獣人アパートに引っ越してきたんだが、もうオレは限界かもしれない 作:にゃがみ原くま
筆者の力不足で、あの退廃した雰囲気は出せませんでした
燃えちまった。
オレの実家が。
火事で。
そんなわけで、オレは大学2年(1浪)の夏と言う中途半端な時期に、人生初の引っ越しと一人暮らしを余儀なくされることとなった。
不幸中の幸いだったのは、引っ越し先の目途がすぐについたこと。まぁ、目途がついたと言っても、オレの境遇を哀れに思った親戚のおじさんが、所有アパートを融通してくれたってだけなんだけど。
兎にも角にも、断る選択も無かったので、オレの新居探しは拍子抜けするほどあっさり決着がついたわけだ。件の物件は、にゃがみ原駅から徒歩20分、1K風呂ありベランダ付き、築35年で家賃月3万(親戚価格で月1万)のアパート。
アパートの名前は……何ていうんだろう? 聞いてなかったな。機会があれば、おじさんに聞いておこう。
あ。
そう言えば、そのアパートが巷で何と呼ばれているかは小耳に挟んだな。
えーと、たしか「獣人アパート」だったかな?
なんでも、ろくでなしの獣人どもが住まう悪の巣窟として地元で恐れられているらしい。
何だよ、それ? 都市伝説か?
「ご無沙汰しております、おじさん。この度は、我が窮状を救っていただき、ありがとうございます。不束者故、ご迷惑をかけすることもあると思いますが、なにとぞよろしくお願いいたします」
そう言って60°の角度に頭を下げると、目の前の禿頭の男――大谷おう也は破顔した。
「おう。荷物運び終わったのか。って言うか、随分と他人行儀だな。知らない仲でもないだろうに」
おじさんの笑顔には、独特の迫力がある。一見ではカタギに見えない程の強面のせいだろう。もっとも、その内面は温厚篤実で、尊敬すべき人柄の持ち主であることを、身内のオレはよく知っている。だからこそ、
「いえいえ、そう言うわけにはいきません。親しき仲にも礼儀ありと言いますし、ましてこちらは一方的に助けてもらう立場なんですから、きっちりケジメはつけないと」
「なに言ってんだよ。困ったときはお互い様とも言うだろ。だいたい、お前にそんなかしこまった態度を取られるほうが、俺は嫌だぞ。全身がかゆくなっちまう」
そう言って、おじさんは身震いして見せた。それが、強面に似つかわしくない、滑稽な素振りだったものだから、オレもついつい笑ってしまった。
「ははは。分かりました。では、改めまして、今日からよろしく。おじさん」
「おう。こちらこそよろしくな」
差し出された手を、がっちりと握り返す。そうして挨拶の儀式を終えると、おじさんは思い出したように、こう切り出した。
「ああ。そういやお前、今晩何か予定あるのか? 無いなら、一緒に飲みにいかねーか? 奢るぞ」
「本当ですか? それは、ぜひぜひお願いします。いやー、実はおじさんとは一度飲みに行きたいって思ってたんですよ」
「お。嬉しいこと言ってくれるじゃねーか。なら、夕方6時に俺の部屋に集合な」
「了解です。じゃあ、俺はそれまでに荷ほどきと挨拶回り済ませときますね」
我ながらそれは、至極常識的で当たり障りのない発言だったと思う。だけど、おじさんは、どう言うわけか奥歯にスルメでも挟まったようなしかめ面になり、
「あー、その挨拶なんだけどな。ずっと考えてたんだが、別に必要ないんじゃないか?」
と、普段の常識と礼儀を重んじる人柄とはかけ離れた事を言い出した。
「……は?」
「いやな、なんつーか、ほら。お前にとっては、ここは借宿みたいなもんだろ? アパートの連中にも事前にそう説明してあるし、だったら親しく付き合う必要はないはずだ。挨拶回りなんて面倒なこともしなくてもいいんじゃねーか?」
これまたおじさんらしくない長く早口の釈明。その隠された真意に、長い付き合いのオレはすぐにピンと来て、思わずため息をついてしまった。
「おじさん、俺も今年で21ですよ。いつまでも子供じゃありません。心配しなくても、挨拶だって隣人付き合いだって、バッチリできますよ」
「ち、違う! 違うぞ! 俺が言いたいのは、そう言うことじゃないんだ。俺は単にお前の事が心配なだけで」
「だから、その心配がいらないんですって」
「だ・か・ら! 違う! 違うんだよぉぉぉぉ!!」
ぐおぉぉぉ、とおじさんは煩悶するように頭をかきむしり、やがて、
「えーい、分かった。挨拶に行ってこい。ただし、俺が仲介させてもらう」
と、親指を自身に向けて突き立て、そう宣告した。
かくして、オレはアパート住人への挨拶回りを慣行することになった。おじさん同伴で。
小さいころからオレのことを知っている弊害か、おじさんにはこう言う過保護なところがあるんだよな。と、そのときは、内心で苦笑していたのだが――
――後にオレはおじさんの心配が那辺にあったのか、身をもって知ることになるのだった。
「おーい、ヤニねこぉ! いるんだろ? ちょっと顔出せ。おーい!」
おじさんが人気のない部屋の扉をドンドンと叩きながら、近所迷惑スレスレの大声で中の住人を呼びたてている。一方のオレは、ちょっとわくわくしながらまだ見ぬ隣人に思いを馳せていた。「ヤニねこ」さん、か。まさか本名ではないだろうが、どんな人なんだろう?
「俺に居留守は通用しねーぞ! さっさと出てこいや、おら!」
おじさんの絶え間ない口撃に観念したのか、部屋の中でもそもそと人がうごめく気配がした。ペタペタと面倒くさそうに部屋を徘徊する気配が続き、やがてガチャリと扉が開いた。
隙間から顔を出したのは、若い女性獣人だった。
それも、ただの若い女性獣人ではない。
二日酔いのような青白い顔に化粧っ気は無く、髪だってぼさぼさ。服装だって、しわしわのシャツに、よれよれのジーンズと言う体たらくだ。その辺の若い女性なら、到底、人前に顔を出せる恰好ではない。
なのに、これは世の一般女性が怒り狂うことだろう。
その美貌に翳りがみえない。
それほどまでの美人がそこにはいた。
「なんにゃ? ハゲチャビン。こんな朝っぱらから、近所迷惑にゃ」
「誰がハゲチャビンだゴラァ!? だいたい、もう昼だぞ昼っ! なにが朝っぱらだこの馬鹿野郎っ!」
「それはおっさんの体感にゃ。ドバイなら今は朝っぱら。今起きたニャーにとっても、今が朝っぱらなのにゃ」
「くっ!? こ、このやろう!!」
ドヤ顔で屁理屈をこねた美人さんに、おじさんは青筋を立て、己が拳を拳骨の形に握りこむ。正直、かなりおっかない絵面なんだけど、美人さんはどこ吹く風で、気の向くままにふいとオレに水を向けてきた。
「ん? なんにゃ、お前。見ない顔にゃ。誰にゃ? お前」
正直、ドキッとしたね。
不意打ちに声をかけられたってのもあるけど、こんな美人に話しかけられた経験、今まで無かったんだ。
「は、は、はじめまして! 今日からお隣に越してきた、こ、小谷槍太(こたにそうた)です!」
「おー、お前がそうかにゃ。大家から話は聞いてるにゃ。ニャーはヤニ子にゃ。よろしくなのにゃ」
舞い上がって噛み噛みの挨拶になってしまったけど、嗤うことなく鷹揚な笑顔を返してくれるヤニ子さん。その顔が素敵すぎて、思わず見惚れてしまう。
「なんにゃ? ニャーの顔、何かついてるかにゃ?」
固まってしまったオレを、ヤニ子さんが小首を傾げて覗き込んでくる。そんな仕草でも、いちいち絵になってヤバい。心臓がばくばくして、破裂してしまいそうだ。
「ん?」
そのとき、ヤニ子さんが何かに気付いたように顔をしかめた。と、思ったら、こちらに顔を近づけてきて、スンスンと鼻を鳴らしだす。
背筋が凍る思いだったね。まさかオレ、くさいのか? って。
だけど、ヤニ子さんはオレの心配をよそに、たっぷり十秒はスンスンし、
「にゃあ♡ なんかお前、美味そうな匂いがするのにゃあ♡」
と、うっとりした顔で吐露した。
う、美味そう? ま、まぁ、くさいよりはマシなのかな。
「た、たまらないにゃ♡ もっと♡ もっと嗅がせるのにゃ♡」
そう言うと、ヤニ子さんはぐいぐいと身体を寄せてくる。瞳孔がぐるぐるしていて若干怖いけど、まぁちっとも悪い気はしない。
なにしろ。ああ、そんなに密着されるとヤニ子さんの温もりと香りに――
「って、くさっ! え? なにこれ?」
――一目惚れの呪縛から解き放たれた瞬間だった。
まず、ヤニ子の身体がくさい。汗と汚れが発酵して、すえたような悪臭。何日風呂に入っていないんだ? こいつ。
「にゃ~♡ 初対面でくさいなんてひどいにゃ~♡」
口もくせぇ。例えるなら、タバコと酒と食べカスを煮詰めて3日放置したようなにおい。こいつ、歯磨きもしていないのか? あれは虫歯予防だけでなく口臭予防にもなるから毎日しなきゃだめなんだぞ!?
「や、やめてください! 離れて! 匂いが移るからっ! って、おい! 舐めようとするなっ!? まじでやめろくせぇって言ってんだよこのくそ獣人がっ!!!」
舌を伸ばすくそ獣人の顔面を両手で引っ掴み、全力で引っぺがしにかかる。が、力が強い。逆にこっちがじわじわ押されている。
まてまてまてまて。嘘だろ? 男と女だぜ? 噂には聞いていたけど、獣人の身体能力ってこんなに凄いの?
だ、だめだ。もう舐められる。あのくっさいくっさい舌とよだれで。オレの穢れを知らぬ純潔の身体が――
「――当身っ!!!」
そのとき、それまで蚊帳の外だったおじさんが、くそ獣人の脳天に渾身の当身を振り下ろした。哀れ不意打ちを食らったくそ獣人は「ふぎゃん☆」と情けない悲鳴を残してその場に崩れ落ち、動かなくなった。
九死に一生とはまさにこのこと。オレは荒い呼吸を繰り返しながら、
「はぁはぁはぁ。し、死んだか?」
「いや、殺してねーよ」
ちっ! 手加減していたのか。ふん、運のいいやつめ。せいぜいおじさんの慈悲に滂沱の涙を流して感謝するんだなっ!
何はともあれ、安全が確認できて、ようやく一息つけた。そのまま呼吸を整え、オレはオレの救世主に向き直り、以前のそれより深く深く頭を下げた。
「すいません、おじさん。助かりました」
「い、いや。こっちこそ、助けるのが遅くなってすまなかったな。俺としたことがついつい面食らっちまった。コイツがイカレているのは重々承知だったんだが」
「……イカレているって知っていて、部屋を貸してるんですか?」
「うっ! そ、そんなことより、ヤニねこだ! こいつをどうにかしなくちゃなっ!」
露骨に話を逸らしたな。まぁいい。おじさんにだって生活があるわけだし、深くは追及すまい。
「槍太。あんなことがあった後ですまないが、こいつを部屋に運ぶの手伝ってくれないか?」
えー、と思う。ぶっちゃけ、ものすごく断りたかったが、おじさんの手前そうもいかない。
「……分かりました。まぁ、いつまでもここに寝かせておくのもかわいそうですしね。じゃあ、ちょっと待っててください。オレちょっと使い捨て用の手袋持ってきますから」
「て、手袋だぁ? そんなもん、なんで必要なんだ?」
「? 素手で触るのばっちいじゃないですか。それ」
顎をしゃくって「それ」を示すと、渋柿にでも当たったような渋い顔をするおじさんを残してオレは踵を返した。まぁ、手袋だけじゃ全然足りないんだけどな、「それ」の部屋の汚さにはよ!
ああ、そうそう。挨拶回りなんだけど、その後はさした問題もなく終わったよ。今まで嗅いだことのない薬品のにおい香るプリン頭の獣人とか、昼間っから酒の匂いプンプンのゆるふわ幼女系獣人とか、ちょっと変わった人が多かったけど、まぁ、悪い人はいなさそうで安心したかな。約一名をのぞいて。
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