※この作品はR-18です。

コミュ障陰キャの私が学園のアイドルを買っちゃいます!   作:空空空空

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二話 学園のアイドルと契約します!

「んぅ……」

 

 朝を告げる小鳥の囀りに、私はゆっくりと夢の世界から目を覚ました。

 

 ……あれ? 私、いつの間に寝ちゃったんだろう。それに、この格好……。

 

 まだ頭が完全に覚醒していないせいか、状況を把握するのに少し時間がかかる。

 

 昨日、私はベッドに入った覚えがない。そもそも、意識を手放したのは確か……夕食を食べて、すぐのことだったはずだ。

 

 ……なのに、どうして私はベッドの上で眠っているのだろう。

 

 世の中には、睡眠中に無意識のまま歩き回ったり、何かしらの行動を取ったりする『夢遊病』というものがある。本人にその間の記憶が残っていないこともあるらしい。

 もちろん、私がこれまで夢遊病を患ったことは一度もない。けれど、今まで一度も起こらなかったからといって、これから先も起こらないとは限らない。だから、知らないうちにベッドへ移動していたとしても、不思議ではない……不思議ではないけど。

 

 ―—どうにも腑に落ちない。

 

 どうしてこんなにも腑に落ちないのか。その最大の要因は今の自分の恰好にあったからだ。白のブラウスに、濃紺のスカート、白のソックス。どこからどう見ても、いつもの制服姿だった。

 

 高校に入学して以来、こんな格好のまま眠ったことなんて一度もない。

 

 そもそも私は、家の中ではできるだけ身軽に過ごしたいタイプだ。だから、帰宅するとすぐさま制服を脱ぎ、無地の白い服に着替える。今は春とはいえ、まだ少し肌寒いので、その上から赤いジャージを羽織るのが、私の日課になっていた。

 

 そんな私が、制服姿のまま眠るなんてありえない。断じてありえない。

 

 もし、そんなことが起こるとすれば……着替える暇すらないほどの、とんでもないイベントが発生したくらいだ。

 

 そこまで考えた瞬間、頭の中に浮かんでいた靄が、すうっと晴れていく。そして私は、昨日の出来事を思い出した。

 

「……舞園さん」

 

 ぽつりと、その名前が口をついて出た。

 

 舞園さん。

 

 私が通う高校で、圧倒的な人気を誇る存在。誰もが憧れ、誰もが振り返る、まさに『学園のアイドル』だ。

 

「……あ、あはは……。夢、だよね?」

 

 昨日の出来事は、驚くほど鮮明に思い出せる。それなのに、どうしても現実のことだとは思えなかった。

 私は普段、自分の描く漫画のために、あれこれと妄想を膨らませる癖がある。けれど、だからといって、その妄想が夢にまで入り込むことはない。もしかしたら、私の妄想力が強すぎるあまり、夢の中にまでその影響が及んでしまったのかもしれない。そして、夢の中で見た出来事を、まるで現実に体験したかのように錯覚してしまったのだ。

 

 だから、きっとあの出来事は夢だったんだ。そうでなければ、あんなことが現実に起こるはずがない。

 

 うん、そうだ。そうに違いない!

 

「……」

 

 私は机に置いてある、自分のスマホを見る。もし、昨日の出来事が現実で実際に起きたのなら、私の銀行口座にはばっさりと五千万円が消えてるはず。

 

「……ごくり」

 

 喉を鳴らしながら、私はゆっくりとベッドから立ち上がった。そして、震える指でスマートフォンを操作し、自分の口座残高を確認する。

 

「っ!? 無い……! や、やっぱり……あの出来事は――」

 

 結論を口にしかけた、その瞬間。

 

 こんこん!

 

「ひいっ!?」 

 

 不意に響いたノックの音に、私は思わず悲鳴を上げてしまった。

 

「あ、如月さん。起きてる? もしよかったら朝ごはん一緒に食べない?」

 

 その悲鳴により舞園さんは私が起きてることに気付き、一緒に朝ごはんを食べようとお誘いが。

 

「はははははひっ! 食べます!」

 

 ……あ。

 

 私は人付き合いが大の苦手で、できることなら一人で過ごしていたいタイプだ。たとえ相手が、誰もが憧れる学園のアイドルであろうと、それは変わらない。

 それなのに、条件反射で誘いを受けてしまった私は、遅ればせながら自分の言動を激しく後悔するのだった。

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 私は部屋を出る前に制服を脱ぎ、いつもの部屋着へと着替えると、脱衣所にて脱いだ服を洗濯かごに放り込む。まだ頭の片隅には、寝起き特有のぼんやりとした靄が残っていた。私は冷たい水で顔を洗い、まとわりつく眠気とともに、その靄を振り払った。

 

 身支度を済ませた私は、洗面所を出てリビングへと向かった。

 

 今日は土曜日。学校は休みだ。

 

 ちなみに私は、休日になると朝食を取らない。部屋に設置してあるウォーターサーバーの水だけでお腹を満たし、あとはひたすら漫画に明け暮れる。それが私の休日の過ごし方だった。

 

 学校がある日も、朝からきちんと食事を取るわけではない。近所のコンビニで昼食を買うついでに朝食も購入し、朝の休み時間に食べるのが習慣になっている。

 幸い、最近のコンビニにはセルフレジという文明の利器が普及している。コミュ障陰キャの私にとって、これほどありがたいものはない。店員さんと直接やり取りする機会を減らせるのだから、まさに天の恵みである。

 

 毎回、セルフレジさんにありがとうございますと、念を込めて感謝してるくらいだ。

 

 休日に朝食を摂ること自体、久しぶりなのに、それをリビングで食べるなんて。そもそも、リビングで食事をしたことなんて、片手で数えられるほどしかない。

 

 昨日の惨状を見る限り、一日や二日で片づけるのは不可能に近い。できたとしても、せいぜい食事をするためのスペースを確保するのが精一杯だ。わざわざリビングで朝食を取ろうと誘ってくれたのだから、少なくとも、そこだけは片付けたのであろう。

 舞園さんは、自分は私に『買われた』のだと豪語し、借金を返し終えるまでは家事の一切を任せてほしいと、自ら申し出てくれた。あの地獄のような状況から逃れられたことを思えば、本人にとっては、些細な事だろうと思う……が。

 

 ……それでも、やっぱり申し訳なく思ってしまう。

 

 うん。やっぱり、借金のことなんて気にしなくていいと伝えよう。舞園さんには別の家を借りてもらい、高校を卒業するまで何不自由なく暮らせるだけの資金を渡す。そして、借金に縛られることなく、自分の人生を思い切り謳歌してもらうのだ。

 

 ……うん。それがいい。それがいいに決まっている。

 

 そもそもの原因は、舞園さんの両親にある。舞園さんは、そのとばっちりを受けただけにすぎない。悪いのは両親であって、娘である舞園さんではないのだ。

 

 だから、本来なら舞園さんが借金を返済する必要なんてないはずだ。

 

 ――よし、ちゃんと言おう。大丈夫。私ならできる。だって昨日、あの借金取りの男たちにだって立ち向かえたんだから。

 

「よ、よし!」

 

 私はぐっと握り拳を作り、気合を注入する。その決意を胸に、私はリビングのドアノブを掴み、扉を開けた。

 

「……え?」

 

 足を踏み入れた瞬間、私は目の前に広がる光景に絶句した。

 

 昨日、あれほどゴミであふれ返っていたリビングから、ゴミがすっかり消え失せていた。それだけではない。床も窓も、あらゆるところが磨き上げられ、漫画でよくあるピカピカのエフェクトと、その効果音が聞こえてきてもおかしくないほどに、リビングに眩い光沢が放っていた。

 昨日までの荒れ果てた面影など、どこにもない。部屋全体が鮮やかな色彩を取り戻し、まるで死んでいた空間に再び命が吹き込まれたかのようだった。

 

「あ、おはよう、如月さん!」

 

 生まれ変わったリビングの光景にすっかり意識を奪われていた私の耳に、快活な挨拶が聞こえてきた。

 声のした方へ視線を向けると、キッチンに立つ舞園さんの姿が目に入った。身につけているのは、黄色いエプロン(母がここで料理をしていた頃に使っていたもの)。そして、普段は滅多に見られないポニーテール姿。後ろでひとつにまとめられた髪が、普段の彼女とはまた違った魅力を引き立てていた。

 

 右手にはお玉、左手にはよそったばかりなのだろう、湯気の立ち上る味噌汁のお椀。

 エプロンを身につけ、髪を結い上げ、朝食の支度をするその姿は、まさに家庭的な主婦そのものだった。

 

 ……ほんとに絵になるなあ。

 

 掃除もできて、料理もできる。そのうえ、学校に行けば誰もが憧れる学園のアイドルで、まさに高嶺の花。

 

 こんな人ともし結婚できたら、きっと幸せなことこの上ないだろう。

 

「? 如月さん、どうかした?」

 

 私がまじまじと舞園さんを見つめていると、彼女は可愛らしく小首を傾げ、不思議そうに尋ねてきた。

 

 っ!?

 

 その何気ない仕草ひとつで、私の心臓は胸の内側を思いきり叩かれたかのように、どくんっと大きく跳ねた。

 

「あ、う、ううん! な、ななな、何でもない!」

 

 込み上げてくる恥ずかしさを誤魔化すように、私はぶんぶんと首を横に振る。そして、これ以上舞園さんの顔をまともに見ていられず、逃げるようにダイニングテーブルへと向かい、席に着いた。

 

 テーブルの上には、和食を中心とした朝食が綺麗に並べられていた。

 

 ほかほかと湯気を立ち上らせる炊きたての白米。こんがりと焼き目のついた鮭は、程よく脂が乗っていて、見るからに美味しそうだった。その隣には、鮮やかな黄色に焼き上げられた卵焼きが添えられている。

 

「はい、お味噌汁」

 

「あ、あああ、ありが、とう……」

 

 舞園さんは、先ほどよそっていた味噌汁のお椀を、そっと私の前に置いてくれた。中には、豆腐とわかめが入っている。

 

 ……味噌汁かあ。

 

 高校に入学してからというもの、味噌汁なんて一度も口にしていなかった。久しぶりに嗅ぐ味噌の香りは、なんだか懐かしくて、どこかほっとするような匂いだった。

 

 こんなしっかりとした朝食は久しぶりだった。しかもその朝食を作ってくれたのは他でもない舞園さん。

 学園のアイドルの手料理なんて、贅沢過ぎる。学校でお金を払ってまでも食べたい人はわんさかいるだろう。

 

 ……どうしよう、なんか恐れ多くて緊張する。

 

「あ、えっと……もしかして、苦手な物とかあった?」

 

「あ、う、ううん。お、美味しそうだなって思って……」

 

 私はじっとテーブルの品々を見つめていたからか、舞園さんは何か苦手な食べ物があるかと勘違い。

 私はそれを否定し、おいしそうだと告げる。

 

「あはは……私、あまり人に料理を振舞った事がなくて、正直、今、すっごくドキドキしてる……」

 

 舞園さんは人差し指で頬を掻きながら、乾いた笑いを浮かべる。舞園さんは、学校で緊張している姿なんてなく、いつなんどきもにこやかで、堂々としてる印象しかなかったから、意外だった。でも確かにいつもよりすっきりとした笑顔ではなくて、声も震えていて、心なしか上擦っていたので、緊張が私にも伝わってきていた。

 

「あ、美味しくなかったらちゃんと教えてね。お世辞とかはいらないから! 今後も料理は作るつもりだし、今のうちに好みは把握しときたいから」

 

「え……? あ、う、うん」

 

 ……あ、また。ううぅ……せっかくあそこで覚悟を決めたのに、意味なくちゃったあああああ!

 

 私は頷いたことで舞園さんとの同棲を自ら承諾してしまい、心の中で自分のドアホさに頭を抱える。

 

 はあ……過ぎたことはしょうがない。いや、もしかしたら、舞園さんの方から流石に居候は申し訳ないと自ら言ってくれるかもしれない。それを信じよう、うん。

 

「い、いただき、ます」

 

 お箸を手に取り、まず、お味噌汁を飲む。

 

「あ……おいしい」

 

「ほ、ほんと!」

 

「う、うん」

 

「よかった~。あ、もしよければ卵焼きも食べてくれないかな?」

 

「あ、う、うん」

 

 私は箸を伸ばし、卵焼きの一切れを口へと運んだ。

 

 ぱくりと頬張ると、ふんわりと柔らかな食感とともに、優しい甘みが口いっぱいに広がった。砂糖の甘さは決してくどくなく、卵本来のまろやかな味わいを引き立てている。噛むたびにじんわりと広がる甘みが、なんとも心地いい。

 

「すごく、おいしい……」

 

「ほんと!? よかった~。好みがわからなくて、私がいつも作ってる卵焼きの砂糖の味付けにしてみたんだ」

 

 卵焼きを進めたということは一番自信がなかったのだろう。私が美味しいと言うと、ほっと張り詰めていた緊張が解けたのが分かった。

 

 正直、美味しいってものじゃない。お店で出しても遜色ないレベルだ。たかが卵焼き。されど卵焼きなのに、こんなにも美味しく作れるなんて凄い。

 

「……あ」

 

 気づけばお皿に乗っていた卵焼きは無くなっていた。

 

 ああ……、もうちょっと食べたかったなぁ……。

 

 私の名残惜しい雰囲気を感じ取ったのか、舞園さんが自分の分の卵焼きをそっと差し出してくれた。

 

「あ……ふふ。はい、私の分の卵焼きも食べて」

 

「え、い、いいよ!」

 

「ううん、遠慮しないで。自分で食べるより、自分の作った卵焼きをこんなに美味しそうに食べてくれる姿を見ているほうが、私にとってはずっと幸せだから」

 

 そこまで言われてしまっては、これ以上遠慮しても仕方がない。私は舞園さんの優しさに甘えることにして、差し出してくれた卵焼きに箸を伸ばした。

 

「え、えっと……い、いただきます」

 

「うん。召し上がれ」

 

 弾むような舞園さんの声に背中を押され、私は卵焼きを口へと運ぶ。

 

 ……やっぱり美味しい~!

 

 ふんわりとした食感と優しい甘さが口いっぱいに広がり、思わず頬が緩んでしまう。その美味しさに夢中になった私は、気づけば舞園さんの分まであっという間に平らげていた。

 

 続いて、まだ手をつけていなかった焼き魚にも箸を伸ばす。こちらも塩加減、焼き加減ともに絶妙で、噛むたびに魚の旨味が口の中に広がった。

 

 ああ……美味しい。

 

 こんなにも美味しい朝食を、心ゆくまで堪能できるなんて。おかげで、久しぶりに心もお腹も満たされる朝食となった。

 一方、舞園さんも自分の朝食を口に運びながら、時折こちらへ視線を向けてくる。そして、私が美味しそうに食べている姿を見るたびに、嬉しそうにはにかむのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

「よし! 朝食も食べ終わったことだし、これからのことについて話し合いたいんだけど……昨日も言ったとおり、私は如月さんに実質的に〝買われた〟ようなものだから、借金を返済するまでは、私の身の振り方は如月さんに任せるね」

 

 舞園さんは昨日に引き続き、自分のこれからを私に委ねるつもりらしい。

 

 立場を考えれば、そうするのも無理はないのかもしれない。けれど、自分の意思や今後の人生を他人に委ねるというのは、決して簡単なことではなく、相当な覚悟が必要なはずだ。それなのに、舞園さんはまるで何でもないことのように口にする。

 

「それでね、私、アルバイトを始めようと思ってるんだけど……いいかな? 今のうちから少しずつお金を返していきたいし、さすがにいつまでも居候しているわけにもいかないから。お金が貯まったら、どこかにアパートを借りようかなって思ってるの」

 

 どうやら舞園さんは、学生のうちからアルバイトをして、私への借金の返済と一人暮らしのための資金を少しずつ貯めていくつもりらしい。

 

 朝食を食べる前の私なら、同棲なんてあまり気が進まず、舞園さんの提案に乗り気に頷いていただろう。けれど、さっきの舞園さんの手料理を味わってしまった今、これからも彼女の作る料理を食べたいという気持ちが、胸の内でふつふつと湧き上がっていた。

 せっかく舞園さんと一緒に暮らしているのに、彼女がアパートを借りて出ていってしまったら、その料理を味わう機会も減ってしまう。それは……正直、かなり惜しい。

 まさか、あれほど同棲に乗り気じゃなかった私が、たった一度の朝食で胃袋を掴まれ、すっかり前向きになってしまうなんて、自分でも驚きを隠せなかった。

 

「あ、あの!」

 

「?」

 

 舞園さんが不思議そうに首を傾げる。

 

「あ、い、いい、いえ……な、なんでも、ありましぇん……」

 

 頭の中では伝えたいことがまとまっているのに、いざ口にしようとすると、どうしても言葉が出てこない。

 極度のコミュ障で、いつも人の顔色を窺いながら生きてきたせいか、相手がどう思うかを考えてしまい、喉元まで出かかった言葉を引っ込めてしまうのだ。

 

 ほんとに、どうして昨日は借金取りの男たちに立ち向かうことができたのだろう。今の自分からは、とても信じられない。

 

「ううん、遠慮しなくていいよ。むしろ、如月さんに何か希望があるなら、ちゃんと聞かせてほしいな。私は、如月さんの意思を尊重したいから」

 

 舞園さんは胸元にそっと手を添え、言いかけた言葉を飲み込んでしまった私に、優しく続きを促してくれた。

 その表情には、私の言葉を急かすような様子も、無理に聞き出そうとする気配もない。ただ、私が自分の気持ちを話してくれるのを、穏やかに待ってくれている。

 

 私はジャージの裾をぎゅっと握りしめ、心の中で勇気を振り絞る。落ち着かない様子で人差し指同士をこねくり回しながら顔を伏せ、ちらちらと舞園さんの様子を窺った。

 

「あ、う、えっとえっと、その、ご、五千万の借金は、卒業までの二年間、わ、私と同棲して、み、身の回りの世話をしてくれたら、それでチャラにしても、いいかなって」

 

「そ、それはさすがに……私が納得できないというか、許せないというか……対価として、全然釣り合ってないよ」

 

 舞園さんは私の提示した条件を聞くと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。舞園さんとしては、五千万円の借金はきっちりと返済したいらしい。

 確かに、彼女の性格を考えれば、予想どおりの反応ではあった。舞園さんは義理堅そうだし、受けた恩はきちんと返そうとするタイプに見える。だからこそ、借金をなかったことにするという私の提案に、簡単には頷けないのだろう。

 しかし、舞園さんは昨日から、借金を返済するまでは自分の身の振り方を私に委ねると言っていたのだ。だから、私が提示した条件も受け入れてくれるものだとばかり思っていた。

 

「あ、う……」

 

 予想外の反応に、何を言えばいいのか分からなくなった私は、顔を伏せて口をつぐんでしまった。

 

「あ、ご、ごめんね。私から如月さんに委ねるって言ったのに、いろいろ口出ししちゃって。でも、やっぱり納得できないというか……う~ん」

 

 舞園さんは腕を組み、難しそうに眉間に皺を寄せながら、どうすれば自分も納得できるのか考え込んでいた。そして、しばらくすると、何かを思いついたように「あ!」と声を上げ、ぽんっと手を叩いた。

 

「如月さんって、漫画を描いてるんだよね?」

 

「ふぇ……? え、えっと、う、うん」

 

「だったら、漫画のモデルになってほしいとか、描きたいポーズがあるとか、コスプレをしてほしいとか、何か資料が必要になったときは、いつでも私が協力するよ!」

 

「……え?」

 

 私は舞園さんの言葉に、思わず目を見開いた。私は趣味で、主従関係を題材にしたエロ漫画を描いている。主に、私自身をモデルにしたご主人様と、メイドの少女との間で繰り広げられる、えちえちな展開を中心に。

 

 しかし、そこで悩ましいのが、登場人物の表情や反応をどう描くかという問題だった。

 

 参考になりそうな画像を検索したり、ほかの作品を見たりして研究はしているものの、実際に経験したことのない私には、登場人物がどんな感情を抱き、どのような表情や仕草を見せるのか、いまひとつ掴みきれない部分があった。

 もちろん、想像で補うことはできる。けれど、それが本当に自然な反応なのか、自分の描写に説得力があるのか、どうしても疑問が残ってしまうのだ。

 

 そのせいか、登場人物の心情を深く理解できないまま描き進めてしまうこともあり、いまひとつ作品に感情を込めきれずにいた。

 

 それに、参考資料を探すのも一苦労だった。

 

 メイド服を着た人物の写真や映像を検索しても、自分が求めている動きや構図が見つかるとは限らない。歩いたり、屈んだり、家事をしたり。そんな何気ない動作ひとつを取っても、実際にどのように服の裾が揺れ、スカートのフリルが動くのか、細かな部分まで確認したいのだ。

 

 目当ての資料が見つからなければ、自分でメイド服を着て写真を撮ることもあった。けれど、自撮りでは撮影できる角度にも限界がある。結局、足りない部分は想像で補うしかなく、もどかしい思いをすることも少なくなく、モデルがいればなあ、っと何度思ったことか。

 

 だからこそ、舞園さんがモデルになってくれるというのなら、これほどありがたい話はなかった。実際にメイド服を着てもらい、家事や料理をしている姿を見せてもらえれば、これまで想像だけでは掴みきれなかった動きや仕草も、ずっと具体的に理解できるはずだ。作品のリアリティを高めるうえでも、大きな助けになるに違いない。

 

 ……ただし、ひとつだけ問題がある。

 

 私が描いているのは、主従関係を題材にしたエロ漫画だ。参考にしたい場面も、日常的な仕草や衣装の動きだけとは限らない。

 もちろん、メイド服を着てもらったり、身の回りの世話をしてもらったりする程度なら、まだお願いできると思う。けれど、作品の内容を考えれば、もっと踏み込んだ演技や資料が欲しくなることだってある。

 

 ……でも、それはさすがに頼めない。

 

 舞園さんは、普段の振る舞いを見ていても、そうしたエッチな事とは縁遠そうな、純粋で優しい人だ。そんな彼女に、いくら漫画の資料のためとはいえ、恥ずかしい思いをさせるようなお願いをするなんて、申し訳なさすぎる。

 

 たとえ本人が協力すると言ってくれたとしても、私自身が後ろめたさに耐えられそうになかった。そもそも、そんなお願いを口にする勇気なんてあるわけがない。

 

 ……うん。絶対に無理。

 

 だから、まずはメイド服を着て、家事や料理をしている姿を見せてもらう。それだけでも、私にとっては十分すぎるほどありがたいことだ。

 衣装の動きや皺の寄り方、何気ない仕草を実際に観察できるだけでも、得られるものはたくさんある。

 欲を言えば、もっといろいろな資料が欲しいところだけれど……そこは、ぐっと我慢するしかない。

 

 せっかく舞園さん本人から、コスプレやモデルの協力を申し出てくれたのだ。ここで遠慮して何も言わないのは、むしろ失礼なのかもしれない。

 そもそも、舞園さんは私が提示した条件に納得できず、自分なりに私の役に立てる方法を考えたうえで、モデルになると提案してくれたのだ。だったら、少しくらいこちらの希望を伝えてもいいよ、ね?

 

「あ、あの……じゃ、じゃあ、ひ、一つだけ、お、お願いしてもいい、ですか?」

 

「お! 何々? 一つと言わず、望むことがあるなら何でも聞くよ!」

 

 舞園さんは待ってましたと言わんばかりに、晴れやかな表情で胸に手を当て、「任せて!」と言いたげに胸を張った。

 そう言われると、本当にお願いしたいことまで口にしてしまいそうになる。けれど、そこはぐっとこらえる。

 

 私は落ち着かない様子で人差し指同士をちょんちょんと突き合わせながら、恐る恐る口を開いた。

 

「えっと、も、もしよかったら、その……わ、私の身の回りのお世話をするときに、そ、その、メ、メイドさんのコスプレをしてほしいなって……だ、だめ、かな?」

 

「あ……! うん! そんなの、お安い御用だよ!」

 

 舞園さんは一切ためらうことなく、私のお願いを快く引き受けてくれた。いや、快くというより、むしろ嬉しそうな気がさえする。

 それほどまでに、彼女は五千万円もの借金を肩代わりしてもらったことに対して、何かしらの形で報いたいのだろう。

 受けた恩はきちんと返したい。そんな舞園さんのどこまでも義理堅い一面が、ひしひしと伝わってくる。

 

「あ、じゃあ、あれかな? メイド服買わないとかな?」

 

 以前、私がメイド服を購入したときは通販を利用したけど、実際に届いたものを着てみると、思っていた以上にぴちぴちだった。私の場合、胸元には余裕があったから何とか着られたものの、全体的に窮屈で、サイズ選びを失敗したと少し後悔したのだ。

 そんな経験があるからこそ、服を買うなら、やっぱり実物を見て、生地とか確かめた方がいいと身をもって体感した。

 

 今日は休日だし、時間にも余裕がある。お店を回って、じっくり選ぶことだってできるはずだ。私にとっては、休日のお出かけは地獄でしかないけど。

 とはいえ、せっかく学園のアイドルが着てくれるのだから、デザインも妥協したくない。フリルの形やスカートの長さ、エプロンのデザインだって、こだわって選びたい。

 

「あ、え、えっと……じゃ、じゃあ、こ、これから一緒に買いに行く?」

 

「あ……! うん!」

 

 私が恐る恐る誘ってみると、舞園さんはぱっと瞳を輝かせ、嬉しそうに頷いた。その表情は、これから買い物に出かけられることを心から楽しみにしているようだった。

 

 こうして私たちは、舞園さんのためのメイド服を買いに出かけることになったのだった。

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