――めぐり先輩の言葉に、頭が真っ白になる。
……めぐり先輩の? 家に? 俺が?
言葉の意味は聞いたままだろう。同音異義語など考える余地はない、はず。
……それにしても俺の胸に顔をうずめためぐり先輩が可愛すぎてどうしよう。
良い匂いするなー、図書館の一角に急に花畑が現れたような、そんな感覚がして癒されすぎてどうしよう……って、そうじゃなくて。
「……え、えぇっと……?」
脳の処理速度を上回っている事態に、言葉が出てこない。めぐり先輩は俺の反応を上目遣いでじっと伺っている。リス? リスなの?
俺が目を泳がせてあっぷあっぷしていると、めぐり先輩の腕が俺の背中に伸びて、ふわりと抱きしめてきた。
瞬間的に周りを見渡して誰もいないことを確認すると、するりと抱きしめ返す。
「……だめ、かな……?」
俺に問うてくるめぐり先輩の声が震えている。
2人の関係を考えれば、家に来てほしいなんて、意味合いは一つしかないだろう。
もうちょっと吹っ飛んだ人ならば「両親に紹介するから☆」なんて展開もあるかもしれないが、生憎この作品にはそんな人はいない。
作品って言っちゃったよ。
……平塚先生なら有り得るかもしれない。
質問を投げかけて、めぐり先輩が目を伏せた。
長いまつげが儚げにちらちらと揺れる。
思わず見蕩れてしまって、時間が止まってしまうかのような錯覚を覚えた。
めぐり先輩に聞こえないようにして、緊張により生じたものをごくりと飲み下す。
めぐり先輩を抱きしめる腕にほんの少しだけ力を込めて、耳元に口を寄せた。
「……喜んで」
「……っ」
めぐり先輩がはっと息を呑む音が聞こえた。今はそれさえも愛おしい。
「……ありがとう」
何をお礼を言う必要があるんだろう。俺こそお礼を言いたいことだらけだと言うのに。
広い広い図書館の奥の奥で、静かに抱きしめ合った。
× × ×
……それにしても。
「……今日なんだ……」
「? 比企谷くん、何か言った?」
「あ、や、何でもないです……」
めぐり先輩と図書館で交わした抱擁の興奮が冷めやらぬ……今日。
正確には、ものの数時間後。
俺とめぐり先輩は、彼女の自宅へと向かっていた。
早くても明日以降の話かと思っていたんだけど、しばらく抱き合った後にめぐり先輩に告げられた日時は「今日の夕方」とのことだった。
なんと早い展開だ。
身体と心臓が付いて行かない。
まあよく考えれば「家に……来ない? 明後日」なんて流れはドラマでも現実でも無いよなとは思った。
何その時間差って話だし。
ちなみにあの後も一応勉強会を続けはしたものの、俺が……というよりも、めぐり先輩がまるで集中出来ていなかった。
<以下、あの後の勉強会でのやりとり>
「先輩、このページの分を解き終えました」
「…………」
「……先輩?」
「…………」
……ぽーっとしてらっしゃる。
顔の前で手を振る。ベタベタだけど効果はあるだろう。
ふりふり。
「先輩?」
「…………」
へんじがない。しかばねなのかい?
手を握ってみる。
ぎゅっ。
「先輩?」
「ひゃわわっ!? ……はわ、わ……」
…………。
あ、あれ、おかしいな。一回顔を真っ赤にして物凄い驚いたと思ったら、握られてる手をぽーっと見つめ始めたぞ?
ちょっと鼓動の速さがやばい。
寿命が縮むレベル。
ていうか、これ本当に勉強にならないぞ。良いのかこれ?
今度は頭を撫でてみる。
さわさわ。
「……あ……? あぅ……はぅぅ……」
…………。
死にそう。
さっきよりも目がとろんとして、俺に撫でられるがままになって、自分の手を腿できゅっと挟んでぽーっとしてらっしゃる。
めぐり先輩の肩を掴んで、俺と相対させる。
これはめぐり先輩を正気に戻すための行動だから。
これはめぐり先輩を正気に戻すための行動だから!
正面から、両手で髪や耳や頬を撫でてみる。
さわさわ。さわさわ。
「……ぁ……」
先輩がうっとりした顔で、俺に身体を委ねている。
「…………」
あ、これあかんやつや。
更に状況が悪化した。
なんかもうめぐり先輩、もっと撫でてもらいたそうな目を向けていらっしゃる。
身体から芯が抜けたみたいにふわふわと揺れていて、あごの下を撫でると気持ち良さそうに目を細める。
俺もムツゴロウに近付けただろうか……。
しばらく目的を忘れて、わしゃわしゃ。
「ふぁぁ……っ」
めぐり先輩は髪が本当に弱点のようで、撫で続けると段々めぐり先輩も俺も変な感じになってきた。
流石にここでは危ないだろうと(今更だけど)思い手を離すと、めぐり先輩が心底残念そうな顔をした。幼い女の子だったら指を咥えてぶーぶー言いそうな感じ。撫でたい。
<回想終了>
……と、そんなやりとりを経て、気付けばあっという間にお昼時になっていた。
問題集の進みの遅さが異常だった。
ぽーっとしたままのめぐり先輩とご飯を外で食べて、その後も勉強会は続けようとしたんだけど……俺が一人で勉強するよりも進みが遅かったので、結局夕方になる前にめぐり先輩の家に向かうことにした。
それを提案するとめぐり先輩に猛烈に謝られたんだけど、まあしょうがないだろう。
俺がムツゴロウすぎるのが悪いんだきっと。形容詞になっちゃった。
家に向かう頃になるとめぐり先輩のぽーっとモード(勝手に命名)は解除されていたが、俺と繋いだ手が異様に熱いままだ。
熱でもあるんじゃないかと思うほど。
「そ、そろそろ着くから。ね?」
「あ、はい、どうもです」
そろりと振り返るその仕草はとても可愛いのだけど、顔を真っ赤にしているためこっちまで恥ずかしくなってしまう。
……これ、家に俺が入ったらめぐり先輩は爆発してしまうんじゃなかろうか。
めぐり先輩のテンパりっぷりを見て、冷静に考えてしまった。
「あ、見えてきた。あそこだよ」
めぐり先輩が空いた手で指を差す。
市街地から程よく離れた場所に、めぐり先輩が住んでいるマンションが見えた。
× × ×
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
めぐり先輩に招かれて、一呼吸置いてドアの内側へと足を踏み入れる。
両親と住んでいるそうで、玄関から見える範囲を一眸した感想は「うん、普通」だった。
大体どこの家もそうだとは思うけど。うちもだし。
「……あ、先輩、すみません」
ふと、まだ済ませていないことがあったのを思い出した。
「ん、どうしたの?」
家に入って少しばかり表情が柔らかくなっためぐり先輩が、くるりと振り返る。
ふわりと揺れたおさげに見惚れながら、スマホを取り出す。
「小町に連絡するのを忘れてたんで、ちょっと良いですか」
「あ、それもそうだね。どうぞどうぞ」
ありがとうございますと軽く礼を言って、小町に電話をする。
めぐり先輩が離れようとしたが、どうせすぐ終わるからとこの場に引き止めた。
2コール程で、「はいは~い」という元気な声が電話の向こうから聞こえてきた。
「おう、愛しのお兄ちゃんだぞ」
「まだそのノリ続いてたんだ。切るよ」
「待って待って待っ」
本当に切られた。さっきのLINEがよほど不快だったらしい。
受話器から漏れ出るツーッツーッと言う音を聞いて、めぐり先輩が抜群に気まずそうな顔をした。ご、ごめんなさい……。
……あんにゃろう……。冷たすぎる。
もう一度掛ける。今度は強気に行こう。
「もしもし」
「反省した?」
「……ごめんなさい……」
電話をして開口一番で妹に謝罪を要求される俺、マジクール。
こほんと小さく咳払いをして、用件を伝える。
「あー、小町。お兄ちゃんな、今日帰りが遅くなるわ……?」
話しながらふとめぐり先輩に目を向けると、物凄く哀しそうな顔をしていることに気付いた。
え、あれ、俺なんか変なこと言った?
「ほえー!? お兄ちゃん手が早―い!」
めぐり先輩からぼんっと湯気が噴き出した。
「ばか、すぐ隣にいるんだよ。でかい声出すな!」
音声だけで興奮しているのが如実に伝わる妹のバカテンション。
まったく可愛い妹ですよ、ええ。
……と、興奮するばかりかと思った小町が、小さな声で「んん……?」と訝しみの声を上げた。
「お兄ちゃん。今、《帰りが遅くなる》って言った?」
「ああ。だから、夕食はすまんがお前一人で――」
「そういうことじゃなくて。帰ってくるの?」
「え、俺って帰宅する権利無いの?」
まさかの自宅追放だったの?
「や、そうじゃなくて。お兄ちゃん、今日というこれ以上無いチャンスの日に、家に帰るつもりなの? 正気?」
正気を疑われた。
ふへーと盛大にため息を吐いて、小町が言葉を続ける。
「これだからごみいちゃんは……ちょっと、電話をスピーカーモードに変えてくれる?」
「え、なんで」
「いいから」
ぴしゃりとはねつける言い方をされて、なんなんだとぶつくさ言いながらめぐり先輩に目配せして許可を得ると、スピーカーモードに切り替えた。
この機能独特の少し金属質な音の中で、小町が陽気な声を発した。
「めぐりさん、こんにちは!」
「小町さん、こんにちは」
天使と天使の会合である。
通話記録及びレコーダーでの音声記録及びカメラでの画像・映像記録を残したい。もっと言えばUst配信もしたい。
どこにだよ。
ああもう和むなぁ――と思っていた矢先に、小町が予想していなかった言葉を言い出した。
「めぐりさん、つかぬことをお聞きしますが」
「なにかな?」
「本日は、めぐり先輩のお宅にご家族はいらっしゃいますか?」
「……っ」
めぐり先輩の動きがぴたりと止まる。
……え、この子、何言い出してんの?
「いかがですか? お返事によって兄の処遇が変わるんですが」
「おい待て。これなんの審問なんだ」
「お兄ちゃんは黙って」
「はい……」
理不尽だ……。
「ついでに正座してて」
「なんでだよ」
「お兄ちゃんうるさいよ」
「お前この状況を楽しんでんじゃねえよ」
「はぁ……これだからごみいちゃんは」
めぐり先輩の耳に入る状況で言いやがったこいつ。やっぱり理不尽だし。
やめて、めぐり先輩。くりっと可愛く首を傾げて俺を見ながら「ごみいちゃんって……?」と小声で呟かないで!
「それで、いかがでしょうか?」
もう一度小町が言って、めぐり先輩が目をあわあわと泳がせる。
たっぷり10秒近く悩んだ末に、顔を真っ赤にしながら口を開いた。
「……え、えぇっと……誰も……いません……」
「え」
素っ頓狂な声が出てしまった。
めぐり先輩の返事を聞いて、小町の声が穏やかになる。
「すいません、お恥ずかしいことを言わせてしまって。一応確認しておきますが、明日まで居ませんか?」
めぐり先輩が頬に手を当てて、うぅ……と小さく呻いた。
「うん……両親と住んでるんだけど、ちょっと前から旅行に行ってるんだ。帰るのは……明日の……夜……っ」
顔を茹でダコにして、めぐり先輩が手で顔を覆った。信じられないくらい和む。
「わかりました。こんなことをお聞きして本当にごめんなさい。小町は今聞いたことを綺麗さっぱり忘れておきますので!」
「は、はい……」
めぐり先輩が顔を隠したままふるふると首を振った。死にそう。
それじゃあ、と小町が言った。
「ごみいちゃん@捻デレ」
「人をTwitterのアカウント名みたいに言うな」
「今の聞いてたよね」
「ああ」
「どうするべきか、分かってるよね」
「……えぇっと……」
「明日の夜までうちの敷居は跨がせないよ」
「急にかっこいい口調でひどいこと言ったな」
「40秒で支度しな」
「お前はどこの空賊だ」
ロブスターすげぇ旨そうだったなぁ。
「まあそれは良いとして。……お兄ちゃん、今日は帰ってきちゃだめだよ?」
「……お、おう……」
な、なんだ。急に可愛い口調になったぞ。
こんな口調で囁かれたらどんな男だって……群がってきても俺が始末するから良いか。特に毒虫な。
「それじゃ、めぐりさん、お兄ちゃん、良い夜を! ハヴァナイスデーイ!」
「う、うん、ありがとう」
「お、おう、おやすみ」
突然の明るい英語(しかも使うタイミングが遅い。今夕方前なんだけど)に二人して戸惑い、ふわっとした返答をしたところで小町が通話を切った。
スマホをポケットにしまって、つとめぐり先輩に目を向ける。
「え、ええと……よろしく、お願いします……?」
めぐり先輩が、ぎぎぎと顔を向けた。
多分江戸時代のカラクリ人形の方がもっと滑らかに動けると思う。
「はっ、はひっ、お願い、しまひゅ……っ」
顔を真っ赤にして俯きながら、めぐり先輩が噛みに噛む。
ちょっと俺を殺しにかかってるとしか思えない。
めぐり先輩が両頬に手を当てて、うーんと唸った。
「うぅ……これじゃ、最初から部屋に行くなんて、とてもじゃないけど……」
「? 何か言いましたか?」
「な、何でもない! こっちに来て、こっち!」
小声で何かを言うのが聞こえたんだけど、聞き返したら首と手をすごい勢いでぶんぶん振られた。立ちくらみしないか心配になる。
やたらと慌てた様子で、めぐり先輩が俺の手を掴んで歩き出す。
「取り敢えず、リビング行こう! ね! 楽しいよ!」
「は、はぁ。わかりました」
どんなリビングだよ、と思いつつ。
先輩の手が更に熱くなったなぁ……と呑気に思いながら、柔らかな手に引かれてリビングへと向かった。
続く。
めぐりんでした。37話でやっと家に行くという。
改行を日々色んなパターンで試しています。もうちょいしたら落ち着くかと思いますので、それまでどうかお付き合い下さいませ。
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