澪の淫紋日記 作:白瀬澪
5日目
月曜日。今朝の確認で、私はしばらく鏡の前から動けなかった。
紋様が、はっきりと広がっていた。
この五日間、毎朝スケッチしてきた絵と比べる。中央の花はそのまま。でも左右の蔓は、初日の倍近くまで伸びて、腰の骨のあたりにまで届きそうだった。そして、花のすぐ隣に、小さな蕾みたいな点がひとつ、増えていた。昨日までは、なかったものだ。
育っている。それも、目に見える速さで。
昨日、先輩とあんなに長く近くにいて、何度も触れ合ったからだろうか。昼に疼いた分、この紋様は一気に育ったのかもしれない。男性と近くで触れ合うことが、この紋様の「栄養」なんだとしたら――考えたくなかったけれど、辻褄は合っていた。
指先で蔓の先をなぞると、昨日よりはっきりと温かい。疼いていない時間でも、この紋様はもう「眠っている」だけじゃないのかもしれない。そんな気がした。
朝食のトーストが、少し焦げた。考え事をしながら焼くと、こうなる。焦げを包丁で削りながら、私は自分の「いつもどおり」が少しずつ綻んでいるのを感じた。紅茶を飲んでも、頭の中では蕾の形が回っている。
大学では、疲れが顔に出ていたらしい。一限の講義のあと、凪に「寝不足?」と聞かれた。「少しね」と笑って答える。本当の理由は、言えない。眠りが浅いのは事実だったし、嘘というほどの嘘でもなかった。凪はそれ以上聞いてこなかった。私が言いたくないときの顔を、凪はよく知っている。
二限の講義では、途中、意識が遠くなりかけた。教授の声が水の中みたいに聞こえて、慌ててノートに線を引く。夜の疼きは、昼の私から少しずつ何かを削っている。それでも夜は来るし、紋様は育つ。どうすればいいのか、まだ分からない。
昼休み、食堂で凪と向かい合って座った。
「澪って、最近ずっと眠そうだよね。……なんか悩み?」
一瞬、言葉に詰まった。悩み、と言えば悩みだ。でも内容は言えない。
「最近買った本が面白すぎて、夜ふかししちゃうの」
今度は上手に嘘がつけた。凪は笑って「らしい」と言った。本好きの夜ふかし。それは私の、もうひとつの本当だった。でも今夢中になっているものは、今まで避けていた自分の中の性欲と呼ばれるものだ。こんなこと話せるわけがない。
図書館の静かな席で仮眠を取った。二十分だけ目を閉じるつもりが、目覚めたら四十分経っていた。慌てて午後の講義に向かう。夢は見なかったと思う。ただ真っ暗で、静かな眠りだった。
夕方、帰り道で裏道の入口の前を通りかかった。占い師の場所は、路地の奥で見えない。今日は入らなかった。聞きたいことは増えているのに、足が向かなかった。たぶん、答えを聞くのが怖くなっていたんだと思う。「少しずつ強くなる」の先に何があるのかを、知るのが怖い。
帰宅して、夕食を作る。昨日のノートの「分かったこと」の下に、今日の分を書き足した。一つ、紋様は日ごとに広がる。一つ、蕾が増えた。……蕾が増えたら、どうなるんだろう。花が、もうひとつ咲くんだろうか。咲いたら、私はどうなるんだろう。
お風呂で身体を洗いながら、蔓の先端に触れてみた。温かさの向こうに、微かな鼓動みたいなものを感じた気がした。気のせいだ、と思いたいけれど、もう「気のせい」で片付けるのはやめようと決めたところだった。
お風呂から上がって、五日分のスケッチを机に並べてみた。初日の小さな花と短い蔓。二日目、三日目、四日目、そして今日。並べてみると、変化は誤魔化しようがなかった。植物が育つみたいに、この紋様は私の身体で育っている。育つものには、やがて「咲く」日が来る。蕾がその証拠みたいに思えた。
ノートの「分かったこと」に、今日の分を書き足す。――この紋様は、たぶん、まだ途中だ。
21時50分。枕元の用意は、もう手慣れたものだ。今夜は過去一番強くなるはず。蔓が伸びた分だけ、きっと。
22時。
疼きは、予想より重く来た。下腹部だけじゃないみたいに、熱が身体の内側をゆっくりと這い上がる。波の間隔が短くて、息をつく暇が少ない。
でも今夜の私は、もう我慢から始めなかった。疼きが始まった、そのすぐあとには、手が動いていた。保冷剤は枕元に置いたまま、手つかず。五日目の私は、自分の身体が何を欲しがっているか、もう分かってしまっていた。
紋様そのものは、ただ熱く脈打っているだけだった。触ってどうなるものでもない。それは合図で、きっかけ。私の欲を煽って、身体を熱くして、あとは私自身に任せるみたいに、静かに疼き続ける。慰めるのは、私の指だった。
朝見つけた蕾は、夜にはもう小さな点じゃなく、はっきりと膨らんで、少しだけ開きかけていた。紋様の成長を指先で一度だけ確かめて、それから手は、私が欲しい場所へ降りていった。下着の中はもう、熱く湿って肌に貼りついている。指が秘部に触れた瞬間、「あっ……」と今日初めての刺激に声が漏れて、身体が大きく震えた。それは、今夜の刺激の始まりの合図みたいで、私を興奮させた。
指先は一番敏感な場所を執拗に撫でて、それから下へ。「ん、んっ、……ん」漏れる声を、私はもう止めなかった。入り口を擦るだけじゃ、もう足りない。今夜の私は、自分が何を欲しいのか、はっきり分かっていた。……入れてみたい。震える指先が、入り口をそっと押し開いた。一本だけ、ゆっくりと。
私はまだそういう経験なんかないから、中のことなんて何も知らない。指は浅いところで止まって、「……あ、ん……っ」内側の熱さと、きつく締めつけてくる感触に、私の声が震えた。どう動かせばいいのかも分からない。ただ、中の疼きは、指が入ったことで少しだけ形を持ったみたいだった。分からないなりに、浅く、小さく指を動かす。そのくせ指先は、感触をひとつずつ確かめようとしていた。どこを撫でれば締めつけが強くなるか、どの深さで痺れが走るか。自分の体の正解を、昨夜に続いてまたひとつ、まさぐり探していくみたいに。奥の欲のありかは、まだ知らない。それでも、入り口の内側を指先が撫でるたびに甘い痺れが腰を抜かしそうになって、「ん、あ、あ……っ」と、私はもう声を殺しきれなかった。
もう片方の手は、いつの間にか胸にあった。パジャマの上から触れただけでも分かるくらい、胸の先が固く尖って、熱を持っていた。紋様の熱が、胸にまで届いているみたいだった。指先で乳首を転がし、少し強く摘まむと、下腹部と胸の両方から甘い痺れが走って、「あ、……んっ」と声が上がり、背筋が弓なりにしなった。こんなに敏感な胸は、私のものじゃないみたいだった。でも紛れもなく私の身体で、私の手が、私を慰めていた。
一番欲しい場所を、一番欲しい強さで。下では一本の指が浅いところで小さく波を作り、胸では指先が小さな頂きを転がす。両方の快さが身体の中で合流して、私は枕に顔を埋めて、「ん、んんっ……あ、あっ」と声を堪えきれずに漏らした。誰にも見せたことのない私が、暗闇の中で静かにほどけていく。頂きは昨日より深くて、内側が何度も強く締めつけたあと、長い余韻が残った。
情けない、と思わなかったとは言わない。でも、泣きたいほどの恐怖も、昨日までほどじゃなかった。代わりにあったのは、妙な諦めと、それから――はっきりと、欲しがる気持ちだった。この熱の先に何があるのか、知りたい。もっと感じたい。私の抗いは、日に日に弱くなっている。それが一番、正直な今日の記録だと思う。
23時。第一波が引いたと思ったのに、また熱が戻ってきた。今夜は二度、山があるらしい。身体は汗ばんで、パジャマが肌に貼りつく。私は今度も迷わず、手を伸ばした。……むしろ、戻ってくる熱を、どこかで待っていた自分がいた。暗闇の中で浅く息を繰り返しながら、二度目の波に自分から身を任せた。「ん、……あ、んっ」二度目は、声も自分から出した。堪えるより、そのほうが波が深くなるのを、身体がもう知っていたから。紋様の熱は、まるで私の中で何かが目覚める準備をしているみたいに、規則正しく脈打っていた。
23時40分。疼きがようやく引いた。今までで一番長い夜。「はぁ、はぁ」と、息も絶え絶えになりながら身体を起こして、汗で湿った髪をタオルで拭いながら、ノートを開く。今日の紋様のスケッチを描いた。蔓は長く、蕾はひとつ。その下に、今夜のことも書いた。指を入れたこと。浅いところでどう感じたか。胸に触れたときの身体の答え。書いている手は、恥ずかしいはずの言葉の前で、一度も止まらなかった。まるで、もう一度思い出して、味わうみたいに。……そこまで考えて、少し怖くなって、ペンを置いた。
五日経った。私はまだ、私の日常を生きている。講義を受けて、本を読んで、ごはんを作って、それでも毎晩、この紋様と向き合っている。
明日、もう一度裏道に行こう。今度は「この先」を聞くために。怖くても、知らないままでいる方が、もっと怖くなってきた。
おやすみなさい、私。