/
祐巳はある町の公園から一望出来る海を見下ろしていた。
ただ、何の意味もなく見下ろす。この町にやってきて数か月足らず、この習慣は休日限定だが心を安らかにさせてくれてる。安定し出してる精神状態も、この習慣が作用しているのかもしれない。そう思ってると、近くの高校よりやって来ていた女子高生たちがすぐ近くを楽しそうに通り抜けて行った。
(私にもあんな風に過ごせた時間があったんだよね...)
視線を海に戻しながら、もう過ぎ去りし日々だと塗りつぶした。
そして、立ち上がり部屋に戻る。祐巳が社会に出て初めて買った、くたびれながらも丁寧に使われてる鞄の中では、携帯がチカチカと点滅をしているが非常時以外では使われない為に気付かれないまま。
逃げるように生まれ育った街を振り切り、親にお願いをして全く知らない西日本に移り住んでかなりの月日が経った。当時の皆から避けるように、知られれば気に入った住居でも引っ越し、最低限の生活が出来るなら荷物も増やさないように心掛けた。どんな時でも、一人で過ごしてきた。そうしないと祐巳は苦痛に苛まれ、発狂してしまいそうでどうにも出来ないこんな生活をしていく自分が許せないから。
まるで咎人のようだ、と何度自分の生を放棄してしまおうかと思っただろうか。
リリアン育ちの祐巳には出来なかった。母の陰で嘆き悲しむ姿と父の今でも疲れた顔をしているのに更に、心労を重ねさす事は出来なかった。弟、こんな事になる前は仲が良かった双子のような弟にも、荷をまた、背負わすことになる。海外に行く原因になったのも、結果が転じて良かったとしてもどうあれ祐巳が作ったのだ。
だから、祥子と瞳子を始めとする皆を避けても自ら放棄をすることなく、ただ、逃げて避けてきた。乃梨子に再会するまでこうして行くことは呼吸するのと同じだと思い込んで。
再会した日の夜としばらくは安定していた。
驚くくらいに、もしかして...と思うくらいに。だが、祐巳の中で膨らみ張りつめ喰らいつくしたモノは期待を副うことなどなく、大きくなってしまった。その日、母が祐巳に会いにアパートを訪れなければ発見が遅れ、大事どころの騒ぎではなかっただろう。これを機に、更に祐巳は世間を遠ざけて、仕事も変えて何度となく替わってきた住まいを移った。
新興住宅地で、福祉も娯楽も何もかもが揃い、揺り籠から墓場までを目指すその都市で祐巳は医者の提案に乗ろうかと考えた。
両親は弟にアメリカ移住を持掛けられている。特に、母を思いやる弟の気持ちは痛いほど分かる。優しい弟は祐巳にもこっちで暮らしてみないか、とさえ言ってきた。治す治せないではなく、全て忘れるように環境をガラリと変えたら楽に呼吸出来るのではないかと。
だからこそ、その過程を作る為に当時の、一部でいい、山百合会の人間に会おう。そう考えた。
乃梨子に教えられたアドレスなどを記されたメモを眺めて、手紙にするかメールにするかを思案し、気安くそして、何かあれば直ぐに終えれるメールを選択した。
“こんにちは、福沢祐巳です。もうかなり経ちましたが、この前はどうも有り難うございました。お元気でしょうか?今度、所用で実家に帰ります。実はずっと帰省しないままだったので、久しぶりに帰るので...家族以外にこうしてメールする事はなかったので勝手が分からずにごめんなさい。では。”
震える指先はどうにも言うことが聞かず、そのままに打つのに何十分も掛かり、返事を確認しないまま新しい生活に応じれるように日々をやり過ごしていった。
/
『お姉さま、どうして瞳子を避けるんですの?どうして...答えてくださらないの?そんなにも瞳子が嫌いになったんですか...お姉さまに嫌われたら瞳子はもう...』
違うの、違うの瞳子。私の心がおかしいの、泣かないでお願い。
『祐巳。私が何かしたのかしら...言って頂戴。あなたを傷つけていたのなら、謝るし直す様に努めるから...もう祐巳の居ない状況なんて懲り懲りだから...お願い』
お姉さま、違うんです。私が、私の心が何処かに行ってしまったんです。強くない私を許してください、ごめんなさいお姉さま。
メールを送ってどれくらいの時を流したのだろうか。
祐巳は珍しく夢を見た。自身の誕生日を祝ってもらった、こうなる最初の日からしばらくしたある日に二人は別々に祐巳を訪ねて来た。実家の祐巳の部屋の前、大学で祐巳の講義が終わる時間までと。そんな二人に祐巳は応える事も取り繕う事も出来ずに吐き気と嫌悪を抑えるに必死で、顔には悲痛さを二人よりも大きく張り付かせていた。
そんな夢を久しぶりにみた。夢自体、久しぶりで目を覚ました瞬間は混同しそうになりかけた。イレギュラーだからこそ、祐巳は携帯を手にして何の気になくメールを開いた。
乃梨子からの返事が片手分、入っていた。
送ったメールの直前の返事、教授昇格の報告、帰省する際に会えないかと。そして、蓉子・聖・江利子・志摩子も会いたがっている旨。
頭が空っぽになった。メールからは申し訳ない気持ちが感じられる。それには乃梨子の誠実さが全面に表れており、他意が含まれてなかった。それでも、空っぽになった頭が再起動して直ぐに吐き気は襲ってきた。必ずある生理現象のように。
“仕方ないね、私も会えるようにしてみるね。期待、しないでください。そうお伝えください。”
祐巳はただ、そう送った。日にちも時間も何処からどうやって関東に一時帰宅するのかも伝えずに。そして、返事を確認しないまま埋もれる毎日に戻り、実家に帰省した。
母に、医者からの提案と乃梨子との再会で連絡先を聞いていたこと、連絡をしたことを全て話した。
強張りとも驚きとも、悲しみとも喜びともつかない顔を母はしていた。
「切っ掛け、にはなるかもしれないわね...でも、無理はしたらだめよ?お母さんも近くまで行くから、駄目だと思ったら連絡しなさい。」
応援ではなく、歯止めとして伝える母は、状況を変えるリスクがかなりある事を見越してだった。
「うん...無理はしないよ。出来るわけないよ...」
移動に伴う身体の疲れ、精神的にくるだるさを和らげる為に、昔は良く弟と肩を並べたソファーに寝ころびながら母に応じる祐巳は自嘲気味に笑った。母は祐巳に毛布を掛けてやり、先ほどの表情のまま頷く。
母も祐巳も前回の同じ轍を踏まないように、ただそれだけを願った。
生きるには、命あるもの、限りあるものを犠牲にしなければならない。そうリリアンでも、成長する度にも両親にも教わった。特に祐巳は潔癖ではない分、そう感じながら大人への階段を日々上ってきた。誰かにそうだ、だからこうなんだ。と押し付けられたわけでもなく、肌で感じ教わったことを身に染みてきた。
だからこそ、輝けたリリアン高等部時代があったのかもしれない。
今では、野菜から頂く命を祐巳の一部にし、渇きを癒すには炭酸水でどうにかやりくりをしている。
この再会には喉が渇いて仕方ない。そう祐巳が思っていると、蓉子を先頭に聖、江利子が店に入り、祐巳が居る席に向かってやってくる。
年月を過ぎた分、三人は更に綺麗になり相応の美しさを引き立たせる皺や疲れを身に纏っている。少し、動悸が加速する。そう思っていると、乃梨子と待ち合わせに一緒に来た、志摩子が余り近くならないように、気遣いをみせながら祐巳を窺う。
「大丈夫?祐巳さん」
そう聞かれ、一瞬肩が震える。俯いてしまう自身の近くで、誰かが深く息吸うのが聞こえた。
「祐巳ちゃん...」
この声は誰だろうか?祐巳は記憶を探るが、動悸と滲み湧き出る脂汗が気持ち悪くて上手くいかない。
「ひさし、ぶりね?」
鞄を無意識に探り、口中スプレーを取り出す。新しい生活に慣れるにあたって、医者に薦められた対処方法だった。
「ごめん、なさい...」
先に断りスプレーを吹く。馴染ませた後、コップの水を流し込むように飲む。既に、気を利かせたのか三人は席に座っていた。意を決して祐巳は上手く笑えないままに、声を出す。
「お久しぶり、です。ごぶさた、して申し訳...ありません」
三人、いや、乃梨子も志摩子も目に涙を浮かべている。待ち合わせた時は騒がしかった為、余り会話もせぬままだったからだろう。
「祐巳ちゃん...祐巳ちゃんだ。」
聖は只管、祐巳を呼び流れる涙をそのままにしている。蓉子はハンカチで眼元を押さえ、微笑む。
「まったく、なんなのよ。もっと面白い言い方しなさいよ...聖に蓉子」
江利子は化粧を崩しながら泣き、反対の言葉を吐く。
「相変わらず...ですね。」
祐巳は、少し微笑む。
「本当に、凄く、久しぶりで、すいません」
そう言い終わると深呼吸をすると、まるで合図のように五人は涙を止めるように努めだした。
/
「何、頼む~?」
聖が祐巳以外は背景のようにして、聞いてくる。
「え...と。せ、いさまたちがお、先に」
戸惑いながら視線を合わさないように覗い、入店した時に頼んだ炭酸ジュースを手に持つ。
「聖、あなたが邪魔をするなら真正面の席を没収するわよ」
江利子が祐巳に聖が見せていたメニューを倒し、嫌そうに言う。
「...でこちんが...」
小さく吐き捨てるように聖が言うのを聞き逃さなかった江利子と蓉子は同時に行動に移る。
「聖、江利子。今日は止めなさい」
蓉子の言葉が少し早く、いつも通りにはならずに場を鎮める。志摩子と乃梨子はいつもの事だと隣の祐巳にメニューを再度見せる。祐巳は蓉子と江利子に目が合う事のない場所に視線をやりながらも、表情が分かる位置に留める。気が付いた蓉子が優しく微笑む。祐巳はそれに身体を少し硬くしてしまう。
「祐巳ちゃんは何が食べたい?」
そう聞き、聖から取り上げたおススメメニューを向ける。
「え...っと...野菜、があるなら...野菜、だけが...いいです」
視線を完全に下げて、ため息を吐く。早すぎたのかもしれない。喉が渇くが、何かを口にする気分でも精神状態でもない。むしろ、悪化する。そう思い考え、鞄よりハンカチと汗ふきシートを取り出す。これも対処方法の一つで、レディース商品の香りよりメンズ商品の無香料ものが気分を調える。
「ちょ...っとお手洗いに、行ってきます...すみません」
祐巳は希望を伝えた、だから注文を取りに来られても大丈夫だろうと、席を立った。限界が近く、気遣いなどもしていられなかった。
ただ、堪えのない吐き気。
止めようのない脂汗。
早すぎた再会の最悪な結末の想像だけが祐巳を追い掛け回して、それから逃れたかった。
実は、少しそこにある花の話のイメージがあるのに、文章に起こせなくなってきています。途中まで書くけど、この無題や違う話のイメージとか。
難しい...