翌日。
由比ケ浜マにお誘いを受けた件が気になって気になって、気もそぞろの極みだった。何をやっても手につかず、ゲームをしても落ち着かず、本を読んでも各行の頭文字くらいしか頭に入ってこない。古典的な暗号探しみたい。
そんなこんなで、現在。19時3分前。
由比ケ浜宅の前に着いて、ドアを目の前にしてふぃーと息を吐く。30分程前に「結衣が家を出ました。……待ってます」というLINEが届いて尚更気持ちが変な感じになっていた。や、「……待ってます」の「……」って居る? その記号1つで俺の心拍数が跳ね上がるの分かってる? 分かってそうで怖い。
見慣れた筈のドアが、まるで異質なものに感じられる。
はい、深呼吸。
すーはー。すーはー。
よし。
状況整理だ。
今から俺は、結衣のお母さんとお話をする。内容は結衣が居る時にはあの子が恥ずかしがって言えないような、あの子についての話。後はきっと俺自身の事もある程度聞かれるんだろう。まぁそれは予想の範囲内だ。無難にこなそう。
やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に。
…………。
……キャラを間違えた。
いかん、動揺している。落ち着け、落ち着け、データベースは結論を出せない……待て待て待て、キャラがまた変わった……落ち着け、落ち着け。
…………。
……さてさて、このドアを開けた先に待ち受ける展開は!? 乞うご期待!
カミングスーン、神だけに。
…………。
……ダメだ、一向にキャラが落ち着かない。性別さえ飛び越えてしまった。
あー、どうしよう、次はどのキャラの名台詞を思い出そうかと訳の分からない思考を巡らせていると、ドアがかちゃりと開く音がした。
× × ×
「……いらっしゃい」
「あ、ども……です」
ドアが静かに開いて、その隙間から由比ケ浜マ――彼女が顔を覗かせる。そのあどけない仕草は結衣と重なるものがあって、本当に姉妹かと勘違いしそうになる。
「何だかドアの向こうで気配がするけどチャイムも何も鳴らされないから、インターホンのカメラで確認したのよ~。そしたら比企谷くんが何だか思い悩んだようにくるくる回ってるから、面白くてしばらく見ちゃった」
「……恥ずかしくて死にそうなんで帰っていいですか」
言うと、ドアの隙間から覗いている、可愛らしい面立ちの彼女がけらけらと笑った。
「あらあら、良いのよ~。可愛いなって思ったんだから」
「……あ、そ、そうですか……」
言葉尻で目を細めたのが妙に色っぽく映って、思わず目を逸らしてしまった。
「それにしても、何であんなことしてたの?」
「え、あ、や、えーと……まあ、アレです。ちょっとした準備運動です」
しどろもどろに答えると彼女はきょとんとした顔をして、またけらけらと笑った。
「も~、なにそれ? ヒッキーくんは面白いわね~」
「や、そんなことは……っ!?」
恥ずかしすぎてマジで帰れないかななどと思っていると、突然ドアの隙間から伸びてきた手に手首を掴まれた。手首を包む柔らかくて熱い感触に、ごくりと息を呑む。
「……そんなに緊張しなくて良いわよ? 別に、取って食う訳じゃないんだから」
「……っ」
にっこり微笑むその表情があまりに妖艶で、呼吸するのを数瞬忘れてしまった。
「それじゃ、どうぞ」
「……はい……っ」
手首を掴まれたまま固まっていると、ゆっくりと扉が開いた。そのままするりと引き寄せられて、家に入った。
ドアが閉められる瞬間に見慣れた街の風景が見えて、次に同じ風景を見る時、俺は一体どうなっているのだろう……と思って、心がひどくざわついた。
× × ×
「お邪魔し……ま…………」
言葉を最後まで繋ぐことは出来なかった。慌てて目を逸らしたが、どうやら俺の視線が行った事はばっちりバレたようで、すぐ後ろでくすくすと笑う声が聞こえる。
彼女の着ている服は、胸元が大胆に開いたVネックの長袖Tシャツだった。そこから覗く谷間の広さと、その……胸のボリュームが、明らかに結衣の胸を超えている。いやいやいやいや、めっちゃスタイル良いのに、それでこの胸の大きさってなに? なに? なんなの!?
「ふふ、どうしたの?」
彼女がくすくすと笑う。2人とも三和土に居る為、彼女との距離が妙に近い。顔の斜め下からふわりと漂う甘い香りが鼻腔をくすぐって、どうにも良からぬことを考えてしまう。いかんいかん、これはきっと彼女が俺をからかっているだけだ、うん。きっとそうなんだろう。それか家ではオープンエロなんだきっと。オープンエロってなんだよ。家限定のオープンってそれもうオープンじゃねえだろ。ああもう思考が纏まらない。
決して胸元を見ないようにぐいっと顔を逸らしていると、彼女がくすくすと笑った。
「どうする? 歓迎のハグでもしようかしら」
「ぜひお願いします。間違えましたやめときます。ぜひやめときます」
「あらあら~、残念ね~」
もうほんとダメ。何だよぜひやめときますって。どんだけ拒否したいんだよ。しかも一回お願いしますとか言っちゃったし。まあ、本当にハグされたら乳圧で頭おかしくなってただろうから、拒否したのは正解だった。
「それじゃ、どうぞ上がって?」
「あ、はい」
一山越えて、ふぃーと息を吐きながら靴を脱ぐ。全く、これからは一瞬たりとも気を抜けないな……と思いながら、立ち上がりつつ振り返ると――
もにゅっ。
そんな、感触がした。
「あらあら~」
視界が暗転して、柔らかくて温かい感触が顔を包んで、頭が真っ白になった。
え、なに、え?
思考が目まぐるしい速度で巡って、視界・感触・彼女の声から状況を察する。
「ぬぁっ!?」
素早く仰け反って離脱すると――案の定、自分が数瞬前まで顔をうずめていたのは、彼女の豊かな双丘の谷間だった。
「ごめんなさいね~、ヒッキーくんのことじーっと見てたら立ち止まっちゃってたわ」
「え、あ、や、大丈夫です」
「怪我はない~?」
「大丈夫です、スライムってこんな感じなのかと」
「? 何の話かしら~?」
いかん、錯乱している。
「何でもないです、全然何でもないです。行きましょう、行きましょう」
「あらあら~」
焦りに焦りつつも促すと、彼女はくすくす笑いながらリビングへと歩を進める。
……何、今のくだり? この人、わざとやったのん? や、本当になに? 何かもう混乱しすぎている。頭の中がマジでスライム一色。
マジでスライム。しかもほかほかの。
……俺、何言ってんだろう。
楽しそうに鼻唄混じりで歩く彼女の後姿を見て、ああ、なんか背中も柔らかそうでむっちりしてんなぁ……と、完全にやばい方向に思考が進んでいた。
続く。
ここから、ここから。
水曜日も頑張りましょう。
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!