「おっ、おかえり響。ビリビリ達は間に合ったか?」
玄関からリビングへふらりと姿を現した響に、食後の麦茶を飲んですっかりくつろいでいた当麻が声をかける。
「ああ。ギリギリあの恐ろしい寮監の巡回には間に合ったはずだ」
やれやれと肩をすくめながら壁の時計に目をやると、時刻はもうすっかり遅い時間になっていた。
常盤台の門限が過ぎているのだから当然である。
「で、お前らどうする? もうけっこういい時間だけど……帰るの面倒なら、今日は泊まっていくか? 部屋なら余ってるぞ」
響が何気なく提案すると、カーペットの上でゴロゴロしていた佐天と初春が、ガバッと勢いよく起き上がった。
「えっ、いいんですか響さん!? ぜひお言葉に甘えたいです!」
「実はお肉を食べすぎて、もう一歩も動きたくなかったんです〜……助かりますぅ……」
「ふふっ。じゃあ、私も今日はここで休ませてもらおうかしら。お風呂も借りていい?」
淡希もまた、クッションに寄りかかったまま妖艶に微笑んで同意する。
「おおおおっ! 響、お前ってやつは……っ! 当麻さんは久しぶりにこんなにお腹いっぱい食べられて、もう一歩も動けないんだよ……! 一生ついていくぜ親友!」
誰よりも切実な面持ちで、当麻が響の足元にすがりついて涙を流した。
そのあまりに哀愁を帯びた言葉を聞き、淡希は手元のグラスを傾けながら呆れたような顔でため息をつく。
一方で、佐天と初春の二人は
「上条さん……」
「どんだけ苦しい食生活送ってるんですか……」
と、胸を痛めながらうんうんと深く頷いて同情の視線を送っていた。
「いや、一生はついてくんなっての。重いんだよ」
響は当麻の頭をぺしっと叩いて引き剥がすと、呆れながらも泊まりの算段を付け始めた。
「部屋割りだけど、佐天と初春、あと淡希の三人は奥の広いゲストルームを使ってくれ。ベッドと布団があるから適当に分けてな。当麻は手前の空き部屋を使え」
「おっ、俺は一人部屋でいいのか!? さすが響、待遇がいいぜ!」
喜ぶ当麻に、響は鼻で笑って返す。
「当たり前だろ。お前を女の子たちと同室になんてしたら、そのふざけた不幸体質でどんな『ラッキースケベ』が起きるかわかったもんじゃないからな。絶対に隔離一択だ」
「おいおい、当麻さんの不幸体質をなんだと思ってんだよ……っ!」
理不尽な扱いに当麻が抗議の声を上げるが、女子三人は
「ふふっ」
「上条さんなら起こしかねないですね」
「どんまいです」
と笑い合ってすっかりくつろぎモードだ。
そんな和やかな空気の中、ふと響が思い出したように手を打った。
「そういや、着替えはどうする? 淡希と初春、あと当麻はたまに泊まりに来るから替えのストックがうちにあるけど、佐天の分はなかったよな」
「あっ、そうですね……! さすがに制服のまま寝るわけにもいきませんし、どうしよう……」
困ったように自分のセーラー服を見下ろす佐天。すると、ソファから優雅に立ち上がった操祈が、ふわりと微笑みかけた。
「あらぁ、それなら私のルームウェアを貸してあげるわぁ。佐天さんなら、サイズもそこまで違わないだろうし」
「えっ、いいんですか!? ありがとうございます、食蜂さん!」
「んふふ〜、遠慮しなくていいわよぉ」
嬉しそうにパァッと表情を輝かせる佐天に、操祈も上機嫌に微笑む。
着替えの算段がついたところで、響が当麻の肩を叩いた。
「よし。風呂の順番だが、後で女の子たちがゆっくり使えるように、先に男二人がサッと済ませちまおう。ほら当麻、一緒に入るぞ」
「おう。そうすりゃ時間短縮になるしな。背中流してくれよ親友」
「お前こそ、俺のシャンプー勝手に使いすぎるなよ」
幼馴染である二人は、男同士の裸の付き合いに一切の躊躇いがなかった。
ギャーギャー騒ぐこともなく、ごく自然な足取りで連れ立って風呂場へと向かっていく。
パタン、とリビングの扉が閉まり、男たちの声が遠ざかると……広々とした部屋に残されたのは、操祈、淡希、初春、そして佐天の女子四人だけとなった。
しんと静まり返った直後。
操祈がスッとソファの中央に腰を下ろすと、両手の指を顔の前で交差し、肘を膝につく……いわゆる『ゲンドウスタイル』の姿勢をとった。
「……さて」
先ほどの甘えた空気から一変、常盤台の女王としての鋭く真剣な眼差しが、向かいに座る淡希へと突き刺さる。
「結標淡希さん。単刀直入に聞くけれどぉ……あなた、響のことどう思っているのかしらぁ?」
「なっ……!?」
あまりにも直球すぎる質問に、余裕ぶっていた淡希の顔が一瞬にして沸騰したように真っ赤に染まる。
「ど、どどどどうって、ただの腐れ縁というか! ほら、私たち
「えっ!? 淡希さん、響さんのこと……!」
「わぁっ……!」
しどろもどろになって慌てふためく淡希を見て、佐天と初春は目を丸くして身を乗り出した。
顔から火が出そうなほど動揺する淡希を見つめ、操祈はふうっと息を吐き、交差していた指を解いた。
「隠さなくてもいいわよぉ。あなたの心、何度か覗かせてもらってわかっているもの」
「うげっ、悪趣味な……」
「……私ね、響のことは心から愛しているわぁ。でも、あの人……もし当麻さんが何か大きな事に巻き込まれたら、絶対に自分の危険も顧みずに助けに行くと思うのよぉ」
もちろん、内心では決してそんな危険な事態にならないことを祈ってはいる。
だが、あの当麻の規格外な不幸体質と響の性格を考えれば、『当麻の巻き添えで、響も間違いなくとんでもない
「彼が抱えているものや、あの規格外すぎる存在を……いずれ私一人だけじゃ、完全に支えきれなくなる日が来るんじゃないかって、そんな予感がしているの」
「食蜂、あなたそれって……」
「だからぁ……もしあなたにもその気があるのなら、私は歓迎するわぁ。一緒に響を支えてほしいの」
操祈からの、まさかの『容認』宣言。
それは響を深く愛しているからこそ出た、彼女なりの覚悟の言葉だった。
驚きに目を見開いて視線を彷徨わせる淡希だったが、やがて真っ赤な顔のまま、観念したように深く息を吐いた。
「……ずるいわね、あんた。私にそんなこと言ったら、もう後戻りできなくなるじゃない」
淡希はぽりぽりと頬を掻きながら、照れ隠しのように視線を逸らす。
「認めるわよ。ええ、響のことが好きよ。私が自分の能力を過信して天狗になっていた時に、あいつが私の鼻っ柱を完膚なきまでに叩き折ってくれた……あの日から、ずっと惹かれてた。……でも、本妻のあんたがいるから、これ以上踏み込まずに諦めようとしていたのに」
恥ずかしそうに、けれどどこかホッとしたように本音をこぼす淡希。
その言葉を聞いて、操祈は「んふふ〜♡」と心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「素直でよろしいわぁ。……それじゃあ、今日は特別に、淡希さんが響と一緒に寝てもいいわよぉ?」
「…………は?」
あまりにも予想外すぎる提案に、淡希の思考が完全にフリーズした。
「なっ……ななな、ななななっ!?」
数秒後、ようやく言葉の意味を理解した淡希の顔が、先ほどとは比べ物にならないほど爆発的に赤く染まる。
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!? なんで急にそういう話になるのよ!?」
「あらぁ、せっかく私が本妻の余裕で譲ってあげるって言ってるのにぃ。男どもはお風呂に入っているし、今のうちにベッドに潜り込んでおけばいいじゃない」
「バカバカバカ! いくらなんでも順番ってものがあるでしょ!? まだ付き合ってもいないのに、いきなり同衾なんてハードルが高すぎるわよ!」
両手で真っ赤になった顔を覆い、ジタバタと身悶えしながらパニックに陥る
そんな彼女を面白そうにからかう操祈。
「わぁ……なんか、すごい展開になってきましたね……」
「大人って……すごいです……!」
修学旅行の恋バナどころではない、ドロドロ……というよりは妙に突き抜けた本妻と
ガチャリ。
と、その絶妙なタイミングでリビングの扉が開き、湯気をふわりと漂わせた男二人が戻ってきた。
「ふーっ、さっぱりしたぜ。やっぱ飯の後の風呂は最高だな!」
「おい当麻、お前結局俺のシャンプー6プッシュも使いやがって。……ん? なんだ、ずいぶん盛り上がってたみたいだけど、どうした?」
首にタオルをかけた響が、部屋に残っていた女子たちの異様な空気感――特に、顔を茹でダコのように真っ赤にして固まっている淡希を見て、不思議そうに首を傾げる。
「ひゃうっ!?」
想い人である響の風呂上がりという無防備な姿、そして先ほどの『一緒に寝てもいい』という操祈の爆弾発言が脳内で化学反応を起こし、淡希は完全にキャパシティオーバーを起こした。
「わ、わわわ私はお風呂に行ってくるわ!!」
「お、おい淡希?」
響の呼び止めも聞かず、淡希は着替えの入ったカバンをひったくると、脱兎のごとくリビングから逃げ出していった。
「んふふ〜♡ じゃあ、私も一緒に入ろうかしらぁ。背中、流してあげるわよぉ、あ・わ・き・さ・ん?」
「ちょっ!? なんでアンタまで来るのよ! こっち来ないでぇーっ!」
パニックに陥って逃げ惑う淡希の背中を、操祈が楽しげな笑い声を上げながら嬉々として追いかけていき、そのまま二人揃って脱衣所へと消えていった。
「……なんだあいつら。一緒の風呂で背中流し合うほど仲良かったか?」
完全に置いてけぼりを食らった響は、わけがわからないというように頭を掻くと、ソファに残されていた佐天と初春に視線を向けた。
「なあ、俺たちが風呂入ってる間に何があったんだ?」
「えっ!?」
「ひゃあっ!?」
突然話を振られた佐天と初春は、ビクゥッと肩を跳ねさせた。
二人は顔を見合わせてひそひそと目配せを交わすと、ぶんぶんと勢いよく首を横に振った。
「な、なんでもないですよ!? 女子だけの、ひ・み・つ、です!」
「そ、そうです! 私たちの口からはとても言えませんから、気になるなら後で淡希さんや食蜂さんから直接聞いてください!」
真っ赤な顔で必死に誤魔化す二人に、響は「……? まあ、女同士の秘密ってやつか」と深く追求するのをやめ、やれやれと息を吐く。
「なんだよ響、お前女の子たちにハブられてやんの。かわいそうに」
ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべてからかってきた当麻に、響は無言のまま腕を伸ばした。
そして、その大きな手で当麻の顔面をガシッと掴むと、容赦なくギリギリと握力を込めてアイアンクローをかました。
「ぎゃあああああっ!? 痛い痛い痛い! 頭蓋骨がッ、当麻の頭蓋骨が砕けるぅぅっ!不幸だぁぁぁ!」
「うるせえ。お前はとっとと隔離部屋で寝てろ」
アイアンクローを食らったままジタバタと暴れる当麻を無視し、響はそのまま彼をズルズルと空き部屋の方へと引きずっていく。
再び始まった響と当麻のコントのようなやり取りを見つめながら、佐天と初春はホッと安堵の息をつく。
白く立ち込める湯気の中、響の部屋の広々としたバスタブで、操祈と淡希はちゃぷんと肩までお湯に浸かり、互いに向かい合って座っていた。
少し前までのドタバタ劇の熱気と、お湯の温かさ。
その両方でほんのりと頬を桜色に染めながら、淡希はどこか気まずそうに水面を見つめ、視線を彷徨わせていた。
そんな彼女の様子を、操祈は湯船の縁に腕を預けながら、静かな微笑みで見つめている。
「……淡希さん」
ちゃぷ、と小さく水音を立てて、操祈が口を開いた。
「さっきリビングで言ったことだけどぉ……からかっているように聞こえたかもしれないけれど、あれは私の本心よぉ」
その静かで真剣な声音に、淡希はビクッと肩を揺らして顔を上げた。
星を宿した操祈の瞳は真っ直ぐに淡希を見据えており、そこには常盤台の女王としての威厳と、一人の少女としての切実な想いが込められていた。
「響の抱えるものを、いずれ私一人で支えきれなくなる日が来るかもしれない。……だから、もしあなたがあの人の隣に立つ覚悟を持ってくれるなら、私は心から歓迎するわぁ」
それが、響を誰よりも愛している本妻としての、最大の譲歩であり決意。
湯気越しに伝わってくる操祈の真摯な想いに触れ、淡希は小さく息を呑んだ。
しばらく言葉を失っていた彼女だったが、やがて迷いを断ち切るようにふうっと長く息を吐き出す。
「……本当に、食蜂には敵わないわね」
呆れたような、それでいて憑き物が落ちたような清々しい笑みを浮かべ、淡希は真っ直ぐに操祈の瞳を見つめ返した。
「……だったら、そのお言葉に甘えさせてもらうわ。私だって、あいつの隣に立って一緒に支えてやれる覚悟くらい、とっくにできてるんだから」
強がりと本音が入り混じった淡希の堂々たる宣言に、操祈は「んふふ〜♡」と心底嬉しそうな、甘い笑い声を浴室に響かせるのだった。
騒がしかったリビングでのやり取りを終え、当麻を空き部屋に押し込んだ後。
響は一足先に自室へと戻り、ゆったりとしたキングベッドの上に寝転がっていた。
風呂上がりで火照った体を適度に冷ましつつ、ぼんやりと天井を見上げる。
女子組――特に操祈と淡希の入浴は長引いているようだったが、響は「まあ、女同士積もる話もあるんだろう」と気長に構え、恋人である操祈がこの部屋にやって来るのをのんびりと待っていた。
ガチャリ。
やがて、静かな部屋に扉の開く音が響いた。
「遅かったな、操祈――」
ベッドに寝転がったまま、緩んだ顔で入り口へと声をかけた響だったが-
「……え?」
扉の前に立っていた人物の姿を見て、思わず目を丸くして身を起こした。
湯上がりでほんのりと上気した白い肌。
濡れた赤髪から滴る水滴。
そこに入ってきたのは、豊かな金髪を揺らす恋人の操祈ではなく……なぜか、ルームウェアに身を包んだ淡希だったのだ。
「淡希? お前、なんでここに……淡希の部屋はゲストルームだろ? 操祈はどうした?」
完全に予想外の来訪者に、響が素っ頓狂な声を上げる。
すると、淡希はバタンと背手で扉を閉めると、あろうことか『ガチャリ』と鍵まで掛けてしまった。
「お、おい、淡希……?」
「…………食蜂から、許可は貰ってるわよ」
「は?」
俯き加減でボソリと呟いた淡希。
彼女がゆっくりと顔を上げると……その整った顔は、風呂上がりの火照りなど比にならないほど、爆発しそうなほど真っ赤に染まりきっていた。
「きょ、許可って……何の話だ? お前、顔赤いぞ。まさかのぼせたのか……?」
「鈍感! アホ! 原石のくせにそういうところはホントに
「理不尽に罵倒された!? しかも当麻と同類にされた!?」
ベッドの端までツカツカと歩み寄ってきた淡希は、ドサリと響の隣に腰を下ろした。
至近距離からふわりと香る、自分や操祈と同じシャンプーの甘い匂い。
いつもは余裕ぶって大人びた態度を崩さない
「……あのね」
沈黙の後。
淡希は、震える唇を必死に動かして紡ぎ出した。
「私が自分の能力を過信して、どうしようもなく天狗になっていた時……アンタ、私の鼻っ柱を完膚なきまでに叩き折ってくれたでしょ」
「ああ……まあ、そんなこともあったな」
「……あの日からよ」
淡希は、潤んだ瞳を真っ直ぐに響へと向けた。
その視線には、もう一切の誤魔化しも逃げもなかった。
「あの日からずっと、アンタに惹かれてた。……でも、素直に好意を伝えられずにいたら、食蜂に先を越されちゃって……だから、もう諦めようとしていたのに」
「淡希……」
「あいつ、お風呂の中で言ったのよ。いずれアンタを一人で支えきれなくなる日が来るから、一緒に支えてほしいって。……食蜂からそんなこと言われたら、もう後戻りなんてできないじゃない」
真っ赤な顔のまま、淡希は響の胸元へとそっと額を押し当てた。
ドクン、ドクンと、彼女の激しい心音が響の肌越しに伝わってくる。
「好きよ、響」
それは、絞り出すような、けれど確かな熱を持った直球の告白。
そして次の瞬間――。
淡希は響の胸元をきゅっと掴むと、勢いよく顔を上げ、そのまま真っ直ぐに彼の唇を自らのそれで塞いだ。
「……っ!?」
突然の、甘く柔らかな感触。
驚きに目を見開く響に構わず、淡希は目をきつく閉じ、不器用ながらも想いをぶつけるようなキスを贈る。
ほんの数秒の、けれど酷く熱を持った口付け。
やがてチュッ、と小さな音を立てて唇を離した淡希は、限界まで赤く染まった顔のまま、潤んだ瞳で響を上目遣いに見つめた。
「食蜂からの許可も貰った。私自身の覚悟も決めた。……だから私、もう遠慮なんてしてあげないんだからね」
強がりと照れ隠し、そして痛いほどの恋心が入り混じった瞳。
恋人である操祈の計らい、そして淡希自身の真っ直ぐな想いと不意打ちのキス。
想定外すぎる夜の展開に、規格外の原石である響も、ただただ呆然とその告白と熱を受け止めることしかできないのだった。