(1)
季節は春。
高校3年生になり、いつどこに居ても受験という言葉が視界にちらつく時期になった。
といっても今はまだ4月。どんなにその単語がちらついたところで、自分にしても周りにしても、それはどこか現実味を帯びていない。
今の段階から、或いはもっと前の段階から本当にスイッチが入って頑張っている人は相当大したものだと思う。頑張れ、見知らぬ人。
「ふぅ……」
放課後を迎え、一息つく。教師側も今年度になってから一段と気合が入っており、一つ一つの授業の密度がぐんと増している。
数学なんてあまりの密度にすぐ寝てしまう。
先生が教室に入って礼をして「では教科書~ページを開いてください」と言って指示通り教科書を開くとそこは魔法の世界。あっと言う間に夢の世界へ……。
今日は雪ノ下も由比ヶ浜も用事がある為奉仕部は休みである。
以前同じ状況になった際、気紛れで部室に一人で居たら、一色がやってきて当然のように居ついてしまい恥ずかしさで死にそうになった。俺をからかいながらも途中で急に無言になって俺をちらちら見て、頬を赤らめてえへへとか笑うのやめてほしい。死んでまう。
「ヒッキー」
「ん」
隣から声をかけられて、むくりと顔を上げる。こんな阿呆な呼び方をするヤツはここには一人しかいないし、それに……こんなに声を聞き慣れたヤツは、ほとんどいない。
「……なんか、失礼なこと考えてなかった?」
あれ、読まれた?
「失礼な。後半は失礼じゃないぞ」
「前半は何なんだっ!?」
「うににに……」
ほっぺを伸ばされた。全然痛くない上に「このこのー!」って感じのことを言う由比ヶ浜の顔がやたら楽しそうでどうしようも無い程に可愛いから手に負えない。
手が離れると、由比ヶ浜はくいっと屈んで柔らかく微笑んだ。
「……また明日、ね?」
「……おう」
「うん、じゃね!」
向日葵のような笑顔を咲かせて、由比ヶ浜が小さく手を振って教室を出て行く。
由比ヶ浜とは、クラス替えを経て再び同じクラスになった。「また……一緒だね」と言われて袖を摘ままれたときは心臓が爆発しかけた(というか爆発した)もんだ。
由比ケ浜とのやりとりは、どきどきしながらも一応いつも通りなんだけど……。
『え、なに、あの二人付き合ってんの?』
『まっさかー、そんな訳ないだろ?』
『えー、でも結衣ちゃん超良い笑顔だったよ? あんなの好きな人にしか向けないでしょ』
「…………」
……ハチマン、ナニモキコエテナイ。ダイジョウブ。
1ヶ月前までなら気にしていなかった視線が気になる。
以前は1年かけて由比ヶ浜とのやりとりが醸成されていったから、周りもあまり気にしていなかったのだろう。
しかし今は周りからすれば「あまり知らないヤツら(しかも女子がめっちゃ可愛い)が何か仲良さそうにしてる」としか見えないだろう。つよくてニューゲームみたいな感じだ。違うか。
「……出るか」
席を立って、誰に挨拶をするでもなく教室の出口に向かう。
以前からの知り合いもいないことはないのだが、それでもわざわざ挨拶する必要も無い。どんな感じで言ったら良いかも分からんし。っべーとか聞こえるけど俺には全く聞こえていない。
廊下を歩くと、日陰の部分はどこかひんやりした所もあるが日向はぽかぽか陽気と言った具合だ。
冬の名残と遠い夏の気配を湛えたこの時期は、訳も無く浮き足立つ。
そりゃあ新歓時期にウェイウェイ言ってる大学生もそうでない大学生も燃える訳だ。だってここで彼氏彼女をゲットすれば夏が来た時更にウェイウェイ出来るんだもんな。やだ鬱陶しい……。
もうじきGWがやってくる。引きこもり長期休暇としての今年度最初の戦いだ。外出することなく買い物を済ませるべく、密林で何を買おうかと夢を膨らませていると、昇降口の前で見慣れた艶やかな黒髪が見えた。
「うす」
「あら、比企谷くん」
雪ノ下が声に反応してくるりと振り返る。それと同時に髪がふわりと舞って、柔らかで上品な匂いが香った。
雪ノ下は俺を見た後、申し訳無さそうに俯いた。
「ごめんなさいね、比企谷くん。私も由比ヶ浜さんも用事だなんて……」
「え、あ、まあ良いって」
何、こんなことで謝るようなヤツだったっけ?
どうしたのかしらと思っていると、雪ノ下は手で口を覆い、わざとらしくよよよと泣いている演技を始めた。
「比企谷くんには……放課後、部活くらいしかすることが無いのに……」
「勝手に俺の生きがいを部活にするんじゃねえよ……」
部活っつってもほとんど読書とダベりなのに。家に居て本読んで小町とダベればやることは同じだぞ。
ていうか、わざわざクサい演技をしてまで罵倒するのかこいつ。いやな進化だ……。
俺の一言で雪ノ下はぴたりと演技をやめ、いつもの調子に戻った。急ハンドルすぎて八幡付いていけない……。
「あら、他に何かすることがあるのかしら?」
「あるだろ。本屋行くとか、勉強するとか、ゲームするとか、戸塚と遊ぶとか、小町と遊ぶとか」
「最後の2つは何なの……」
雪ノ下がこめかみに手を当ててため息を吐いた。そんなにおかしなことを言っただろうか。だって天使である妹と同じく天使である戸塚だぞ? 遊ぶことに価値しかないまである。
むしろ俺と小町と戸塚の3人で遊びたい。そしてその流れを作り次第戸塚を比企谷家に迎え入れたい。あ、変な意味じゃなくてね?
戸塚と何をして遊ぼうか。ひとまずは健全に人生ゲームをやって、その後はどこぞの蛇の神様になった中学生を見習ってあのゲームでもするか……などと妄想に耽っていると、雪ノ下がごみを見るような目で俺を見てきた。
「早く捨ててこないと……」
……手荒……。
「何だよ、何か捨てるもんでもあるのか」
「そうね。今私が捨てたいものの特徴としては、腐った目にアホ毛、絶望的な数学の成績に恐ろしいまでにねじ曲がった人格などが挙げられるわ」
「そこまで言うか……」
言葉の暴力がえげつない。
「あら、私は特徴を挙げただけで、あなたのこととは言ってないわよ?」
「お前な……」
得意気に髪を手で払うのがすげぇ腹立つ。お前はいつの時代の意地悪な女キャラだ。
何か反撃出来ないと思い雪ノ下を見た時、とある部位に目が言ったが、今日と言う日を俺の命日にはしたくなかったので言うのは控えた。
「…………」
「何も考えてねぇぞ? ほんとだぞ?」
この一瞬の逡巡だけでも雪ノ下に訝しみの目で見られた。鋭いし怖いよぉ!
いつも通りのやりとりをしていると、雪ノ下がふっと頬を緩ませた。
改めて、この1年で本当に表情が柔らかくなったなと思う。
「あなたは変わらないわね」
「人間、そうそう変わるもんかよ。ああでもお前は……」
「お前は……なに?」
雪ノ下がきょとんとした表情で、くりっと首を傾げる。
「……や、なんでもねえ」
「? 変な比企谷くん。変態ね」
「なんでもののついでで罵倒してんだお前」
「あら、ちゃんと罵倒してほしいの? あと10分ちょうだい。あなたが今までの人生を泣きながら悔いるくらい滅多打ちにしてあげるわ」
「何その悪魔みたいな宣言……」
他愛も無いやりとりをして、雪ノ下とまた来週と言って別れた。
――お前は、綺麗になったよな、なんて言える訳も無かった。恥ずかしくて死んじゃうからね。
× × ×
放課後、みっちり勉強に時間を使う気にもならず、買い物するでもなく店を眺めながら自転車を引いてぽてぽて歩く。
――雪ノ下も、由比ヶ浜も、一色も。
ここ最近……数ヶ月くらいだろうか。
俺が見ても分かるくらい、綺麗に、可愛くなった気がする。
何が理由になっているのかは分からない。
数ヶ月という時間を重ねたというだけでも綺麗になるのかもしれないし、他の何かが起因しているのかもしれない。
ちなみに小町も最近ぐっと大人びてきたんだけど、あいつの場合は年を重ねた以外の理由は認めない。兄として認めない。
男子三日会わざれば括目して見よ。
これは鍛錬を重ねている男に対して言う言葉なんだろうけども、きっと女性にも当てはまるのだと思う。
鍛錬という言葉のベクトルも違えば、或いは鍛錬という言葉自体適していない可能性もあるけれど。
ほとんど毎日のように見ている子たちでさえ変化が分かるのだ。
きっと、久しぶりに会って、まして相手が成長期の子なら、その変化は尚更だろう。
「……ん?」
そんなことを考えていると、向こうから歩いてきた女の子と目が合った。
――ただの偶然というよりは、自然と視線が吸い寄せられた、という言い方の方が正しいのかもしれない。
俺の名を呼ぶ声がした。
「……八幡?」
年相応でない大人びた声音は、クリスマスイベント以来で聞く、どこか懐かしいもので。
憂いを帯びた顔つきと、どこか儚さを纏った瞳は、斜め後ろから差し込む夕日に照らされて見惚れる程に美しかった。
続く。
取り敢えず1話は前振りでした。
予約投稿で章管理までは出来ないので、起きたらやることにします。時間があれば。
ルミルミは恐らく連載初期からリクエストを受けていたので、8ヶ月越しくらいになります。わお。
流れとしては、めぐりん編と同じパターンになるかと思います。ピュアなやりとりをかなりじっくりやって、その後は……まあ、はい。
ルミルミのそういう描写が見たくない!という方は、その辺まで来たらするりと引き返してくださいませ。多分前書きでそういう旨は書きますので。
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!