ここは、どこだろう。
景色は白んでいて、どこかの公園にいるらしいことは分かるが、具体的な場所は分からない。空気は生温かくて、どことなく良い匂いが漂っている。睡眠不足のはずなのに、不思議と身体は軽い。
『八幡』
鈴の鳴るような声が聞こえて、辺りをきょろきょろと見回す。最近すっかり聞き慣れた安心する声の主を探していると、今の今まで何も無かった空間にふっと現れた。
『どこに行ってたの?』
『わりぃ、ちょっと寄り道してた』
問い掛けに曖昧に答える。
普段クールな彼女からは考えもつかない程、可愛らしく甘えた声。大人びた言動や振る舞いからほど遠いそれは、彼女の年相応の面に思えた。
彼女が手を伸ばす。身長差は結構なものなので、少し屈んで俺も手を伸ばす。きゅっと抱きしめあうと、柔らかな香りが鼻腔から身体を満たしていく。生の実感が湧く。改めて周りを見ると、どことなく白んでいた景色が徐々に明瞭になっていき、場所も公園から徐々に他の場所に移り変わっていく。
「……幡」
『八幡』
彼女が、俺の耳元で囁く。少しばかり湿り気を帯びた声は、何を望んでいるのかすぐに分かってしまう程色っぽい。正面に向き直る。
「は……幡」
『八幡……』
とろんと目を細めて、彼女が唇を近付ける。俺はこの柔らかさを――
「八……ん」
……はて、知っていただろうか? というかさっきから続いている「これ」は何なのだろう。景色は固定されていたものから、徐々に流動的になっていく。その速度はどんどん上がっていき、今座っている場所の硬さや、何かがたたんたたんと心地良く鳴る音がはっきりしてくる。俺が抱き合っていたはずの彼女が、ゆっくりと薄らいで消えていった。
そして、
「八幡」
「……んぁ?」
目を覚ますと、目の前に留美の顔があった。
ぱちりと目が合う。
『……………………』
互いに、ぱっと顔を逸らした。この気持ちは何だろう、顔が超熱い。すごい熱いんだけど、この気持ちは何だろう!? 留美を見る。横顔しか見えないが、耳まで真っ赤になっている。
周りを見渡した。見紛うことなく電車、電車だ。そうだそうだ、俺は今日留美とお出かけしているんだった。うっかり寝てしまったらしい。
「わりぃ、寝てた」
謝って、留美の頭をくしゃりと撫でると、猫のように気持ち良さそうに目を細めた。
「ん、大丈夫。私が先に寝ちゃったんだし」
「あ、そう言えばそうだったな」
「私が起きたら八幡が私に体重を預けてたからびっくりした」
「待て、それは逆だろう」
もし本当だったら留美の身体に中々の圧力がかかってしまう。
俺のツッコミに、留美がくすりと笑う。
「それで、八幡を寝かせてあげておいたのは良いんだけど……どこで降りるか聞いてなかったなって。ある程度長い時間乗るってだけは聞いてたけど」
「ああ……そうだったな。わりぃ」
目をこしこしとこすり、すぐ前に発った駅の名を聞く。
「あと……四十分てとこか」
そんなに乗るの? という顔をされるのかと思ったのだけど。
「そ。じゃあもっと寝かせておいてあげれば良かった」
「……」
何この子、素敵。
結婚してぇ。
や、そうじゃなくて。
「や、もう大丈夫だ。わりいな、旅路も醍醐味だってのに」
「いいの。八幡の寝顔、可愛かったし」
今度はいたずらっぽく笑うお姫様。うぅん、胸の奥がむずむずする……。
ふいと顔を逸らして、車両から見える景色に目を向ける。街が徐々に町に、そしてその中に田畑が混じるようになってきていた。
「俺だってお前の寝顔見たし、おあいこだろ」
「え……見たの?」
「そりゃそうだ。すげぇ可愛かったぞ」
「……変態」
「俺は顔を見ただけだ……」
ゆるいやりとりに、自然と互いの頬が緩む。周りを見ると、俺たちの他には乗客は一組しかいなかった。車両にも依るのだろうけれど、それにしても穏やかな空間だ。
「静か……」
「ああ、お出かけってよりかは旅行って感じだな。それもお泊まり付きの……あ」
「え……」
両者、沈黙。
やってもうた。
「……今のは、なしで」
「……別に、良いんだけど」
「おませさんめ。お泊まりの意味は分かってんのか」
からかう調子で言うと、留美は顔を真っ赤にしてきっと睨み付けてきた。
「……八幡のばか、変態」
頬をぷっくり膨らませているその仕草が、たまらなく可愛らしくて。
「わりぃ。まあ、その内な」
頭をぽんと撫でる。
……あれ、俺今何て言った?
見ると、留美が俺の手に自分の手を重ねて、ほけっとした目で俺を見ている。
「……その内、良いの?」
「え、や、それは、その」
「……今は高校生と中学生だから、来年か再来年かな」
留美が目を細め、蠱惑的に笑う。
口が滑ったら。
お泊まり旅行@未来が決定してしまった。
「場所決めといてね。それとも……今から相談する?」
「うぐぉぉぉ……」
留美の追撃が止まない。
何これ、死ぬ程恥ずかしいんですけど……と思ったら、電車が次の駅に着いた。留美が手を離したので、俺も留美の頭を撫でるのを止める。ぷしゅーと音を立ててドアが開くと、俺たちの他に唯一いた乗客が降りて行く。仲睦まじそうな、昔から知り合っていたように見えるカップル。あの人たちに、俺たちはどんな風に見えていたんだろう。
ドアが閉まり、電車がゆっくりと走り出す。
「八幡……」
留美が、俺の手をきゅっと握った。
× × ×
「八幡、あそこ」
「え?」
留美が指差したのは、俺たちが座るシートからほんの数メートルの所にあるボックス席だった。普段は家族や人数多めのグループが乗り、知らない乗客と相乗りで斜向かいに座ろうものなら、抜群の気まずさと膝がぶつかる不快感が伴う、ボックス席。
「あそこ、座りたい」
「そうか、じゃ、行くか」
揃って席を立つ。十歩歩くかどうかという距離なのに、留美はしっかりと手を繋いだままだ。もうすっかり慣れてしまったので、特にツッコむこともなくボックス席へ。
「さ、座るか」
「うん」
「手、離さないのか?」
留美は手を繋いだままなので、このままでは座れない。お互い手をぴーんと伸ばし合う実にシュールな図になってしまう。アーチ的なね。
俺の質問に、留美がくりんと首を傾げる。
「なんで?」
なんで、ときたか。
「や、何でって。向かいに座ったら繋げないだろ?」
「向かいに座らない。隣に座るから」
さも当然であるかのように言ってきた。
「……さいですか」
頭をがしがしと掻いて、留美を二人分のシートの窓側に招く。二人で腰を下ろすと、留美がにこやかに微笑んだ。
「なんか、こっちの方が落ち着く」
「ああ……確かに」
普通の座席ももちろんきちんとしてはいるのだけど。ボックス席は、背もたれががあるから安心感が違う。まだまだ成長期である留美の小さな体躯からすれば、この背もたれがもたらす安心感は尚更大きいだろう。
そんなことを考えていると、留美が俺に肩を寄せて、体重を預けてきた。
「……八幡」
「な、なんだ? どうした?」
急に、まるで二人きりの密室にいるかのような声音になる留美に、どきりと心臓が高鳴る。
なんでこんな……と思って辺りを見渡して、ハッとする。
俺たちの他に誰もいない車両。
安心感、つまりは心地良い閉塞感をもたらすボックス席。
「……」
マジか。
もう、あのくだりは終わりだと思ってたのに。
留美が、艶やかな髪をかき上げて、小さく可愛らしい耳を見せる。
送ってくる流し目は婀娜っぽく、心臓が鷲掴みにされた。
まだこの電車には三十分以上居座る予定だ。しかも、進めば進む程車内が空いて来るような路線で、誰かが俺たちの視界に入る場所に座る確率はそう高くない。
「八幡……」
留美の声が、視界を妖しく歪める。今見える景色は、夢で見た景色よりもどこか幻想的で、蠱惑的だった。
続く。
ルミルミでした。
書いたことの無い雰囲気やシーンを書くと、とても楽しいし成長する実感が湧いて楽しいです。書き慣れたシーンもこの調子で腕を上げられるよう楽しみます。
西尾維新先生の戯言シリーズ、鴨志田一先生の青春ブタ野郎シリーズ、聴猫芝居先生のネトゲの嫁は女の子じゃないと思った? シリーズを読んで、その雰囲気をちょこちょこ当てはめつつ。今日から異世界居酒屋のぶの三杯目と、ビブリア古書堂の事件手帖を読み始めます。わくわく。
オリジナルもちまちま書いています。上げる時はカクヨムや小説家になろうで投稿しようと考えていますので、その際ここでも告知してみようかと思います。よろしければご覧くださいませ(^^)楽しくて、笑顔になれるような小説を書いて行きます。何気ないエロスのようなあったかい雰囲気を意識して書いていきます。
それでは、また明日ここでお会いしましょう(^^)!
今回もお読み頂きありがとうございました(^^)!!