――それから、数時間が経過し時刻が十八時を回った頃。
茜色に染まる第七学区の大通りで、長かったお説教と修繕作業がようやく終わりを告げようとしていた。
「よし、今日のところはこれで勘弁してやるじゃん。次やらかしたら、始末書百枚じゃ済まないじゃんか」
「「う、うぅ……」」
黄泉川からの解放の言葉に、数時間ぶっ通しで正座させられていた美琴と操祈が、生まれたての小鹿のようにぷるぷると震えながらその場に崩れ落ちた。
一方、大通りの中心で額に滲んだ汗を軽く拭いながら、抉れたアスファルトを完全に元の平らな道路へと戻し終えた響のもとへ、黄泉川が歩み寄る。
「お前も、一人でよくやったじゃん。……まあ、あそこまで綺麗に直したんだ。今回だけは特別に、小萌への報告はナシにしてやるじゃんか」
「ま、マジか……!? あ、あんたホントにいい人だな黄泉川先生! 一生ついていくぜ……っ!」
先ほどまで絶望のどん底にいた学園都市第二位は、まるでこの世のすべての救済を受けたかのように、へなへなとその場に座り込んで深い安堵の息を吐き出した。
そのあまりにも情けない安堵っぷりを、地面にへたり込んだままの美琴がジト目で眺め、足元をさすっている操祈へと疑問を投げかける。
「……ねぇ。あいつ、なんであの『小萌先生』って人に報告されないだけで、この世の終わりを回避したみたいにホッとしてるわけ?」
「あー……実は私、以前彼が私を助けて……その、病院に入院した時に、お見舞いに来たその先生とお会いしたことがあるのよねぇ」
「えっ、そうなの?」
美琴が驚いて聞き返すと、操祈はどこか遠い目をして深く頷き、おもむろに取り出したスマートフォンの画面を美琴へと見せた。
「ええ。ほら、この人よぉ」
「……えっ? 嘘でしょ、これどう見ても小学生……ってか、なんで白いブラウスにピンクのジャンパースカートなんて着た子どもが高校の先生やってるわけ!?」
画面に映る『小萌先生』の強烈すぎるビジュアルに、美琴は信じられないモノを見るような目でツッコミを入れた。
しかし操祈は首を振って話を続ける。
「れっきとした大人の高校教師よぉ。とっても小さくて子供みたいな先生だったんだけどぉ……試しに私の『
「へ、へぇ……」
「あれほどの純度100%な善意を向けられれば、どんな悪党だって良心が痛んで泣き崩れるわ。……だからこそ、あの方に本気で涙ぐまれながらお説教されるのは、恐怖で震えるんじゃなくて、強烈な『罪悪感』が勝ってしまうのよぉ。彼がああやって必死に土下座する気持ち、痛いほど分かるわぁ……」
「な、なんかあんたまで遠い目をしてるんだけど……」
力による恐怖ではなく、逃げ場のない罪悪感で常盤台の女王すらも完全に白旗を上げさせる『小萌先生』の恐るべき影響力に、美琴はただただ顔を引きつらせるしかない。
そんな二人のやり取りを余所に、黄泉川たち『
夕闇が迫る中、大きく伸びをした響が、修繕作業を終えて戻ってきた黒子や淡希、そして正座から解放された美琴や遠巻きに見守っていた初春と佐天に向かって気さくに声をかけた。
「さて、と。ようやくお開きだな。……そういやお前ら、こんな時間だし腹減ってないか? 御坂、白井、結標、それに初春と佐天も。よかったらうちでご飯食べてかないか?」
「えっ!? 第二位の方の家でですか!? もちろん行きます!!」
目を輝かせて真っ先に食いついたのは、好奇心旺盛な佐天だった。
「あ、響さんのご飯、すっごく美味しいんですよ佐天さん! 私も何度かお家にお邪魔してご馳走になったことありますし!」
「ええ、タダ飯なら大歓迎よ。あいつの料理の手際がいいのは知ってるし、ちょうど空間移動の連続で頭分も消費してたところだから助かるわ」
かつて響の家に上がり込み、その確かな料理の腕前をすでに知っている初春と淡希が、すかさずその誘いに太鼓判を押して乗っかる。
「なっ……べ、別にアンタの家に行きたいわけじゃないけど!? お腹も空いてるし、どうしてもって言うなら食べていってあげてもいいわよ!」
美琴は顔を赤くして典型的なツンデレ台詞を放つ。その横で、黒子は居住まいを正し、深く頷きながら響を見つめた。
「ええ、また響先輩の手料理をいただけるなんて光栄ですわ。お姉様が行くのは当然として、わたくしも喜んでお供させていただきます! 響先輩の淹れてくださる食後の紅茶は本当に絶品ですからね。今から楽しみですの」
普段は美琴を溺愛するあまり他者に攻撃的になりがちな黒子だが、能力者としても実務面でも心から尊敬している響先輩に対しては別だ。
浮つくことなく、心からの敬意を持って素直にその誘いを喜んでいる。
「はいはい。……で、操祈。冷蔵庫の余り物、何があったっけ?」
響がごく自然に隣に立つ常盤台の女王へと尋ねると、操祈は少し考えるように首を傾げた。
「そうねぇ……確か、お野菜とお肉が少し残ってたはずだけどぉ。これだけの人数を誤魔化すには、ちょっと食材が少なくなってた気がするわぁ」
「マジか。じゃあ、帰る前にスーパーで買い出ししていくか」
響がそう提案すると、操祈も「ええ、そうしましょぉ」と、響と同棲している『彼女』としての余裕たっぷりの笑みを浮かべて同意する。
「な、なんであんたがいかにも同棲してますって顔で仕切ってんのよ!?」
二人の間に流れる、隠しきれない熟年夫婦のような甘い空気に美琴が激しくツッコミを入れる。
すると操祈は、「あらぁ」と余裕たっぷりに星の瞳を細めてみせた。
「だって、事実だものぉ。私と彼、愛の巣で毎日一緒に甘ぁ〜い夜を過ごしてるんだから、私が仕切るのは当然じゃないかしらぁ? まだお子様な御坂さんには、ちょっと刺激が強すぎたかしらぁ?」
「なっ……愛の巣って……あ、甘ぁ〜い夜って、あんたたち中学生と高校生でしょ!? な、なに不純異性交遊してんのよぉぉぉっ!?」
顔を茹でダコのように真っ赤にして爆発しそうになる美琴。すると、その横から黒子がやれやれと小さいため息をついて口を挟んだ。
「落ち着いてくださいませ、お姉様。このお二人が同棲を始めたのは、もう一年くらい前のことですわよ。わたくしもずいぶん前から存じておりますわ」
「は、はあああああっ!? い、一年!? あんた知ってたの黒子!?」
「ええ。響先輩には以前から何度かお世話になっておりましたし、その過程で自然と。……もっとも、実態は食蜂操祈の半ば押しかけのようなものから始まったと伺っておりますけれど」
「あらぁ、白井さんったら人聞きの悪い。愛の力で私が彼の懐に飛び込んだだけよぉ」
「それを世間では『押しかけ』と言うんですのよ。……常盤台で『寮を自主解約した生徒がいる』と噂になっておりましたけれど、まさかそれが貴女だったとは。自ら退路を断って男の家に押しかけるなんて、呆れた執念ですわね」
「い、いやいやいや! 寮を自主解約!? 退路を断って中学生が男の人の家に一年も押しかけ同棲って……っ!?」
あまりの事実にキャパシティを超え、パニックになって目を回す美琴。
その横で、「あはは……」と、当事者である響がどこか遠い目をして乾いた笑いを漏らした。
「いや、夜中にいきなりキャリーケース一つで押しかけてきて、『もう住む所が無いんですぅ』なんて言われたら、さすがの俺もそのまま帰す訳にはいかなかったというか……」
「……完全に食蜂の策略にハメられてましたわね、響先輩」
「あらぁ、結果オーライじゃないかしらぁ? 彼の庇護欲をくすぐるのも乙女の計算力よぉ」
ジト目を向ける黒子を、操祈は「あらあらぁ」とクスクス笑いながら優雅に受け流す。
「まぁまぁ、御坂。……佐天、今日の夕飯は何がいい? 今回は巻き込んじまった詫びも兼ねてるし、お前の好きなメニューでいいぞ」
響が強引に話題を切り替えて水を向けると、佐天はパッと顔を輝かせ、元気よく右手を挙げた。
「えっ、いいんですか!? じゃあ……焼肉! がっつりお肉が食べたいです!」
「おっ、いいわね! 空間移動で頭使った後はお肉に限るわ」
「わたくしも大賛成ですの! 響先輩のお家で焼肉なんて、とても贅沢な夕食になりますわね!」
「わたしも賛成です!」
淡希、黒子、初春が次々と楽しげに同意し、同棲の事実にまだ顔を赤くして目を回していた美琴も「ま、まぁ、焼肉なら……食べていってあげてもいいわよ」と満更でもない様子で頷いた。
「よし、それじゃあ今日の夕飯は焼肉パーティーだな! スーパーへ買い出しに出発するぞ!」
ワイワイと賑やかな言い合いを響かせながら、七人は連れ立って響と操祈の帰る家へと歩き出す。