広々としたリビングに足を踏み入れるなり、操祈は真っ直ぐに部屋の隅に置かれた巨大なビーズクッション――俗に言う『人をダメにするソファ』へとダイブし、そのまま蕩けるように身を委ねた。
「ちょっと、アンタ手伝わないわけ!?」
買い出してきた食材をキッチンへ運びながら、美琴が呆れたような声を上げる。
しかし、操祈はクッションに深く埋もれたまま、悪びれる様子もなく優雅に微笑んだ。
「あらぁ、響が『手伝ってくれ』と言った時にはちゃんと手伝うわよぉ? 彼は準備の段取りにこだわりがあるから、下手に手を出して邪魔をするより、指示を待つのが一番効率力がいいのよぉ」
「な、なんて都合のいい言い訳……っ」
美琴がギリッと歯を軋ませる横では、黒子と初春が「お肉はこちらでよろしいですか?」「お野菜洗いますね!」と甲斐甲斐しく準備を手伝っている。
「おっ、俺も手伝うぞ響! 皿でも出しとけばいいか?」
タダ飯を食うことに引け目を感じたのか、当麻がそそくさとキッチンへ向かおうとするが――。
「ストップ。お前は手伝い絶対禁止だ。そこでおとなしく座ってろ」
響からの無慈悲なストップがかかった。
「なんでだよ!? さすがにタダで飯食うのは悪いし、少しでも働かせてくれよ!」
「お前のそのふざけた不幸体質でウロチョロされたら、絶対に何もないところで転んで皿を割るか、タレをぶち撒けるかの二択だろうが。それに、万が一転んだ拍子に『ラッキースケベ』なんて起こして、その報復でうちの家までぶっ壊されたらたまらんからな。いいから、お前は肉が焼けるまで座禅でも組んでろ」
「どうしたらラッキースケベで家が壊れるんだよ!?」
当麻が至極真っ当なツッコミを入れたが、ふと横に視線を向けると、そこにはなぜか前髪にバチバチと青白い火花を散らしている美琴の姿があった。
「……まあ、そうだな」
「ちょっと、何よその納得した顔は!?」
「ぐっ……反論できない俺が悲しい……っ」
美琴がジト目で睨みつける中、
「だいたい、なんで私がこいつのラッキースケベを喰らう前提になってるわけ!? 意味わかんないんだけど!」
なおも納得がいかない様子で美琴が声を荒らげると、ソファに沈んだままの操祈がやれやれと首を振ってツッコミを入れた。
「あらぁ……今、この家で家をぶっ壊せるほどの攻撃力を持ったまま寛いでる奴なんて、御坂さんしかいないじゃない」
「うっ……! そ、それは……っ」
図星を突かれ、美琴は顔を赤くして言葉に詰まる。
確かに、黒子や初春は甲斐甲斐しく下準備を手伝っており、手持ち無沙汰にリビングに突っ立っているのは美琴くらいのものだった。
その容赦のない、しかしどこか信頼し合っているような響と当麻のやり取りを見て、美琴は誤魔化すようにコホンと咳払いをした後、やれやれと小さく嘆息した。
「……まったく。アンタたち、本当に仲いいわよね。なんていうか、全然遠慮がないっていうか。そもそもどういう関係なの?」
「どういうって……昔からの腐れ縁だな。ガキの頃からの幼馴染みたいなもんだよ。こいつの理不尽な不幸には散々巻き込まれてきたからな」
「おいおい、俺だって響のトラブルに巻き込まれたことあるだろ! まあ、お互い様ってやつだな」
手際よく肉の下準備を進めながら笑う響に、当麻も口をとがらせながら同意する。
「幼馴染、ね……」
ふと、美琴は何かを思い出したように真剣な表情になり、響を見つめた。
「ねえ、今日の放課後もずっと疑問だったんだけど。アンタ、なんで複数の能力を使えるわけ? 学園都市の能力開発は『一人一能力』が絶対の原則でしょ? それなのに、アンタにはそのルールが当てはまってないみたいだけど……」
美琴からの鋭い指摘。学園都市のシステムを根底から覆すような響の存在に、レベル5である彼女が疑問を抱くのは当然のことだった。
だが、その疑問に答えたのは響ではなく、大人しく座っていた当麻だった。
「ああ、ビリビリが不思議に思うのも無理ないけどさ。響はちょっと特殊なんだよ」
「特殊?」
「こいつは『原石』なんだよ」
「げん、せき……?」
「そう。学園都市のカリキュラムなんて一切受けてないのに、生まれつき能力を持ってた……人工的な超能力者じゃなくて、天然の能力者。だから、学園都市の『一人一つ』って原則自体が、そもそもこいつには当てはまらないんだよ」
「げ、原石!? あの、天然の能力者っていう都市伝説の!? ホントに実在したんですか……!?」
都市伝説に目がない佐天が、信じられないものを見るように目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。
当麻の口から語られた規格外の真実に、佐天だけでなく、美琴や黒子、初春までもが愕然とした視線を響に向ける。
学園都市の根幹を成す『一人一能力』という絶対の原則。
それが響に当てはまらない理由は、彼がシステムの外側にいるイレギュラーな存在だからに他ならなかった。
この事実をこの場で知っていたのは、昔からの幼馴染である当麻と、恋人であり
「ええ。学園都市で確認されている強力な『原石』といえば、レベル5の第八位である削板軍覇さんが有名だけれどぉ……」
人をダメにするソファに身を沈めたまま、操祈がポツリと口を挟んだ。
彼女はかつての光景を思い出したのか、ふっと視線を虚空へと彷徨わせる。
「彼と響が戦った時は、とある施設の中庭がクレーターだらけになって……ええ、本当に思い出したくもないくらい地獄のような大惨事になっていたわぁ……」
「お、おい操祈。人聞きの悪い言い方すんなよ。あれにはちゃんと理由があったんだから」
遠い目をして語る操祈に、響は苦笑いを浮かべながら包丁を持った手をヒラヒラと振った。
「俺が学園都市に来たばかりの頃、最初の身体検査で『能力の解析不能』って突きつけられてさ。自分の力が何なのかもわからなくて、すげぇ気落ちしてたんだよ。そんな時にたまたま軍覇と出会って、なんか妙に意気投合しちまってな」
「意気投合して、なんで中庭がクレーターだらけになるわけ……?」
ドン引きした様子の美琴に、響はやれやれと肩をすくめる。
「あいつ、『解析不能なら俺が根性で見極めてやる!』って謎のテンションで挑みかかってきやがったんだよ。で、俺もヤケクソになって、何もない空間を殴りつけて大気にヒビを入れるような『震動』の力で応戦してさ。俺の起こした局地的な地震みたいな衝撃波と、あいつの意味不明な爆発が真っ向からぶつかり合った結果……気づいた時には周囲一帯の地面がひっくり返ってボコボコになってたんだよ」
当時の光景を思い出し、響が額に手を当てる。
その話を聞いていた当麻もまた、かつて出会った特大のトラブルメーカーの顔を思い浮かべたのか、操祈と同じように遠い目をした。
「あー……。あの、やたらと『根性』って叫びながら意味不明な爆発を起こす、異常に暑苦しいあいつかぁ……」
「ああ、当麻もあいつのことは知ってんのか。良くも悪くも裏表がない、いい奴なんだけどな。テンションのベクトルが常人離れしてるだけで」
「いや、そのベクトルのぶっ飛び方が一番の問題だろうが……」
遠い目をしてぼやく当麻に、響が乾いた笑いで返す。
空間すらもひび割れるほどの震動と爆発。常識外れの『原石』同士の意気投合がもたらした桁外れの被害規模に、美琴たちはただただ顔を引きつらせることしかできなかった。
そこへ、ソファに沈んだままの操祈が、ジト目で響を睨みながら呆れたようにため息をついた。
「あらぁ……でも、あの後も顔を合わせるたびに、挨拶代わりに彼と軽くやり合っている響も大概だと思うけれどぉ……」
「おい待て! あれは向こうが『おっ、響! 今日も根性見せてみろ!』って勝手に殴りかかってくるから、防ぐために仕方なく応戦してるだけだろ!」
「端から見れば同類よぉ。毎回巻き込まれそうになる私の身にもなってほしいわぁ……」
やれやれと優雅に首を振る操祈の容赦ない追撃に響が言い淀んでいると、リビングの端で大人しく座っていた当麻が、これまでの不満を爆発させるように声を荒らげた。
「そうだよ! お前ら、挨拶代わりに大怪獣バトルみたいなこと始めやがって!俺だってたまにお前らのその『挨拶』に巻き込まれてんだぞ! いいか、俺の『幻想殺し』が打ち消せるのはあくまで『異能の力』だけなんだよ! お前の大気を割る衝撃波やら、あいつの爆発の余波で物理的に吹っ飛んでくるアスファルトの破片とか瓦礫までは打ち消せないから、普通に直撃してめちゃくちゃ痛いんだからな! ちょっとは周りの被害も考えろ!」
「あー……まあ、その節はすまん」
本気でキレ気味の当麻に、響は少しバツが悪そうに視線を逸らして頬を掻いた。
「ちょっと……アンタたち、普段からどれだけ規格外なことやってるのよ……」
原石同士の挨拶が生み出す、明らかに日常の枠を超えた被害規模を想像し、美琴は顔を引きつらせてドン引きしている。
すると、傍らで甲斐甲斐しく下準備を手伝っていた黒子、初春、そして淡希の三人もまた、かつて遭遇した凄惨なトラウマを思い出したのか、一様に遠い目をして宙を見つめ始めた。
「……お姉様。あの類人猿はともかく、響さんの周りには極力近づかない方がよろしいかもしれませんわね。以前、私たちも偶然、響さんの戦闘に巻き込まれたことがありましたけれど……」
「あの時も凄かったですよね……。響さんがいつも専用の袋に入れて持ち歩いてる、『贄殿遮那』っという大太刀で……」
「ええ。あの大太刀の一振りで、廃ビルとはいえ建物を横に真っ二つに両断していましたからね……。あれがこっちに飛んできたらと思うと、今でもゾッとしますわ……」
いつも袋に入れて持ち歩いている規格外の刀剣による凄まじい剣撃と、真っ二つに崩れ落ちる建物の光景。
黒子、初春、淡希が、あの日の絶望的な情景をフラッシュバックさせながらポツリポツリと語り合う。
「ですね……私たちなら破片が当たっただけで致命傷になりますし……」
「うんうん、絶対巻き込まれたくない……」
その信じがたいスケールの被害報告を聞いた佐天もまた、「巻き込まれたら命がない」とばかりに青ざめながらコクリコクリと頷き合っていた。
ドン引きする少女たちをよそに、美琴はふと何かを思い出したように、今度はリビングの端で体育座りしている当麻へと鋭い視線を向けた。
「ちょっと待ちなさいよ。響の能力が学園都市の法則から外れた規格外なのは分かったけど……じゃあ、アンタのその『能力を打ち消す』右手はどうなってるのよ? それも原石ってこと?」
「あー、いや。俺のこれは原石かどうかもわかんねえんだ」
問われた当麻は、自分の右手をまじまじと見つめながら、困ったようにため息をついた。
「俺も響と同じでさ。昔から学園都市の
「はあ!? アンタたち、幼馴染揃って身体検査で『解析不能』の異常事態だったの!? 類は友を呼ぶにも程があるでしょ!」
学園都市の最先端システムでも測れないイレギュラーが、あろうことか目の前に二人も揃っているという事実に、美琴は呆れを通り越して頭を抱えた。
「俺の原石はまだ超能力の枠に収まってるからいいけど、こいつの『
「おい響、サラッと当麻さんのライフを削ってこないで下さいますか……っ! ただでさえ今日から生活費ゼロの絶望のどん底にいるのに、これ以上俺を落ち込ませてどうするんだよぉ!」
容赦なく事実をえぐってくる響の言葉に、当麻は再び両手で顔を覆い、「ふこうだ……」と床に突っ伏してしまった。
学園都市の常識が一切通用しない規格外な幼馴染コンビのやり取りを前に、美琴や黒子たちはもはやツッコミを諦め、ただただ疲れたように乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
だが、その中でただ一人。床に突っ伏して嘆く当麻を見て、佐天だけがハッとしたように顔を上げると、目をキラキラと輝かせながら勢いよく身を乗り出した。
「あ、あのっ! 『能力を打ち消す』って聞いて思い出したんですけど……!」
「ん……?」
「今、学園都市の学生たちの間で『どんな超能力も触れるだけでかき消してしまう、正体不明の
都市伝説マニアである佐天からの、好奇心と興奮に満ちた熱い眼差し。
しかし、当の本人である当麻はビクッと肩を震わせると、信じられないものを見るような目でゆっくりと顔を上げた。
「は……? な、なんだよその噂……。俺、いつの間にか都市伝説にまでなってんのかよ……!?」
ただでさえ生活費を失い、自分の理不尽な不幸体質を再確認させられて絶望していたところに、追い打ちをかけるような事実の発覚。
あくまで目立たず、平穏な一般生徒として生きていきたいと願う当麻にとって、自分の存在が都市伝説として広まっているなど、まさに死宣告にも等しい知らせだった。
「嘘だろ……なんで俺ばっかりこんな目に……不幸だぁ……」
当麻はガックリと頭を抱え、今日何度目か分からない嘆きを口にしながら、再び床へと深く突っ伏してしまうのだった。