将軍を目指した薙刀令嬢、愛欲の女神の寵愛を得て「娼婦」となる 〜神罰寸前で無恩寵の男に抱かれたら、無限の経験値で最強の武神になりました〜 作:夜叉五郎
「――引けと言っているのだ、エドワード殿下」
午後の日差しが差し込む王立士官学院の第三演習場。
手にした白木の長柄を軽く回し、切っ先をぴたりと相手の喉元へ突きつけた。
艶やかな黒髪が風に揺れ、頬をかすめる。
腰まで届くこの髪も、抜けるように白い肌も、生まれつき紅を差したように赤い唇も、私にとっては邪魔な装飾に過ぎない。
ましてや武芸の妨げにしかならぬ胸の肉など、日頃から晒で固く締め潰していなければ鬱陶しくてたまらないただの脂肪の塊だ。
激しく動けばすぐに熱を持って疼き、汗で布が肌に張り付いて息苦しくなる。
動きのたびに擦れる感触が、どうしても意識を割り込ませてくる。
だが、目の前の男たちは違うらしい。
「くっ……相変わらず可愛げのない女だ、アリア。だが、その気高い眼差しこそが私の征服欲をそそるのだよ」
金髪を華美に整えた美男子――この国の第二王子エドワードは、額に脂汗を浮かべながら細身の剣を構え直した。
その視線は、私の顔から無意識に晒の上へと滑り、締め付けられた胸の形を追っている。
周囲には、王子の機嫌取りに余念がない上級貴族の取り巻きたちが四人、腰の剣に手をかけて私を取り囲んでいる。
「卒業まであと一週間だぞ? 私の側室……いや、愛人として宮廷に入ると誓うなら、シルフィード子爵家の領地にも便宜を図ってやると言っているのだ。女の身で軍部に入ったところで、泥にまみれるだけではないか」
「くだらんな」
短く吐き捨て、翠の瞳で冷ややかに彼らを見据えた。
「私が目指すのは、父上と同じ万夫不当の将軍の座だ。宮廷の奥で男の機嫌を取り、着飾って侍るなど虫唾が走る。……それに、殿下」
薙刀の柄首を軽く床に打ち鳴らし、静かに告げた。
「『私に武の腕前で勝てたら考えてもいい』――入学以来、幾度となくそう申し上げたはずですが」
「おのれ、増長するなよ……! たかが子爵の娘が! 者ども、力ずくで組み伏せろ! 怪我をさせても構わん、手足をへし折ってでも私の前に跪かせろ!」
エドワードの号令とともに、取り巻きの貴族令息たちが一斉に踏み込んできた。
愚かなことだ。
陣形も呼吸の連動もない。ただ数に任せて突進するだけの烏合の衆。
「――甘い」
息を深く吸い込み、丹田に力を込める。
晒で締め上げた胸が、大きく膨らんだ胸郭に圧迫されて熱を帯びる。
戦場で全軍を統率するために鍛え上げた発声――鋭く澄んだ気合の一声が、演習場の空気を裂いて響き渡った。
「はっ!」
流麗さを意識した足捌きで間合いを外すと同時に、骨盤を鋭く回旋させ、薙刀の長柄に遠心力を乗せる。
初撃で左から迫った男の剣戟を薙刀の腹で受け流し、石突きを翻して鳩尾へと叩き込む。
崩れ落ちる一人目を踏み台にするようにして前へとステップを刻み、右から斬りかかってきた二人の腕を刃筋の峰で強打して得物を弾き飛ばす。
隙を見逃さず、鍛え抜いた右脚をしなやかに振り抜き、強烈な回し蹴りを側頭部に叩き込んだ。
ドカッ、と鈍い音が響き、屈強なはずの男二人が訓練場の床を転がり、白目を剥いて沈黙した。
背後から組み付こうとした最後の一人にも、振り返りもせず後ろ蹴りを正確に膝頭へ撃ち込む。
ゴキリと嫌な音がして男が絶叫と共に膝を折った。
一分も経たぬうちに、立っているのは私とエドワード王子の二人だけとなった。
呼吸を整えながら、晒の内側で熱を持った胸が、じんわりと疼いているのを感じる。
汗が布地に染み込み、肌に張り付いて息苦しい。
普段ならこの感覚を「邪魔」と切り捨ててすぐに動き出せるが、今日は妙に意識が向いてしまう。
(……くだらん。こんなものに気を取られてどうする)
心の中で自分を叱り、薙刀の柄を強く握り直した。
「ひ、ひぃっ……!」
エドワードは腰が引け、持っていた剣を取り落とした。
情けなく後ずさり、尻餅をついて床を這い回る。
その目は、私の汗で張り付いた黒髪と、晒の上からでも揺れていた胸の残像を、なおも追っていた。
「貴様ら……軟弱な貴族のボンボンどもが、この三年間、一度でも私の相手になったことがあったか? 無駄口を叩く暇があるなら、素振りの一万本でもこなすことだな」
静かに歩み寄り、冷たい刃先を王子の鼻先に突きつけた。
「下半身の衝動に脳を支配されるなど浅ましい獣同然。私に触れたくば、神託を受けて万の兵を率いておいでなさい」
「く、狂っていやがる……! 女の分際で、軍神の真似事など……!」
エドワードは悔し涙を滲ませ、捨て台詞を吐きながら這うようにして演習場から逃げ去っていった。
入れ替わるようにして、演習場の扉が乱暴に開かれた。
「――見ていられませんわね、本当に見苦しいこと!」
けたたましい衣擦れの音と共に現れたのは、豪奢な縦ロールの金髪を揺らした少女――公爵令嬢エレオノーラ。
第二王子の婚約者であり、この学院の女子生徒たちに君臨する一大派閥の長だ。
その後ろには、扇子を手にした取り巻きの令嬢たちが数人、勝ち誇ったような、それでいて苛立ちを隠せない顔つきで従っている。
エレオノーラは扇子をピシャリと畳み、床に転がっている気絶した男子生徒たちを一瞥すると、蔑みの色を露わにして私を睨みつけた。
「殿下の情けを袖にするばかりか、あのような無礼を働くとは……! たかが子爵家の分際で、殿下を手玉に取って驕り高ぶるのもいい加減になさい! 武芸だの将軍だのと野蛮な真似をして、男の気を引く浅ましい小細工ばかり。殿下を誑かす泥棒猫の分際で、身の程を弁えなさいな!」
「そうですわ、エレオノーラ様の仰る通りですわ! 殿下の寛大なお心に甘えて、なんて図々しいのかしら!」
「殿下の高貴なお手を煩わせるなど、万死に値しますわよ!」
取り巻きの令嬢たちもここぞとばかりに甲高い声を張り上げ、浴びせられる限りの侮蔑を投げつけてくる。
私は手にした薙刀をすんなりと下ろし、腰布で刃先を丁寧に拭った。
顔色一つ変えず、感情の揺らぎすら見せず、ただ涼しい顔のまま彼女たちをじっと見つめ返す。
暴言も、嘲笑も、私にとっては風が運んできた塵芥と何ら変わりない。
反応する価値すら見出せなかった。
完全に無視された形となったエレオノーラは、ピキリと眉を吊り上げた。
「な……なんなの、その澄ました態度は!? 私の言葉が聞こえていなくて!? 貴女のような野卑な女が、いつまでも殿下の視界にチョロチョロと入り込むこと自体が不快なのですわ!」
いくら罵倒を重ねようとも、私が眉ひとつ動かさず、ただ冷徹な翠の瞳で見下ろすだけであることに、エレオノーラとその取り巻きたちは次第に顔を真っ赤に染めていく。
自慢の毒舌が暖簾に腕押しどころか、完全に歯牙にもかけられていない屈辱。
「……くっ、何よ! なんなのよその目は……っ! いつまでもそうやって高潔気取っていられると思わないことね!」
苛立ちに耐えかねたエレオノーラはヒールを踏み鳴らし、取り巻きたちを引き連れて悔しげに踵を返していった。
騒がしい嵐が去り、私は薙刀を肩に担ぎ直して、颯爽と演習場の出口へと歩を進めた。
通路に出たところで、柱の陰から小走りに駆け寄ってくる人影があった。
「あ、アリア様ぁ〜! 見ておりましたわっ!」
ふんわりと結い上げた栗色の髪を揺らし、両手を胸の前で合わせながら駆け寄ってきたのは、反公爵派として知られる子爵令嬢のクラリスだった。
彼女は上目遣いで甘えたような声を出しながら、大袈裟に手を叩いて擦り寄ってくる。
「本当にお見事でしたわ! あんなに格好良くエドワード様をいなされるなんて、さすがアリア様ですぅ! それにしても……エレオノーラ様もみっともないったらありませんわよねぇ? エドワード様を振り向かせられないご自分の不甲斐なさを棚に上げて、アリア様を責め立てるだなんて。本当にどうかしてますわ!」
媚を含んだ甘ったるい声音で公爵令嬢をこき下ろす彼女の物言いに、私は小さく苦笑いを零した。
政治的な思惑や派閥争いなど、私にとっては心底どうでもいいことだ。
「……宥めよ、クラリス。これもあと一週間の辛抱なのだからな。卒業してしまえば、このような下らぬ諍いに付き合わされることもなくなる」
成人の儀を終え、軍部に任官されれば、宮廷の権力争いなど遠い世界の出来事になるはずだ。
すると、クラリスの後ろからついてきていた数人の男爵令嬢たちも、頬を紅潮させて一斉に声を弾ませた。
「そうですわ、アリア様! あのような傲慢な方々の言動など、気になさる必要はございません!」
「私たちは知っております! アリア様が誰よりも血の滲むような修練を重ねてこられたことを!」
「軍に入られても、私たちは陰ながらずっと、ずぅっと応援しておりますわ!」
少女たちの熱烈な崇拝の眼差しに囲まれ、私はわずかに視線を泳がせた。
男たちからの浅ましい色欲の目は虫唾が走るほど不快だが、こうして同性の後輩たちから純粋な敬意を向けられるのは、決して悪い気はしない。
「……あ、ああ。励まし、感謝する」
無骨に応えながらも、口元がわずかに綻ぶのを自覚する。
卒業式の日に執り行われる、成人の儀。
十八歳を迎えた者は誰もが、教会にて神から相応しい「職業」を授かる。
これまでどう生きてきたか、魂をどう磨いてきたかが判定される絶対の神託。
幼少期から血反吐を吐く思いで薙刀を振り、声を枯らして号令を訓練し、男兵士を容赦なく蹴り倒してインナーマッスルを鍛え上げてきたのだ。
すべては、国を守る将軍となるため。
(私は必ず、戦さの神の加護を得てみせる。父上のように、誰にも侮られぬ万夫不当の将軍になってみせるのだ……!)
窓の外、王都の青空を見上げながら、己の胸にそう固く誓った。
晒の内側で、まだ微かに熱を残した胸が、小さく疼くのを感じながら。
一週間後、愛欲の女神の神託によって、我が身に想像を絶する悪夢が待ち受けているとも知らずに。
〜 続く 〜