乃梨子ときたら聖さまが登場しました...
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あの子犬のように祥子に懐きながら、私たちに愛嬌を振るっていた可愛い後輩がある日を境に昔の私や志摩子以上に人を拒むようになった。それはまるで荒野をひたすら一人、孤独に何も持たずに進む様で。
頑なに私や親友たちですら寄せ付けなかった。何処かに隙間があるのではないか、と蓉子や江利子で彼女の弟に無理やり聞き出した山梨の小母さまのご実家に行ってみたが、固く閉ざされたドアは開くことはなかった。
ドアの向こうで彼女はか細い声で私たちを拒絶し、彼女の震えを小さく伝えていた。蓉子も江利子も、私ですらこんな風に態度で示されるとは思ってなかった。
『すみません、お姉さまと瞳子とすれ違って...えへへっ。きちんと話さないとだめですね。あの時に学習したはずなのになぁ』
そんな声を期待していた。多分、蓉子も。祥子との梅雨の擦れ違いを話でしか知らない江利子ですら。帰りは三人ともかなり暗かった。江利子が空元気をさらに空回せていたのを覚えている。
何が、一体何が祐巳ちゃんに起こったのか?
考えても考えても、答えは見つからなくて。糸口探しに蓉子は祥子に問い質したりもしていた。由乃ちゃんに、江利子は祐巳ちゃんの様子や兆候がなかったかを整理させてもいた。私も志摩子や“孫”の乃梨子ちゃんに聞いたりや大学で会ったときを思い出したりした。
それなのに、何も綻びは見当たらなくて...何が、ヒーローだ。見守る、だ!
祐巳ちゃんを皆、見ていたつもりで全く見えてなかった。誰も。
見てくれていたのは祐巳ちゃんで、見守ってくれていたのはいつも祐巳ちゃんで。
羽毛のように、冬は暖かく。
夏は適度の温度で、自然にも人工からの寒気にさえ防いでくれていた。
心がもう悲鳴を上げていたのだと思うと、自分の不甲斐なさに腹が立って腹が立って!
何度も何度も、もう一度殻に籠ろうかと思ったが、祐巳ちゃんが帰ってきたら怒るし口も聞いてくれないかもしれないと壁を作らないようにしていった。加東さんも弓子さんも待ちわびてるんだ、蹲るわけにはいかないと。
私たちが、蓉子、江利子が大学卒業を迎えたある日、柏木が私たちの前に現れた。
『祐巳ちゃん、転学したそうだよ。小母さまと小父さま直々に、小笠原家と松平家にやって来て土下座までしてお願いされたらしいんだ。もうそっとしておいてください、って』
挨拶もそこそこに、奴に似合わない、疲れた生気のない顔をしていた。
『祐巳ちゃんは、どこに?』
蓉子が納得いかない顔をして、柏木に静かに聞いていた。私はまるで画面越しの会話を見ているようで、ただ、眺めていた。
『小母さまも小父さまも、一切言わなかったみたいだ。ユキチは祐巳ちゃんがああなって直ぐに、留学したよ。あいつも相当、心配しながらも参ってたようだ。』
柏木も色々、祥子や瞳子ちゃんのことであったようだが今は祐巳ちゃんなのだ。
『でも、だからって...何か知ってるんじゃ...』
蓉子が隣に居る江利子に支えられながら、江利子の視線は私に向けられ江利子に似合わない気遣い。
『小母さまは頑として言わなかったよ。さっちゃんや瞳子を可愛がってたけれど、実の娘大事さで。小父さまも、どんな仕打ちを受けても娘が今、求める状態にしてやりたいって』
小笠原も松平もそんなことはしないだろう。
納得出来ない私たちを柏木は次があるとかで立ち去って行った。奴の背中にも不在の寂しさをこびり付かせていた。
誰もが居ない空白を抱えながら、前を向けなくとも立って社会に適応、順応していった。
私も元は大学時代からのバイトで論文や絵本、翻訳家を立てる程でもない金もない本を翻訳することがいつしか仕事になっていた。
加東さんが就職した会社で、翻訳も担当していたのを事を仕事にして行こうかと思うと口にした時、私はその話に乗った。それだけではやっていけないから、いくつかバイトを掛け持ちもしている。
祐巳ちゃん、君は一体、何を抱えていたの?
どうして笑顔を曇らせるまで、追い詰めてしまったの?
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次々と季節は移り変わり、同じ風景はないのだけれどさも同じかのような錯覚をさせられる。
ぽっかりと空いてしまった心の穴は、皆が共通に持っている。集まりはするものの、実感せざる得ないから長引くこともなく。志摩子の妹、私の“孫”の乃梨子ちゃんが教授に昇進した祝いでも纏まりなく、解けてるマフラーのように。
私は蓉子と話をするでもなく、同じテーブルを共にしていただけだった。志摩子は乃梨子ちゃんや由乃ちゃんとで張り付けた笑顔を自然にしていた。
「どう?最近、仕事継続してあるの?」
いかにも蓉子らしい話の切り出し方に思わず笑って答えれた。
「うん、加東さんが切り盛りしてくれてるからね。二人で何役もこなさないといけないけれど、人にまとまったお金払えないからさ」
掛け持ちもしなくなり、バイトも前に働いてたバーが人不足な時だけ。本業と言えるくらいまでにはなった仕事。蓉子も大企業の顧問弁護をメインにしている事務所に就職してからは私に対するお節介は近況を聞くだけになった。蓉子も祥子や自分で一杯いっぱいだろうに。頭が下がる。今では取締役部長様サマだ。
「そう...。よかったわ」
憂い顔が自然のようになった蓉子が少し笑った。私も、不自然さが自然になってるんだろうか。
何となくお互いに気まずくなり、志摩子と乃梨子ちゃんだけになった席に二人で移動した。
真剣に話す二人は私たちに気付きもせず、小声で話をしていた。漏れ聞こえる単語に時を止めた。いや、止まったのかもしれない。
祐巳、そう言ったはずだ。祐麒、ではない。アメリカの日本建築学の新進気鋭だとか言われ、結婚までした祐麒ではなかったはずだ。
思わず乃梨子ちゃんに掴みかからんばかりに問い質す。
「今、なんて!?ねえ、なんて言った?」
志摩子も吃驚してる。蓉子は止まったままで、何処からともなく現れた江利子に止められた。
「聖。落ち着きなさい」
蓉子の仕事を江利子がしてるのが可笑しく、乃梨子ちゃんや周囲に愛想を振りまき落ち着かせる。蓉子もやっと動き出したみたいで、周囲から離れるように乃梨子ちゃんと志摩子を移動して先ほど聞こえた話を再開しだす。
「祐巳ちゃんがどうしたの?教えてくれないかしら。祥子にも言わないから」
まるで、それはまるで昔のような蓉子で、毅然としていた。
「乃梨子、お姉さま方なら大丈夫よ」
志摩子はそう声を掛けるが、乃梨子ちゃんは自身の甘さを恨むかのように眉間に皺を刻み、目を閉じていた。
一体、どれだけそうしていただろうか。歯痒い思いを感じても、痺れを切らしても、私たちはじっと待った。
「准教授に上がる際に、西日本で開かれた会合に参加した日、お会いしました。ひっそりと埋もれるように、でも、直感が断言していたから声を掛けました。」
誰が、とは名前は言わなかった。もう誰かに聞かれる過ちはしたくないという様に。
「戸惑い、というか吃驚しすぎて振り切れなかったみたいです。近くの店にお願いして入りました。少しの食事すら、堪え堪えで。人と居ると、駄目なようでした」
そこで一旦切り、飲み物を口にした。
「本当は瞳子や志摩子さん、私自身の事も感情のままに言ってしまいたかったんですけど、言えませんでした。必死にバラバラになるのを、何とか歯止めを独りで抱えるしかないような。誰にも救いを求めれない、求めようにも他人が居る空間で切れ切れに言葉を交わすしかない人を追い詰めるような事出来ません。」
茫然とした、とでも言うのか。まさか、そんなにも祐巳ちゃんは。
「祐巳ちゃんは、その...そこまで?」
さすがに江利子も分別を持って小さく名前を言い、濁して聞いてる。
「はい。瞳子の名前も、お姉さま、そう言うのもやっとでした。聞き逃しそうになるくらい、か細い声で話してました。医者に診てもらっても、自分でもどうしてこうなったのか分からないって。情報もなるべく触れないようになさってるらしく、私たちに似た名前に怯える時もあるみたいでした。私と出会った日はまだ、調子がいい日だったみたいでつっかえつっかえでも名前を言えたようでした。そうだからこそ、黙ってました。踏みにじるから、無遠慮に声を掛け、折り合いをつけて独り闘う人間の世界を壊すのは親友や志摩子さんを想っていても出来ませんでした。」
乃梨子ちゃんは目の当りにしたからこそ、強く言い切った。そこには祐巳ちゃんを想う気持ちも多大にあったのだろう。祐巳ちゃんは誰に対しても、一所懸命で分け隔てなく、蓉子ですら唸らせた。
「祐巳さんは、何か困ったことはあるとか...言ってなかった?」
志摩子が辛そうに乃梨子ちゃんに聞いた。私はふわふわと、画面越しか夢の世界でのやり取りを子どものように見て聞いてるかのようで。蓉子が手を握ってくれていた。
「精神的以外、大丈夫みたいです。何か困ったり力になって欲しいと感じたら連絡くれと押し付けました。」
日本人形のようだと思ったいつかの乃梨子ちゃんは聡明な顔で、でも、久しぶりに温かみが差してる気がした。ずっと研究という世界に籠っていた彼女はただ、必要かそうでないかの選択を繰り返す日々で。
「連絡、あったの?」
蓉子が私の手を握ってるのも忘れて、強く握ってしまう。私の迫力と強く握る力に驚いた蓉子が窘める。気にするもんか。
「あの、聖さま...蓉子さまが痛がってますよ...?」
乃梨子ちゃんの言葉で手を解かす。
「それで、あったの?連絡」
いつぞやのすっぽん江利子は今日は私に憑依して、乃梨子ちゃんに促す。
「はい。来週、ご実家に帰られるみたいで。少しなら、お医者さんも過去の人間に会う努力をしていきなさいと仰ったらしく...」
過去の人間、そう言った。もしかしたら、祐巳ちゃんはもっと違う言葉を使ったのかもしれない。乃梨子ちゃんは俯き、継ぐ会話なのか言葉かを探しているようだった。
「そう...。私たちも行けないかしら...?」
心掛けて何とか期待をせずともしてしまう、人間の性。分かっていても私たち三人は、志摩子もだろう。乃梨子ちゃんにそう詰め寄っていた。ため息をついて、乃梨子ちゃんは苦く笑った。
「一応、聞いてみます。私も、誘われたわけではないんです。ただ、報告のような形で...もしかしたら、牽制なのかもしれません」
そう言った。
だけれど、私たちは前進出来た再会出来る喜びで、久しぶりに世界の色のきらめきを感じれた。
祐巳ちゃん、やっぱり君は凄いよ。
こんなにも、こんなにも一喜一憂させるなんて。
だからこそ、私はヒーロー気取りをしたかったのかもしれない。
蓉子もおばあちゃんで、甘やかしたかったのかもしれない。
不在の期間は江利子ですら、心を痛めさせていたんだ。
どんな君でも、少しの再会をどうか、ください。