※この作品はR-18です。

コミュ障陰キャの私が学園のアイドルを買っちゃいます!   作:空空空空

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四話 学園のアイドルは見ちゃいます!

<舞園吹雪視点>

 

 私は夕ご飯の準備をしていた。

 

 今夜の献立は、朝に作ったお味噌汁の残りに、肉じゃが、ハンバーグ、それから卵焼き。

 

「う~ん……もうちょっとだけ、醤油を足したほうがいいかな?」

 

 私は肉じゃがの煮汁を小皿によそい、味見をしながら首を傾げた。

 

 眉間に少し皺を寄せ、真剣に味を確かめる。自分ひとりのために作るのなら、多少の妥協は許せる。けれど、今は違う。

 

 現在、私は如月楓さん――ご主人様と一緒に暮らしているのだ。

 

 私を人生の窮地から救い出してくれた、かけがえのない恩人。その人に食べてもらう料理なのだから、できる限り美味しいものを作りたかった。

 

 私の父と母は、重度のギャンブル依存症だった。

 

 すべての始まりは、私が十歳の頃。父が経営していた会社が、経営不振によって倒産したことだった。

 それまで一家の大黒柱として家計を支えていた父は、会社を失った途端、まるで別人のようになってしまった。失意とストレスを紛らわせるためにギャンブルへ手を出し、それからは日に日にのめり込んでいった。

 

 母は専業主婦だったため、我が家の主な収入源は父の稼ぎだった。けれど、父は生活費にまで手をつけるようになり、家計はみるみるうちに苦しくなっていった。

 見かねた母は、父にギャンブルをやめるよう何度も説得した。けれど、父は「自分で稼いだ金をどう使おうが勝手だろ!」と言い放ち、母の言葉に耳を貸そうとはしなかった。

 やがて母も家計を支えるためにパートを始めたものの、そこで稼いだお金さえ、ことごとく父に奪われ、ギャンブルにつぎ込まれてしまった。

 

 それでも父は、母が稼いだお金ではギャンブルをしている気になれないなどと言い出し、とうとう私たちが暮らしていた一軒家まで売り払ってしまった。

 

 家を売ったことで、一時的に生活には余裕が生まれた。けれど、それも長くは続かなかった。

 

 半年も経つ頃には蓄えも底をつき、私たちの暮らしは再び母のパート収入に頼るものとなるが。当然、そのお金も父のギャンブルに消えていく始末。

 

 働いても働いても、生活は一向に楽にならない。

 

 そんな日々に心が耐えられなくなったのだろう。母までもがギャンブルに手を出すようになり、やがて家事を含め、生活に必要なことをほとんど放棄してしまった。

 二人は手元にある小物や持ち物まで売り払い、少しでもギャンブルに使えるお金を増やそうとした。けれど、そうして得たお金も、あっという間に失われていった。

 

 気づけば、私たちは家族と呼ぶことさえ難しい状態になっていた。しかし、それでも私は、どこかで二人を信じていた。

 いつかまた、以前のような家族に戻れるはず。みんなで笑い合い、何気ない日常を楽しめる日が、きっと来るはずだ、と。

 

 だからこそ、私は勉強に打ち込んだ。

 

 いい成績を取り、将来は大手企業に就職する。そして、いつか自分の力で家族を支えられるようになれば、もう一度、みんなで幸せに暮らせるかもしれない。そんな淡い希望を胸に、必死に努力を重ねてきた。

 その努力が実り、私は現在通っている高校に特待生として入学することができた。学費も免除され、将来の夢に向かって順調に歩み出せたと思っていた。

 大手企業への就職を目指すなら、大学への進学も欠かせない。だから私は、大学も特待生として入学し、学費の負担を抑えながら勉強を続けようと考えていた。

 

 いつか、家族みんなで笑い合える日が来ることを信じて。

 

 そのために、私は頑張っていたのだ。

 

 ――あの日、借金取りに絡まれるまでは。

 

 まさか、両親が闇金融からお金を借りていたなんて、夢にも思わなかった。しかも、二人は私が学校に行っている間に、私を置き去りにして姿を消してしまったのだ。

 信じていた家族に裏切られ、これまで積み重ねてきた努力も、家族が元に戻るという夢も、すべてが音を立てて崩れていった。

 それどころか、私は自分自身の人生すら、思い描いていた未来とはまったく違うものにされそうになっていた。

 

 もう……限界だった。

 

 両親を信じる気持ちも、二人を家族として想う気持ちも、あのときにはほとんど残っていなかった。

 もし、あの場にご主人様が現れてくれなかったら……。私はきっと、両親への恨みつらみをぶつけ、取り返しのつかないほど心をすり減らしていたに違いない。

 

 ご主人様が私を救ってくれなければ、私の未来は、きっと想像もしたくないほど残酷なものになっていただろう。

 そう考えると、今の私は本当に幸運だと思う。

 

 ううん……幸運なんて言葉では足りない。私は、恵まれすぎているのだ。

 

 あんな絶望のどん底にいた私が、今ではこうして、誰かのために夕ご飯を作っている。帰る場所があって、温かな食事を囲む相手がいて、明日を迎えることを楽しみに思える。

 そんな当たり前のようで、かつての私には遠い夢だった日常を、ご主人様は与えてくれた。

 

 だからこそ、せめて今は、この人にできる限りの恩返しがしたい。

 

「……よし。これくらいかな」

 

 私は満足げに頷き、小皿を置いた。

 

 ご主人様とは今年度初めて同じクラスになった。

 一年生の頃も、体育の授業などで顔を合わせる機会はあった。だから、顔と名前くらいは知っていたものの、それ以上のことはほとんど知らなかった。

 体育の授業で見かけるご主人様は、いつもどこか落ち着かない様子で、周囲の人の顔色を窺うように、おどおどと視線をさまよわせていた。その姿を見て、人付き合いがあまり得意ではないのだろうということだけは、何となく察していた。

 

 けれど、私が知っていたのは本当にそれだけだった。

 

 授業以外で顔を合わせることもほとんどなく、休み時間に何をしているのかも、放課後に誰と帰っているのかも知らなかった。

 

 そんなご主人様と同じクラスになって、数日。

 

 私の印象は、以前とさほど変わらなかった。

 

 休み時間になると、ご主人様は決まって一人で本を読み、クラスメイトと楽しそうに談笑する姿は見かけず、誰かと積極的に関わろうとする様子もなかった。

 

 せっかく同じクラスになったのだから、少しくらいは話してみたいなと思ったものの、周囲の反応を気にしているのか、いつも不安げに辺りを窺うご主人様の姿を見ていると、なかなか声をかけることができなかった。

 

 下手に話しかけたら、怖がらせてしまうかもしれない。そう思うと、どうしても一歩を踏み出せなかったのだ。結局、そのまま何となく時間だけが過ぎていった。

 

 きっと、この先もまともに言葉を交わすことなんてないのだろう。

 

 当時の私は、ご主人様とは卒業するまで一度も話さないまま、やがて互いの人生から消えていく。そんな未来を、どこか当たり前のように思い描いていた。

 だからこそ、今こんな風に同棲してるのが不思議でたまらない。しかも、ご主人様の家で。しかも私はメイドさんの恰好で。

 あの頃の自分に今の状況を教えたところで、きっと信じてもらえないだろう。

 

 ……本当に、人生って何が起こるか分からないものだ。

 

 ちなみに、私が居候させてもらっているこの家は、東京都内にあるタワーマンションの最上階に位置している。

 キッチンからも、大きなガラス越しに街並みを一望することができる。眼下に広がる街並みと、その向こうに続く景色は、何度見ても息を呑むほど美しい。

 

 こんな場所に住める日が来るなんて、以前の私には想像もできなかった。

 

 一生縁のない世界だと思っていた場所で暮らす経験までさせてもらえるなんて、ご主人様には感謝してもしきれない。

 

 その家の主であるご主人様はというと、自室にこもり、絶賛漫画の執筆中なのだ。

 

 ご主人様の家に初めて訪れたとき、私はどうしても気になって、不躾な質問をしてしまったことがある。

 というのも、ご主人様は私の五千万円もの借金を肩代わりしてくれただけでなく、そのお金を返す必要もないと言い出したのだ。

 このタワーマンションに住んでいるだけでも、相当な費用がかかるはず。それなのに、五千万円もの大金を何の躊躇もなく差し出し、あまつさえ返済まで不要だというのだから、驚きと共に、そのどうやって稼いでいるのかそんな好奇心が抑えきれなかったのだ。

 

 それで私は、思い切って尋ねてみることにした。

 

 今思い返してみても、ずいぶんと踏み込んだ質問だったと思う。お金に関する話なんて、相手によっては答えたくないことだろうし、そもそも私が気軽に尋ねていいようなことでもなかったはずだ。

 それなのに、ご主人様は少しも気にした様子を見せず、あっさり教えてくれた。まさか、そんなことまで正直に話してくれるとは思っていなかった私は、驚きを隠せなかった。

 

「うん、よし! ふふ、おいしいって言ってくれたらいいな~」

 

 私は今朝、手作りの卵焼きを食べたときのご主人様の反応を思い出し、思わず笑みをこぼした。

 

 あのときのご主人様は、学校では一度も見たことがないくらい、口元を緩ませていた。頬をほんのりと膨らませながら、まるで子リスのようにもぐもぐと卵焼きを頬張る姿は、思わず見入ってしまうほど愛らしかった。

 

 もちろんおいしいと言われたのも嬉しかった。

 

 けれど、それ以上に嬉しかったのは、ご主人様が夢中になって食べてくれたことだ。私の作った料理を、あんなにも幸せそうに味わってくれる。それだけで、こちらまで温かな気持ちになれた。

 

 それに……あの姿は、反則だと思う。

 

 普段はどこかおどおどとしていて、学校でも人目を気にしているようなご主人様。それなのに、今朝はそんなことをすっかり忘れてしまったかのように、卵焼きを夢中で頬張っていた。

 

 あの愛くるしい姿を思い出すだけで、自然と頬が緩んでしまう。

 

 今夜の夕ご飯も、あんなふうに喜んで食べてくれたらいいな。そんなことを考えながら、私は出来上がった料理を見渡した。

 

 夕ご飯の準備を始めてから、およそ二時間。

 

 ふとリビングの窓に目を向けると、いつの間にか夕陽が顔をのぞかせ、街並みを柔らかなオレンジ色に染め上げていた。差し込んだ夕陽はリビングの床にも広がり、部屋全体を温かな色彩で包み込んでいる。

 

 今でこそ、こんなにも綺麗なリビングだけど、昨日、初めてこの部屋を案内されたときは、度肝を抜いた。

 事前にご主人様から「多少散らかっている」とは聞かされていたものの、実際に目にした光景は、私が想像していたものとはかけ離れていた。

 

 床にはゴミが散乱し、その大半がフードデリバリーを利用した際のゴミだった。

 しかも、その食事内容もなかなかのものだった。ハンバーガーや揚げ物といった、手軽に食べられるものが大半を占めていて、魚や野菜を使った料理は極端に少なかったのだ。

 

 控えめに言っても、かなり不健康な食生活である。

 

 学校では大人しく、真面目そうな印象だっただけに、そのあまりのギャップには驚かされた。まさか、あのご主人様が、こんな生活を送っていたなんて。

 

 人は見かけによらないとは、まさにこのことなのだろう。

 

 昨日の私は、そんな言葉を初めて実感したのだった。

 

 私は作った料理をダイニングテーブルへと次々に並べていく。すべての料理を並べ終えた私は「ふぅ~」と小さく息を吐いた。

 

 夕ご飯の準備を完了した私は一息ついてから、ご主人様のいる部屋へと向かった。

 

 ちなみに、私にあてがわれた部屋は、ご主人様の部屋のすぐ隣にある。居候の身である私に、ご主人様はわざわざ専用の部屋まで提供してくれたのだ。

 そもそも、私は五千万円もの借金を肩代わりしてもらっている身。有り体に言えば、ご主人様に買われたようなもの。本来なら、住む場所を提供してもらえるだけでも十分すぎるほどなのに、こうして自分だけの部屋まで与えてもらえるなんて、あまりにも贅沢な待遇だった。

 私としては、もっと狭い部屋でも、何なら寝る場所さえ確保してもらえば十分だった。それなのに、ご主人様はそんな私の事情など気にも留めず、何不自由なく暮らせるようにと、当たり前のように部屋を用意してくれた。

 

 ……もう、本当に感謝してもしきれない。

 

 だからこそ、私はご主人様の恩に報いたかった。

 

 高校を卒業するまでという限られた時間の中で、できる限りの恩返しをしたい。ご主人様が私を救ってくれたのだから、今度は私がご主人様の力になりたいのだ。

 

 頼まれたことには精一杯応えたいし、少しでも役に立てるのなら、できることは何でもしたい。

 

 五千万円もの借金を返さなくていいのだから、それに見合うだけの働きをしよう。いや、それ以上の働きをしてみせよう。

 それくらいの覚悟がなければ、ご主人様に救ってもらった私の気が済まない。

 

 そんな決意を胸に、私はご主人様の部屋の前で足を止めた。

 

 私は一度ご主人様の部屋の前に佇むと、胸に手を当てて深呼吸する。身なりが崩れたりしてないかちゃんとチェックして、コンコンとノックした。

 

「ご主人様。お食事のご用意ができました」

 

 そう呼びかけてみたものの、ご主人様からの返事はなかった。念のため、もう一度声をかけてみるが、やはり何の反応もない。

 

 漫画を描くことに夢中になっているのだろうか。それとも、今日は外出していたから、疲れて眠ってしまったのかもしれない。あるいは、音楽でも聴いていて、私の声が届いていない可能性もある。

 考えられる理由はいくつもあった。もちろん、どれも十分にあり得ることだし、何事もなく過ごしているのなら、それでいい。

 

 けど……もしも、何かあったとしたら?

 

 もちろん、ただ私が心配しすぎているだけなのかもしれない。けれど、万が一ということもある。もし、何かあったにもかかわらず、私が確認を怠ったせいで取り返しのつかないことになってしまったら……。

 

 そんな後悔を抱えたまま、生きていくなんて嫌だった。

 

 勝手に部屋へ入るのは失礼なことだと分かっている。それでも、何も確かめずにいるほうが、私にはずっと怖かった。

 

 私はしばらく扉の前で迷った末、とうとう自分の心配を優先することにした。

 

「ご主人様……失礼いたしますね」

 

 そう断りを入れてから、私はそっと扉を開けた。

 室内に目を向けると、ご主人様は椅子に座り、机に向かっていた。漫画を描いている最中なのだろうか。

 そう思ったものの、すぐに違和感を覚えた。

 

 どうにも様子がおかしいのだ。

 

 机に向かっているのは間違いない。けれど、ペンを動かしている様子はないし、何かを考え込んでいるようにも見えない。

 それどころか、ご主人様の身体は前後にゆらゆらと揺れていた。まるで、船を漕いでいるかのように。

 

 ……ああ、寝てるだけか。よかったあ。

 

 とりあえずは何事もないことに私は張り詰めていた気持ちが緩み、私はほっと胸を撫で下ろす。

そう安堵しながら、私はご主人様のもとへと歩み寄った。

 

「ご主人様、あの――」

 

 声をかけようとして、私はその場に凍りついた。

 

 ご主人様の目の前に広げられた液晶タブレット。画面に映し出されたものに、息を呑む。そこには、かなり過激な内容の漫画が描かれていた。

 

 おそらくご主人様自身が描かれたものだろう。証拠に、ご主人様にそっくりな少女が、縄で厳重に縛られた黒髪のメイド服の少女の胸を、鷲づかみにしている。指が「もみもみ」と動く描写から、執拗に揉みしだいている場面だとわかる。

 縛られたメイドは、私とは全く別人だが、でも、その顔立ちはどこか私を思わせる面影があった。縄で動けなくされ、胸を弄ばれ、目尻に涙を浮かべているのに、その表情は嫌悪ではなく――恍惚としていた。うっとりと、むしろ気持ちよさそうに目を細めている。

 

 たった一コマに過ぎないのに、人物の表情から衣服の細かな乱れ、縄の質感に至るまで、驚くほど丁寧に描き込まれている。登場人物の視線やわずかな表情の変化にまで気が配られており、まるで実際にその光景を目の当たりにしたかのようなリアリティがあり、その画力の高さに私は思わず魅入ってしまった。

 ただ見ているだけなのに、胸の鼓動が激しくなる。身体の芯から熱が込み上げ、額に汗が滲むのを感じた。

 

 ご主人様がいったいどんな漫画を描いているのか、以前から気になっていた。けれど、まさかこれほど過激な作品だとは思いもしなかった。

 普段のご主人様は、いつも弱気で、周囲の人の顔色を窺ってばかりいる。人と話すときも言葉が途切れ途切れになり、自分の思いをうまく伝えられないことが多い。

 

 ところが、漫画の中のご主人様によく似た人物は、その印象とはまるで正反対だった。

 

 堂々とした態度に、自信に満ちた表情。そして、普段のご主人様からは想像もつかないほど、饒舌で生き生きとしている。

 

 容姿こそ瓜二つなのに、その性格はまるで別人だ。

 

 もしかすると、漫画の中の人物には、ご主人様の理想とする自分の姿が投影されているのだろうか。

 人付き合いが苦手で、いつも周囲に気を遣いながら生きているご主人様。そんな彼女だからこそ、心のどこかでは、漫画の登場人物のように自信を持って振る舞える自分に憧れているのかもしれない。

 

 もちろん、本当のところは本人にしか分からない。ただ、一つだけ確かなことがあった。

 

 ――ご主人様は、漫画を描くことに並々ならぬ情熱を注いでいる。

 

 それは、目の前の光景を見れば一目瞭然だった。

 

 机に並べられている数多くのモニターには、これまでに撮影してきた写真がいくつも表示されていた。さらに、写真の一つひとつには、衣服の皺の寄り方や光の当たり方、影の入り方など、細かなメモが書き込まれている。

 

 ただ漠然と写真を眺めているのではない。実際の資料を参考にしながら、どうすればより自然で、説得力のある絵になるのかを、細部に至るまで研究しているのだ。

 

 その徹底ぶりには、思わず圧倒されてしまった。

 

 正直なところ、漫画家として十分にやっていけるのではないかと思うほど、ご主人様の画力は凄まじかった。

 人物の表情も、衣服の質感も、光と影の表現も、どれも驚くほど緻密に描き込まれている。単に絵が上手なだけではない。読者にその場の空気や登場人物の感情まで伝えようとする、強いこだわりが感じられた。

 だからこそ、私は画面に描かれた光景を、まるで目の前で起きている出来事のように感じてしまったのだ。

 

 そして今、私はご主人様に仕えるメイドさん。

 

 画面に描かれたメイド服の女性を見ていると、どうしても自分の姿を重ねてしまう。衣服の細かな皺や質感、人物の表情の機微まで、あまりにもリアルで――私はただ、ご主人様の描き出す世界に引き込まれていった。

 

「……きもち、よさそう……。はっ! 今、私、なんて……」

 

 自分の口から漏れた言葉に、私は驚きを隠せなかった。生まれてこの方、こういったエッチなものと縁遠く、耐性など皆無だと思っていた。なのに蓋を開けてみれば、耐性がないどころか、はっきりと興奮している自分がいた。

 

 もう一度、私は液タブの画面を見つめる。

 

 見れば見るほど胸の鼓動は激しくなり、身体の奥が熱く昂っていく。興奮冷めあらぬ私は、そしてついに、抑えきれなくなってしまった。

 

「私も……こうされたい。ご主人様に」

 

 願望が、そのまま言葉になって零れ落ちる。そう口にした瞬間、自分はなんてどうしようもない変態なのだろう、という自虐的な想いが胸をよぎった。

 

 でも、それでも。そんな想いが過ったとしても、私は……私は、こうされたいと思ってしまった。

 ご主人様の手で、私をこんなふうに縛り付け、弄んでほしいと。

 

「んう……」

 

「っ!?」

 

 不意にご主人様の声が聞こえ、私はハッと我に返った。慌てて液晶タブレットから視線を外し、ご主人様へと顔を向ける。

 ご主人様は眠たそうに目を擦ると、短めの茶髪をがしがしと無造作に掻いた。それから、ゆっくりと顔を上げ、ようやく私の存在に気づいたように視線を合わせてくる。

 

「まい、ぞの……さん?」

 

 まだ寝ぼけているのだろう。とろんとした目でこちらを見つめてはいるものの、意識は半分夢の中にあるようだった。目は合っているのに、目の前にいる私が何者なのか、まだはっきりと認識できていないらしい。

 

「あ、えっと。お食事の用意が出来ましたので、ご主人様を呼びに来ました」

 

「あ、そっかあ。ありが、とぅ……。今から、いく……ね」

 

 途切れ途切れの言葉を返すと、ご主人様は再び眠たそうに目を細めた。

 

「あ、はい! えっと、私は先にリビングで待っていますので、ど、どうぞごゆっくり!」

 

 私はそう告げると、逃げるようにご主人様の部屋を飛び出した。そのまま足早に廊下を抜け、リビングへと向かう。

 ご主人様がここに来る間も、私は先程の液タブに描かれたシーンがぐるぐると駆け巡り、悶々としていたのであった。

 

 

 

                      *

 

 

 

<如月楓視点>

 

 バタン!

 

「……?」

 

 扉が勢いよく閉まる音に、私はぼんやりと舞園さんが出ていったほうを見つめた。

 

 慌てたような足取りに、どこか動揺した様子。心なしか、顔もほんのり赤くなっていたような気がする。とにかく、明らかにいつもの舞園さんとは違っていた。

 

 まるで、見てはいけないものを見てしまったかのように……。

 

「まあ、いっか。それよりもご飯―—」

 

 私はそれ以上考えるのを放棄した。せっかく舞園さんが用意してくれた夕ご飯を冷めてしまう前に食べようと、そう思い、椅子から立ち上がろうとした時だった。

 

 私の視界の端に机に置かれた液晶タブレットが映った。

 

 その画面には、私が描いていた漫画の一コマが、堂々と表示されていた。その瞬間、もやのかかっていた意識が、すうっと晴れていく。けれど、意識がはっきりするにつれて、今度は全身からすうっと血の気が引いていくのを感じた。

 

 先ほどの舞園さんの慌ただしい態度。ほんのりと赤く染まっていた表情。そして、どこか動揺しているように聞こえた声。

 それらが脳裏によみがえるたび、胸の奥に芽生えた嫌な予感が、じわじわと膨らんでいく。

 

 あの反応は明らかにおかしかった。食事を知らせに来ただけなら、あんなふうに慌てて部屋を飛び出す必要なんてない。顔を赤らめる理由だって、思い当たるものが一つしかなかった。

 

 ――液晶タブレットに映し出された、私の漫画。

 

「……っ」

 

 喉がひゅっと締まった。

 

 見られた……! あの漫画を、舞園さんに。よりにもよって、あんな内容の漫画を。

 

 頭の中でその事実を繰り返すたび、さらに全身の血の気が引いていく。指先が冷たくなり、心臓だけがやけに大きな音を立てていた。

 

 違う。まだ決まったわけじゃない。ほんの一瞬、画面が目に入っただけかもしれない。内容までは見ていない可能性だって――。

 

 そこまで考えて、私は思い出してしまった。

 

 舞園さんが部屋に入ってきたとき、私は机に向かったまま眠り込んでいた。液晶タブレットの画面はつけっぱなし。しかも、あの場面を大きく表示したまま。

 

 ……言い逃れなんて、できるわけがなかった。

 

「あ、ああ……」

 

 私は絶望の声を漏らし、両手で頭を抱えた。

 

 どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう……!

 

 絶対に嫌われた。絶対にキモイって思われた。絶対に軽蔑された。

 

 終わった。終わった。終わった。終わった。終わった。終わった。絶対に終わった……!

 

 どうして私は寝落ちなんて……! ぐあああ!! どうして私は寝落ちをしてしまったんだああああ!!

 

 自分でも、眠気を感じていたことには気づいていた。作業中、いつの間にか意識が途切れてしまうかもしれない。そんな予感だって、確かにあったのだ。それなのに、私は筆を置かなかった。

 これまで家の中には私しかいなかった。だからこそ、油断した。油断してしまった。今は舞園さんと同棲している、その事実を私は完全に失念していた。

 仮眠を取っておくべきだったし、そこまでしなかったとしても、眠気を感じた時点で作業を中断すればよかった。せめて液晶タブレットの電源を切っておけば、こんなことにはならなかったはずなのに……!

 

 後悔先に立たずとは、まさにこのことだ。

 

「こ、これから、舞園さんと、どどどどどう接していけば……?」

 

 今までどおり接してくれるだろうか。いや、そんな都合のいいことがあるはずがない。

 もしかしたら、今頃リビングで私のことを気味悪がっているかもしれない。あるいは、これ以上関わりたくないと思われてしまったかもしれない。

 

 考えれば考えるほど、悪い想像ばかりが頭に浮かんでくる。

 

 ……もう、嫌だ。

 

 できることなら、今すぐ時間を巻き戻したい。けれど、そんなことができるはずもない。今さらどれだけ悔やんだところで、起きてしまったことは変えられないのだ。

 

「あああ……!」

 

 それでも私は、頭を抱えたまま、ひたすら後悔し続けるのだった。

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