Fate/another Servant Treasoner(サーヴァント トリーズナー) 作:どっこちゃん
トリーズナー プロローグ
「――『
声が響き、その手に光る鈍色の指輪が、とろりとした光を滑らせた。
途端、彼に向けて津波のように押し寄せてきた黒い軍勢が、その足もとから生動するかのように盛り上がった大地にさえぎられてしまった。
大地はさらに堆く持ち上がり、瞬く間にただの土塊から、見事な居城へと変貌を遂げた。
その頂点の玉座に腰を下ろした彼――声の主たる魔人は、次いで小鳥でさえも聞きほれ、己が囀りの声を忘却するような魔の呪言を、さらに綴る。
「――『
虚空には漆黒の刀身に血文字のような目の文様が躍る剣が一本出現した。それが土塊の城壁に飲み込まれ深く――深く、その深奥まで飲み込まれていく。
そして再び沸き起こった大地から、今度は三層の城壁が成型され、さらにその表層からは鮫の歯のように、あるいはサボテンのとげのように、無数の刃が突き出し、鋭利に着飾った。
押し寄せる軍勢の一角は、その剣や槍の如き刃によって切り裂かれ、或いは串刺しにされ、撥ね返されてしまった。
殺到した死黒の津波は行き場をなくし、勢いを失って巨石に打ち寄せる波のごとく、逆に打ち砕かれて無残に散らばることとなった。そのころには、ただの土塊であったはずの城の表層はすべて強靭な金属の装甲で覆われるに至っていた。
声の主たるこの魔術師、いやこの魔人の「王」は、それまでは確かに掘っ立て小屋ひとつないはずであった広大な草原に、瞬く間に巨大な要塞を出現させたのであった。
「――小ざかしい!」
遠方でそれを見上げていた益荒男が、雷鳴のごとく地を揺るがして気を吐いた。
異常なほどの覇気を纏う偉丈夫であった。黒々とした髪を撫でつけ、人間とは思われぬ威厳を湛えた四角い顎、そして切っ先のごとく細められた視線は地平の彼方をもその威でもって貫く。
一転高貴な純白の装束に包まれた身体は、決して巨躯ではないが、その五体から沸き起こる異様な存在感は、その体躯を何十倍にも錯覚させるほどでさえあった。
「気に食わん! 気に食わんぞ!!」
その「威」が、その「覇」が、爆ぜるかの如く轟き、憤怒のはけ口として夜の草原を焼き焦がす。
……とはいえこの偉丈夫、一見嵐のごとく憤激しているようにみえて、しかしどこか愉悦に眉を顰めているようにも見える。
奇妙な貌であった。まるですべての感情がことごとく厳めしい憤怒へと昇華され、なおかつ哭・喜・笑・哀・楽・嘆等の感情としても、同時に成立しているかのような、常人とは一線を画す気配が、この騎兵のサーヴァント、ライダーのその岩のような面貌には張り付いていた。
「ヤツめ、この大ハーン秘中の影の軍勢に対し、臆しもせず「築城」で対抗してきおったわ! 気に食わぬ。大いに気に食わぬわ!」
いきなり出現した要塞を前に、城攻めなど想定していなかった何尋もの兵たちは成す術なく右往左往するばかりであった。このまま正面から責め立てても悪戯に消耗するばかりなのは目に見えていた。
「大ハーンよ、いかがいたします。斯様な城を攻める用意は兵たちにはございません」
蒼き陰を帯びる影馬に騎乗し、無数の兵を指揮するのはこの騎乗兵のサーヴァント、ライダーだけではなかった。彼に付き従うのは、同じ影馬に騎乗する彼の「マスター」たる少年である。
「うろたえるでないわ! 一時、半数の兵を影に戻し、しかるべき兵装を整え、四方から包囲せよ! うぬらも一時さがるがよい。敵方は容易なる相手に在らず!」
雷鳴のような王命に、しかしその後方から応答の声が上がる。
「――否!」
「――否!」
「――否! 我らが偉大なる
それはライダーのマスターたる少年と同様に影の騎上にて居並ぶ少年少女たちであった。年齢も顔つきもバラバラであった。中には人種の異なる者までいる。
沸き起こるその声に、王たる英霊は無言のまま振り返る。
「兵を戻される必要などありませぬ!」
「我らの命など、使い捨てられても結構!」
「いかなる壁も塁壁も、真正面から破ってこその、我らの祖、我らの王!」
そう、彼らはそのすべてがこのサーヴァント、ライダーのマスターなのである。魔術師である者も、そうでない者も、そして適正の無い者までいる。しかし彼らは等しくライダーのマスターであり、間違いなくその「資格」を有する者たちであった。
「お聞きになられませ、これぞ我らが総意にございます。苛烈に攻められよ、天より賜われし光明の王よ。士族を魅せ、草原を走破する蒼き狼よ。王として在られよ。我らの大ハーンに相応しき王道のままに!」
リーダー格であった少年が、沸き起こる声を総括した。その見るからに聡明な相貌を輝かせ、言祝ぐかのようにライダーへ、自らの偉大なる「祖」への喝采を謳う。
するとライダーは巌のような厳しい表情もそのままに、獅子が咆えるかのごとく呵呵大笑した。
「……良くぞ言った、それでこそ我が
そして地を揺るがし、己が永遠の領土たる草原へ降り立ったライダーは拳を天に向け突き上げた。途端にその拳から膨大な光が沸き起こり、周囲の何もない荒野を照らし出す。
「その方らの命、確かに預かった。共に行こうぞ、わが覇道を!」
異変はまず地表に
それは影であった。その影はなんら変哲もない影でしかなく、しかしライダーの発する不可思議な光源によって一直線に、それこそ際限なく地平にまで伸びた。
むしろそれは確かに影でありながら、影などではなく、淡い月の光にさらされた世界を一文字に切り裂いた陰影の裂け目だったのかもしれない。
その裂け目からは、まるで水が溢れ出すかのように、何か仄暗く、しかし呆虚とした輪郭をおぼろげに揺らす人型が、滑る水音を幻聴させるかのように、ぞろぞろと這い出してくる。
いつの間にか、一条の線でしかなかった影は、大地を埋め尽くすほどに広がり、もはやそれは陰影などではなく、確固とした質量を偽装した何かであった。
それは死霊であった。無数の死霊の群れであった。人型と見えて、しかしそれらは広域に押し寄せ累積した雫のようなものでもあった。
悠然と波打つそれは、まるで海洋でもあった。――否、地平線にまで広がるそれは海原よりも、蒼天から吹き降ろす風にさざめく、広大な草原の様を思わせた。
しかし大地を埋めつくさんかとばかりに思われた黒の草原はしかし、ライダーの前に出ることがなかった。跪き、地に伏しながら主の命を待つ。如何に無貌であっても、いかに無数であっても、いかに無尽であっても、彼らは決して違えたりはしないのだ。
己が終始、この男の「影」に過ぎないのだということが。
この偉大なる光明の王の背景に、それらは当然のごとく存在すべきものであった。彼らは影であった。その男の人類史上類を見ない偉業に飲み込まれ、その一部となった。その功績の一部と成った、この王の成した覇道の礎と成った死霊であった。
王は光であった。至高の光は、この地上世界において、存在するだけで尽きることのない影を生み出す。摂理である。王があればそこから影が伸び、王が行けばその後には臣下の数だけ、敵の数だけ、そして死者の数だけ、影が連なる。
そうして築き上げた道ならぬ道、死霊の道、影の一本道であった。部下や味方だけではない。打ち倒した敵も、あるいは寝返り、あるいは裏切った盟友たちも、ただ関係のない、王の覇道の余波にて道端に転がっていただけの躯も、その全てを飲み込んで、この光の王の後ろにはいつしか無双の道が出来上がっていた。
太陰の「道」を究めし、
それが、この無双たる王の在り方であった。
個を失った死霊はもはや人としての形態に固執することもない。やおら蒼の影を帯びたそれらは、あるものは弓となり矢となり剣となり、あるものは馬となり鞍となり馬蹄となった。そして寄り集まり押し固まって無個性な兵となり、それが連なって兵団となり、それらはさらに列を成し、いつしか荒野を蒼く染め上げるほどの軍団を形成していたのだ。
王自身も再び蒼影の猛馬を駆り、己がマスター達を配下の将として引き連れ、影の甲冑を纏って己の影たる軍団の指揮に当たる。
此度の『聖杯戦争』なる儀式は既に佳境であった。
彼がこの母なる草原に再び君臨し、既に屠った英霊は三騎。セイバー、ランサー、アサシン。そして今相対するこの敵、「キャスター」のクラスとして現界しているあの異形が、とうの昔にアーチャーを下していることは調べがついている。
残りの「バーサーカー」か、あるいは別のエクストラクラスの英霊が呼ばれている可能性もあるが、それにいたっては今の今まで影も形も見せていない。
しかし、そのような腰抜けに向ける意識など微塵もなかった。
あのキャスターこそがこの儀式、この闘争において己と唯一対等に、否、一応の抵抗を見せうる相手であることは、この歴戦の王にとって明白であった。
なぜならば、彼が揺るがしようのない「覇道の王」であるのと同様に、あの異形もまた人類史において不動の存在として記されるべき、「魔導の王」に他ならないからである。
そう、今相対する存在もまた、比類なき無双の「王」であったのだ。
おそらくはこの戦いを制した者が、このバトルロイヤルの勝者となることだろう。その認識が、その高揚が、ライダーの厳めしい面貌に更なる憤怒を刻む。
まさしく鬼面の様相を呈した覇道の王は、地平を埋め尽くすほどの蒼き死霊の群れを率い、無音の地響きを鳴らして怨敵へと迫る。
それに対し、要塞と化した土城は巨大な芋虫のごとく蠢き、無数に刃を生やし、食虫化の如き罠を使って抗おうとする。
しかしその程度の刃の群れや罠の類など、もはや意に介しさえしない。幾千万の刃も、もはや大海の波濤と化した死霊群には意味を成さない。
もはやそれは騎馬の兵団などではなく見渡す限りの海原、一面の荒れ狂う怒涛と呼ぶべきものであった。
そのまま城そのものを埋め尽くすように、己が要塞に閉じこもるキャスターを包囲した怒涛の兵団は、有のように防壁を伝い内部へと侵入を果たす。
この死霊兵群はいかなる兵種、いかなる兵器にも自在にその形状を練り上げることが出来るが、しかしそれにはそれ相応の対価が必要になる。複雑な「設定」を課せば課すほどに、消費する魔力は雪だるま式に増大していく。
甚大な兵団とその最大運用は、この覇道の王にとっても持ち得る魔力のすべてをつぎ込んだ、背水の必勝戦略と呼ぶべきものであった。
ライダーも、そして相対するキャスターもその思いは同じはずであった。ここが分水嶺なのだ。この一戦ですべては決する。今こそ資力を尽くすべき時!
命そのものともいえる魔力だけではない、その存在のすべてを託してくるマスターたちの想いをしかと感じ、背負い、それに応えるため、今この覇道の王は再び悠久の草原を駆け抜ける。
城壁を乗り越えた影の波頭からは、まるできらめく飛沫の如き光が巻き上がり、要塞の頂点に佇む涼やかな人影へと向かっていく。
飛沫と見えたのは青白い光を帯びた矢であった。それがまるで遠目には月夜に吹いた霧雨かと思えるような規模で放たれたのだ。無論のこと、逃げ場など在ろうはずもない。
「――なるほど。まぁ、そんな気はしていましたよ。比類なき、覇道の王よ」
一方、蒼き影に埋め尽くされんとする城の頂に坐したキャスターは微動だにせず、その幼げな口角に微笑を浮かべるのみであった。
この魔導の叡智を究めし「賢王」にはすでにライダーの宝具、その詳細・哲理が知れていたのである。故に焦る必要も――なかった。
確かにこの影の群れは宝具そのものであるが、それ自体が既に混沌と化した死霊の群れであるため確固とした実体を持たず、個々の強度、精度の面では英霊のそれに大きく劣る。意思らしいものもないため、単純な命令をこなすだけの虚ろな存在でしかない。
しかしそれら全てを使役し、運用するのがこの百戦錬磨の「覇道の王」であることと、また、何らかの能力によって従える複数のマスターからの膨大な魔力供給による圧倒的な物量により、この蒼影の軍団に対処することは現代の魔術師には不可能だと判ずることが出来る。
――――が、いまその
淡い月光を遮り、空を埋め尽くさんばかりに飛来した蒼き死霊兵の「矢」は、しかし次の瞬間、虚空に現れた黒い穴の如きものに吸い込まれ、あるいは空間ごと削り取られて、全く怪奇なことに、「消失」してしまった。
「――『
その六本の指に煌めく指輪一つから飛びだした漆黒の車輪が、黒く揺らめく炎のような瘴気を纏い、旋転しながら矢を迎撃したのだ。車輪は矢に接触するや否や、大きく膨れ上がり、周囲の空間そのものを、真球を描くように削り取り、まるで元からなかったかのように「消して」しまったのである。
さらに一気に数十も飛び出した車輪は、向かってくる矢をすべていずこかの虚無へと呑み込んでしまった。
「――
続けざまに囁かれた言霊を受けて、その細い肩に触れるか触れないか、あるいは浮いているかのようにして掛けてあった洒脱な外套がまるで大鷲の羽のごとく展開し、同時に少し離れた虚空に何かを射出した。
立て続けに飛び出し、降り注いだのは奇妙な色合いに揺らめく無数の氷柱であった。
同時に、虚空には蒼白い鉱石で出来たかのような三角形の石版――あるいは盾のようなものが出現した。それは尋常ならざる雷電を纏っており、夜を染め上げるようにして電光の雨を降らせ始めた。
死霊たちですらもが、呆気に取られて天から舞い降りてくるそれらを見つめていた。
次の瞬間、実に地平を埋め尽くしていた影の兵団の三分の一が消失していた。
黒い草原を一気に焼き払って見せた雷電の凄まじさは語るまでもないことだが、その氷柱のもたらした威力こそがことさらに甚大であり、また致命的であった。
奇妙な色合いに翳っていた氷柱の中には、炎が詰まっていた。世にも奇妙な液状の炎を想像してもらえばいい。
それが液体のまま氷柱の中に詰まっており、氷が割れるのと同時にその内部からこぼれだすのだ。その上、今までさも当然のごとく共存していたその二つが、瞬間に過剰な反応を起こし凄まじい勢いで炸裂するのである。
要するに、現状のいかなるものよりもコンパクトで超高効率な威力を誇るミサイルを無尽蔵に生み出せるものだと思えばいい。
雷電の雨と炎氷の炸裂弾は、断間を置かずに降り注ぐ。
それは一人の人間が、数千数百の機関銃の一斉掃射と、絨毯爆撃とを同時に、しかも片手間に行っているのと同じことであった。
瞬く間に、大地を埋め尽くしていたはずの蒼影の軍勢はその大多数を失ってしまった。たった一人の魔術師によって、万の軍勢が玩弄され、蟲のごとく蹴散らされたのだ。
「――小ぉ癪なぁぁぁあああッ!」
ライダーが吼えた。そして、その足元から伸びる影が、今度は四方、八方に伸び、残っていた兵団を呑み込む。すべての影を呑み込んだ八本の影は、そのままライダーの足元に侍りながら巨大な像として盛り上がり、実態を獲得する。
それらは今までの雑兵と同じように死霊の集積体であったが、もはや人の姿をしてはいなかった。
うち四つは無数の騎馬と兵とが絡み合い形つくる半人半馬の巨人であり、うち四つは四足の獣――おそらくは犬か狼か、それらを基にしたと思われる多頭多脚のケダモノであった。無論、それらの中には人の頭や手足が混じっているのは言うまでもないことである。
強大な対軍宝具を有する敵に数で攻めるは愚策である。
今まで、無数の死霊をそのまま使役してきていたライダーだが、今度は直径数キロほどにまで展開していたその死霊群を凝縮して配置し、自らが先陣を切る構えだ。
マスターたる少年たちも王の背後に陣形を組み。影の巨獣たちがその周囲を固める。これぞ最強の人獣巨兵を八方に配置した陣形――所謂四駿四戌の陣である。
半人半獣のキメラと化した巨兵に雷電と炎を含んだ氷柱とが襲い掛かる、しかしそれらは先とは比べ物にならぬ強度と連携を誇り、完璧に王と、そのマスター達を守りきっていた。
どうやら霊体そのものを強力に圧縮してあるようで、その性質が量から質へと変化しているのだ。その密度は雑兵とは桁が違う。単純な破壊力や頑強さだけなら、もはやこの八騎は並みのサーヴァントをも超えていると言えるだろう。
しかし、大軍を治め、少数精鋭にて自ら前進を始めたライダーに対して、この小柄な少年とも、また凛とした少女とも見える中性的な容姿の「魔人」――キャスターは皮肉げな笑みを漏らすばかりである。
「そんな気はしていましたとも……しからば」
可憐な笑みを含んだままの、そのふっくらとした唇にかざした自らの手に、魔道の王はそっと囁いた。
「……
その両手の細い指を彩る十二の指輪のうちひとつが尋常ならざる魔力を帯びて咲き誇る様に煌めき、ふたでも開けるように開いた宝玉の中から、無数の獣が飛び出して来た。
その数がまた凄まじい。単純な数だけで数百、あるいは千にも届くだろう。ライダーが数の優位を捨てたとたんに、キャスターは逆手を取っての物量作策に切り替えてきた。
――否、そのような生温い仕打ちではない。この幻獣・魔獣の群れ、そのどれもが英霊の喉笛を喰いちぎるのに不足のないほどの威容と力を誇っているのだ。
並の魔術師にはまず対話すら困難なほどの荒々しい妖獣どもである。現存するそれとはまさしく桁が違うのだ。
それらを無数に使役し、侍らせ、指示を飛ばしていられるのは、無論これらの幻獣・魔獣を格納していたあの指輪のおかげである。
あらゆる霊獣・妖獣との対話を可能とし、それを自在に格納、変化、変容させて自在に使役することを可能とする、かの王の持つ魔導器の中においても、特に高名なものの一つであった。
そう、――これこそ魔導史にいわく「ソロモン王の指輪」である。今キャスターを名乗り、まるで幼き少女の如き艶姿を現代の虚空にさらすこの人外の者こそ、古今東西に偉大なる魔導の王としてとして知られる「賢王ソロモン」に他ならないのである。
その姿はまさしく魔人と呼ぶにふさわしい。
足元まで流れる虹色の髪と、そこからのぞく神魔の如き双角。額には魔石の如き第三の眼が煌めき、妖しく煌めく左右の眼球はそれぞれ別種の世界を見渡すがごとき色合いを浮かべている。
手足にはそれぞれ白魚のような六本の指が伸び、脊椎には無数の翼と尾の芽が、可憐にほころんでいる。
胸元には僅かに膨らんだ乳房が見えるが、しかしその下腹部には間違いなく男女両方の性器が備わっていた。
――まさしく異形である。対峙するライダーも人間離れした威容を誇る「英雄」ではあるが、このキャスターは容姿からして人間と呼べる範疇に無いのだ。
それはまさしく美と異形の二律背反その具現と呼んでも差支えないであろう。存在そのものが世界に対するアイロニーと言っても過言ではない。
「ぬううッ!」
それぞれに蒼影の武器を手にしたマスターたちと共に魔獣を相手取りながら、さしもの大ハーンも、驚愕の呻きを漏らさずにはいられなかった。
しかしその驚愕は、美しき異形たるキャスター自身の身体に対するものではなかった。それは彼が身にまとう装飾品の数々に向けられていたのだ。
それぞれに煌めく十二の指輪と六つの腕輪。左右で形の違うサンダル、薄布のような金色の衣、液体の如き髪飾り、虚空に浮いて肩に掛る外套。手にした血色の液体を満たす酒器。
さらにはその都度虚空に出現しては消える盾や剣と言った武具の数々――それらすべてが、独立した別個の宝具なのである。
このサーヴァントはつまり、宝具以外の装飾品を一切身に着けていないのだ。
あり得ないことであった。元来宝具とは英霊にとっての切り札と成り得る代物、それをこの魔人は幾つ所有しているというのか。
魔獣の群れが引くころ、もはや趨勢は一転していた。蒼影の人獣兵はもはや形を保つことすらできず、兵団の量で、質で優位に立とうとしていたライダーの優位は、もはや消え失せていた。
ライダー自身の貯蔵魔力も、そしてマスターたちの余力も、もう残ってはいなかった。
「さすがは音に聞こえし魔導の王、そしてその眷属たる七十二の魔人――その名を関する宝具の群れか。フン、気に入らん! ――ここまで容易に追い詰められようとは思わなんだぞ。もはや、我らには戦う力が残っておらぬ!」
ライダーはこの王にしては耳を疑いたくなるほどの真摯な怒声で、感嘆を口にした。
しかしそれも事実である。消耗著しいライダーの陣営に対し、全身を宝具で覆ったキャスターには微塵の消耗も見えはしないのだ。
万事休すか。追い詰められ、諦観したようにさえ見えるライダーに、しかしキャスター自身の苦笑交じりの声が届く。
「――そんな気はしていましたがね。下手な謙遜はおやめなさい。あなたらしくもない」
鈴のような声が響き渡る。巨大な城壁に囲まれた「玉座」の上で、キャスターは虹色の髪を揺らす。
すると、先ほどのまでとは一転、ライダーの巌のような面相に牙を向くような、憤怒の笑みが宿った。
「ふん、賢しいな。だからこそ、気に入らん、気に食わん!」
「偉大なる大ハーンよ。何を躊躇われるのです。……今こそ我らに、その真の王道を示されるときかと」
それまで、ライダーの傍らに追従していた少年が言った。ライダーのマスターたちは、それぞれにライダーへ一分の不安も含まぬ畏敬の視線を向ける。
「その通りです我らの王よ!」
「今こそ、覇道の王たる威厳を示すとき!」
「分かっておる。うろたえるな、我が至高なる光の末裔たちよ。――その方らの換言もまた正鵠なり。先に披露するは口惜しいが、仕方あるまい」
「大ハーンよ。「先に」ということは、やはり」
「然り。この大ハーンが真なる奥の手を秘めてきたように。あの賢しい「賢王」にも真なる本命の宝具が存在する。……我が切り札にも勝るとも劣らぬ何かが!」
さしもの覇道の王もその対決を前にわずかながらの躊躇を見せている。それほどの超宝具同士のぶつかり合いとなれば、ライダー自身よりも彼の背後に居並ぶマスター達の命こそが危機に見舞われることだろう。
「臆されるは、大ハーンにあらず!」
そのとき、高い声が響き渡った。リーダー格の少年の声に、マスター達の歓声が重なる。
「我等の命――惜しみなくお使いくださいませ。この儀式に直接の関係が無い者も、その瞬間に全てを理解するはずです」
「われらが偉大なる大ハーンのお役に立てているのだと、頭ではなく心で、全てを解するはず!」
「いったい誰が、何者が偉大なる覇道の礎となることを、誇らずにおれましょうか!」
沸き起こるそれら言葉にライダーのサーヴァントは一時、悲痛そうに、そして満足そうに目を細めた。
「……この大ハーンが残した末裔――我が血統に、間違いは無かったようだな」
「話はつきましたでしょうか」
キャスターはいつの間にか地上に降り立ち、互いの顔の見える距離で涼やかに佇んでいた。妖獣の群れも、魔刃の要塞も消えうせている。
「待たせたか」
地上に降りたキャスターを見止め、ライダーは巌のような顔のまま問うた。
「こちらの都合でお待ちしました」
どうやら、キャスターはライダーとそのマスターである少年たちとの問答が終わるのを、静かに待っていたらしい。
「それぐらいの礼は弁えた手合いだったか。――ふん、ますます気にいらん」
この上なく、憤慨したような、それでいてどこか愉快でたまらないとでも言うような、そんな感情を四角い強面に浮かべたライダーは、岩をも射抜かんばかりの視線を矮躯の異形へと向ける。
「そんな気は、しておりましたよ」
対して、キャスターも可憐に苦笑する。彼のマスターはこの場にはいない。
「いいだろう、仕切りなおしだ。こちらからは我が王道の神髄を見せてやろう!」
憤怒と喜悦に入り混じった声がとどろくや否や、ライダーの身体から、一気に光が漏れ始めた。
いや、漏れているのではない。流れ込んできているのだ。しかも光のラインは一つではない。幾重にも幾重にも、さらに数を増やしながらその光の筋は重なりライダーへと流れ込んでいく。
それはキャスターにも、否、サーヴァントであるならば、誰でも知っているはずのものであった。それはマスターとサーヴァントを、空間的な制約を飛び越えて繋ぐものである。
「これは、……サーヴァントとマスターのパス、か……」
神よりの全知、すなわちあらゆる知識を自在に引き出す権能を与えられしこの王も、今ライダーが行なっていることの慮外さに息を呑まざるを得なかった。
「――なるほど、そんな気はしていましたがね、まさか――ここまでとは……」
しかしもはや受け入れるしかない。その理不尽を、その王道の在り方を。蒼き草原の覇道王――チンギス・ハーン。その並ぶ者無き規格外に過ぎる最大宝具の哲理を。
ライダーに注ぎ込まれる魔力のラインはどんどん数を増していく。その一本一本は魔術師とのものほど太くは無いが、その数が尋常ではなかった。
百や千ではきかない。一万、十万――いや、さらに多い。
そも、チンギス・ハーンは人類史上最多の子孫を残した人物であるとされ、現在その血を引くものは千六百万人に及ぶといわれている。
彼は今、そのすべての末裔たちと魔力供給のパスを繋いだのである。
彼が引き連れるマスターたちも、すべては彼の血を引く黄金の氏族たちの末裔なのであった。
彼らだけではなく、この時代に生きる末裔のすべてから魔力を総動員する。究極の支援型対人宝具。
「偉大なる王の後には死と影なる道が出来、そしてこの至高の王より始まる生と光の道がある!」
極光のラインを光の翼のように束ね、いま天井の月に比してさえなお輝く存在が空間を席巻するように鎮座していた。
「これぞ我が覇道の証明、わが黄金の氏族、その結束の力、――――王の血統(アルタン・ウルク)!」
王は高らかに、己の象徴にして最大のアイデンテティでもある宝具の名を宣言する。
ランクEX 対人宝具。それは死後、後代において彼の残した黄金の血統、すなわち次代へ続く「光の道」を通じて繋がる氏族・血族との不滅の「繋がり」である。
もはや無尽蔵と呼んで差支えのない魔力を注ぎ込まれるライダーは、その光の魔力を満身に湛え、光明の神となって大地を照らす。
「そんな気は、していましたが、ね。――これは勝敗が解らなくなってきましたよ」
送り込まれた千数百万人もの「マスター」から送り込まれる生命力で、まるで太陽のごとく光り輝き、夜を白く染め上げているライダーのサーヴァント、チンギス・ハーンの威容を目の当たりにしながら、キャスターは心底呆れ果てたといわんばかりに、肩を落としてため息をついた。
さしもの「賢王」も、これほど規格外な宝具は予想もしていなかったはずである。
現代に生きる、己の血に連なる末裔のすべてを強制的にマスターとして仕立て上げ、一時的にとはいえ、尋常でない量の魔力を使役することを可能とする。本来ならいくらサーヴァントでもそんな量の魔力はもてあますのが必定ではあるが、このライダーにはその魔力をいくらでもつぎ込める対軍宝具が在る。
かつて己の道と成した死霊を己の影兵として使役するランクB++の対軍宝具。『狼影屍原(ボルテ・チノ)』
ライダーの周囲を取り巻いているのはもはや八騎の異形ではなかった。それらは光の強さに比例して数を増し、いつしか再び大地を埋め尽くさんばかりに列を成していた。
――なるほど、光と影。この二つの宝具は、対になることで、はじめて十全に機能し始めるのだ。その双方の「道」を統べるがゆえの、無双なる「」。
「――
全軍の体制が整う前に、と、キャスターが一本の短剣を振るう。
途端に虚空を埋め尽くすほどの無数の刃が仄明るい夜を奔った。――しかし、すべては無駄であった。蒼影の兵団を使役するまでもなく、ライダーは光り輝く自身の身体でそれらを受け止めて、粉砕してしまったのだ。
「しかも、光として取り込んだ膨大な魔力を鎧のように身に纏うことで、あなた自身の能力までもが数倍に引き上げられている。……これは、」
居並ぶ蒼陰の巨獣兵団は再び大地を埋め尽くし、しかも今度はそれぞれがサーヴァントに比肩しうる戦闘力を持って対峙するキャスターに刃を構えるのだ。
もとよりライダーに付き従っていた少年たちもそれぞれに散らばり、影の兵たちの直接の指揮に当たる構えのようである。
どうやら、もとよりあの少年たちは魔力の供給のためだけではなく、王の指揮の及ばぬ兵を統率するために動員されたもののようである。
それほどに、今やこの無辜の兵団たちは膨大であった。もはや、キャスターが持ち前の宝具を十や二十使用したところでこれを押しとどめることなど出来ようとは思われなかった。
膨大な影が身震いするように揺れた。キャスターは咄嗟に六枚の盾を展開。相乗効果によって、己が成し得る、最も強大な防壁を形成する。
その強度はAランクの対城宝具に相当する――が、一個の巨大な矢のごとく殺到した数千、幾万もの巨兵の集団疾走によって防御ごと吹き飛ばされた。
小柄な異形は、そのまま大河の一滴のごとく投げ出され、そして大地に打ちつけられた。
「……これは、たまりませんね。並みの英霊なら十度は死ねる。そんな気はしていたが、これは、流石に、たまらない……ッ」
そしてゆっくりと月光の下で立ち上がったソロモンの身体には、初めてダメージらしいダメージが見受けられた。
血を、流している。あの魔導の王が!
そして再びよろめき、冷たい草原の上にへたり込んだキャスターを、ライダーは巨大な影の玉座の上から見下ろす。形勢は逆転している。
その視線は、魔炎の如き憤怒と零下の殺意ばかりが入り混じるものであった。
光明の神から向けられる、死の宣下。常人なら間違いなく即死するであろう。
「……どうした? 降参でもする気か?」
「さて、どうしましょうね……」
すると、それを聞いたライダーは顔に憤怒を浮かべたまま地を揺らして大笑した。
「気に食わん! いいかげんにせよキャスター、いや世に名だたる「賢王」よ。さあ、見せてみろ、貴様の奥の手とやらをな」
なぜならそのような状況にあってもなお、淡く血に彩られたキャスターの美貌は未だに涼風のごとき笑みをうかべていたのだから。
「仕方がありませんね。……本当に、最後まで、使う気はなかったのですが――いえ、実を言うなら、そんな気がしていたのも、事実。――そしてここから先の展開にも、一抹の予感が」
そう、予感はあった。己がこうすることも、相手がそうすることも、そして――
いや、言うまい。今は眼前の偉大なる王へ経緯を示すべき、時。
「還れ、レメゲドン――我が傀儡たちよ」
可憐な鈴なりは揺れ、人ならざる呪詛となって広大な草原から、ある種の精気を奪った。空間が、否、世界が魔導の王の言葉に犯され、浸食されていく。
その背面でのみ、夜が色味を増した、塗り固められた闇色に。キャスターの、その細い身体を覆っていた装飾具――すなわちすべての宝具が取り払われ、それぞれが一個のタリスマンとなった。
無双の王が、影の軍勢が、そのとき、息を呑んだ。
それらは数を増し、いつしかキャスターの周囲を取り囲む。それらは個々に、闇に浮かび上がる六芒星を描き出し、形成された十二の六芒星が、さらに二つの六芒星を形作る。
即ち、七十二のタリスマンはそうして天と地とに陣取り、互いに共鳴しながら立体的な大規模魔方陣を形成していく。
天地を貫く柱と成ったその展開図の中心へ、一切の装束を持たぬ異形、賢王ソロモンが組み込まれる。
呪言が虚空を、波動が地を、光陣が天を、あまねく絡め取り、揺るがし、とてつもない予兆をもたらし、
――そして、静寂。
全てが一瞬掻き消え、清浄に収まり、そしてあまりにもあっけないほど静かに、世界が一変した。
眼前に出現したのは、またもや城であった。
様相自体は、先ほどの「城攻め」の形と似通っていたのかもしれない。
しかし、その内実はあまりにも、違いすぎる!
「なんという、ことだ」
さしもの覇道王のこえも、常なる憤怒を忘れて震える。連れ立ったマスターたちは言わずもがなである。
そう、違っていた。すべてが!
抜けるような金色の神衣礼装を纏い、魔人から一個の王へと還ったソロモンは静かに城の頂に佇む。その瞳が見下ろすのは、敵である覇道王チンギス・ハーンでさえない。
その双眸が見据えるのは、世界。今や一変した、世界そのものであった。
「全軍、突撃ぃぃぃぃぃいいい!」
ライダーが咆える。未だ地を埋め尽くす蒼影の兵団が先ほどと同じように、鬨の声を上げて城へ殺到する。
しかしその歩みは、この白亜の巨塔へ近づきもしない。
世界には、地が無かった。空もなかった。
この地上数千メートルを超える巨塔を中心に、世界そのものが歪んでいくのだ。まるで絨毯でもめくり上げるようにして、天空を囲うようにして、見慣れた夜の草原が覆される。
空間が口を開いた、或いは世界が閉じられたのかもしれない――そう、形容するほかない。
――宇宙空間、とも違う。その奥の虚空には、まるで人類が想像もしたことのない、赤黒く、それでいて清潔で、途方もなく深く、また苛烈なスペースばかりが無限に広がっていたのだ。
平原を埋め尽くしていた影の何割かと、マスターのうち何人かがそれに呑まれた。
さしものライダーもその歩みを、進軍を止めざるを得なかった。
その白亜の巨塔は、まさしく世界の特異点とでもいうべき、奈落の如き存在感を発していた。見上げた誰もが直感的に理解したのだ。
この先に進んではならない、と。
固有結界、か? ――世界を裏返し、術者の心象世界を具現化する大魔術。そう、魔道の心得を持つ者ならば思ったに違いない。
だが、それは違う。
「こ、これが……これが!」
ライダーは、否、このライダーでさえ呆気にとられたような声を漏らした。
「さよう――これこそが、我が失われし、第一神殿。……そして、あなたの望んだ、この賢王ソロモン最高の宝具の力」
一人巨塔の上に佇むソロモン王は静かにつぶやく。もはやこの空間には距離の概念さえないらしく、その声は同じ卓を囲むかの如く明瞭に届いてくる。
『
会釈でもするかのような素気なさで、賢王はその名を世界に刻んだ。ランクEX対界宝具。賢王ソロモンが誇るレメゲドン七十二宝具の連鎖励起による異界召還。
ソロモンが手をかざすと、異形の大地を覆っていた影の群れが割り開かれた空に飲み込まれた。――否、無数の大口を開けた魔獣によって喰らわれた。
さらに、その大口は汚泥のように融解し沸き立つ大地、それまで当たり前に存在していただけの虚空にも口を開け、影の群れを飲み込んでいく。
「この場所ではあらゆる法則が、私――いや、我が神の望むがままに変更される、時間も、空間も、すべてが、です。もはや彼方には勝ち目がない」
「――――ッッッッッッッ!」
「最後の警告です。覇道の王よ、今引くのなら、その少年たちの命だけは救える。よくお考えになりなさい……―――!?」
いいさしたキャスターの言葉を、神殿そのものを揺るがす衝撃が襲った。
「――ッッハハハハハハ! そう来なくてはならん。そうでなければこの大ハーンが死力を尽くすといった意味がないのでなぁ! まったく気に食わんぞ、賢王!」
影の軍勢は、無数の口に呑まれながらも、城を覆い尽くすほどに展開していたのだ。平面だけではなく、垂直方向にも、まるで大樹が枝と根を伸ばすように広がっていく。
キャスターもすぐさま時空を歪め、以前とは比較にもならぬ規模の凶器を雷雹を魔獣を出現させ、時空間を歪めるが、いくら刈り取ってもこの影群はの総量は減らない。
どうやら、ライダーは再び質よりも量によってこの神殿を責めるつもりのようだ。
確かにこれならば一度の攻撃で失われる死霊兵の「総量」は少なくなる。
ライダーは自ら陣頭で騎馬を駆り、神殿を目指す。
「かぁッッッ!」
「…………ええ。そうでしょうとも。そんな気はしていましたよ。実のところね」
とうとう城の周囲一帯からは地面が消えた。影に覆われていた白亜の神殿も一時的に存在を消し、当然のように別の区間に出現した。今度は天空に足を着くようにサカシマと成り、その威容を斜めに傾けたまま当然のように虚空にぴたりと静止している。
でたらめも、ここに極まれり、である。
もはや地平の彼方まで、見える足場はどこにもない。清潔にして貪欲な、意思を持ってすべて呑み込まんとする赤黒いスペースだけが延々広がっているだけのようにさえ、見える。
「影兵どもよ――足場と成れ!」
しかしそこで足場を失い奇異な空間に呑まれそうになっていた蒼影は凝結した。浮遊し、寄る辺ない空間の
そして目視することもできぬ世界の端へ橋を架けるようにして、天空の頂に佇むキャスター家向けて一直線に駆ける。
「やはり――大ハーンよ。信じがたいことですが、これは『空想具現化』に近い能力――否、現象のようです!」
傍らに一人残ったマスターの一人が、ライダーに語りかける。どうやら、魔道に明るいマスター勢の一人らしい。
空想具現化。マーブル・ファンタズムとも呼ばれ。元来は世界の触覚である精霊・真祖が自己の意思と自然を直結し、確率に干渉して意図的に自分の思い通りに世界を改変する能力とされる。
術者が世界の一部であるため、自身の思い通りの世界を作り得るが、自然から独立したもの(たとえば人間)は操作できず、間接的に干渉するしかないとされる。
その具現レベルは精霊の規模により変動する、とされる。
つまり、固有結界のように世界を裏返しているわけではない。この異形の地平には限りがあるのだ。それを指摘されなければ、ライダー自身も寄る辺なくこの餓鬼の如き空間に呑まれていた可能性がある。
「……ですが、ですが英霊とはいえ、如何な賢王とはいえ、よもや、よもや人の身でこれほどの……」
「いいや、でかした! それが解ればやりようはある。異教の神なぞ何する物ぞ! 我こそが草原の光明神、覇道王チンギス・ハーンにほかならぬ!! 行くぞ、我が末裔、我がマスターよ!」
「御意に!」
軍勢は再び雲霞のごとくさかしまの巨塔へと殺到する。迎え撃つは天に向かって立つキャスターである。この塔の上でのみ、万有引力は正常に働いているらしい。――ならば、天地を入れ替えられていたのは、ライダーとその軍勢の方だったということなのだろうか。
否、もはや考察している暇も、意味もない。天地がどう入れ替えられようと、狙う箇所は決まっているのだから!
涼しげな神衣をまとうキャスターが、そのか細い腕を振るう。
景観が流転し、天地が再び覆る。万有引力は消失し、大気は毒と成り、空間は物体が物体であることに拒絶反応を示し始める。熱力学は覆され、ミトコンドリアが細胞に対して未曾有の反乱を企てる。
「おおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉおぉッ!」
しかしまさしく魔界と化したこの異界の秩序にあって、ライダーだけはでたらめな魔力を持って現実をねじ曲げることで対抗しようとしている!
あらゆる万象を意のままに操るキャスターだが、注ぎ込まれる魔力の量だけはライダーが勝っているのだ。そしてその魔力を供給するパスは、神代の「在る者」の、それに近しいソロモン王の「権能」によっても断ち切ることが出来ないのだ。
でたらめな魔力によって、押し付けられる理不尽を打ち砕こうとするライダーの総身は地斑に染まっていた。
今ライダーが膨大な魔力を持って振るう力も、光明神たる己の「権能」に他ならない。が、それを行使することは「英霊」としてのキャパシティを超えるということにほかならず、おのずとサーヴァントとしての存在の自己崩壊を招くことにもなるのだ。
しかし、引かぬ!
「大ハーンよ、御武運を……」
命が砕ける。ライダーのように莫大な魔力の恩恵を受けられなかったマスターたちは、身体と魂を分解され、異界の
ライダーは吠える、憤怒は頂点へと達し、己に敵対する異界秩序のすべてを打ち据えた。
渾身の鉄槌が、白亜の神殿を初めて揺らす。激怒の王は、文字通り己の覇道を築きながら虚空を駆けた。蒼影の架け橋を、光の騎兵がかけていく。
こぼれるのは涙ではない。流るるはただ熱き激情の血潮!
今まさに命を落としたマスターたち、己が末裔のためにも、ここで引くことは出来ぬ。立ちふさがる者は並べて己の覇道の一端とすべし、その王意にいささかの揺らぎも無いのだ!
「――そんな気は、していましたよ。並ぶ者無き、覇道の王よ。貴方は王の道を敷く者だ。その歩みを歪める者があってはならない」
異形の摂理を己が蛮理で割り開く。その姿はまさしく人類史上有数の「王」の姿に相違ない!
「なればこそ――こちらも死力を持って応じましょう。――決着は、急がねばなりません」
涼しげな賢王のつぶやきを掻き消すように、飛来した光明の王の影剣光刃がその細身の身体を捉える。
「気に食わんな! さっきまでの余裕はどうした?! どうやら、この城、神の力らとやらも、そう長くは持たぬらしいな?」
ソロモンも空間を凝結させそれを受け止める。その痩身からもわずかに鮮血が舞った。実際には彼の身体も、サーヴァントとしての規格を超えた「権能」の行使によって崩壊し始めているのだ。
この二王の戦いは、もはや英霊という枠を超えて、世界を破壊し、再創造を企てる神話の様相を呈していた。両者の持つ宝具は、その奇跡は、サーヴァントと言う存在を根底から否定しかねないほどの力と輝きを発している!
「貴方との長期戦に堪える英霊は、まずおりませんよ。――ですが、それよりも」
虚空で激しい光芒を繰り広げながらも、両者の声は明瞭に通る。
「横槍でも――気にするか! 不敬も甚だしい!」
「そんな気がしませぬか、ライダーのサーヴァントよ。この儀式は、最初から――どこか」
「かあぁッッ!!」
ライダーの命そのものでもある光刃が、虚空に出現し続ける盾を貫き、とうとうキャスターの身体を捉える。
その傷もすぐさま修復される、が、キャスターは引いた。
「不要。不要。不要! そんなものは不要だ。今あるのは、この闘争のみ!」
影であった。色味を増した影が、今度はライダーの身体から湧き出るように噴出し、白亜の神殿に突き刺さる。
「我が覇道、そして貴様の魔導、どちらが上か! それだけが、我らが求めるすべての筈! それ以外の一切すべては――ただの不純物に、過ぎぬわ!」
影は虚空で巨大な矢と成り、条理を覆すはずの白亜の塔を傷つけ、切り裂いてしまった。
さしものキャスターも呆気にとられ――そして初めて気血の通った笑みをその顔に浮かべた。それは賢者ではなく、まぎれもない戦士の貌だ。
「そんな気はしていました。――相手が、貴方でよかった。余計なことを考えなくてもいいらしい……」
光明の王が、大上段から迫る!
「殺った――ぞ!」
ソロモン足元に落ちた影が流転し、虚空を薙いだ。それが一本の槍となって、光明の甲冑に護られていたはずのライダーの心臓を貫いた。
「光をすり抜けるのは、一条の影――そんな気は、していましたよ」
わずかに細首を裂かれながら、人としてのソロモン王は嗤う。勝利を確信した悪魔のように。
「気に、食わんな。――この程度で、勝ったつもりか!」
血を吐きながら、とどまりかけた足を叱咤し、ライダーは再び刃を振るう。キャスターもまた虚空から無数の刃を取り出し。剣舞によってそれに応える。
限界は、近かった。
二人の王は互いの相貌を血色の愉悦に染めながら、視線を交わす。
両者共に理解しているのだ。もはや事ここに至って小細工は意味をなさないと。
キャスターの操る不条理が潰えることのないライダーの覇道を塗り潰すのか。
ライダーの力押しがキャスターの支配する摂理そのものを打ち砕くのか。
それは英霊同士の競い合いですらなく、もはや神々の衝突に等しかった。故に、もはや「人」の介入できる余地など、どこにもない――
――はず、だった。
そして二王が最後となる剣戟に挑もうとした、そのとき――
パキン――――、とむしろ安っぽい音さえ響かせて、空間に、否この闘争に割り込んだ何者かの姿があった。
まるで、繊細に紡ぎあげられた芸術品を、無遠慮に蹴散らすように。
それは紅い――否、黄昏色の、一孤の騎影。
今まさにぶつかり合おうとした二王の視線が、同時にそれを捕らえる。
「貴様――」
無尽蔵ともいえる光の魔力を纏っていたはずのライダーの首は、しかしその時点ですでに胴体から切り離されていた。あっけないほどに、まるで紙のように。
続けざまに、キャスターに向けて、くすんだ鈍色の剣刃が迫る。
いくらでも抵抗は出来るはずだった。その時間も魔力も猶予も、すべてがあった。ましてや今のキャスターはそれを覆し、捻じ曲げることさえできるのである。――しかしそのすべてが、すでに用を成さなかった。
すべてが赤い靄のような――
そう、まるで英霊の放つ光を、その威光を黄昏の幕引きによって
「そんな、気は、――していた。やはり、すべては――」
言い終えるより先に、スカ―・レッドに照り返る鈍色の剣が、賢王ソロモンの心臓を抉っていた。
突然の王たちの死滅により、場は常態に帰した。地表を埋め尽くした軍勢も、世界を書き換えた神威の塔ももはやすべては泡沫の如き儚さで、消え去っていた。
「そうとも、すべては茶番だ。未だ満ちぬ杯を満たすための」
血だまりを作るほどの血を吐き洩らしたソロモンの身体は、神威の衣をさえ剥ぎ取られ、もはやただの少年のそれへと戻っていた。まるで、彼が魔導の王であったことさえをも、あざ笑うかのように。
「なる、ほどね。――ところで、私のマスターだけでも助けられませんか。彼には聖杯を取る気など、なかった……」
「悪いが、この儀式かかわったすべての人間は、「存在ごと」喰われる。例外はない」
「無体なものだ。この世は並べて、こともなし――だが、そんな気は――していた、最初、から…………」
キャスターの姿はそこで輪郭をなくし、静かに消失することも許されず、落日色の騎士の剣によって掻き散らされた。
まるで一陣の嵐が薙いだかのようであった。無味な静寂があった。すべてが涼やかな夜の草原へと帰していた。
騎士は、手にした黒い杯を掲げる。
「さあ、――――喰らえ」
何かが呑み込まれる、といった現象は全く起きなかった。ただ、コマ落としでも起こったかのように、世界の連続性が失われ、何かが大きく欠落したようであった。
それを感じた人間はわずかであり、そしてその感覚に疑問を持てた人間は絶無であった。
誰も気付かず、知らず、何も思い出せない。
消えた人間を、消えた友人を、消えた家族を、消えた街を――だれも、覚えていない。それらは、「存在」そのものを奪われたのだから。
そして赤みがかったブロンドを揺らした騎士の傍らに、一個の影が現れる。それは女の影であった。
それは首のない獅子に跨った、黒衣の女であった。それ以外はうかがい知れない。まるで虚の底のような漆黒の装束によって、顔すら見えないのだ。
女は地に降り立つ。しかし草の音一つ反応しない。女にはまるで存在感というものが無かった。まるでそう、本当の影法師のように。
その女と比べてもなお矮躯と見える落日の色の騎士は、その女の前で片膝を尽き平伏する。
「……次第は如何か、マスター」
「――――だめだわ。まだ埋まらない。未だに杯は欠けたまま」
物悲しげな声に、しかし騎士は予期していたかのように泰然と応える。そう、いまさら動揺することなどありえない。こんな徒労を繰り返して、彼らはもう百に届くほどの年数を数えてきたのだから。
「そうか。ならば、次だ」
落日の色の騎士は立ち上がる。腿のあたりまで伸びる金の三つ編みが、金糸の束のように揺れる。
「そう、次ね。――けれど、本当に、次などあるのかしら? そして、杯が埋まるという保証も……」
騎士の胸にしなだれかかる様にして、女は悲壮な声を漏らす。
「いられるとも――私が彼女と共にある限り」
「うれしいわ。ああ、トリーズナー。反逆の騎士よ。私を守って、私の、この欠けた黒の杯が、胸の
落日の色の騎士は、無言のまま女の肩を抱いた。
「期待しているわ、……
「無論、――承知」
そして両者の影は、紅い残像だけを残し、荒野から消えうせた。
この夜。荒野の周辺にあった三つの街が建物ごと消失し、約二万人もの住人たちが忽然と姿を消した。しかしそれに気付く者は、誰一人として、居なかった。
そして約――十年後。