いカーテンの隙間から淡い橙色の光が差し込み、フローリングの一部の色を変えていた。
「えっと、こ、この部屋を使って」
「う、うん。ありがとう」
舞園さんは小さく頷くと、手にしていたビニール袋やカバンを、恐れ多いと言わんばかりにゆっくりとした動作で部屋の隅に置いていった。
「あ、そ、そうだ。えっと、舞園さ、さん。今日、何食べ、たい? 出前、とる、から」
「えっ、そんな……私に気を遣わなくていいよ。如月さんが食べたいものを頼んで。私、一応、五千万円で如月さんに〝買われた〟ようなものだし。借金を返し終えるまでは、私の意思も権利も、如月さんに委ねるつもりだから」
舞園さんは、真剣な面持ちでそう告げた。
その瞳に浮かんでいるのは、真摯な光だけ。冗談でも、自暴自棄になって口にした言葉でもない。本気でそう考えているのだと、嫌でも伝わってきた。
五千万円。
それは、学生が簡単に返せるような金額ではない。
投資などで大きく成功すれば、一、二年で返済できる可能性もあるだろう。けれど、そんなものは確実ではないし、誰もが上手くいくわけでもない。
堅実に返そうと思えば、アルバイトに明け暮れる日々が待っている。休日は仕事で潰れ、友達と遊ぶ時間もなくなる。食事や映画に出かけるときでさえ出費を気にしなければならず、ましてや旅行なんて、気軽に行けるものではなくなるだろう。
そうして借金を返すことばかり考えているうちに、学生生活はあっという間に過ぎ去ってしまう。
青春なんて、あったものではない。
……まあ、私のように人付き合いが苦手で、ひとりで過ごすことを好む人間なら、百歩譲って青春を犠牲にするのも、やぶさかではないのかもしれない。
けれど、舞園さんは違う。
彼女は、誰もが知る学園のアイドルだ。きっと、一緒に遊びたいと思っている友達も、彼女と過ごす時間を楽しみにしている人たちも、たくさんいるはずだ。
そんな彼女が、借金を返すために休日をアルバイトで潰し、友達からの誘いを断り、何をするにもお金の心配をしなければならない。
……そんなの、あんまりじゃないか。
もちろん、これは私の勝手なエゴなのかもしれない。
それでも、借金のことなんて気にせずに、舞園さんには自分の青春を謳歌してほしかった。
友達と遊んで、放課後に寄り道をして、時には何も考えずに好きなことを楽しむ。学生でいられる今だからこそできることを、思う存分、楽しんでほしいと思った。
――と、そんな言葉を素直に伝えられたなら、どれほどよかっただろう。
しかし、悲しいかな。
人付き合いが苦手で、陰キャでコミュ障な私には、自分の気持ちを真っ直ぐに伝える勇気すらなかった。
頭の中では、いくらでも言葉を並べられる。こうしてひとりで考えているだけなら、舞園さんに伝えたいことだって、はっきりと分かっている。
なのに、いざ本人を目の前にすると、途端に言葉が喉につかえてしまうのだ。
まったく、どうして私は、こうも不器用な人間なのだろうか……。
「えっと……わ、私、特に食べたいものがなくて……。だ、だから、舞園さんが何か食べたいものがあるなら……そ、それを頼もうかなって」
これは紛れもない本音だった。
私は普段から、食事は出前で済ませることが多い。コミュ障ゆえに配達員と顔を合わせるのも苦手なので、基本的には置き配を利用している。
食べたいものが明確にあるときは別だけど、そうでなければ、メニューを眺めて適当に選ぶだけ。わざわざ「あれが食べたい!」「これが食べたい!」と悩むこともない。
そして、今日はまさにそんな日だった。
これといって食欲をそそられるものもなければ、どうしても食べたいと思う料理もない。だからこそ、舞園さんが食べたいものがあるなら、それを注文すればいい。自分の食事にこだわりがない分、相手の希望を優先することに何の抵抗もなかった。
「……あるにはあるけど……、ほんとにいいの?」
「う、うん」
私が小さく頷くと、舞園さんはちらちらとこちらの様子を窺いながら、上目遣い気味に口を開いた。
「えっと……、お、オムライスでお願いします……」
遠慮がちに、ぼそりと呟く。
――ふごおおおおおおおおおおおお!!
な、なんだ今のは!?
学園のアイドルによる、破壊力抜群の上目遣い! しかも、普段の明るく眩しい笑顔とは違う、こちらの顔色を窺うような控えめな仕草!
か、可愛すぎる……!
あまりの破壊力に私の心臓は槍で貫かれたような衝撃が走り、危うく尊死してしまいそうになる。
ほんとにいつか舞園さんに別の意味で殺されそうな気がして、別の意味で舞園さんに恐怖してしまう。
美少女ってほんとに恐ろしや……。
こんなにも可愛くて、優しくて、誰からも愛されるような美少女を置いて逃げるなんて、舞園さんの両親は一体何を考えているのか。
挙げ句の果てに、自分たちが作った借金まで娘に押しつけるなんて、あまりにもひどすぎる。罰当たりにもほどがある。
「わ、わわ、わわわわかった」
私も舞園さんと同じオムライスにして注文完了した。因みに内緒だが、ちょっとお高めのオムライスにしてある。
舞園さんの今日の一日は怒涛で、本人も相当に気が滅入っているだろうと思い、少しでもおいしものを食べて癒されて欲しかった。
「ええっと注文は完了したから、あ、そうだ。く、来るまで、へ、部屋の案内を、ってお、思うけど、い、いいかな?」
「うん、もちろん。さっきも言ったけど今の私は如月さんに買われてる身。だから気を遣うことはしないで」
「あ、う、うん。わわ、わかった」
私はこくこくと頷いた。
……けれど、正直なところ、無理だと思う。小学生の頃から、私はずっと周囲の顔色をうかがいながら生きてきた。
相手が何を考えているのか。今の言葉で機嫌を損ねていないか。どうすれば嫌われずに済むのか。そんなことばかり気にして、いつの間にか、それが当たり前になっていた。
いわば、長年の積み重ねによって染みついてしまった習慣だ。そう簡単に変えられるものではない。
*
「つ、次は、こ、ここ。わ、私のへ、部屋」
案内する部屋は、残すところあと二つ。
私はリビングのすぐ近くにある部屋を指さした。舞園さんが小さく頷いたのを確認してから、ドアノブに手をかけ、扉を開ける。
部屋の造りは、先ほど舞園さんに案内した部屋とほとんど変わらない。
「うわ……! モニターがたくさん……」
舞園さんが興味を示したのは、部屋の一角に置かれた机にある、ずらりと並んだモニター。
「えっと……如月さんって、もしかして、すごいエンジニアさんなの?」
どうやら舞園さんはモニターの数から私が凄腕のエンジニアだと思ったらしい。まあ、そんなにモニターがあればそう思うのも無理はない。
「あ、う、ううん。ち、違うよ」
「あ! もしかして漫画家さんとかイラストレータさんとか? この液晶パッド……私一回テレビで見たことあるよ……って、あ、ご、ごめんね。プライベートなことに踏み入っちゃって。如月さんがどうやってお金を稼いでるのか気になって……」
舞園さんはどうやら、私のお金の稼ぎ口に興味津々のようだ。
まあ、そりゃあそうか……。私みたいな陰キャコミュ障が舞園さんの借金五千万という大金を何の躊躇もなく肩代わりしたのだから、気になってしまうのは道理か。
とはいえ、さすがに他人の懐事情を詮索するのはよくないと思ったのだろう。舞園さんは慌てて両手を振りながら、申し訳なさそうに頭を下げた。
正直なところ、自分が大金を持っていることを知る人間は、両親だけにしておきたかった。けれど、仕方がない。あの場で舞園さんを助けると決めたのは、ほかでもない私自身なのだから。
五千万円もの借金を肩代わりすると宣言した以上、お金を持っていることが知られてしまうのは、もはや避けられないことだった。
……だったら、今さら自分の稼ぎ口まで話したところで、大して変わらないだろう。
「えっと……漫画は趣味で描いていて……。それで、えっと、舞園さんの質問に答えるなら……投資で、稼いでる」
「え……?」
舞園さんは、まさか私が素直に教えるとは思っていなかったのか、驚いたような、それでいて呆気に取られたような表情を浮かべた。
「わ、私に教えてよかったの?」
「う、うん。ま、舞園さんには、も、もう私がお金をたくさん持ってることは、し、知られてるし……。か、隠すようなことでも、ないから……。あ、で、でも! 私がお、お金持ちってことは、誰にも伝え、ないでほしい……」
「あ、うん! 分かった。約束する!」
大金を持っているとを知られれば、それを理由に私に近づく人も現れるだろうと思う。人が苦手な私にとってこれを知られるのは、まさしく死刑宣告にも等しいのだ。
そんな私のお願いを、舞園さんは快く引き受けてくれた。あとは、もう舞園さんを信じるしかない。
そもそも、彼女を助けると決めた時点で、こうしたリスクを負うことも承知の上だった。仮に舞園さんがうっかり口を滑らせて、私がお金持ちだということが周囲に知られてしまったとしても、その責任は助けた私にある。決して彼女の責任じゃない。
「えっと……じゃあ、最後に――」
と、最後にリビングを案内しようとした矢先。スマホの携帯の通知が入った。先ほどの注文したオムライスがもうすぐ届くらしい。
「あ……もう近くまでき、来てるらしいから、さ、最後リビングを案内してご、ご飯をた、食べよっか」
「うん!」
舞園さんは、よほどオムライスが食べられるのが嬉しいのか、弾むような声で返事をした。ここまで元気になってくれるなら、舞園さんに好きなものを選んでもらって正解だったなと、その笑顔を見て改めてそう感じた。
私たちは部屋から出ると、直ぐ傍にあるリビングへ続く扉の前に立ち尽くす。落ち着いた木目の扉は閉ざされており、その向こう側の景色を窺うことはできない。
「えっと……さ、最後はここ。ちょ、ちょっと散らかってるけど……」
私は一応前置きでそう言って、扉を開けた。舞園さんは室内の光景を目の当たりにして――、
「……へ?」
絶句。
目の前の光景が信じられないとでもいうように、何度も瞬きを繰り返す。現実を受け入れられないのか、目を擦っては、もう一度リビングを見渡す。
ピンポーン!
私は、いまだに壮絶な光景を前に硬直している舞園さんの横を通り抜け、インターホンへと向かう。
がさ、ごそっ……!
足元には、床が見えないほどのゴミが散乱していた。私はその山の合間にわずかに残された足場を器用に縫うようにして進み、どうにかインターホンの前までたどり着く。
そして、モニターに来訪者の姿が映っていることを確認すると、オートロックの解除ボタンを押した。
「え、ええっと……き、如月さん。こ、これは……?」
ようやく現実に戻ってきたのか、舞園さんはぎぎぎ……と、まるでロボットのようにぎこちなく首をこちらへ向けた。
「え……? り、リビングだよ?」
「そ、そうじゃなくて!」
「ひうっ……!」
いつも学園では、誰に対しても分け隔てなく優しく、明るく元気な舞園さん。そんな彼女が声を荒らげる姿なんて、私は一度たりとも見たことがなかった。
まさに『学園のアイドル』と呼ぶにふさわしい、あの舞園さんが――よりにもよって、私に向かって声を荒らげている。
まさかまさかすぎる出来事に、私は思わず身を縮こませてしまった。
「あ……ご、ごめんね! えっと……り、リビングのことは任せて! わ、私が片付けるから!」
舞園さんは、声を荒らげてしまったことを申し訳なく思ったのか、慌てて謝罪すると、右腕をぐっと曲げ、左手で二の腕をぽんぽんと叩いた。
「へ……? あ、い、いやぁ……」
私は改めて、リビングを見渡した。
床を埋め尽くしているのは、デリバリーで食べた食事の容器や、それらを放り込んだビニール袋の数々。
実を言うと、私はかなりのめんどくさがり屋だったりする。
そもそも、普段の私はほとんど自分の部屋に引きこもっている。リビングに足を運ぶことなんて、デリバリーが届いた際にオートロックを解除するときか、料理が冷めていたりしたときに、仕方なくキッチンへ向かうときくらいだ。
つまり、私にとってこのリビングは、あってもなくても困らない場所なのである。
この部屋に住み始めた当初は、漫画の資料集めに夢中だった。タワマンの最上階から見える景色を写真に収めたり、作品に使えそうな風景を探したり。
そもそも私がここに住むことを決めた理由は、ただ一つ。
――最上階からの景色を、漫画の資料にしたかったから。
それだけである。
それだけのために、タワマンの最上階に住むことを決めたのだ。もちろん、リビングにだって一通りの家具はそろっている。
テレビだってあるし、ソファだってある。けれど、テレビを使ったのなんて、両親がここに来ていたときの一日くらい。ソファに至っては、まともに座った記憶すらほとんどない。
本来ならくつろぎの空間であるはずのリビングは、いつしか別の用途を持つようになっていた。
私が使わないソファや床の空きスペースを、デリバリーで食べ終えた容器やビニール袋たちが我が物顔で占領している。
めんどくさがりなうえに、人付き合いも苦手。ここに住んでから一度もゴミ出しはしたことはなく、このリビングはいわば巨大なゴミ箱と化していた。
そんなゴミ屋敷を、舞園さんは片付けると言うのだ。正直、相当な労力がかかるだろうし、彼女にそこまでさせるのは申し訳ない。
「そ、そこまでし、しなくても、いいよ。わ、私はこ、困らないから……」
「ううん。借金を肩代わりしてもらったうえに、私のわがままもたくさん聞いてくれたから、きっちり片付けさせてもらうよ! それに、せっかくこんなに素敵なリビングなんだから、綺麗にしたいし! 任せて! 私、家事は得意だから!」
舞園さんは、やる気満々だった。
その瞳には迷いなど微塵もなく、今にも腕まくりをして掃除を始めそうな勢いである。その気迫に押されて、考えるより先に、私は小さくこくんと首を縦に振った。
*
「いただきます!」
「い、いただきます……」
リビングの片付けはひとまず後回しにして、私たちは先ほど届いたオムライスを食べることにした。
ちなみに、場所は私の部屋である。
部屋の案内も済んだことだし、てっきり各自、自分の部屋で食べるものだと思っていたが、舞園さんから「一緒に食べない?」と提案されたのだ。それに、これからのことについても少し話し合いたいらしい。
最初は舞園さんが自分の部屋を使おうと提案してくれたのだが、私はそれを断り、自分の部屋で食べることを提案した。
今やあそこの部屋は舞園さん部屋。オムライスを食べた際に不手際で食べ物を床に落としたりしたら、申し訳なさすぎる。
その点、自分の部屋なら多少汚してしまっても気にならないし、余計な気遣いをする必要もない。何より、舞園さんの部屋を汚してしまったという後ろめたさを感じずに済む。
そんな私の提案に、舞園さんは快く頷いてくれた。
部屋にはもともと椅子が二脚あったので、余っていた一脚を自分の隣に移動させる。そうして私たちは、隣り合って座り、それぞれのオムライスを食べることになった。
人と一緒に食事をするのは、一年以上ぶりだった。しかも、相手はあの『学園のアイドル』こと舞園さん。おまけに、二人きり。
……これ、学校中の生徒たちが知ったら、さぞ羨ましがるんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、私はちらりと隣の舞園さんに視線を向けた。
彼女はすでにスプーンでオムライスをひと口分すくい、ちょうど口に運ぼうとしているところだった。
その際、髪が邪魔にならないよう、さっと耳にかける。そして、スプーンに乗ったオムライスに、ふーふーと息を吹きかけて熱を冷ます。
一つ一つの動作はなんてことない、ごくありふれた仕草だ。なのに、舞園さんがすると、それだけで不思議と魅力的に映る。
私が同じことをしたところで、きっと何の変哲もないだろう。それなのに、どうして舞園さんがすると、こんなにも可憐に見えるのだろうか。
……全く人間というのは実に不思議な生き物だ。
と、そんな様子を観察していると、スプーンに乗ったオムライスは舞園さんの口の中へ。
「ん~! おいしい~!」
舞園さんは右手を頬に添え、幸せそうに頬を緩ませた。どうやら、ひと口食べただけで、すっかり気に入ってくれたらしい。
オムライスに舌鼓する舞園さんも絵になるな~なんて思いながら見ていると――、
「ぐすっ……ぐすっ……」
唐突に舞園さんが嗚咽を零した。
「えっ!? え、えっと、ま、舞園さん!? い、いきなりどうしたの!? も、もしかして、苦手なものとかあった!?」
突然、涙をこぼし始めた舞園さんに、私は慌てふためく。
少しでも喜んでもらえたらと思って、わざわざ普段よりお高めのオムライスを注文したのに……。それが、まさか裏目に出てしまったのだろうかと、私の内心は気が気ではなかった。
「あ、ううん! ち、違うの!」
舞園さんは慌てる私を制するように手を振ると、目元に浮かんだ涙を人差し指でさっと拭った。
「むしろ、逆。……とっても幸せなの」
「し、幸せ……?」
どういうことだろう? と言う風に私は小首を傾げながら、彼女の言葉をそのまま繰り返した。
「あのとき、如月さんが助けてくれなかったら、私、きっとこんなに暖かくて、おいしいご飯を食べることもできないくらい、ひどい環境に置かれていたと思うの。だから……なんだか、ようやく安心できた気がして。そしたら、涙が出てきちゃって……」
そう言って、舞園さんは照れくさそうにはにかんだ。
もし、あのとき私が助けに入らなかったら、今頃相当に酷い環境に置かれていただろう。風俗とかで無理やり働かされ、そこで性的なことなんかさせられて、身も心も壊されて、見るも無残な人生の末路を辿っていたはずだ。
もちろん、本当のところは分からない。けれど、少なくとも彼女が自分の意思ではどうにもできない状況に追い込まれていた可能性は、十分にあった。
それを考えれば、こうして暖かい部屋で、好きなオムライスを食べられることが、どれほど幸せなことなのか。そして、ようやく張り詰めていた心が緩んだからこそ、涙がこぼれてしまったのだろうと思う。
「ほんとにありがとう。如月さんは私の命の恩人だよ!」
舞園さんは再び私の手を握ると、感謝の気持ちを伝えるように、ぶんぶんと勢いよく振り始めた。
「ほ、ほわわわわぁぁ……!」
その腕の動きに合わせて、私の身体まで左右に揺さぶられる。おかげで、口から飛び出す悲鳴まで振動につられ、まるでビブラートがかかったようになってしまった。
そんなふうに、舞園さんからの感謝を全身で受け止めながら、私たちは無事にオムライスを平らげたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「今後のことなんだけど……とりあえず、如月さんに借金を返すのは当然として――」
と、そこで舞園さんは言葉を切った……いや、正確には、切らざるを得なかったのだろう。
「……っと。この話は、また明日にしよっか」
「ふ、ぇ……?」
舞園さんは、何かに気づいたように小さく笑った。今日の私は今世紀最大と言っても過言ではないほど、気力を振り絞り、あの借金取りの男たちに立ち向かった。
その反動が、今になって一気に押し寄せてきたらしい。
まぶたは重く、視界はぼんやりとかすんでいる。目の前にいる舞園さんの表情にも靄がかかったようで、彼女の声さえ、まるで遠く離れた場所から聞こえてくるようだった。
……まだ、話し合わなきゃいけないことがあるのに
……これからのことだって、ちゃんと決めておきたいのに。
そんなことを考えてはいるものの、私の意識はすでに限界で――。
ふわり、と。突然、私の身体が温かなものに包まれた。頬に触れる柔らかな感触。どうやら、ブレザーの生地らしい……ということは、今、私は舞園さんに抱きしめられているのだろう。
彼女は、今にも眠りに落ちそうな私を気遣うように、慈しむような優しさで、そっと抱きしめてくれていた。
ああ……すごく、安心する……。
学園のアイドルである舞園さんに、こんなふうに優しく抱きしめてもらえるなんて……なんて贅沢な……。
「おやすみなさい、如月さん」
耳元で囁かれた、優しい声。
それを最後に、私の意識はゆっくりと闇の中へ沈んでいったのだった。