氷河期肉便器マンション ── 山本沙耶香の狂気調教と堕ちた女たち 作:black menthol
「さて、皆さん。お腹が少し落ち着いたところで、本日のメインイベントとなる重要なお知らせがございます」
沙耶香の声が再び通った。彼女は空になったグラスをアンドロイドに預けると、ハイヒールを響かせてプール中央の特設ステージへと歩み寄った。
「本マンションでは、本日より居住権と極上のリソースを賭けた『性処理ランキング大会』を開催いたします! このイベントに優勝賞品の内容を説明します。高級和牛500g、海鮮セット300g、高級米3合、新鮮な野菜と果物各種、サプリメント、各種調味料、調理用カセットボンベ、生活日用品、暖房機器及びその燃料、高級化粧品一式、ご主人様のお部屋での毎日の入浴権利)を毎日配給をご家族含めて提供します! 参加した女性達全員に参加賞及び優勝賞品に準じた内容をランキングに応じてご家族含めて配給します! どうぞ! 奮ってご参加ください!」
——静寂。
あまりに理不尽で狂気じみた宣言に、空間全体の思考が凍りついた。
そして数秒遅れて、怒号と困惑、悲鳴がプール全体を吹き荒れた。
「はぁ!? 何言ってるんだこの女!?」
「性処理!? ランキングだと!?」
「狂ってる! 正気じゃない!」
「ふざけるな! 俺たちの妻や娘を何だと思ってるんだ!」
住民たちの怒りが沸点に達しようとしたその時、群衆を押し分けて一人の女性が力強い足取りで前に躍り出た。
28歳の元人権派弁護士、秋山美玲だ。沙耶香とはこれまで一切の接点もなく、互いの顔すら知らない初対面の関係である。しかし、彼女の眼光は鋭く、痩せこけた体躯に古びたスーツを引っかけていながらも、圧倒的な知性と正義感のオーラを放っていた。
「そこまでです!!」
美玲の声は凛として響き渡り、騒然としていた住民たちを一瞬で静まり返らせた。美玲は毅然とした態度で沙耶香を指差し、旧時代の裁判所を思わせる気迫で糾弾を開始した。
「私は元弁護士の秋山美玲です。あなたのその言動は倫理的・道徳的に常軌を逸しているだけでなく、明確な重大犯罪です! 日本国憲法第13条が保障する幸福追求権、個人の尊厳を踏みにじるものであり、刑法上の強要罪、さらには公序良俗に反する著しい人権侵害行為に該当します!」
初対面の女性から突きつけられた理路整然とした怒号に、住民たちから「そうだ!」「弁護士さんの言う通りだ!」と賛同の声が上がる。
しかし、沙耶香は驚く様子も見せず、クスクスと可憐に花が咲くように笑い出した。
「あら……秋山美玲さん。元弁護士様ですか。どうりで耳に心地よい、立派な法律論をお持ちだと思いましたわ」
「笑い事ではありません!」美玲は一層声を荒らげた。「初対面のあなたに言わせていただきますが、氷河期であろうと私たちは人間です! 暴力と物資の独占を背景に、女性たちに性的奉仕を強制し、それをランキング化して見世物にするなど、人類の尊厳に対する暴挙! 恥を知りなさい!」
美玲の突きつける正論は鋭く、かつて人間が人間らしく生きていた時代の「正しさ」そのものだった。
勇人はその背中を、悲哀の交じった眼差しで見つめていた。
(……そうだ、秋山さん。お前の言っていることが全面的に正しい。それが、人間が積み上げてきた文明の正解だ)
勇人は心の中で美玲を深く支持していた。見知らぬ者同士であっても、理不尽に対して立ち上がり、絶望の淵にあっても正義を手放さない彼女の強さは、この退廃した世界において眩しいほどに尊い。できることなら、彼女の主張が勝ち、この不条理なゲームなど灰燼に帰してしまえばいいとすら思っていた。
——だが、勝てるはずがないのだ。勇人はそれを痛いほど理解していた。
(正論だ。だが……今のこの世界において、その正論には何の質量もない。虚しいだけの理想論だ)
沙耶香はゆっくりと真紅のファーコートの裾を翻し、初対面である美玲との距離を詰めた。ハイヒールの乾いた音が、裁判所の槌音のように静まり返ったプールに響く。
「秋山弁護士様。とても感銘深いスピーチでしたわ。……で?」
「なっ……!?」
「『日本国憲法』とおっしゃいましたか? ふふ、可笑しい。窓の外をご覧なさいな」
沙耶香は美玲の鼻先を指差し、嘲笑を浮かべた。
「マイナス25度の極寒、降り注ぐ灰色の硝子塵、停止した行政、途絶えた警察機能、崩壊した裁判所。ねえ、秋山さん? あなたが大切に胸に抱えているその法律は、今この瞬間にあなた方の凍えた指先を1度でも温めてくれましたか? その憲法第13条を破って食べたら、胃袋が膨らみますの?」
「それは……! 法律とは条文そのものではなく、人間が人間らしく生きるための規範です! 秩序を捨てれば、私たちはただの野獣に成り下がる!」
「いいえ、間違っているわ」
沙耶香の威圧感が跳ね上がった。声のトーンが一段低くなり、絶対的な支配者の冷酷さが露わになる。
「秩序を捨てたのは私やあなたではなく、この地球の方よ。旧時代の法律というものはね、国家という巨大なインフラと暴力装置(警察・軍隊)が機能していて初めて成り立つ『おままごとのルール』に過ぎないの。そして今、このマンションで唯一の生産手段であり、絶対的なインフラであり、警察であり、医療であり、国家そのものであるのは……そこに立っていらっしゃる、我がご主人様・高宮勇人ただ一人なのよ!」
沙耶香が勇人を静かに指し示した。
一斉に数百人の住民の冷ややかな、あるいは縋るような視線が勇人に注がれる。
勇人は表情を変えず、ただ重い沈黙でそれを受け止めた。
自分がこの閉じられた世界における「神」であり「国家」であることを突きつけられるたび、吐き気にも似た嫌悪感が胸を突く。だが、それを否定することは、住民たちに「お前たちを救う責務などない」と突き放すことと同義だった。
「言うことを聞く者には肉を与え、温かい湯船を提供することができる。これがこの世界の『真の法』よ。力を持つ者が法であり、権利を与える側がルールを決める。秋山さん、初対面の私に法を説く前に、ご自分の置かれた現状をご理解なさったら?」
「屁理屈を……! それはただの独裁、強権的な奴隷支配です! 倫理を放棄して性処理を強制するなど、生きているとは言えない!」
「あら、強制なんて一言も言っていませんわ?」
沙耶香は首をかしげ、冷ややかな微笑をたたえた。
「全員に無味ペースト1800キロカロリーは無償で配給しています。飢え死にはさせない。生存権は保証して差し上げているの。……でもね、人間だもの。『ただ息をしているだけ』じゃ満足できないでしょう? 温かい炊きたてのご飯が食べたい、ジューシーなステーキが食べたい、温かいお風呂に入って綺麗な服を着たい、我が子に美味しいチョコレートを思い切り食べさせてあげたい……そう望むのは当然の欲望よ」
沙耶香の視線が、美玲の後ろに控える女性住民たち、特に子供を抱えた母親たちへと向けられた。
「権利というものはね、与えられるのが当たり前ではないの。何かを得たければ、相応の対価とリスクを支払う。それが市場原理でしょう? 昔の世界だってそう。あなた方は自分の時間と労働力と精神を会社に切り売りして、その対価としてお金を得ていたはずよ。今、その買い取り対象が『労働』から『性的奉仕と順位争い』に変わっただけ。一体何が違うというの?」
「全然違うわ!!」美玲は怒りに震え、拳を握りしめた。「性的な尊厳を売ることは、人間の精神を内側から破壊する行為です! 食べ物のために自らを肉便器へと堕とすなど、尊厳の抹殺に他ならない!」
「尊厳、尊厳、尊厳……! うるさいわね、旧時代の亡霊が!」
沙耶香が一転して激越な声で言い放った。その眼光の凄まじさに、美玲が一歩後退る。
「尊厳で腹が膨れるの!? 尊厳で子供の低体温症が治るの!? あなたのそのくだらない『弁護士としての自尊心』のために、目の前で我が子が凍えて『お肉が食べたい』と泣いている母親に『尊厳を守るためにペーストだけで我慢しなさい』と強制する気!? それこそが最大級のエゴであり、悪魔の所業じゃないの!!」
「くっ……!」
美玲の言葉が詰まった。
後ろにいる母親たちの視線が、美玲に対して冷ややかな、あるいは責め立てるような色を帯び始めたからだ。
(……終わりだ)
勇人は心の中で静かに息を吐いた。
美玲の言説は「尊厳」を説いているが、今この場にいる者たちが喉から手が出るほど欲しているのは「明日を生き延びるための肉と暖かさ」だ。いくら高尚な正義を叫ぼうと、飢えた子供の泣き声一つでその言葉は無残に砕け散る。
美玲の正しさの限界と、沙耶香の提示する生々しい現実主義。その前に、理性が敗北していく様を、勇人はただ見届けるしかなかった。
「秋山さん」沙耶香はトーンを落とし、優しく囁くように追撃した。
「あなたはご立派だわ。法律家としての誇りを死んでも捨てたくないのでしょうね。結構ですわ、あなたは一生、そのプライドを抱きしめながら無味ペーストを舐めていらっしゃい。ですが、他の女性たちの選択肢まで奪わないでくださる? 『我が子のためにプライドなんて喜んでドブに捨てる』という本物の覚悟を持った母親たちの邪魔を、あなたの安い正義感でしないでちょうだい」
「……っ……!」
美玲は唇を血が滲むほど強く噛みしめた。反論の言葉を探そうと口を開くが、声が出ない。
彼女が守ろうとした「人権」も「尊厳」も、生存という絶対的な脅威の前ではあまりに無力だった。初対面の少女に己の正義を完璧に打ち砕かれ、現実の飢えによって踏みにじられていく屈辱と恐怖に、美玲はただ打ち震えていた。
「勝負あり、ね」
沙耶香はフッと鼻で笑うと、美玲に背を向け、再びプール全体に向き直った。
「参加は完全に『自由意思』です。強制は一切いたしません。ですが……イベント参加者に輝いた方には、ご主人様からの豪華な食事、さらにはご主人様のペントハウスでの温かいジャグジー入浴権を差し上げます。覚悟のある女性は、本日18時にロビーへお集まりください」
沙耶香はそう宣言すると、満足そうに勇人の元へと戻ってきた。
そして勇人の腕にそっと手を添え、囁いた。
「どうでしたか、ご主人様? 私の演説。余計な反論の余地など、どこにもなかったでしょう?」
勇人は美玲のうなだれた背中から目を逸らさず、深く暗い吐息を一つ漏らした。
「……ああ。お前の言う通りだ。誰も反論できない……ぐうの音も出ないほどにな」
その声には何の覇気もなく、冷めた諦念だけが宿っていた。
沙耶香の完璧な勝利。だがそれは、人間性が敗北し、このマンションが不可逆の堕落へと一歩を踏み出した瞬間でもあった。
「ふふ、これからですわ。プライドを捨てた女たちが、我が子のために、そして己の欲のために、どんな狂った執着で見苦しく争うか……最高の見せ物になりますわね♡」
沙耶香の首元で、純金のピアスがシャンと小さく冷たい音を立てた。
窓の外では、容赦のない灰色の吹雪が吹き荒れ、マンション内の倫理と秩序を完全に覆い隠そうとしていた。
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