将軍を目指した薙刀令嬢、愛欲の女神の寵愛を得て「娼婦」となる 〜神罰寸前で無恩寵の男に抱かれたら、無限の経験値で最強の武神になりました〜 作:夜叉五郎
ダンジョンの地下十三区画、未探索エリアへと続く湿った隘路。
カビと濡れた土の臭気が充満する岩陰の裂け目に身を潜めながら、俺は息を殺していた。
視線の先では、悲劇という名の残酷劇が幕を開けようとしていた。
整った身なりで、絵に描いたような清潔感を漂わせる若い剣士――アストリア率いるパーティだ。
彼らは足元に仕掛けられた精巧な転移トラップを踏み抜いたらしかった。
壁面から吹き出した紫色の麻痺毒の煙に巻かれ、陣形を乱したところへ、狂乱したトロールとトゲネズミの群れが雪崩れ込んでいる。
「くそっ、誰がこんな罠を……!?」
「アストリア様、前方の壁が塞がれて退路が――!」
悲鳴と怒号。
だが、俺の視界の端には、もっと悍ましいものが映っていた。
通路の頭上、一段高くなった岩棚の上から、巨大な両刃斧を担いだ筋骨隆々の大男――ボマーが、手下の荒くれどもを引き連れて薄汚いニヤケ面を浮かべて見下ろしていたのだ。
罠を仕掛けた張本人が誰なのか、考えるまでもなかった。
魔物を誘導し、逃げ道を塞いだのはあの男たちだ。
(……救いようがねぇな)
俺は薄汚れたフード付きローブを深く引き下げ、指先一つ動かさずに気配を消した。
駆け寄って助け舟を出す?
そんな殊勝な倫理観は、この理不尽な異世界に来てからの数週間でとうに擦り切れている。
村で石を投げられ、神殿で異端と気味悪がられ、ギルドでも孤立無援。
ここは正義の味方が報われる現代日本ではないのだ。
関われば、今度は俺がボマー一味の標的になる。
我関せず。
俺は冷え切った思考のまま、魔物の牙に引き裂かれ、血飛沫を散らして事切れていく若者たちの断末魔を背にして、静かにその場を後にした。
――それから、数日が過ぎた。
アストリアたちがダンジョンで全滅死体となって発見されたという噂は、ギルドをあっという間に駆け巡った。
誰もがボマーの仕業だと察しながら、報復を恐れて口を噤んでいた。
そんな生臭い人間模様などどこ吹く風で、俺は一人、ダンジョン中層の岩窟エリアで地道なレベリングと魔石拾いに精を出していた。
不壊のサバイバルナイフで魔物の急所を捌き、消費した熊避けスプレーは翌朝になれば満タンに復活する。
無恩寵のおかげで手に入れたステータス全振りの膂力は、日を追うごとに俺の肉体を怪物じみた領域へと押し上げていた。
そんな時だった。
『――はッ!』
澄み渡る、鋭利な気合の一声が岩肌を反響して耳朶を叩いた。
重苦しいダンジョンの空気を一刀両断するような、凛とした響き。
思わず足を止め、崩れた石壁の隙間から階下の広間を覗き込んだ俺は、息を呑んだ。
そこにいたのは、たった一人の女性だった。
艶やかな黒髪を一本の束にして背に流し、白磁のように透き通る白い肌。
そして何より目を引いたのは、その出で立ちだった。
纏っているのは、とても戦闘用とは思えない、肌の露出が多すぎる薄絹の衣――神聖娼婦の装束。
深いスリットからしなやかな太ももが惜しげもなく覗き、動くたびに豊満な双眸が零れ落ちそうに波打っている。
だが、その淫靡な装いとは裏腹に、彼女が繰り出す武芸は息を呑むほど苛烈で、美しかった。
両手に構えた白木の長柄――薙刀が、銀の軌跡を描いて宙を舞う。
襲いかかる四匹のサーベルウルフに対し、彼女は舞踏のごとき流麗なステップで間合いを外すと、骨盤の回転を余すところなく長柄に乗せて一閃させた。
硬い獣の頭蓋が骨ごと断ち割られ、血飛沫が上がる。
間髪を入れず、振り返りざまの鋭い蹴りが二匹目の顎を砕き、返す石突きが三匹目の喉笛を正確に刺し貫いた。
恩寵の武技こそ無いが、無駄のない重心移動、鍛え抜かれた体幹、そして一切の迷いがない翠の瞳。
「……すげぇ佳い女だな」
呆然と、思わずそんな呟きが口から漏れていた。
整った顔立ちや煽情的な肢体への純粋な男としての見惚れと、孤高の武人に対する畏敬の念がごちゃ混ぜになった、飾り気のない視線。
取り巻きに群がられることもなく、たった一人で血反吐を呑むように薙刀を振るうその横顔に、俺はしばらくの間、目を奪われていた。
まさか、その無意識の眼差しが、彼女の内に眠る『呪い』をどうしようもなく刺激しているなどとは、夢にも思わずに。
それから冒険者ギルドへ戻った俺は、あの女が一体何者なのかを知ることになった。
酒場の片隅の席でエールをあおりながら、意識して周囲の雑音に聞き耳を立ててみる。
すると、頼みもしないのに彼女にまつわる情報が、否応なく耳朶を打ってきた。
女の名前は、アリア。
れっきとした子爵家の令嬢でありながら、愛欲の女神から娼婦クラスを授かり、実家から放逐同然にここへ流れ着いたのだという。
あの息を呑むような絶世の美貌と、それに見合わぬ剥き出しの薄絹の衣装。
そして何より、客を取ることを頑なに拒み、神の課した役務に武力一つで抗おうとするその滑稽さが、荒くれ冒険者たちにとって最高の酒の肴になっていた。
「おいおい、あのお高くとまった子爵令嬢、いつまで神罰に耐えられると思うよ?」
「今週のノルマ切れまであと何日だ? 銀貨十枚、保たねえ方に賭けるぜ!」
「へへっ、俺もあんな上玉、一度でいいから抱いてみてーよ」
「馬鹿言え、無理無理。ボマーの野郎が唾をつけてんだぞ。手を出したらアストリアたちの二の舞で、ダンジョンの底で消されるのがオチだ」
下卑た笑い声とともに交わされる群衆の声を聞き流しながら、俺はひとり、胸の内で小さく溜息をついた。
ボマーの凶刃や神罰の恐怖に晒されながらも、たった一人で薙刀を振るい続ける孤高の女。
あの日、ダンジョンで目にした彼女の姿が、どうにも頭から離れなくなっていた。
(……あんな美人がいるのか、娼婦ギルドってところは)
そこに行けば、正規の客としてあの女を指名できるのだろうか。
いや、子爵令嬢で神託付きの最高級娼婦ともなれば、法外な指名料を取られるに違いない。
俺は手元の羊皮紙の依頼票と、懐の革袋に残ったなけなしの銅貨と銀貨の重みをそっと確かめた。
(……一体、いくら貯めればいいんだ?)
指先で大雑把な金勘定を弾きながら、俺はまだ見ぬ豪奢な天蓋の部屋と、あの凛とした黒髪の肢体を思い浮かべ、無意識のうちにアリアの存在を強く意識し始めていた。
〜 続く 〜