※この作品はR-18です。

変わりすぎた世界で   作:案院運

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自己満足で描きました。後で設定等置いとくつもりです。



第1話『聞き覚えのある声』

 

「――諸君は現在、ログアウトすることができないのはこのゲームの本来の仕様である」

 

 その声を聞いた瞬間、俺は息を止めた。

 

 広場を埋めるざわめきの向こうから、男の声が響いている。よく通るのに、少しも張り上げてはいない。大勢に向けて話すことに慣れているような、落ち着いた声だった。なのに、その言葉を聞いた途端、周囲の音が遠のいた。

 

 聞いたことがある。

 

 いや、ただ聞き覚えがあるだけじゃない。俺はこの声が、これから何を告げるのかを知っている。

 

「この世界から解放される条件はひとつだ。浮遊城アインクラッドの最上階を攻略すること。ゲーム内でHPがゼロになった者は、現実の肉体もまた――」

 

 広場のあちこちで悲鳴が上がった。

 

 その言葉は、俺が元の世界で知っていた物語の中にあった。ゲームの開発者がプレイヤーたちへ告げる、デスゲームの始まり。ソードアート・オンライン。俺はその名を知っている。原作とアニメは全話見ていたし、遊んだことはないがゲームの設定も、そこで起きる事件も、物語として見聞きしていた。

 

 視線を上げる。広場の上空に、赤いローブをまとった人影が浮かんでいた。フードの奥に顔は見えない。それでも、姿を見た瞬間、ひとつの名前が頭に浮かぶ。

 

 茅場晶彦。

 

 SAOの開発者。プレイヤーたちを閉じ込め、いま脱出条件を告げている男。彼がここにいる。説明の内容も、周囲の反応も、俺の記憶にある物語と重なっていた。

 

 俺は水澄大也、十八歳の大学生だ。少なくとも、ここに来る前まではそうだった。どうやってこの場所へ来たのか、なぜこんな場所にいるのかは分からない。ログインした覚えはないし、ナーヴギアを装着した記憶もない。最後に何をしていたのかを思い出そうとしても、輪郭のぼやけた記憶が浮かぶだけで、その先がつながらなかった。

 

 確かなのは、自分の名前と年齢。そして、目の前で起きていることを、俺が知っているということだけだ。

 

「これはただのゲームではない。諸君は現実へ戻ることができない」

 

 茅場の説明は続いていた。ログアウト機能は封じられたこと。外部からナーヴギアを取り外そうとすれば、装置が脳へ致命的な損傷を与えること。ゲームの中で命を落とせば、現実の肉体も失われること。生きて帰るためには、アインクラッドの最上階まで攻略を進めるしかないこと。

 

 知っているはずの話だった。けれど、知識として知っているのと、いま自分がその場に立って聞いているのとでは、何もかもが違う。誰かが茅場へ向かって怒鳴り、別の誰かはメニューを何度も開いてログアウトの項目を探していた。泣き声がして、少し離れた場所では、仲間らしい二人が互いの肩をつかんでいる。

 

 全員が、同じ現実を突きつけられていた。

 

「嘘だろ……」

 

 俺の口から、かすれた声が漏れた。

 

 夢ならいい。悪質なイベントなら、すぐに運営が説明に現れる。けれど、茅場の声は途切れず、広場の反応も止まらない。頬をつねる余裕さえなかった。胸が苦しい。呼吸が浅くなり、手のひらが汗ばんでいく。俺はただ、知っている物語と目の前の現実を、何度も頭の中で比べていた。

 

 茅場の説明が終わる。赤いローブの人影が広場の上空から消えた。次の瞬間、あちこちから怒声が上がり、押さえ込まれていた混乱が一気に広がっていった。

 

 人波が揺れる。肩がぶつかり、誰かの腕が俺の胸元をかすめた。転びそうになって、近くの壁に手をつく。壁の感触は硬く、指先に石の冷たさが伝わった。その手を見下ろすと、見慣れた自分の手があった。指の形も、肌の色も、爪の端に残った小さな傷も、記憶の中の自分と同じだ。

 

 けれど、俺はここへ来た記憶を持っていない。

 

 赤い光が広場を覆った。人々の姿が揺らぎ、服装や顔つきが次々に変わっていく。ゲーム内で設定したアバターから、現実の姿へ戻されているのだと、記憶が教えてくれた。光が消えたあと、広場には見知らぬ顔が並んでいた。自分の頬に触れる者。隣にいる仲間を見て安堵する者。相手の姿が変わったことに驚き、言葉を失う者。誰もが自分の身体と周囲を確かめていた。

 

 俺も自分の顔や腕に触れた。元の世界にいた時の自分と大きく変わってはいないように見える。衣服だけは、ゲームの初期装備らしい簡素なものになっていた。身体の感覚は奇妙なくらい鮮明で、布が腕に触れる感覚も、地面を踏む足の重さも、現実とほとんど変わらない。

 

 この世界は、俺のいた世界とは違う。

 

 そんな直感が、理屈より先に胸の奥にあった。見えるものは知っているSAOに似ている。茅場の説明も、ゲームの設定と同じだった。それなのに、何かがわずかにずれている。人々の身なりや仕草、会話の端々に、俺が知っていた社会とは異なる常識が混じっている気がした。

 

 その違和感の正体を探るのは、あとでいい。今は、目の前の危機に対処しなければならなかった。

 

 まずは周りを見渡してみる。そこは石造りの街だった。

 

 広場を囲む建物。中央を横切る道。行き交う人々の頭上には、半透明の名前表示が浮かんでいる。

 

 第一層の主街区、《始まりの街》。

 

 その光景を見た瞬間、俺の中に残っていた最後の疑いが消えた。ここはSAOだ。少なくとも、俺の知っているSAOと同じ場所から始まっている。

 

 広場にいるプレイヤーたちは、まだ混乱から抜け出せていなかった。誰かが道の先へ走り、別の誰かが大声で仲間を呼んでいる。メニューを開いたまま立ち尽くす者もいれば、地面に座り込んで顔を覆う者もいた。遠くから鐘の音が聞こえる。街は平穏な姿を保っているのに、人々の心だけが危機に追いつかれていた。

 

 俺は一度、深く息を吸った。

 

 まずは自分の状態を確認する。アニメでやっていたように意識してメニューを開くと、半透明の画面が視界の端に現れた。装備、アイテム、所持金、ステータス。そこに並ぶ文字は、俺の知っているゲームのシステムそのものだった。ログアウトの項目は見当たらない。試しにメニューの下の方まで探してみたが、結果は変わらなかった。

 

 プレイヤー名の欄には、英字で「Daiya」と表示されている。

 

 水澄大也。俺の名前だ。だが、俺が自分で設定した覚えのない表示名だった。名字はなく、名前だけが登録されている。レベルは一。所持金は初期状態。装備は最低限のものしかなく、アイテム欄にもわずかな支給品が入っているだけだ。

 

「Daiya、か……」

 

 声に出してみても、画面の表示は変わらなかった。

 

 この身体は俺のものに思える。名前も俺のものだ。それなのに、俺は自分がいつログインしたのか知らない。キャラクターを作った記憶も、ゲームを始めた記憶もない。システムだけが、当然のように俺をプレイヤーとして扱っていた。

 

 今すぐできることを考える。街の外へ出る前に装備を確認する。クエストの内容を見て、回復アイテムを確保する。食料と宿の値段も調べる。何も分からないまま、恐怖に押されて動くのは危険だった。知識があっても、ゲームの操作や戦闘に慣れていないのなら、それだけで命を守れるわけじゃない。

 

 俺の頭には、SAOについて知っている情報が残っていた。第一層の攻略で誰が動くのか。どこに危険なモンスターがいるのか。どのクエストが装備の入手につながるのか。けれど、記憶にある展開と同じことが起きる保証はない。俺がここにいる時点で、すでに物語は変わり始めているのかもしれない。

 

 なら、知識は答えとして使うのではなく、道具として使うべきだ。目の前で起きていることをよく見て、記憶と違う部分があれば判断を変える。誰かの行動を勝手に決めつけず、必要な時に助けられるだけの力をつける。今の俺にできるのは、そのくらいだった。

 

 街の広場から大通りへ出る。石畳を踏む感覚が、足の裏に伝わってくる。店先には商品が並び、道の脇にはクエスト案内の掲示板がある。プレイヤーたちはそれぞれの場所で立ち止まり、何をすべきか探っていた。俺は掲示板の近くで一度足を止め、クエストの一覧を確かめる。報酬、発生条件、目的地。知っている情報と照らし合わせ、まずは危険の少ないものから選ぶことにした。

 

 その時、胸の奥にふたたび違和感がよぎった。

 

ただこの時はそこまで大事にはしなかったが、後々自分が大変な目にあっていることを気づかないでいた。

 

 それよりも今は立ち止まっている場合では無い!

 

 俺はまず、街の中で装備とアイテムを揃えることにした。武器の扱いを確かめ、初心者向けのクエストを受ける。最初の狩りは安全な範囲に留め、戦闘の感覚をつかむ。攻略の先を考えるのは、そのあとだ。

 

 街の出口へ向かう道には、まだ大勢のプレイヤーが集まっていた。顔を見合わせて助け合う者もいれば、ひとりで黙々と歩き出す者もいる。俺はその流れの中に混じり、足を前へ運んだ。

 

 十八歳の大学生だった俺が、どうしてこの世界にいるのか。茅場の言葉を知っているのに、なぜログインした覚えがないのか。ここは、俺の知っている物語と本当に同じなのか。

 

 答えはひとつも見つからない。

 

 それでも、今は生き残ることが先だ。

 

 大通りを抜けた先に、第一層の草原が見えた。街の外は、さっきまでの喧騒から切り離されたように静かだった。風が草を揺らし、遠くの丘にモンスターの影が動いている。俺はメニューを閉じ、装備した武器の重さを確かめた。

 

 この世界で最初にやるべきことは、誰かを探すことでも、未来を変えることでもない。

 

 まずは、自分の足で立つこと。

 

 そう決めて、俺は始まりの街を後にした。

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