じゅうじゅうと香ばしい匂いを立てて、リビングの中央に置かれた巨大なホットプレートで肉が焼け始めた。
待ちに待った焼肉パーティーの開幕。しかしそれは同時に、恐るべき『弱肉強食のサバイバル』の始まりでもあった。
『シュパッ!』『シュンッ!』
肉が完璧な焼き加減になった瞬間、奇妙な空間の破裂音と共に、網の上の肉が次々と消失していく。
「ふふっ。
「こっちの
黒子と淡希だ。なんとこの二人の
「お姉様! こちらの特上ロース、黒子が愛を込めてふーふーしておきましたわ! さあ、遠慮なく私の手から『あーん』を……っ!」
「ちょっと黒子、引っ付かないでよ! 焼肉くらい自分で食べるから!」
瞬時に肉を確保した黒子が箸を突き出して迫り来るが、美琴は前髪からバチッと微弱な電撃を放ち、黒子の身体をほんの少しだけ痺れさせて動きを封じる。
「あぎぎぎぎっ……!? お、お姉様の愛のムチ……っ!」
「はい、お肉だけもらうわね」
変態的な歓喜の声を上げて硬直する黒子の箸から、美琴は鮮やかに特上ロースを強奪し、ちゃっかり自分のペースでしっかりと食事を楽しんでいた。
レベル5の能力の無駄遣いと動体視力は伊達ではない。
「あらぁ……それなら、私も少しだけズルさせてもらおうかしらぁ」
ソファから移動して響の隣にピタリとくっついていた操祈が、おもむろにハンドバッグからテレビのリモコンを取り出し、ピッとボタンを押す。
「あれ……? わたくし、なぜかあのシャトーブリアンには手を出してはいけないような気が……」
「私も……あの肉だけは、スルーしなきゃいけないような……?」
見事に焼き上がった特上の部位を前にして、なぜか一斉にテレポートの狙いを逸らす黒子と淡希。
「ほら響、私の好きな部位が空いたわぁ。あのお肉、ちゃんと冷ましてからあーんしてぇ?」
「はいはい、お姫様は相変わらずだな。ほら、あーん」
一方の家主である響も、原石としての規格外の身体能力と反射速度を活かして悠々とその特上肉をかっさらうと、甲斐甲斐しく操祈の口へと運んでやっている。
「ちょっと! アンタまで『
美琴が呆れたようにツッコミを入れると、操祈は優雅に肉を咀嚼してから、鼻で笑うように言い返した。
「あらぁ、御坂さんだってさっき黒子さんに電撃を当ててお肉を横取りしていたじゃない。人のこと言えるのかしらぁ?」
「なっ……! アレは黒子が引っ付いてきて鬱陶しかったから正当防衛よ!」
「ふふっ、野蛮だこと」
「なんだと……っ!」
バチバチッ! と美琴の前髪から危険な火花が散り、操祈もまた瞳に星型の光を宿す。
常盤台の二大派閥のトップであるレベル5同士による、あわや一触即発の事態。
だが、その最悪の衝突は、同席していた二人の少年の乱入によって未然に防がれた。
「わーっ! ストップストップ、ビリビリ! 鉄板の上で放電したら、せっかくの肉が黒焦げになっちまうだろ!」
慌てて当麻が美琴の肩を押さえて引き剥がしにかかり、
「ほら操祈、飯食ってる最中に煽るな煽るな。美味い肉の味が落ちるぞ。ほら、次は牛タンだ」
響もまた、操祈の口元に新しい肉を運んで物理的に口を塞いでなだめすかした。
「むぅ〜っ、放しなさいよアンタ!」
「んむっ……んふふ〜♡ しょうがないわねぇ」
当麻に押さえ込まれてジタバタと抗議する美琴と、響からあーんされてあっさりと機嫌を直す操祈。
高レベル能力者たちと原石による、常軌を逸した焼肉争奪戦。
だが、そんな次元の違う戦場に放り込まれた『非戦闘員』の三人はというと――。
「え、えっと……お肉が、焼けたそばから消えていくんですけど……?」
「空間移動能力って……焼肉の取り合いに使うものなんですか……?」
空っぽの取り皿を持ったまま、宙空で箸をピタッと止めている佐天と初春。
二人はあまりの理不尽な光景に完全にフリーズし、ただただ鉄板の上で肉が消えるマジックショーを見つめることしかできない。
「嘘だろ……俺の箸、まだ一度も肉に触れてないんだぞ……。せっかくの焼肉なのに、能力者どもの
今日から生活費がゼロになり、誰よりもこのタダ飯に命を懸けていたはずの当麻は絶望の涙を流し、この世の不条理を呪うように天を仰いだ。
焼けたそばから空間移動でかっさらわれていく肉の群れ。
その凄まじい弾幕を前に完全に取り残された三人は、鉄板の隅っこで細々と焼かれていた野菜を、哀愁漂う顔で黙々と口に運ぶことしかできなかった。
「カボチャ、甘くて美味しいです……」
「タマネギ、まだちょっと辛いかも……」
「俺のピーマン、焦げてパリパリになってるし……」
完全に草食動物と化し、しょんぼりと野菜をかじり合う佐天、初春、当麻。
だが、そのあまりにも不憫な光景を見かねた家主の響が、呆れたようにため息をついた。
「……おいおい。いくらなんでも容赦なさすぎだろ、お前ら。タダ飯食いに来た当麻はともかく、女の子たちにまで野菜しか食わせないのは、家主として面子が立たねえよ」
言うが早いか、響は苦笑しながら手元の箸を構えた。
シュパッ! と空間が歪み、黒子と淡希がテレポートで肉を確保しようとしたその一瞬――。
『シュンッ!』と響の姿がブレたかと思うと、まったく同じ
なんと響自身が一瞬だけテレポートを使用し、彼女たちが座標指定した『完璧に焼き上がったカルビとロース』を、空間転送される寸前に次々と空中でかっさらっていったのだ。
「ああっ!? わたくしが狙っていた特上肉が! しかも今の、
「ちょっと、ウソでしょ!? 私たちの座標指定に直接割り込んで横取りしたっていうの!?」
「アンタらだって、焼肉を取るのにテレポート使ってるじゃない!」
すかさず美琴から至極真っ当なツッコミが入る。
複数の能力を操る原石だからこその芸当。
本職の空間移動能力者である二人の抗議を涼しい顔でスルーし、響は奪い取った大量の肉を、空っぽのままだった佐天、初春、当麻の取り皿へと次々に放り込んでいった。
「ほらよ。お前らも遠慮しないでどんどん食え。テレポート組に狙われる前に、俺が横取りして分けてやるから」
「「「えっ……」」」
皿の上にこんもりと盛られた、肉汁滴る黄金色の山。
それを見た瞬間、佐天と初春、そして当麻の三人の目に、パァァッと希望の光が宿った。
「ひ、響さん……っ! 神様ですかあなたは……!」
「ありがとうございます! お肉、お肉です……!」
「おおおおおっ! さすが俺の親友! 響、一生ついていくぜぇぇぇっ!」
感極まって涙ぐむ佐天と初春、そして親友の慈悲にすがりついて号泣しながら肉を頬張る当麻。
「いや、一生ついてこられても困るんだけどな。佐天や初春ならいいけど、不幸体質の当麻はいいや」
「おい、親友をそんな雑に扱わないでくれよ!?」
涙目でツッコミを入れる当麻をドン引きした目であしらいながらも、響は笑って新しい肉を網に乗せ、焼き上がったそばから三人の皿へと追加してやる。
そんな当麻の情けない様子を隣で見ていた美琴は、ふんっと小さく鼻を鳴らした。
「……アンタ情けないわね。せっかくのタダ飯なんだから、もっとしっかりしなさいよ」
「だからって、能力者どものスピードに俺の反射神経が追いつけるわけないだろ……」
「はいはい、わかったわよ。ほら、これ」
美琴はバツが悪そうにそっぽを向きながら、自分が黒子から強奪して確保しておいた特上肉のいくつかを取り上げると、無造作に当麻の皿へとぽいっと放り込んだ。
「わ、私の分が多すぎたから、少し分けてあげるだけよ! べ、別にアンタがかわいそうだったからとか、そういうんじゃないんだからね!」
「ビ、ビリビリ……! お前、なんだかんだ言ってめちゃくちゃいい奴だな……っ!」
「う、うるさいっ! いいからさっさと食べなさいよバカ!」
顔を真っ赤にしてバチバチと前髪から火花を散らす美琴に、当麻は「いただきます!」と勢いよく頭を下げて肉を頬張った。
だが、その光景を黙って見ていられない人物が一人。
「お、お姉様……!? この類人猿にはお肉を分けてあげるのに、なぜ愛する黒子には恵んでくださらないんですの!? わたくしにも! わたくしにもお姉様の愛のこもったお肉を……っ!」
電撃の痺れから復活した黒子が、涙と涎を垂らしながらジタバタと美琴に擦り寄ってくる。
「あんたは自分で勝手にテレポートで取りなさいよ!」
「あぎゃあああああっ!」
容赦なく放たれた美琴の電撃が直撃し、黒子は再び白目を剥いて床に沈没するのだった。
こうして、原石の規格外な力による『空間移動潰し』と、不器用なレベル5からの恵みを受け、不憫な草食トリオはようやく念願の肉にありつくことができた。
やがて、その壮絶な焼肉争奪戦を終えると、一行は膨れたお腹を抱えながら、食後のまったりとした穏やかな時間を過ごしていた。
響のサポートのおかげで無事にお肉にありつけた佐天や初春、そして当麻も、満腹の幸せに浸りながらカーペットの上でゴロゴロとくつろいでいる。
そんな中、響に淹れてもらった食後の紅茶を優雅に啜っていた操祈が、ふと壁の時計を見上げてクスリと意地悪な笑みを浮かべた。
「あらぁ、御坂さんたち。そんなにまったりしていていいのぉ? 常盤台の門限、あと数分で過ぎちゃうんじゃないかしらぁ?」
「「……へ?」」
操祈の言葉に、美琴と黒子はビクッと肩を跳ねさせた。
慌ててスマートフォンを取り出し、画面に表示された時間を確認した美琴の顔から、さぁーっと一瞬で血の気が引いていく。
「う、うそっ!? もうこんな時間!? まずい、あの寮監に門限破りが見つかったら、絶対に首の骨をへし折られる……っ!」
「お、お姉様! 急いでわたくしのテレポートで帰りますわよ! と言いたいところですが……ここから寮まで連続で空間移動を繰り返すには、距離がありすぎて今の時間からでは間に合いませんわ……っ!」
常盤台中学の学生寮に君臨する、あの泣く子も黙る恐るべき『寮監』の顔を思い浮かべ、絶望に青ざめてガクガクと震え出すレベル5とレベル4。
学園都市屈指の強力な能力者たちをここまで震え上がらせる『寮監』という存在のプレッシャーに、当麻たちがドン引きする中、見かねた響がやれやれと立ち上がった。
「仕方ねえな。俺が送ってってやるよ」
「えっ? アンタが……?」
「お前のテレポートじゃ一回の距離に限界があるんだろ。ほら、まずは玄関だ」
響は青ざめて固まっている美琴と黒子の肩にそれぞれ手を置くと、まずは一瞬にして自宅の玄関へと短いテレポートを行った。
「ほら、お前らの鞄。あと、さっさと靴履け」
「あ、あんた、ホントに何でもありね……っ!」
響から手渡された鞄をひったくるように受け取り、大急ぎでローファーを履き終えた二人を確認すると、響は再び二人の肩に手を置いた。
「忘れ物はないな? じゃあ、一気に飛ぶぞ」
そして――。
『シュンッ!』空間が歪む独特の破裂音と共に、三人の姿が玄関から一瞬にして掻き消えた。
◆
「到着、っと。ここが常盤台の寮の前で合ってるか?」
一瞬の奇妙な浮遊感の後。美琴と黒子が恐る恐る目を開けると、そこはつい先程までいた響の家ではなく、見慣れた常盤台中学の学生寮の正門前だった。
先ほどの場所からここまで、黒子の能力では何十回も連続でジャンプしなければならない距離を、距離の制限すら無視した一発の超長距離テレポート。
改めて突きつけられた、学園都市の法則を無視する規格外の原石の力に、美琴は目を丸くして言葉を失う。
「た、助かったぁ……! これならギリギリ間に合うわ!」
安堵の息を吐き出した美琴だったが、ふと冷静になって響を胡乱な目で見つめた。
「って、ちょっと待ちなさいよ。空間移動って、目的地の正確な座標計算が必要でしょ? アンタ、なんでうちの寮の正確な場所なんて知ってるのよ?」
「ん? ああ、たまに黒子が遊びに来た帰りに、ここまで送ってきてやってるからな。座標はバッチリ把握済みだ」
「……は? 黒子を?」
ジロリと向けられた美琴の鋭い視線に、黒子がビクッと肩を跳ねさせる。
「ひ、響さんっ!? それは絶対内緒にしておいてと言ったではありませんのーっ!?」
「おっと、そうだったか? 悪い悪い」
「ちょっと黒子ぉ……あとでたっぷり話を聞かせてもらうからね?」
「ひっ!? お、お姉様、誤解ですの! 決してやましいことは……って、それよりも門限の時間が! さあお姉様、ダッシュですの!」
冷や汗をかきながら必死に誤魔化す黒子に背中を押され、二人は響に軽く頭を下げると、門限数秒前の寮の入り口に向かって、文字通り脱兎のごとく駆け込んでいった。
「やれやれ、嵐みたいな奴らだったな」
ドタバタと寮へ突撃していく二人の背中を見送りながら、響は小さく苦笑しつつ、再び自宅へとテレポートで帰還していくのだった。